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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの 何故軍国主義(全体主義)化したか ライシャワー(元駐日大使)の著書『日本《過去と現在》』(時事通信社 、一九六七年)の分析

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孫崎享のつぶやき

何故軍国主義(全体主義)化したか ライシャワー(元駐日大使)、将軍も天皇も持てなかった統制力を国民生活全般に行使しえたのは、近代的報道伝達機関と、政治・経済の近代的組織がもつ技術(教育含む)。昔歩いた道を再び。

2017-08-30 07:1313




 エドウィン・ライシャワーは 1910年生まれ。ハーバード大学教授。1961年1966年、駐日アメリカ大使。著書『日本《過去と現在》』(時事通信社 、一九六七年)からの引用。

・当時の日本において、国主義的かつ権威主義的な反動が起こったことの裏には、当然ながら数世紀にわたって形成された日本人のある特質があった。ナショナリズムはつねにくすぶり続けており、さして煽りたてずともそれは再び燃え上がったし、幾百年もの武家政治の下にあった日本人は、軍国主義者の主導権主張を唯々としてうけいれた。

・幾世紀もの間の権威政治におとなしく服していたせいで、たいていの日本人は、再び権威主義を押し付けられることになってもほとんど無関心であった。

・事実、彼らの多くは、せっかく手に入れた知的・政治的自由にぎこちなさを感じて、むしろもう一度天下り権威のもとで感情的な安住を得たい、とさえ考えていたのであった。封建時代から引き続き残っていた、このような根強い性質が影響したのでなければ、1930年代のあの反動は起こり得べくもなかったろう。しかし、反動そのものが封建政治への復帰という形をとった訳ではない。高度に近代化した工業国が、そのような形で過去に逆戻りすることはありえなかった。

・日本が選んだのは、かつて西洋のいくつかの国が進んだ道であった。すなわち、それらの国々では、日本と同様、過去の権威政治の精神的遺産が工業化された現代にまでその息吹きをつづけ、さらに工業化された現代にまで溶け込み、ファシズムであれ、共産主義であれ、全体主義の無差別奴隷社会を創り出していたのである。

・近代日本の全体主義政治は、ただ単に過去の権威政治の「ひこばえ」であっただけでなく、日本の近代的政治・経済機構に於ける中央集権的力が生み出したものでもあった。

・1920年代の民主主義的議会政治の政府が、往時の藩主も将軍も、あるいは天皇さえもなしえなかった大きな統制力を国民生活全般にわたって行使しえたのは、近代的報道伝達機関と、政治・経済において近代的組織がもつ技術に負うものであった。普通教育の充実、新聞・ラジオの発達普及、国民皆兵制度―これらによって、政権の座にあったものは、以前には夢想だにできなかった大きな統制力を、国民の思想に行使しえたのである。

自由主義的な諸理念や民主主義的な諸制度が、明治以来の近代化の歩みから自然に芽生えた「こひばえ」であったように、たしかに全体主義的な様相も、同じくその近代化の歩みから自然に芽生えた「ひこばえ」であった。

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私見

 かつて、「ケネディ・ライシャワー路線」が穏健な装いの対日政策であり、しかしアメリカ政府の日本従属政策の本質は変わらないと学んだ。「近代化路線」という把握。ただ、トランプと安倍晋三両トップの米日を視ていると、ライシャワー個人の主張をライシャワーに即して理解することのおもみも感ずる。
 

コメント(2)

ライシャワーさんがいい、孫崎さんが予告しているように、日本は、再び、軍国化(全体主義)の道をあゆんでいるような世相になってきましたね。
>>[1]

「イイネ」に厚く御礼申し上げます。

私も日本が急速度でこんな国家になってしまったことを恐怖と驚きと失意を感じます。

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