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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの『小説外務省―尖閣問題の正体』(抜粋)−左遷を怖れるな。行き先には必ず仕事があるー

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『小説外務省―尖閣問題の正体』(抜粋)−左遷を怖れるな。行き先には必ず仕事があるー
2014-04-04 05:552
孫崎享のつぶやき



 孫崎は西京寺(主人公、34歳)を見て「老婆心だけれど、忠告していい。尖閣諸島で今の立場をとっていれば、必ず外務省の幹部と衝突をする。左遷ということも起こるだろう。でも左遷を恐れるな」といった。

 「左遷を恐れる気持ちをなくすれば、外務省って、実に多くのことを出来る組織だ。世界のどこへ行ってもそこには国家がある。人々が暮し国を作っている。その人達と協力をしようと言うのだから、どこへ行っても仕事が山のようにある」と述べた。
「西京寺くん。君ロシア語だろう。左遷されたらどこかへ飛ばされる。まあ、ウズベキスタン位だろう。ウズベキスタンと言うのは地の果てだ。世界に海に囲まれていない国がある。モンゴールやアフガニスタンがそうだ。

  でも、周りに海の無い国だけに囲まれている国があるのを知っていますか。あるんです。それが ウズベキスタンです。アフガニスタン、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン皆、海に面していません。それらの国にだけ囲まれているのです。だから大変な僻地です。
  そのウズベキスタンにカラカルパキスタン共和国がある、アラル海に面していた。今アラル海が枯渇している。カラカルパキスタン共和国の首都ヌクスの首都の周りはかつてアラル海だった地に塩が噴出している。何で、「こんな所に人が住んでいるか」という地域だ。まあ、学者に“古代地球上の温度が数度低かった時があった。この時は今、砂漠と言われる地域が一番の適温で多くの人が住んでいた”という人もいるんですけどね。このヌクスに一つの美術館がある。イゴール・サヴィツキー・カラカルパキスタン共和国国家美術館だ。世界にはピカソ美術館など、画家の名を付けた美術館があるが、イゴール・サヴィツキーの業績は画家としてでない。収集家としてだ。彼は元々画家だった。1950年彼はカラカルパキスタンの遺跡発掘隊に参加した。発掘された遺跡の文物を描くことだった。彼は死に絶えた文明の発掘を手伝っていた。それでカラカルパキスタンを見た。カラカルパキスタンは元来、ユーロペオイド(青銅器時代以来のステップ住民)とモンゴロイド(東方からの移住民)がいて、独自の文化を持っていた。このカラカルパキスタンの文化も押し寄せるロシア化、ソ連化で、消滅しそうになっていた。それで彼はカラカルパキスタン博物館を作った。

  カラカルパキスタン博物館の創設で、カラカルパキスタンの文化が何であったかの伝承は出来ることとなった。その保存が軌道に乗った時に、ふと彼はソ連、ロシアの絵画を考えた。19世紀末から20世紀初め、ロシアには「ロシア・アヴァンギャルド」という動きが詩・文学、音楽、映画などの分野に出た。絵画も勿論この動きの一角を占めた。しかし、スターリン体制になってこの動きは反体制の烙印を押された。この当時の作品を持っているだけで、罪に問われた。人々は罪をおそれて、美術品を次々に処分していった。貴重な絵画がどんどん消滅した。

  サヴィツキーは次のように考えた。
“自分はカラカルパキスタンの文化の保存に成功した。しかし自分は元々ロシアの画家でないか。今、ロシア、ソ連の絵画が抹殺されている。ヌクスは地の果てだ。ここに保管しておけば、さずがKGBも追っかけてこないだろう。 彼はモスクワに行って政府が危険視する絵画を集めた。それをヌクスで保管した。
 噂を聞いて、ソ連の収集家がサヴィツキーの所に絵を送ってきた。噂を聞いて、強制収容所で描かれた絵が送られてきた。紙はマッチ箱位の大きさ、鉛筆で描かれている。

 “滅び行く運命にあった絵画”がサヴィツキーの下で生き残った。それがカラカルパキスタン共和国国家美術館だ。サヴィツキーが画家としてモスクワで活躍したとしよう。旧ソ連時代、制約が大きくてたいした作品は書けなかったであろう。サヴィツキーが収集家として残した業績は、画家として残した業績をはるかに上回る。それも地の果て、カラカルパキスタンで生活していたからだ。同じことは我々にも言えることだと思う。どこにいるかではない。どのポストではない。何をするかだ。左遷される場所は、まあ、仕事の上で、未開の分野が山のようにある。
西京寺さん、左遷を怖れれるな。
左遷を怖れなくなると、出来ることは一杯ある。」




コメント(17)

いいですね。本流」を外れるということは、「本流」を客観的に眺めることができるということにもなります。
そして、「わが道を行く」こともできます。やがて、それが生かされることにもなります。支流もまた「海」へと注がれていくということですね。
私は、孫崎さんや天木さんのような、反骨外交官が好きです。
>>[3]

孫崎さんや天木さんは、外務省でしたね。
リベラリストが多いのかもしれませんね。
>>[4]
「外務省」では、リベラリストは、左遷されます(キッパリ)
>>[5]

アドバイスをありがとうございます。
孫崎さん=元ウズベキスタン大使
天木さん=元レバノン大使
>>[7]
孫崎さんは、大使を歴任後に外務省の国際情報局長や防衛大学校の教師もされていますね。
>>[8]
最終的に「防衛大学校の教授」は、閑職です。
>>[8]
最終的に「防衛大学校の教授」は、閑職です。
>>[8]
最終的に「防衛大学校の教授」は、閑職です。
>>[12]
それだけ、「誠実な人」だということですね。
外務省「北米局長」が出世頭ですね。
>>[13]

天木さんが、同期の「谷内、現SNC長官」などを、よく権力追随者で、従米の代表のような批判をしています。対米批判をすれば、天木さんのように左遷させられるようですね。
>>[13]
日本の官僚は、外務省よりも昔の大蔵省、今の財務省が勢力をもっているようですね。
>>[16]

ええ。予算を握っているからですからね。

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