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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの生き方、良寛:「雙脚 等閑に伸ばす」ことが出来るのをこれ以上ない至福、芭蕉「あらたふと 青葉若葉の日の光」、本阿弥一族:外に対する器用さよりは己の心にたがうことを恐れる。

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【孫崎享のつぶやき】

生き方、良寛:「雙脚 等閑に伸ばす」ことが出来るのをこれ以上ない至福、芭蕉「あらたふと 青葉若葉の日の光」、本阿弥一族:外に対する器用さよりは己の心にたがうことを恐れる。

2017-11-14 07:2210



、中野孝次著『清貧の思想』(文藝春秋、一九九六年)。

・(海外で)何かにつけて日本及び日本人について質問されるわけである。

 私は話を求められるたびにいつでも「日本文化の一側面」という話をすることに決めて来た。内容は大体日本の古典―西行・兼好・光悦・芭蕉。池大雅・良寛などーを引用しながら、日本には物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりではなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる伝統の文化がある。

ワーズワースの「低く暮し、高く思う」という詩句のように、現世での生存は能うかぎり簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。それは今の日本と日本人をみていてはあまり感じられないかもしれないが、私はそれこそが日本の最も誇りうる文化であると信ずる。

・いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプル・ライフということがしきりに言われだしているが、そんなことは我々の文化の伝統から言えば当たり前の、あまりにも当然すぎて言うまでもない自明の理であった、という思いが私にはあった。彼等は誰に言われるより先に自然との共存の中に生きてきたのである。

・生涯 身を立つるに瀬(ものう)く、騰々 天真に任す、蘘中 三升の米、炉辺 一束の薪、誰か問わん 迷悟の跡、何ぞ知らん 名利の塵、夜雨 草庵の裡、雙脚 等閑に伸ばす

 良寛の代表作といわれるこの詩(中略)。我々には到底このような心境になれる訳がなく、それに耐えきれまいが、それにもかかわらずこの詩には見事な境界が示されていて、それが我々をひきつけるにおである(中略)。生涯 身を立つるに瀬(ものう)く、騰々 天真に任す、立身出世等考えもせず万事なるがままに任せたのである。そしてその結果現在の暮らしで、それに満足し、「雙脚 等閑に伸ばす」ことが出来るのをこれ以上ない至福でいるというのだ(中略)。

 外から見ればただの乞食坊主にすぎないが、内にはゆったりと清らかな水が流れ、没弦琴の調べに聴き入っている透徹の人に。

 静夜 草庵の裏、独り奏す没絃の琴、調べは風雲に入りて絶え、声は流水に和して深し、

洋々渓谷に盈ち、颯々山林を度る、耳聾の漢にあらざるよりは たれか聞かん 希声の音。

・松尾芭蕉は『笈の小文』で紀行の始めにわが生涯を圧縮したような文章を残している。

「百骸九竅の中に物有り、かりに名付けて風羅坊いふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。

ある時は倦で放擲せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中にたたこふうて是が為に身安からず。暫く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を暁ん事を思へども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして此の一筋に繋る。

西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における其の貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄(いてき)にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化に帰れとなり。

神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、

  旅人と我が名よばれん初しぐれ」(中略)

 和歌、蓮歌、絵画、茶道とその行うところは違っても、この国における風雅の道、風雅の心には同じものが貫いているのである。それは一言でいえば、身を塵外に放って、宇宙自然の運行に身を任せることに外ならない。わが身の小さな我を放棄して大自然大宇宙に遍界する理に身をゆだねること、山川渓色、悉皆仏性という、その仏心に従うことに他ならない。

・あらたふと 青葉若葉の日の光(中略)

 句によって青葉若葉の発するまったき力を感じる。『おくのほそ道』にはそういう種類の、一度知ったら忘れられぬ、まるでその土地の精が凝って句となったような句が多い。

  夏草や 兵どもの 夢の跡

  閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

  五月雨を 集めて早し 最上川

  象潟や 雨に西施が 合歓の花

  荒海や 佐渡によこたふ 天河

  塚も動け 我泣く声は 秋の風

  むざんやな 甲の下の キリギリス (中略) 61

 一鉢境界、旅で死ぬ覚悟の人にだけ見えたそれは景色であったと思われる。

・(本阿弥)光徳がある時徳川家康にその秘蔵する正宗の脇指を見せられたことがあった。これは代々足利公方家の宝とされてきたもので、足利尊氏直筆の添状までがついており、家康の兼ねて自慢の品であった。ところが光徳が御前でその刀をよくよく見ると、刀は焼直しとうてい使い物にならない。そこで見た所を正直に述べると、家康はとたんに期限が悪くなる、光徳は重ねて言った「尊氏公の添状があったとて何の用にも立ちませぬ」(中略)

 これをもって見れば、本阿弥の一族にとっては何より大事なのはまず自己に対する誠実である(中略)。外に対する器用さよりは己の心にたがうことを恐れる。

 自らを軸に動く、ワーズワースの「低く暮し、高く思う」、自然との一体を求める、こうした個々人の生き方がある意味で、将来の社会の基礎になるのではないか。

コメント(2)

今の政治家や経営者に、これを期待するのは、無理ですね。昔は、いたような、、、
>>[1]

「イイネ」に厚く感謝申し上げます。

昔と比べ、政治家・経営者資本家は、遥かに劣化していますね。私もそう思います。

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