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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】岸信介は、米軍情報関係者と緊密な接点を持っていたが、他方首相として、米軍削減、日米地位協定(当時は行政協定)の改革を目指していた

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【孫崎享のつぶやき】
意外でしょうが、安倍氏の祖父、岸信介は、米軍情報関係者と緊密な接点を持っていたが、他方首相として、米軍削減、日米地位協定(当時は行政協定)の改革を目指していた。逆に米国は「岸降ろし」(私の『戦後史の正体』より)。
2018-11-04 08:18

(*小生櫻井は、孫崎氏のご見解を殆ど参考にさせていただいております。ただ今回の専門的知見には自己検証できるまでの期間は保留したいと考えつつ転載させていただきました)

岸は一九四五年九月十一日、A級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨拘置所に入ります。その拘置所のなかでの気持ちをこう書いているのです。
「冷戦の推移はわれわれの唯一の頼みだった。これが悪くなってくれば、首を絞められずにすむだろうと思った」(『岸信介証言録』)
 つまり、冷戦になれば米国は自分を使おうとする、だから自分の命が救われると言っています。
岸信介は、みなさんもおそらくご存じのとおり、一九六〇年に新安保条約の締結を強行した人物です。CIAから多額の資金援助をうけていたこともわかっています。したがって米国追随一辺倒の政治家というイメージがあります。でも調べていくと、驚くことに岸は対米自立路線を模索しているのです。
岸信介は一九五六年十二月、石橋内閣の外務大臣になります。このとき岸は、「旧安保条約はあまりにもアメリカに一方的に有利なものだ。形式として連合国の占領は終わったけれど、これに代わって米軍が日本全土を占領している状態だ」という認識をもっています。この認識のもとに外務大臣として米国と交渉しようと考えていたのですが、先に見たように、石橋首相は病気のため、わずか六五日で退陣してしまいます。
そのあとをついで一九五七年二月、首相になった岸は、今度は内閣の総力をあげて安保改定につき進みます。
首相就任二カ月後の一九五七年四月一九日には、すでに参議院内閣委員会で「安保条約、行政協定は全面的に改定すべき時代にきている」と答えています。
岸首相は安保改定について米国と交渉するため、訪米を考えます。そのために岸は、まずマッカーサー駐日大使と会談して自分の考えを伝えます。このとき岸は自分の考えが米国側に正確に伝わるように、用意された紙を読みあげています。そのなかには次のような内容が含まれていました。
「駐留米軍の最大限の撤退、」
(出典『岸信介証言録』内に(From Tokyo To: Secretary of State, No:2304)として紹介)
 岸首相は米国に対し、「駐留米軍の最大限の撤退」を求めているのです。
 六月、岸は訪米します。このとき岸は次のような気持ちでのぞんでいます。
「日本はサンフランシスコで政治的独立が回復されたが、各方面において不平等関係、つまり、占領時代の一種のしこりみたいなものが残っていました。
 占領は形式的に終わったが、実質的にはその残滓というか、残った澱みたいなものが日本人の頭にあるのです。これをいっさいなくして日米関係を対等な地位に置く必要がある、ということです」(『岸信介証言録』)
岸信介は米国のエージェント(工作員)だったのでしょうか。それとも、米国との関係を利用して、「米国からとるものはとる」という考えの人物だったのでしょうか
 戦後、岸信介の周辺には、米国の影の部分が徘徊しています。
 岸自身、『岸信介証言録』などで「コンプトン・パケナム、ニューズウィーク東京支局長が、岸の幹事長時代、英語を教えるということで、週一回岸の家を訪れていた」ことをのべています。
 ティム・ワイナーの『CIA秘録』には次の記述があります。
「それから七年間の辛抱強い計画が、岸を戦犯容疑から首相へと変身させた。岸は『ニューズウィーク』誌の東京支局長(パケナム)から英語のレッスンを受け、同誌外信部長のハリー・カーンを通してアメリカの政治家の知己を得ることになる。カーンはアレン・ダレスの親友で、後に東京におけるCIAの仲介役をつとめた。岸はアメリカ大使館当局者との関係を、珍種のランを育てるように大事に育んだ」
