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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】「プライマリヘルスケアの40年の歩み 中村安秀」

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【色平哲郎氏のご紹介】「プライマリヘルスケアの40年の歩み 中村安秀」
【特集】40周年を迎えたプライマリヘルスケア「保健の科学」 2018年6月号 巻頭論文

プライマリヘルスケアの40年の歩み 中村安秀甲南女子大学教授、大阪大学名誉教授

(1) 第二次世界大戦後の世界の健康問題

第二次世界大戦後の復興援助プログラムは、欧州におけるマーシャル・プランに始まる。その後、1950年代には多くのアジア諸国が独立し、1960年代はアフリカ諸国の独立がなされた。1955年に開催されたバンドン会議は、政治的にも大きなインパクトを与え、東西対立の中で第三世界の存在を世界にアピールした。

これらの新しく独立した第三世界の多くの国では、保健医療サービスの公平な供給を重要政策のひとつとして位置づけた。しかし、自国出身の医師や看護師が極端に不足していた上に、基盤となるインフラストラクチャーが脆弱であり、先進工業国からの援助に頼らざるを得なかった。当初、旧宗主国などの先進諸国は植民地時代からの病院の改築や新病院の建設、あるいは宗教団体による無料診療などを行った。確かに、病院の近くの村の住民の病気を治療し、命を救うことはできたが、病院から離れた農村部で暮らす多くの住民に医療や医薬品が届くことはなかった。

このように、世界の多くの国々において、近代医療の直接的な導入により問題が解決しなかったばかりか、医療の恩恵にあずかれる限られた人々と、相変わらず医療にアクセスできない大多数の人々というように、格差がより増大していった。先進国においてさえ、国内における大都市と農村部の医療格差はますます広がっていた。

(2) 近代化の弊害と異議申し立て

1960年代後半から1970年代にかけては、アメリカとソビエト連邦を中心とする東西対立とともに先進工業国(北側)と開発途上国(南側)のあいだの南北問題が顕在化した時期でもあった。開発支援や保健医療に関して、この時期に画期的な試みが世界各地で実践されていた。ひとつは、Schumacher が1965年に設立したIntermediate TechnologyDevelopment Group (ITDG)である。適正技術の重要性と理論化を行い、1973年に出版された「Small is beautiful」は途上国の開発にかかわる援助関係者に大きなインパクトを与えた。大規模な灌漑施設や土木工事ではなく、農村が育んできた伝統的な技術の合理性と持続可能性に注目した。また、1960年代後半の中国文化大革命に伴う「はだしの医者」運動も(その実体が明らかにされた現在では種々の批判があるが)、当時は農村部の保健医療改善に携わる世界中の関係者に大きな衝撃を生んだ。また、メキシコ西でのフィールド活動を行っていた Werner の名作「Donde No Hay Doctor (Where there is no doctor)」が1977年に発行された。当初はスペイン語で書かれ、その後多くの言語に翻訳され、途上国のフィールドにおける保健医療の実践的指針としてその後長く活用されることになった。

1970年前後は公害や環境汚染などの近代科学の矛盾が噴出し、社会的な不公平に異議申し立てを行った学生運動が世界的に席巻した時期でもあった。例えば、後に1999年のノーベル平和賞を受賞した国際NGOである「国境なき医師団」は、1968年5月のパリ学生蜂起のあと、ナイジェリア内戦に駆けつけたフランス人医師たちの苦悩と義憤の中で1971年に設立された。日本では学生運動の先駆者たちが闘争直後に長野県や沖縄県での地域医療に邁進したが、世界では先進国における学生運動の経験者が、途上国の保健医療の改善に貢献した事例は少なくない。

(3) デタント(緊張緩和)の時期に生まれたアルマ・アタ宣言の僥倖

このような時代背景のもと、各国で別々の目標を立てるのではなく、先進工業国と開発途上国を包含し、世界共通のゴールとして「2000年までにすべての人々に健康を!(Health for All by the Year 2000)が設定された。そして、その目標を達成するための戦略として取り上げられた理念が、プライマリヘルスケア(Primary Health Care: PHC)であった。

