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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】明治をどうみるか、ハーバート・ノーマン『日本の兵士と農民』原著は一九四三年カナダ「日本の徴兵制度―反動と侵略の前兆」

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【孫崎享のつぶやき】
明治をどうみるか、ノーマン「徴兵令(1873年)は、憲法(1889年公布)も議員制度の前に成立。日本の新産業家達は、市場と植民地を求めアジア大陸へ。一般日本人は、自身徴兵軍隊に召集された不自由な主体、これが他の諸国民に奴隷の足かせを。
2018-10-25 08:43


ハーバート・ノーマンは一九〇九年生まれ。カナダの外交官。『日本の兵士と農民』(岩波書店、一九五八年)原著は一九四三年カナダにおいて「日本の徴兵制度―反動と侵略の前兆」の題で出版される。その引用。


・この徴兵令は多年にわたる封建制度にすぐ引き続いて出来たものだけに、影響が非常に大きく、ほとんど革命的と言っていい程の法律であった。封建制度の時代には、武器をたずさえる支配階級が厳重に規定され、制限されていたのに対して、農民を主とする、武器をもたない被圧迫階級は、いやしい階級であるとか、武器を持たせるほどに信頼できないとか考えられていた。実際の所、普通徴兵制を敷くことは余りにも革命的な考え方であったから、それを最も頑強に提唱した大村益次郎は,一八六九年、兵部大輔の時、憤慨した同藩の反動武士に暗殺された位である。 

・この関係の内には、封建支配階級のごく一部分が農民を非常事態に対処するため、兵員を吸い上げる貯水池として認めていく過程の不均衡かつ不完全な発展がみられる。

・見逃してならない事実は、近代日本の徴兵制度の型を規定した最初の徴兵令(1873年)は、憲法(1889年公布)も何らかの代議員制度も確立しない時に布告されている事である。 

・日本の新しい産業家達は、気忙しげにその若い産業と銀行の市場や投資の場を探し始め、軍国主義者等は市場と植民地を求めて自ら進んでアジア大陸に押し渡っていった。

・侵略的行動において、一般日本人は、自身徴兵軍隊に召集された不自由な主体でありながら、自ら意識せずして、他の諸国民に奴隷の足かせを打ちつける代行人となった。他人を奴隷化する為に真に自由な人間を使用することは不可能である。反対に、最も残忍で無恥な奴隷は他人の自由の最も無慈悲かつ有力な強奪者になる。・徴兵制度の主な建設者、山縣有朋を動かしていた暗黒な反動の精神は「軍人訓誠」に見る事が出来る。中で山縣は軍人が民主的、自由主義的傾向の政治参加を禁じ、「民権、自ラ任」ずることを厳重に戒めている。このことは今日まで日本軍隊の支配的な精神となってきた。

・明治政府の指導者達がひとたび日本の社会と経済の民主化への道を閉ざし、国内の反動と国外の侵略に通ずる道にきっぱりと顔を向けてからは、日本の国民の生活のあらゆる面をますます軍国化していく傾向が、取り返しのつかないまでに、決定されてしまった。過去半世紀にわたって、日本の戦争機構は日本国民の肩と精神の上にいよいよ苦痛となってのしかかっており、その近隣民族に対する脅威はますます恐るべきものになってきた。

コメント(1)

すーちゃんさん

いつもお世話になり、有難うございます。

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