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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの湾岸戦争時、「金だけだして評価されない」は米国などで意識的に作られた情報操作

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孫崎享のつぶやき
湾岸戦争時、「金だけだして評価されない」は米国などで意識的に作られた情報操作
2014-05-19 06:3918




 今日でも日本は湾岸戦争で金だけ出して評価されなかった、だから人的(自衛隊の貢献をしなければならない)と言われる。それが集団的自衛権を認める論理となっている。ツイッターで次のものがあった。

「散歩道 ‏@yanan12345 ·
135億ドル(約1350億円)は国民の血税。多額の金を出すにあたっての外交交渉の失敗を国民の命で取繕う?RT@iimimi0 @magosaki_ukeru サンデーモーニング。岸井「集団的自衛権行使容認は、湾岸戦争で金しか出さずクウェートに感謝して貰えなかった外務省のトラウマ」

これは事実とは違う。私の『日本の「情報と外交」』から引用する。

********************************
 湾岸戦争での資金協力への評価

  自衛隊が海外展開をする契機は湾岸戦争である。一九九〇年の湾岸戦争で、日本は一三〇億ドルの資金協力を行ったが、国際的な評価がなかったとして、一九九二年「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法案)を採択し、これまでの資金協力から人的貢献も出来る体制をとった。日本の人的貢献がないことなどについての代表的批判は外務省の外交青書等にある。平成三年版外交青書は次のように記載している。

「日本の協力について“遅すぎる、少なすぎる”という批判や日本の協力に人的側面が含まれていないことも批判もあった」

 こうした情勢分析が一九九二年のPKO法案成立につながっている。では、本当にこの当時日本の貢献に対して「国際的」な批判がでていたのであろうか。外務省員、OBを主たる構成員としている組織に霞関会がある。この会の月刊誌に『霞関会会報』があり、平成二〇年三月号は恩田宗元駐サウジ大使著「湾岸危機の際の日本の貢献―その国際的評価について考えるー」を掲げている。

 この論評の主要論点を見てみたい。

・ 日本では当時からあの時の貢献は「国際的に評価されなかった」といわれてきた。
・ 今でも国際貢献について論じる時、あの時の貢献が国際的に評価されなかったとして論を進める人が多い。しかし、国際的に評価されなかったとの断定は正しくない。少なくとも、正確ではない。
・ 国連加盟国の大半はイラクはクウェートから撤退すべきだとしていたが、イラクと戦争することについては腰が引けていて、多国籍軍の動きを傍観者のような目で見ていた。したがって、多国籍軍に対する日本の資金協力は、彼らにとっては多国籍軍諸国、特にそれを率いる米国と日本の問題としていた。
・ リー・クァンユー前首相が「日本が如何なる軍隊も送らない方がアジア諸は一層うれしい」と述べたと報じられたが、それが当時のアジア諸国の考え方を要約している。
・ あの時の日本の貢献に声をあげて非難・批判したのは、米国や英国である。それを「国際的に評価されなかった」などと曖昧に拡大した言い方をすると、日米間の厳しい力関係、諸国間の複雑な利害関係や利己的な行動、それらを纏めきれない国連など、世界の現実から目を逸らすことになる。
・ 国際的に評価されなかったことの証だとしてよく引用されるのがクウェートが戦後米国の諸有力紙に掲載した感謝広告である。感謝対象国に日本が入っていなかった問題である。あの直後、真意を尋ねた黒川大使に対し、クウェート外務省は、あれは本国政府が指示したものでなく現地が十分に考えることもせず、新聞にのせてしまったものだと釈明したという。クウェート政府が感謝しなかったということはありえない。アル・シャヒーン次官は私に対し、日本は米国英国と同様にこの地域で儲けた金の全てを吐き出すような大きな貢献を表明した。クウェートは戦後発行した解放記念切手シートに日の丸の旗を組み入れており、戦争記念館には日本国旗を掲揚し、日本の貢献を数字(一三〇億ドル)と説明す る特設パネルを展示し、二〇〇七年の感謝式典では、他国をさしおいて日本大使にスピーチを依頼してきたという。

 恩田大使のこの論評をみれば、「財政的支援は国際的に評価されていない」「従って今後は人的貢献を行わなければならない」という指摘は正確でないことがわかる。冷静な情勢判断がなされていない。ではどうして、こういうことになったのか。アマコスト元駐日大使(一九八九年から一九九三年)は著書『友か敵か』の中で次のように述べている。
「湾岸危機はまた、国際貢献について日本に多大の自省を迫った。日本は国際貢献を財政的貢献に限定すべきではないという外国からの批判は徐々に日本人自身にも浸透した」

 アマコスト大使の発言は、外国の批判があって日本の認識が変化したと明示している。外国の批判があり、「日本人自身に浸透する」過程が進む。外務省など政府、マスコミがこの過程に参画する。この中、クウェートの感謝広告での日本の名前が欠如したことは、「国際世論が日本を評価しない」恰好の材料として利用されていく。湾岸戦争時、駐サウジアラビア大使として、サウジ、クウェート事情に最も精通している恩田大使の見解は表に出てこない。

**************

コメント(4)

私は、湾岸戦争当時、サウジに駐在し、恩田大使ともお出会いしたこともありますし、戦争直前に当時としては珍しく、海部総理、中山外相などが、来訪されとことを、そして、混乱の中、日本人駐在員が、わずか、20人程度しかいなかったことを、よく記憶しております。
とうじ、恩田大使は獅子奮迅の働きをされ、邦人保護や、関係国援助に走られておられましたから、恩田大使の見解は、当時の現場を知る、いちばんの、正しい状況把握、認識ではないかと、思います。
>>[1]

すーちゃんさんは、外務官関連のかただったのですね。とても参考となります。
>>[2]

いいえ、外交官でなく、総合商社におりました。湾岸戦争当時、たまたま、ジェッダという、サウジ王朝の避暑地で商都に駐在し、日本人会の会長をしておりましたので、領事館に常時、出入りしておりました。
>>[3]

それは凄いことです。
いろんな情報というか見識をぜひ披露してください。

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