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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの色平哲郎氏【在宅医療の開拓者が残した「医療界への遺言」】

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色平哲郎氏【在宅医療の開拓者が残した「医療界への遺言」】

145 在宅医療の開拓者が残した「医療界への遺言」

日経メディカル 2018年6月29日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201806/556722.html

京都・西陣の「住民医療」の開拓者として知られる早川一光先生が、6月上旬、94歳の
生涯を閉じた。早川先生は「わらじ医者」の愛称で親しまれた。大往生といえようが、
早川先生が90歳を過ぎ、癌に罹って発した言葉、「こんなはずじゃなかった」(NHK『
ハートネットTV』2016年5月26日放送)は耳の奥にこびり付いている。

早川先生は、「西陣の路地は病院の廊下や」を合言葉に日本の訪問診療、在宅医療を切
りひらき、畳の上での看取りを推奨してきた。その先生自身が患者になって「こんなは
ずじゃなかった」と悔いた。後世の医療に何を求めておられたのか。そこが気になって
仕方ない。

早川先生が社会医療法人西陣健康会・堀川病院(198床)の前身、白峯診療所に赴任し
たのは1950年。当時、織物の産地で名高い西陣では、暗くてジメジメした環境での重労
働がはびこり、結核の届け出数は京都市全体の約20%を占めていた。西陣機業労働者や
日雇い労働者が加入できる健康保険はなく、病気に罹ったら諦めるしかなかったという


そのような状況で、西陣の住民たちは互助的な「生活を守る会」を結成する。そして「
自分たちの体は自分たちで守ろう」と診療所の開設を思い立つ。約800人の住民の出資
で3万8000円の基金が集まり、白峯診療所は開かれた。

生活を守る会の事務所の半分、10畳ひと間を診療所に充てる。早川先生は、医療の「民
主化」を求めて所長に就いた。


自己嫌悪の言葉に込められた意味

8年後に工事費1500万円のうち300万円を住民が出資し、不足分は労働金庫からの借り入
れで堀川病院(当時22床)が建設される。院長に就任した早川先生は、出資した住民を
中心とする「堀川助成会」の各支部から地域理事を迎え、「住民とともに」病院の運営
に携わった。住民参画の方式は現在に受け継がれている。

早川先生は、リハビリの必要性を早くから説き、月に何度か患者さんを集めて集団リハ
ビリを行った。認知症の人のケアにもエネルギーを注ぐ。住民とともに育んだ西陣の「
住民医療」は、格段に進歩し、在宅の療養環境は整備された。

その立役者だった早川先生本人が、前述のドキュメンタリー番組の中で「こんなはずじ
ゃなかった」「おれは何をしてきたんやろう。『在宅は天国や』と言うてみんなをワァ
ーッと煽ってきたけれど、実際に天国なんか? かえって地獄じゃねぇか」と語ったの
だ。

「ひとの世話になって生きることは、これほど居心地の悪いものなのか。自分が健康だ
ったとき、患者の気持ちがわかったつもりで、本当はわかっていなかったのではないか
」と、早川先生は自己嫌悪をさらけ出す。そして「夜が恐い。病気になって初めて感じ
たことです」と弱音を吐く。

早川先生は、患者としての気持ちを口にすることで、医療界への遺言を残したのではな
いだろうか。もっと想像力を働かせろ、患者さんの身になって何が必要か考えろ、と…
…。

高齢患者の在宅医療は、生活支援などの面でまだまだ改善の余地があろう。

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コメント(1)

すーちゃんさん

「イイネ」にお礼申し上げます。

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