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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】尾瀬は誰によって世間に知らされたか。武田久吉。日本山岳会の創刊号『山岳』に尾瀬を紹介

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彼は大正十一年頃、尾瀬貯水化計画、昭和二十三年尾瀬ヶ原巨大ダム計画に反対。武田久吉はサトウの息子『アーネスト・サトウと倒幕の時代』12月中旬発売
2018-11-24 08:23


多分、皆様は、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 とおい空」の歌『夏の思い出』をご存知と思います。もし武田久吉なかりせば、「水芭蕉の花が 咲いている夢見て咲いている 水のほとり」と歌われる情景が残っていたか疑問なのです。

尾瀬は、武田久吉によって世に紹介されました。

武田久吉は日本山岳会の創刊号(明治三九年)『山岳』に、尾瀬について書きました。当時尾瀬は「山深くして路なく交通便のよかざるが故に、人の行くこと稀にその名世に現れず。。。。紀行として尾瀬に関するものは殆んどなし」という状況で、世には知られていなかったのです。

そして、尾瀬の魅力について次のように書いています。

・尾瀬ヶ原の一部は今我が目の前に展開されたり。ミズゴケのじくじくと湿りたる処にコミヤマリンドウの紫も唇綻ばせて、天を仰いで笑みをもらせる。この世のものとも思われず、、、

・行く手には燧ケ嶽の巍然として雲表に聳えたるが、其の裾まで一望盡くミズゴケの原にて、其の間には川あり、湖あり、沼あり、林あり、これぞ尾瀬ヶ原の主部にて、紅白紫黄の花々すき間なく咲きつづき、中には北海道の外、内地にては他になきものあり。我らは時のうつるのもしらずして、此の自然の楽園にさまよひ、美しき花を摘み、珍しき草を抜きつつ進めば、小流のいくつかありて。。。。。。。。。。」

この文章で尾瀬が世に知られるようになったのです。

武田久吉は尾瀬を紹介しただけではありません。大正十一年頃、尾瀬貯水化計画に反対の声をあげました。さらに、昭和二十三年の尾瀬ヶ原巨大ダム計画にも反対しています。

コメント(2)

なるほど・・・自然を護ることの大切さを、思い至りますね。
先人に感謝です。
>>[1]

同感です!!
尾瀬は群馬と栃木の県境にまたがっていて、その自然は地元の誇りです。

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