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メトロン星人の本棚コミュの天狗伝説 第二話 河童 1

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 天狗伝説  第二話     河童

  1  天狗伝説

 天狗は鼻が高く、修験山伏のような姿をし、羽団扇を持ち、空中を自在に飛行する妖怪である。
 または、山中でのさまざまな怪異現象に関して、それを起こす本体と考えられる。(『日本民俗辞典』『神話伝説辞典』)
 これらが現在、天狗に関する通説であると言えるだろう。
 金沢の北東のはずれ東原町には「天狗ガベ」と呼ばれる断崖がある。
 高さが20メートル以上もある切り立った崖で、その肌は白いペンキを塗ったように真っ白で、それは見事な崖(ガベ)である。
 この崖には昔から天狗が住むといわれ、地元の村にはさまざまな言い伝えが残されている。
 村の五作の家では赤ん坊が病にかかり、明日をも知れぬ容体だったとな、ところが土間のほうで何やら物音がする。見るとやつでの葉の上に、何やら薬のようなものがある。
 わらにもすがる思いで飲ませてみると、あくる日にはすっかり赤ん坊は治っておったそうな・・・

 また、こんなこともあった。
 大雨で土砂崩れがあり、道が大石にふさがれてしまった。村人総出で動かそうとしたがびくともしない。その時、どこからともなく天狗さんの声がして、わしがどかしてやると言う。翌日、村人が夜明けに見に行くとすっかり岩はなくなっておったそうな・・・

 また宝暦五年(1755 )百万石の城下町金沢の繁華街尾張町において『天狗つぶて』が見られたという事件があった。昼夜を問わずおびただしい石や瓦礫が飛んでくるが、どこから飛んでくるのかまったく見当がつかない。(『金沢古蹟志・巻二十九』)

 この他にも天狗の仕業として、大木を斬り倒す音がする『天狗倒し』。
 山中で時ならぬ笛・太鼓の音がする『天狗ばやし』など数多く記録されている。
 なぜ天狗はこのような善行や悪戯をするのだろう?

 金沢の南部、小松市に残る伝説では、天狗にさらわれた少年が一カ月後父の枕元に姿を現し、天狗が言うには、人間はしばしば悪戯をなして天狗の平和を害する、よって太鼓を打って脅威を与え、反省することなき場合は捉えて大地に投ずる。
 今後我が天狗の領地に対して礼を失することなかれと告げていったという。

 実際、この『天狗の領地』という場所も、県内には多く存在するのだ。
 『天狗の山』『天狗谷』『天狗の祠』『天狗の松』など天狗の棲むところ、そこがすなわち『天狗の領地』『狗賓の住家』なのである。

 石川県羽咋郡志賀町福野の雄谷家は、大地主として知られた旧家だが、その広大な屋敷の中には『天狗の間』というものが存在する。
 古来より、そこには天狗が棲むと信じられ、だれもいないのに笛や太鼓の音がする。
 また、この部屋で就寝すると、次の朝には隣の座敷に寝かされているという『枕がえし』が起こるという。明治37年に、夢のお告げにより庭に祠を立てて祭ったが、天狗の間は現在も存在する。

 山の神として祀られている天狗だが、私にはなぜか天狗のほうが、逆に積極的に人と関わろうとしているようにも見えるのだ。 子供や人をさらう『神隠し』も天狗の仕業といわれてきた。

 金沢の駅や名店街で必ず売っている『あんころ餅』にも、そんな天狗の伝説がある。
 金沢市郊外の松任(マットウ)に住む、円八という男、一夜突如天狗にさらわれたが、数年後に突然舞い戻り、天狗の秘伝という『あんころ餅』を伝えて再び姿を消したという。
 今でも同家では、『あんころ餅』の商標を天狗の羽団扇として使い、天狗を祀るお堂を建て、円八坊大権現、あるいは天狗堂と呼び祀っている。

 これらは金沢に残る『天狗伝説』のごく一部である。
 現在、石川県内に残る天狗の伝説はざっと数えても54例はあり、不思議なことに山間部だけではなく、旧市街地の中心部にも多く残されているのである。
 今でも金沢市内には、天狗ゆかりの楓の木、天狗の額、天狗の杯など多くの事物が残されている。しかも、古くは加賀藩の昔から、そして最近では実に昭和7年にいたるまで、実に正確に事細かく『天狗伝説』が記録されている。
 金沢に、天狗は本当にいたのだろうか?
 ならば、その意味するものは?
           