1978年9月にWHOとユニセフの共催でアルマアタ(旧ソビエト連邦、現在はカザフスタン共和国)で「プライマリヘルスケアに関する国際会議」が開催された。143カ国の政府代表と67の機関(国際機関やボランティア団体を含む)が参加し、会議の最終日にアルマ・アタ宣言が採択された。東西対立が厳しかった当時の世界の政治情勢の中で、アメリカ(西側)とソビエト連邦(東側)が同じテーブルに着き協議を重ね合意に至ること自体が稀であった。当時は1975年にベトナム戦争が終結し東西の冷戦がいくぶん落ち着きデタント(緊張緩和)と呼ばれていた。しかし、アルマ・アタ宣言が採択された翌年の1979年には、ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻が行われ、1980年には西側諸国のモスクワ・オリンピックのボイコットにまで発展した。このように東西の緊張が高まった時期であれば、西側と東側が友好的にPHCについて協議することはできなかったであろう。東西冷戦のさなかのつかの間のデタントの時期に、当時は第三世界と呼ばれていた途上国も参加し、歴史上はじめて世界共通の保健医療目標に到達できたのは、まさに僥倖であったということができる。

(4) 公平と参加というプライマリヘルスケアの大原則

アルマ・アタ宣言では、「すべての人々に健康を」というスローガンのとともに、健康が基本的人権であることを明言した。宣言は10章から構成され、先進国と開発途上国の間の健康状況の不平等、それぞれの国内における政治的、社会経済的不平等に言及し、人々が保健医療ケアの計画と実施に対して参加する権利と義務があることを明言した。

アルマ・アタ宣言第6章では、WHOらしい修辞に満ちた文章の中に重要なキーワードがいくつも散りばめられ、PHCの理念を一文で象徴している。具体的には、公平なアクセス、住民参加、地域の自立と自決、保健医療コスト、社会的受容性、科学的有効性などに言及している。

PHCはあくまで抽象的な理念であり、その実践面においては、当然のことながら、国により、地域により、大きな違いがみられる。PHCの実際活動を展開するには具体的な目標が必要である。アルマ・アタ宣言においては、基本的保健サービスとして健康教育、母子保健など8項目を具体的に列挙している。健康教育を優先順位の最初に掲げたこと、狭義の保健医療では通常は扱わない水供給や栄養改善を包含していること、基本医薬品という新しい概念を導入したことなど、随所に斬新な発想が盛り込まれている。

PHCの重要かつ優れた点は、これらの保健サービス項目を地域の中で実践していく際の理念と原則を明確に打ち出したことにある。理念としては、健康を基本的人権と位置づけ、公平さと参加という旧来の保健医療に認められない革新的な思想が織り込まれていた。PHCは個人や家族があまねく享受できるものでなければならない。そして、保健医療サービスは医師や看護師という専門職から与えられるという一方通行ではなく、住民や患者の主体的な参画のもとで届けられるべきであるという原則である。また、自立と自決の精神を強調、患者や住民が必要とするサービスを自分たちで決定することができるという理念を謳っていた。

(5) プライマリヘルスケアに対する批判と修正

アルマ・アタ宣言以来40年の間には、PHCの理念と実践をめぐり、さまざまな批判と修正が加えられた。1980年代には、予防接種、下痢症対策、マラリア対策といった個別の疾患に特化した「垂直的(vertical)」な介入と、コミュニティ全体の支援に基盤を置いた「水平的(horizontal)」な活動との間で、激しい論争が繰りひろげられた。ドナー機関や専門家集団は、戦略が明快で成果が数値化しやすい垂直的プロジェクトを後押しする傾向が強く、草の根NGOなどは地域住民の視点から、水平的プロジェクトに親和性をいだいていた。実際には、垂直的な介入が実施された多くの地域においても、もっとも末端のフロントラインに下痢症やマラリアの専門家がいるはずはなく、地元の少数の看護師が数種類以上の垂直的プロジェクトを包括的に担当していた。皮肉なことに、国際会議で垂直的か水平的かという論議が白熱している間も、アジアやアフリカの農村で黙々と仕事をこなしていたのは、看護師あるいは医療助手という資格をもったヘルスワーカーたちであった。それでも、垂直的プロジェクトによる破格の日当があるために、コミュニティのヘルスワーカーが仕事するのだというのが実情だったという。

筆者自身は1980年代の後半にインドネシアの農村で、ヘルス・ボランティアとともにPHCにもとづいた乳幼児健診(ポシアンドゥ)に継続的に参加した。毎月1回、5歳未満児の体重測定を住民の手で行い、母子保健、家族計画、予防接種、栄養改善、下痢症対策の5項目の保健サービスを実施していた。インドネシアの乳幼児健診では、村の人々がヘルス・ボランティアとして自主的に健診に参加していた。保健所や市町村などの職員だけが働いている日本の健診と違って、ポシアンドゥは自分たちのものだという住民参加の意識が健診の随所に作用していた。ボランティアたちは、健診の日程を決め、会場の準備をし、健診の後の反省会も自分たちで仕切っていた。予防接種だけは保健所のスタッフが実施していた。
ヘルス・ボランティアは、読み書きさえできれば誰でも希望することができた。保健所で基本的な研修を受けた後、健診に参画することになる。ボランティア・リーダーが村人の共通の心情を物語っていた。

