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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 都市の無縁性と有縁性

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自治を行う地域組織は、学界ではかつて「惣村(そうそん)」と呼ばれていた。
中世は農業社会だという大前提による。
だがこれは誤解で、そのほとんどは自治村落ではなく自治都市である、、、

農村が実際は都市化しているのに名称が変更されず、
「村」と表記されることはざらだ。
都市を「惣村」と見誤ったのは、「『村』と書いてあればそれはすべて農村だ」
という農業中心主義的思い込みに原因がある、、、

その「村」、農村について一言しておこう。
今日の村は弥生時代から連綿と続く村落共同体などでは全然ない。
同様に都市・村落を構成する「家」にも長い伝統はない。
これこそ日本の歴史や伝統に関する「二千年の誤解」
というべき大的はずれなのである。
「家の歴史」「村の歴史」は室町時代後期に始まるのだ。

古代の村は、国造(くにのみやつこ)出身で律令制下で郡司を勤めた
古代豪族の大家族などを代表とする家族とその所有地である。
大きなものは百人もの人々からなる。
古代的有縁世界といってよいだろう。
だがこの村と家は王朝国家の悪政によって跡形もなく破壊された。

続く中世の村は住民の流動性がはなはだしく、村の範囲も確定していなかった。
御成敗式目に「村人の去留の自由」という規定がある。
村民は年貢さえ完済すれば、その後はどこに行こうが自由である
と定められていた、、、

自治都市の有縁性  「家」「町」「村」は15世紀に成立した

自治都市・自治村落を構成する「家」が成立するのはいつか。
その前に家とは何によって定義づけられるのか。
家とは(1)世襲の名乗(第・代木村庄之助、などの類)、
(2)世襲の財産、(3)世襲の家業、などを持ち、
永久に続くべき「経営体」である。
世襲的な商店を考えればよい。
家の成立とは、(1)(2)(3)が固定して変動しなくなることと同義である。
それはいつだったのか。
これは日本史における最重要問題の一つだ、、、

家は直系の血縁で連続している必要はない。
木村庄之助と同じだ。
町・村の構成単位としての経営体としての家が、
都市・村の組織にとって必要なのだ。
これが家制度である。
ユイシという言葉が現れるから、1489年にはすでに家の観念が定着し、
また直系による家の維持が、現実的には困難であることが明らかになっていた。
とすれば直系相続を建前とする家制度の観念は、これより2、3世代前に
成立したと考えられる。
庶民(といっても近畿の富裕層)の家制度の成立は15世紀である。
当然、家が集まってできた都市や村などの共同体の成立も同じ時だといえる。
自由な居留を認める流動性の高い無縁的な都市・村落にかわって、
新たなる有縁世界が出現しつつあった。

自治都市の無縁性

家が集まって構成された自治都市は、境内都市と同様、不入権を獲得し、
幕府・守護の検断権を代行し、また自治組織の掟を破る内部の人間を
追捕した。
当時の言葉で「自検断(じけんだん)」という。
領主でもない者が不入権をどうやって手に入れたのだろうか。
自治組織は守護に毎年「御不入(ごふにゅう)の礼銭」を払っていたのだ。
すなわち戦国時代には、不入権は買うことができるものになっていたのだ、、、
ただし自検断を支えるには、武力と礼銭を支払う財力が必要だ。
自治組織が政治的実力を持った過程は、一般の歴史書に書かれているので省く。
ただし「惣村」の農民闘争史として描いているけれども。
自治都市は権力からの無縁性を強く保持していた。

家格性 身分の固定

寄合は自治の根幹を支える会議である。
境内都市の一種民主的な集会(しゅうえ)の方式が、
自治組織に受け継がれたのである。
自治都市は境内都市から生まれた存在なのだ。

だが自治都市が境内都市と決定的に相違する面を強調しておかねばならない。
寺院集会の建前は構成員の平等である。
ところがこの自治組織は、貧富の差と身分の不平等をそのまま固定している
ところが大きく違うのだ。
「自由」なのは一部の限られた人々で、「平等」ではないのだ。
宮座のメンバーとなり、その地位を保つには、毎年多額の出費が必要で、
払えなければ宮座から追放される。
自治都市の特権層は、江戸時代の特権層にそのまま血縁でつながる。
兵農分離の後、一部は武士になり、一部は本陣や庄屋などになる。
家の成立は同時に身分制度の創設をも意味したのだ、、、

何でもないことのようだが、身分制を国家でなく、自治都市や自治村落
が創設したことは、世界史的に見ても非常に珍しいできごとなのだ、、、

無縁世界である境内都市の構成員と、有縁世界である自治都市の構成員は
行き来する。
僧の家と俗の家は同族なのだ。
どれが素顔と断ずることはできない。
二股・三股をかける僧侶・武士・商人・職人・地主の存在こそが、
過渡期である中世後期社会の本質なのだ。
本多正信や三河一向一揆こそ、戦国時代という時代を象徴する存在なのだ。

「寺社勢力の中世」 無縁・有縁・移民 伊藤正敏 ちくま新書 225p


無縁所の背景の宗教、大師・神輿、時宗などは、
仏教思想によって考察すべきではない。
縁の世界からのはみ出しを余儀なくされた人々が、身近にあって手っ取り早く頼れ、
シンボルとして仰ぎえたものが、寺社の権威だったというに過ぎない。
一部の支配層のように、天台宗・真言宗という仏教哲学に惹かれたのではない。
手近でしがみつけるものなら、何でもよかったのだ。
仏教的色彩で塗られてはいるが、全く別物であろう。
無法者の倫理であるつわものの道、武士道類似の思想があったことは先に見た。
「窮鳥」は任侠道の理念に近いだろう。
そもそも宗教の本質は、縁からはみ出した者がすがるわらなのではなかろうか。
それにしても、「王のための神」という地点から、何とも遠くに来たものである。

人間には、縁などより先に、生の生活、生の感情、自然の尊厳がある。
これを積極的価値として位置づけたの自然権思想である。
縁切りとは、縁のために損われた人間の自然権を回復しようとする試みの、
第一歩としての逃避である。
その人々の思いが作り出した、非制度的な制度こそが無縁所なのだ。
中世とは無縁所の時代だ。
無縁所が息づいていた時代、これこそが中世である。
開始は1070年、終了は1588年だ。

「寺社勢力の中世」 無縁・有縁・移民 伊藤正敏 ちくま新書 246p

コメント(1)

なるほど・・興味深い分析、思考ですね。

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