2 異変

 内線電話の軽い呼び出し音が鳴る。
 2回、3回・・・5回。
 田所富夫は、ぼうっと眺めていたテレビの深夜番組から目をそらし、やっと受話器を手にとった。
「はい。こちら管理室。どうしました?」
「あ、もしもし。こちら6階の『りんどう』ですけど。水道の水がおかしいのよ。茶色い水が出てくるの。変な匂いもするし、なんとかして頂戴。まったく、洗い物もできないわよ・・・」
 電話口の向こうでは、ホステスの女の子がトゲのある口調で一方的にまくしたてる。
「はい、はい。しばらく水を出したままにしておいてください。今、見に行きますから・・・」
(いつものことだ。どうせ酔っ払ってるんだろう。まったく。口の聞き方ってもんを知らないのかね)
 田所はテレビのスイッチを切り、よっこいしょっと口に出して立ち上がった。

金沢市の歓楽街、片町地区。
 大小50あまりの飲食ビルが立ち並び、料理屋、レストラン、バーやスナックまで、数えれば、二千軒は超えようという夜の街である。
 夜ともなれば、金沢だけでなく加賀や能登、さらには隣県の富山や福井からも、なじみの店に飲みに来る客が絶えない。
 深夜12時などは宵の口、喧噪は明け方まで続き、文字通りの不夜城となっているのだ。
 田所富夫が勤めているのは、その飲食ビルの中でも大通りに面した『パーラービル』という10階建てのテナントビルだった。
 一階がパチンコと居酒屋、2階以上がクラブやスナックなどのテナントで、屋上にはビアガーデンまである。田所はそのビルの地下一階の管理人室にいた。
 もちろん、地下一階にも飲食店がいくつも入居しているが、田所のいるのはその一番奥、客の通るフロアーからは壁一枚隔てた荷物の搬入口の近くだ。
 3坪ほどの狭い事務スペース、奥には仮眠と休憩のための四畳半が一間ある。四畳半に置かれた小さなテレビの上、花瓶にさしたうっすらと埃のかぶった色あせた造花が、職場のわびしさを象徴しているようだった。
 田所は腕時計を見た。
 すでに深夜の一時を過ぎている。
 大きく伸びをして、首を左右にゴキゴキいわせながら、壁に掛けた大型の懐中電灯を取る。
 管理室を出て、酒屋が使う業者車用の駐車スペースを横目に見ながら、大型の業務用エレベーターに乗り込んだ。6階のボタンを押す。
 大きなドアがゆっくりと閉まり、一度ゴクンと震えるように揺れると上昇を始めた。
 ひとつずつ点いては消えるエレベーターの階数を示すランプを見つめながら、田所は出かける時に聞いた妻の言葉を思い出していた。
  「なんで、あんたなんかと一緒になったんだろう。ああ、いやだいやだ。ほら!仕事でしょ。ぐずぐずしてないで、さっさと行きなさいよ!」
 妻の顔はゆがんでいた。
 生活の垢がこびりつき、疲れが皮膚のしわとなって本来の笑顔を奪い去った。
(そうさ、あいつだって昔はかわいかったんだ。よく笑う、かわいい奴だった・・・この頃じゃ、夜勤の弁当だって作っちゃくれない。最後にあいつの弁当を食ったのはいつだったか)
 田所は、思い出せなかった。ここしばらくは、ずっと近所のコンビニで買ったパンや牛乳、おにぎりで済ませてきたのだ。
 田所富夫は45歳。
 妻の麻子とは結婚して15年になる。
 中学生になる娘が一人いる。
 もう体型はすっかり中年そのものだ。太って腹も出てきた。
 しかも2、3年前から頭の毛も薄くなってきた。
 いまでは、頭頂部がすっかり寂しくなって頭の回りに比べてはっきりと区別が付くくらいになってしまった。若い頃の体力もない。
 妻も娘も、心の中では俺のことを馬鹿にしているのではないか。
 男として見ていないのじゃないか。そう思われてならない。
 俺の苦労も知らないで、勝手なことばかり言う。俺が夜勤をして食わせてやってるんだ。
  そう言いたい。
 でも、正面切って言えない自分が情けなかった。
 長年勤めた商事会社を首になって、もう3年になる。あと一年。いやあと半年で、課長になれたはずだ。収入が増えるのを見越して、無理して家まで建てた。
 そうさ、景気さえ良ければこんなことにはならなかった。
 不景気だと言われリストラ、いきなり首になった。
 必死で次の勤め先を探したが世間は冷たい。
 せいぜいで、こんなビルの管理人ぐらいしかなかった!
 その後、元の同僚から会社の事を聞かされた。俺より若い奴が課長になったそうだ。
 騙された。俺がじゃまだったんだ。
 そうさ、最初から追い出すつもりだったんだ。
 嫉妬の炎が全身をかけ巡った。あいつを、上司を殺してやろうかと考えた。
 でも、臆病な自分にそんなまねが出来るはずもない。どこかへ逃げてしまいたかった。
 それも出来なかった。
 結局は、日々を無為に過ごすしか選択の道はなかった。時間を潰し、給料を家に運ぶだけの日々。それが、田所富夫の今の生活の全てだった。