「今まで、この村では、小さい赤ちゃんがいっぱい死んでいった。だれも、好きでボランティアをする人はいないよ。だけど、子どもたちが健康で、コミュニティの人が安心して暮らせるようにするためには、行政が何かしてくれるのを待つのではなく、コミュニティの人間ががんばらなきゃいけないんじゃないか。」その根底にあるのは、自分たちも決して経済的に豊かだとはいえないけれど、コミュニティのために自分たちにできることから始めていこうという、PHCで高らかに謳われた自助自立(self-relaiance and self-determination)
の精神だった。

(6) 日本におけるPHCの現在的意義

日本においては、PHCは大いに誤解されているように感じる。アルマ・アタ宣言で謳われたPHCは、多くの開業医や総合診療医が提唱するプライマリケア医とは異なる概念である。
PHCがカバーするのは、プライマリケア医が担当する一次医療だけでなく、予防医学、健康づくり、住民のエンパワメントや権利擁護などを含む、包括的な概念である。そこでは、医師を頂点にしたチーム医療ではなく、住民を主体にし、保健医療関係者だけでなく、教育、社会経済、環境などの他のセクターとの対等な関係性のなかでの協働作業が前提となっている。

また、PHCはヘルスプロモーションが後継した、あるいはPHCは途上国主体でヘルスプロモーションは先進諸国のモデルであるといった誤った言説が誤解を生んでいる。1986年にカナダのオタワにおいて第1回世界ヘルスプロモーション会議が開催され、その成果がオタワ憲章としてまとめられた。オタワ憲章はPHCを基盤として、健康を目的ではなく
幸せな生活をおくるための手段としてとらえ、健康都市や包括的学校保健などの世界的な健康づくりの出発点となった概念である。政策へのアドボカシーを行い、自己の潜在能力を高め、他分野との協調の橋渡しを行うことが求められた。PHCと共通する部分は非常に多い。ヘルスプロモーションは、健康づくりというPHCの重要な部分を構成しているが、PHCはより包括的な概念で、予防医学だけでなく、治療、感染症対策、医薬品なども含んでいる。

住民参加、地域資源の有効活用、適正技術、統合と各分野の協調というPHCの基本原則にもとづいて、現在でも世界の多くの国でPHCが実践されている。インドでは、アルマ・アタ宣言以降、第12次5か年計画(2012年から2017年)に至る現在でもPHCを国策に掲げている。オーストラリアやニュージーランドでは、アルマ・アタ宣言を基盤とした
プライマリヘルスケア看護(PHC Nursing)を重視している。一次医療としてのPHCにおいて、個人、家族、コミュニティを対象として、個人のケアをするだけでなく、ヘルスプロモーション、疾病の予防、コミュニティの発展に尽くすことが求められている。社会的・文化的な要因に配慮しつつ、公平さ、アクセス、エンパワメント、コミュニティの自決といったPHCと共通する要因を大切に活動している。

(7) プライマリヘルスケアの未来像

2017年12月に開催された「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ・フォーラム2017」は、日本の国際保健医療の大きな晴れ舞台となった。各国の厚生大臣や財務大臣だけでなく、国連事務総長、WHO事務局長、世界銀行総裁、ユニセフ事務局長など国際機関を代表する方々が集結していた。会場では、日本がまだ貧しかった1961年に開始した国民皆保険の成果が語られ、低中所得国からは保健医療サービスの提供を実現するための人材育成や財源確保の方策が議論され、健康保険制度への熱い思いが語られた。その国際会議のテーマは、アルマ・アタ宣言と同じく「すべての人々に健康を!」であった。

おもえば、2018年は「すべての人々に健康を!」という夢を実現するために、アルマ・アタに多くの人が参集し、PHCという理念が打ち立てられてから40周年に当たる。格差が広がり人々の健康が脅かされているいまこそ、もう一度、PHCの原点を振り返り、この40年間で実現できたことできなかったことを冷静に検証する必要があろう。人々の生活に寄り添った客観的な検証にもとづいた上で、世界が夢みた「すべての人々に健康を!」という取り組みを、記念すべき40周年に再スタートさせる必要がある。

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コメント(1)

たしかに、日本は、国民皆保険の国、国際PHC活動に、協力できることは、数々ありそうですね。

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