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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 大塩平八郎の乱、モリス「三島由紀夫が日本精神の本質を理解したいならば、王朝文学でなく大塩平八郎を学べ」。

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だが、大塩平八郎は今日の日本人から最も遠い人でないか。「身の死するを恨まずして、心の死するを恨む」と『洗心洞箚記』』上巻に記す。
2019-03-14 08:10


1:骨子・大塩の乱は紛れのなく、挫折の一例である。
・私自身の思い出の中に、今三島(由紀夫)と最後にかわした会話が甦ってくる。もしも西洋人が日本精神の本質を理解したいならば、日本人の持つ勇健精悍なたけだけしい英雄の典型として大塩平八郎を研究したらよい。日本精神とは王朝女官の日記や優雅な歌と歌とをかわすならわし、あるいは儀式的なお茶会などだけで代表されるべきものではない。
2:紹介:アイヴァン・モリス著『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』からの引用。
・一八三七年大飢饉による民衆の窮状を目の前にしつつ、無為無策のままの幕府に抗議して、大阪の儒学者大塩平八郎中斎は「救民」を旗識のもとに兵を挙げた。ところがその挙兵は完敗した。大阪町奉行与力として立派な業績をあげていたこの指導者、そして同志たちは、同じ町奉行の捜索によって、ことごとく逮捕され極刑に処された。
・戦後の日本は、肉体の安全が主張される為、精神の方が早逝して肉体が長生きするという人間が増えた。意気の上がらない日本人の画一的生活態度に対し目覚ましい例外は過激派学生の運動であった。保守政治体制を崩壊させるという一見してすぐ無理だとわかる目標の為に危険をいとわず、犠牲を覚悟で身を捧げるという運動に参加した学生達だった。
・さまざまな思想、立場の人々が、大塩平八郎を崇拝してきたのであるが、それらの人々に共通分母があるとすれば、それは何であろうか。いかに危険な暴力的方法であっても必要ならば使用して、既存の権力体制を崩す決意をしていること、その行動の効果がいかに頼りないものであっても、その決意を固く保っていたことも挙げられる。
・大塩の哲学は陽明学のどの点を特に重要とみていたか。「太虚」である。太虚とは創造力である。「身の死するを恨まずして、心の死するを恨む」と『洗心洞箚記』』上巻に記す。
・大塩が一般庶民のために正義を生涯の目標に選んだことは、支配者である幕府当局と真っ向から衝突する道についたことを意味していた。

コメント(2)

そうですね。陽明学は、当時の幕府の学問であった朱子学とちがって、行動の学問、でした。
近江聖人、中江藤樹が、日本で研究して、多くの門人を育てました、大塩平八郎もその流れです。
最近の事なかれ主義の日本人には、見習う点がおおいですね。
>>[1]

同感です。
中江藤樹も大塩平八郎も悪いことは聞きません。
立派なかたがたなのだと思います。

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