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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの『日本は八月十五日を終戦記念日とすることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。』

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【孫崎享のつぶやき】

【第二次大戦が終わったのはいつか。8月15日ではない。9月2日です。日本が降伏文書に署名した日です。何降伏文書では日本は、「日本はポツダム宣言実施のため、連合国総司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する」を約束。】
2017-08-14 09:1642



私の『戦後史の正体』からです。

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日本は降伏したのです。たんなる終戦ではありません

日本はいつ、第二次大戦を終えたのでしょう。

こう聞くとほとんどの人が、「一九四五年八月十五日に決まってるじゃないか。いまさら、なにをいってるんだ」

とおっしゃるかもしれません。たしかに八月十五日は終戦記念日とされています。

一九四五年八月十五日正午、昭和天皇の肉声(玉音放送)が、はじめてNHKのラジオで流れました。その内容は、

「私は世界の大勢と大日本帝国の現状にてらして、非常の措置をもって時局を収拾したいと思う。忠実で善良な国民に告ぐ。私は帝国政府に対し、米国、英国、中国、ソ連の四カ国が提示した共同声明を受け入れることを通告させた」(口語訳)

というものでした。私たち日本人の多くは、

「八月十五日に共同声明〔ポツダム宣言〕を受け入れることにした。だから戦争は終わったのだ」

と思っています。しかしよく考えてみると、一方が「やめた」といったからといって、戦争が終わるというものではありません。戦っている双方が、「戦争が終わった」と確認しあう必要があるのです。

 通常、戦争は戦闘行為を停止し、休戦条約を結び、講和条約(平和条約)の交渉をして調印をするという手順をふんで、はじめて終戦となります。昭和天皇が「時局を収拾したい」とか、「共同声明を受け入れることにした」とのべられたのは、そうした手順の一部にしかすぎません。

ドイツは一九四五年五月七日、降伏文書に署名し終戦をむかえました。日本も一九四五年九月二日、東京湾に停泊していた米国戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名しています。

それでは日本と戦った米国、英国、中国、ソ連は、どの時点を日本との戦いの終わりとみているでしょうか。

米国のトルーマン大統領は、九月二日の降伏調印式の直後、ラジオ放送を行ない、その日を「対日戦争勝利の日」と宣言しました。そして、

「われわれは真珠湾攻撃の日を記憶するように、この日を『報復の日』として記憶するだろう。この日からわれわれは安全な日をむかえる」

「日本の軍閥によって犯された罪悪は、けっして償われもせず、忘れられることもないだろう」とのべています。

 ソ連のスターリン首相は、

「〔かつての日露戦争は〕わが国の歴史の汚点である。わが国民は日本が敗北してこの汚点が払拭される日が訪れることを確信かつ待望したが、いまや、その日が到来した」とのべています。

 英国のチャーチル首相は、「本日、日本は降伏した。最後の敵はついに屈服したのである」「平和はふたたび世界におとずれた。この大いなる救いと慈悲に対し、神に感謝を捧げようではないか」とのべています。

日本が終戦記念日を八月十五日とし、九月二日としていないことには、なにか意味があるのでしょうか。

それは九月二日を記念日にした場合、けっして「終戦」記念日とはならないからです。あきらかに「降伏」した日なわけですから。そう、日本は八月十五日を終戦記念日とすることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。

「日本は負けた。無条件降伏した」

本当はここから新しい日本を始めるべきだったのです。しかし「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本がどういうきびしい状況に置かれたかという現実について、目をつぶりつづけてきた。それが日本の戦後だったといえるでしょう。

ではその降伏文書には、いったいなにが書いてあるのでしょうか。

日本政府は「連合国総司令官からの要求にすべてしたがう」こと。これが降伏文書の中身でした

降伏文書には、

「日本のすべての官庁および軍は降伏を実施するため、連合国総司令官の出す布告、命令、指示を守る」

「日本はポツダム宣言実施のため、連合国総司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する」

と記されています。日本政府は「連合国総司令官からの要求にすべてしたがう」ことを約束したのです。

第二次大戦後も日本には天皇や政府が存続しています。首相もいます。しかし天皇や首相がみずから国の方針を考え、政策を出していたわけではないのです。天皇と日本国政府の上に連合国最高司令官がいます。みなさんもよくご存じの、米国陸軍の元帥だったダグラス・マッカーサー(です。第二次大戦後、日本は米国に完全に従属する形で新しいスタートを切ったのです。

占領下、日本の首相として活躍したのが吉田茂です。その業績についてはさまざまな評価がされています。しかし吉田首相の根本は、「米国からの要求にすべてしたがう」ことにありました。それが吉田首相の役割です。占領期に関して、「吉田茂の政策が素晴らしかった」とか「問題があった」という議論は、あまり意味がありません。吉田首相は政策を決める立場にはなかったからです。決めるのは連合国最高司令官マッカーサーでした。

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コメント(1)

まさしく「戦後史の正体」は、このとおりでしょうね。
軍部は、「国体の維持」(天皇制の維持)に固執し、天皇陛下の決断で、敗戦の受け入れた、としたかったのでしょうね。今も昔も、欺瞞だらけです。

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