ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの岡崎元駐タイ大使が死去、84歳:私の私的な「ご冥福をお祈りします」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
孫崎享のつぶやき
岡崎元駐タイ大使が死去、84歳:私の私的な「ご冥福をお祈りします」
2014-10-28 08:572



「元駐タイ大使で安倍晋三首相の外交・安全保障政策のブレーンとして知られる岡崎久彦氏が26日、東京都内の病院で死去した。外務省が27日発表した。84歳だった。中国・大連生まれ。通夜、葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻昭子さん。後日、しのぶ会を開く予定。東大法中退。1952年に外務省に入り、情報調査局長、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使などを歴任、92年に退官した。首相の私的諮問機関で、集団的自衛権の行使容認を求める報告書を提出した有識者懇談会のメンバーだった。」(時事)」 


 全くの私的な気持ちを下記につづっておきたい。全く私的なことを書く。

私が外務省時代、最も影響をうけた人物が岡崎久彦氏である。
 考え方は、岡崎久彦氏の保守、対米関係の重視と私のリベラル、対米依存脱却と全く逆である。
 しかし、氏から多くの影響を受けた。
 私が氏に最も感謝するのは、氏が国際情報局長で私が分析課長の時、私を守ってくれた時である。
 私は当時から、北方領土問題では「国後、択捉はポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約を見れば、日本が要求する根拠はない。歯舞色丹の返還を実現させ、日ソ関係を進展させるべきだ」との考え方を持っていた。公言する訳でないが、聞かれれば答えていた。
 それもあって、排斥の動きは執拗に続けられた。
 岡崎局長に「貴方はタカ派だが貴方の羽にハトが一匹隠れている」という進言をするものがいた。
 更に人事課長に私への誹謗がなされ、官房長から岡崎氏に「孫崎は大丈夫か」と問い合わせのあったこともある。余りに卑劣であるのでこれはこの辺で止めておく。
 その中でも「タカでもハトでも国際情勢をしっかり学んで判断を出してくれればよい」と守ってくれた。
 岡崎氏は当時、戦略論を勉強していた。
 局長室で、クラウゼビッツ等の勉強会を催していた。私は「今日の分析にクラウゼビッツ等必要であると思わない」といってこの勉強会には一度も出席しなかった。自分が大事だという勉強会を不要だと言っているが、何の御咎めもなかった。
 多くの人は見逃しているが、私と岡崎氏には共通のことがある。「潮流に逆らうことに憶しない」という事であろう。
 今日対米協調、特に軍事面での協調が日本の政治の中で確固とした主流になってはいるが、実は岡崎氏のスタートは、外務省の潮流に逆らう事から始まっている。
 1971年にニクソン・ショックがあった。
 米国はこれまで中国を代表するのは蒋介石・台湾政権であるとして、国連など日本を台湾支持の先頭を走らせていた。それにもかかわらず、日本になんら連絡することなく、ニクソンの訪中が出てきた。外務省内の米国への怒り、裏切られたとの感には強いものがあった。
 そして田中首相訪中があった。
 外務省内では親米派が一気に勢力を失った。
 この状況は1972年から1980年代前半まで続く。中曽根内閣まで続いた。
 この中にあって、米国との関係の必要性を、少なくとも表向き唱えていたのは岡崎氏である。
 それで岡崎氏は防衛省に出向する。
 もっとも防衛省時代、国際担当参事官として、大変な働きをする。冷戦時代のソ連脅威論を防衛省から発信していた。ここで政治家、経済界の保守派との接点が出来た。分析家というよりイデオローグ、岡崎が誕生していった。
 私が岡崎氏に最後にあったのは数年前、中央公論誌の対談である。
 米国の評価を巡って、烈しくぶつかった。
 この対談は、かなり上で決まったものだ。
 しかし、背景をしらない中央公論編集長は二人の激しいやり取りに対談の場所でどうしていいか、おろおろの状態だった。
 しかし、議論が始まればしょうがない。止まりはしなかった。激しい言葉のやり取りが続いた。
 後日外務省の人間が岡崎氏の所に、「あの対談は孫崎の岡崎氏への決別宣言だ」と言いにいっていたようだ。それから会っていない。晩年、うまく利用されていたな、が私の感想である。
 岡崎氏はたぐいまれな教養人であった。アメリカ情勢に詳しいのは当然として、中国の古典への造詣の深さでは、他を圧倒していた。
 私は小説を好む。岡崎氏は小説を好まない。この辺に差がある。
 三越が新春、著名人の書を展示即売することがあった。
 岡崎氏の書の題材、書自体、他を圧していた。戦後の外務省員で、教養の深さでは群を抜いていた。
 私が今日あるは、岡崎氏のお蔭である。
 心から謝意を申し上げたい。
ご冥福をお祈りします。

コメント(4)

岡崎さんのことは、たびたび、天木さんの著作にもせてきて、親米外交官とりかいしていましたが、孫咲さんとは、そういう関係にあったのですね。
お悔やみ申し上げます。
論敵とは、あとになって、いい思い出となるものでしょうね。
「敵は敵を知る」。お二人とも「憂国の志」ということでは共通するのではないでしょうか。
岡崎さんは「愛国教育」を受けた世代。
孫崎さんは「戦後教育」を受けた世代。
「世代の違い」も大きかったのではないでしょうか。

ところで、「北方領土」ですが、「四島返還」ではロシアがまとまらないでしょう。さりとて、「二島返還」では、日本の国民が納得しないでしょう。
そんな、「命がけの決断」ができる「外務大臣」や「総理大臣」は、いそうもありません。

相手が飲めないことを承知のうえで、「四島返還」を主張してきたことは、どうやらアメリカもからんだ「政治的な判断」だったようですね。

いまとなっては、「二島返還」すら、難しくなりそうですね。
>>[1]

政治的交流よりも人間的交流がふたりのあいだにはあったのでしょうね。
>>[2]

ソ連は、冷戦が終わり実態が広く知られるにおよんで、幻滅オンパレード。
しかし、労働運動においては、やはり意義をもつと考えています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見 更新情報

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。