ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの真珠湾の愚6:直前の11月29日重臣会議で若槻、近衛、岡田、米内、広田5名の元首相反対発言

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
孫崎享のつぶやき
真珠湾の愚6:直前の11月29日重臣会議で若槻、近衛、岡田、米内、広田5名の元首相反対発言
2014-08-18 06:49



 11月29日重臣会議で若槻礼次郎、近衛文麿、岡田啓介、米内光政、 広田弘毅と5名の元首相は開戦に反対である旨天皇を前に発言しています。1941年11月5日御前会議で日本は「十二月初頭の武力発動を目途に戦争準備を促進する」という方針が決定されています。ただ、元首相などの重臣の意見を聞くべきだとの天皇の言葉で11月29日重臣会議が開催されました。ここでの発言を『木戸日記』を引用する形で防衛庁防衛研究所戦史室著『大東亜戦争開戦経緯(5)』が掲載しています。もともと、カタカナ文で書かれているのを、ひらがなとし、主要論点を紹介します。

********************************

 陛下より大変な時代になったねのお言葉あり、若槻直ちに之に奉答した。
(注:若槻礼次郎は元大蔵官僚、1924年から1926年首相。ロンドン海軍軍縮会議の首席全権になった際、「骸骨が大砲を引っ張っても仕方がない」と国力と調和した軍備を訴え、右翼から攻撃されている。)
 若槻:わが国民は精神力においては心配なきも、物資の方面において果して長期戦に堪えうるや否や慎重に研究するの要あり。午前中政府の説明もありたるが之を心配す。
(注:若槻礼次郎は著書『古風庵回顧録』で次のように記述しています。
「陛下に“こういう状態で戦争することは実に憂慮に堪えません”言上した。私の陳述中の合間に東条がしばしば発言して“心配には及ばない”と言った」
(若槻礼次郎
 岡田;(注:海軍軍人、1927年、32年に海軍大臣、ロンドン海軍軍縮会議時「軍拡による米英との戦争は避け、国力の充実に努めるべし」という信念に基づき海軍部内の取りまとめに奔走。1934年から1936年首相)、
 物資の補給能力につき充分成算ありや心配なり。先刻来政府の説明ありたるも未だ納得するに至らず。
(岡田啓介は『岡田啓介回顧録』)』で次のように記述している。
「米内は御前に出てからドカ貧になってはいけないと言った。
 若槻さんも理想にとらわれて(注、大東亜共栄圏等の構想を意味する)国力を使うのは危険だという筋の通ったいい意見を言った。
 軍令部総長の永野修身は少しどうかしていた。陛下から“アメリカと戦争をやって勝つことが出来るか”と御下問があったので、“勝つことはとてもおぼつかないと存じます”と答えてから、“しかし戦争はやらなければならない”と思います“と申し上げている。」
 さらに岡田は「とにかく物資の補給の点でアメリカと戦争をやれるものでないことははっきりしていた」(『岡田啓介回顧録』)と確信していたので、ここを攻めている)
近衛:(注:東條内閣になる直前の1941年10月18日まで首相)
 午前中政府の説明により、外交交渉の継続はこの上見込みなしと判断するの外なきが、外交交渉決裂するも直ちに戦争に訴ふるを要するや、この儘の状態、即ち臥薪嘗胆の状態にて推移する中又打開の途を見出すにあらざるかとも思われ、この点はなお後刻当局に質したいと思っております。
 米内:(注:米内光政、海軍軍人、1940年1月から7月まで首相。海軍大臣)
 じり貧を避けんとしてドカ貧にならないように十分ご注意を願いたいと思います。
 広田:(注:広田弘毅。外交官。1936年から1937年首相。外務大臣)
 今日は外交上の危機に立てる様に思はるが、由来外交談判の危機は2度3度繰り返して初めて双方の真意が判るものと思う。今回危機に直面して直に戦争に突入するは如何なりものなりや。

*********************************

コメント(2)

重臣の御前会議でのこれだけの反対発言がありながら、開戦に及んだということは、いかに、軍部が権力をにぎり、日本を実質支配していたか・・・・今も、実質、日本の政治をしているのは、政治家でなく、官僚であることを憂います。
>>[1]

戦争開戦、現在の官僚亡国、ともに同感です。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見 更新情報

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング