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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 私はアメリカにいることに一種の恐怖を覚えるようになった 「日本帰国」の謎

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宇沢がシカゴで過ごした時間はそれほど長くはなかった。
シカゴ大学経済学部に移籍したのが1964年4月で、
1968年4月には東京大学に着任している。
1年間をイギリスですごしたので、
シカゴ大学に勤務したのは実質的には3年ということになる。
帰国を促したのはベトナム戦争だった。

〈私はアメリカにいることに一種の恐怖を覚えるようになった。
長男は同時はまだ小学校の一年生、二男は幼稚園児だった。
しかし将来、徴兵されるに違いない。
と同時に、アジアの小国が軍事大国アメリカによって侵略されて
いるとき、自らの選択でアメリカにとどまっていてよいのか
と自責の念に駆られた〉(『経済と人間の旅』)

宇沢家は妻の浩子に長男の達、次男の聡、英国滞在の前年には
長女まりが生まれたので家族は5人になっていた。
アメリカには徴兵制度があり、ベトナムでの兵力増強が繰り返される
なか、同僚からは「息子が徴兵された」という話も耳にするように
なっていた。
アメリカに永住すれば、
いずれ息子も戦争に赴くことになるにちがいない。
そう想像するだけで恐ろしくなった。

ベトナム戦争は、大学内にも対立をもたらしていた、、、

私のインタビューでは、このころ、実際にFBIの影を感じるような
出来事が身の回りで起きたと語っていた。
一番つらかったのは、自分を慕って身近にいた学生や若い研究者が
FBIにマークされたことだったとも宇沢は話していた、、、

宇沢が日本に帰る決意を伝えると、アローやソローはじめ周囲の
経済学者たちはみな驚愕した。
ポール・サミュエルソンは「国際的名声の頂点にあるときに、
シカゴ大学の地位を放棄した」と評したという、、、

意外なところでは、ミルトン・フリードマンも宇沢に翻意を促していた。
浩子によると、息子たちを兵隊にとられるという懸念が帰国の理由だと
理解していたフリードマンは、「君の子供たちが徴兵されるようなことには
ならないから」といって、シカゴにとどまるよう宇沢を説得していたという。

なぜ突然、日本に帰ってしまうのか。
経済学のメインステージから降りるような決断を下したのか。
理由を知りえた経済学者はひとりもいなかったのである。

佐々木実「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界 」(講談社)
(その第10章、328ページから)

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コメント(1)

私も、わずか3年ですが、アメリカに駐在していた人間として、この宇沢弘文さんの行動に共感します。
アメリカとは、今でも、そういう国ではなかろうか?

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