岸が巣鴨から釈放されると米側はすぐに接近しています。岸のヨーロッパ旅行やアメリカ旅行の手配もしています。さらには一九五五年八月、ダレスは岸との会談で、「もし日本の保守派が一致して共産主義者とのアメリカの戦いを助けるなら、〔財政的〕支援を期待してもいい」とのべています。同年十一月に保守合同が行なわれ、いわゆる「五五年体制」がスタートする三カ月目のことでした。
 岸信介に週一回英語を教えたパケナムは、たんなる記者ではありません。アメリカ対日協議会(ACG)の一員です。
 岸信介は米国の占領下で、文字どおり「生き抜くために米国に使われること」を選択した人物です。ただ、岸はそこで止まってはいませんでした。米国の力を利用して自分の主義を実現させることを考えていたのです。
 米国務次官補のヒルズマンによれば、一九六〇年代の始めまでに、CIAから日本の政党と政治家に対し、毎年二〇〇万ドルから一〇〇〇万ドルの資金提供をすることが慣例となっていたといいます。その中心が岸だったことはまちがいありません。
 たしかに岸信介とCIAとのあいだに闇の関係はありました。しかし、だからといって、岸は自分の行おうとしたことを止めたわけではありません。
 逆に利用しています。
 一九五七年六月二一日、岸首相の訪米では、共同声明で次のことが発表されました。
〇安保条約にもとづくすべての措置が、国連憲章の原則に合致することを保障するための協議を行なう。
〇陸上部隊の速やかな撤退を含む大幅な削減を行なう
次に以前、岸がアリソン大使に提言した「駐留米軍の最大限の撤退」を見てみたいと思います。これはいったいどうなったのでしょうか。
日本が一九五一年の講和条約と安保条約を締結したとき、寺崎太郎元外務次官がのべた言葉です。
「サンフランシスコ体制は、時間的には平和条約―安保条約―行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明瞭であろう」
行政協定は占領終結後も米軍が在日米軍基地を自由に使うためのとり決めです。これが米国にはもっとも重要です。
「行政協定」は旧条約の授権の際に、行政間の協定として国会承認の手続きなしに結ばれたのでそう呼ばれた。
 米国は「行政協定はそのまま」という立場であった。
この当時、米国は安保条約の改訂には応ずる姿勢をみせています。しかし行政協定の見直し要求についてマッカーサー大使は激しく反対しています(シャラー著『日米関係とは何であったか』)
米国は日本の考えていることを全部示してもらいたいということで日本は五七の項目を提示した。
 交渉は藤山大使とマッカーサー大使との間で帝国ホテルで行われた。
 途中でNATOにおける駐留軍の地位を参考にしている
 岸首相は「行政協定は全面的に改定すべき時代にきている」と国会答弁しましたが、結果はどうなったでしょう。「地位協定」と名をかえて、現在までそのままつづいています
私たちはすでに一九五二年に締結された行政協定の意味をみてきました。
 ダレスが一九五一年に日米安保条約を締結する際、「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を獲得する」という目的をもっていたこと、その目的を実現するうえで、行政協定が重要な役割をもっていたこともみました。
行政協定では、「日本国は合衆国に対し、安全保障条約第一条にかかげる目的の遂行に必要な施設および区域の使用を許すことに同意する」と書かれています。米軍は望むだけの施設を日本国内に得る権利をもっています。次に「日本国および合衆国は、前記の施設および区域を日本国に返還すべきこと、または新たに施設および区域を提供することを合意することができる」と書いています。米国は返すのが嫌であれば合意しなければいい。つまり米国は「望む期間だけ駐留させる」権利も獲得しています。
このように在日米軍の権利を定めた行政協定は、米国側に一方的に有利な取り決めです。だから岸首相は「行政協定は全面的に改定すべき時代にきている」と答弁したのです。
 岸首相は「二段階論」を考えていました。つまり安保条約を改定して、その後「行政協定を改定する」方針でした。
 行政協定の膨大な量を考えれば、この方針はうなずけるものです。このやり方ですと、「駐留米軍の最大限の撤退」もゆっくり協議することができます。
 ところがこのとき、池田勇人(国務大臣、副首相級)、河野一郎(総務会長)、三木武夫(経済企画庁長官)が「同時大幅改訂」を主張します。「同時大幅改訂」は、現実問題としては実現不可能です。
 そして岸は退陣に追い込まれていきます。

コメント(2)

なるほど・・・歴史とは異なものですね。
人間には、善悪両面、二面性がありますね。
>>[1]

その認識の流儀、いいですねえ。
共感をもちます。
安倍総理は岸信介を誤読しているかもしれません。

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