 エレベーターが止まる。
 想いを中断して6階のフロアーに出た。
 明るくライティングされた通路を進み『りんどう』のドアを開ける。
 「いらっしゃいませ〜」
 一瞬、店の中に女の子達の明るい声が響く。しかし、そこにいるのが田所だとわかると、あからさまにがっかりしたような口調に変わった。
  「なんだ、管理人さんか・・・入るときは声ぐらいかけなさいよ。さっさと見てよ、これ・・・」
 そんな彼女達の声を受けても、ことさら無表情に装って田所は狭い厨房に入り水道を確認する。水は出しっぱなしになっていた。
 時々咳き込むように、断続的にかなり濃い茶色い水が吹き出ている。
 蛇口の下の洗い物の溜まった洗い桶には、たっぷりと茶色い汚水が溜まっていた。
 なんだかすえたような匂いまでしている。明らかに異状が認められた。
 この分じゃ、他からも苦情が来そうだ。
 調べている田所の後ろから、『りんどう』のママがのぞき込んだ。
「田所さん。なんとかなりませんか?水割り用の水は、ミネラルを使うから大丈夫だけどこれじゃ洗い物が出来ないわ。お願い、なんとかしてくださいな」
 肩越しに甘い香水の香りがする。
 振り返るとママの笑顔があった。
 高級な加賀友禅を小粋に着こなし、髪を結ったその姿はいかにも、ママという感じがした。年の頃は30過ぎか?若くして店を構えているだけ あって誰に対しても腰が低く、笑顔を絶やしたことがない。
 彼女だけは唯一、田所に対しても優しく声を掛けてくれた。
 田所がこの仕事を続けていられるのも、きっと彼女がいるからに違いなかった。
 所詮、高嶺の花とあきらめてはいたものの、時折見 かける彼女の姿に、田所はときめきさえ感じていた。
 この歳になって・・・どこか恥ずかしくはあったが、田所はそんな気持ちを押さえることが出来なかった。  せめて、彼女の前では男でいたい。
 田所は、深夜にも関わらず給水タンクを調べに屋上に登っていった。

屋上は思ったより明るかった。
 ネオンなど地上の明かりが雲に反射して、あたりを照らし出しているのだ。
 どんよりと曇った空は地上のネオンや明かりを反射して、うすい紫色に染まっていた。
 ビヤガーデンは12時まで、照明は落とされ洗い物をする従業員の姿もない。
 地上の喧噪もここまでは届かない。時折、車のクラクションの音と、遠ざかるパトカーのサイレンの音が微かに聞こえるだけだ。
 赤く瞬く広告塔のネオン越しに地上を覗くと、タクシーの明かりが、大通りに沿ってずっと続いているのが見えた。
 田所の正面には黒々とした巨大な貯水タンクがあった。このビルの飲食店が使う膨大な量の水が、ここに貯められている。
 水道水は一度ビル地下の受水槽に貯められ、そこからポンプを使って屋上の高置水槽に運ばれる。その鉄製の巨大な水槽は、かなりの年代物で、以前中を点検したときにも、内部に赤錆がびっしりとこびりついていた。
 年に一度は市の条令で、内部の掃除、点検が義務づけられてはいるが、田所の知る限りでは、きちんと守られた事はないような気がする。
 田所は、貯水槽に掛けられたはしごを登り、上部に取りつけられたタンクの蓋を持ち上げた。
 蓋に鍵はかかっていない。
 以前は蓋そのものも同じ鉄製で出来ていたのだが、蓋自体が腐ってぼろぼろになったので、間に合わせに業者がFRPで出来たプラスチックの蓋を取り付けていったのだ。
 蓋を開けた途端、異様な臭気が鼻をつく。
 明らかに何かが腐ったような、いや発酵しているようなどんよりとした匂いだ。
 大型の懐中電灯で中を照らしながらのぞき込む。
 タンクの中は真暗な水面しか見えない。
 いや、良く見ると黄色い明かりの中に、何かが浮かんでいるようにも見えた。
 黒い塊だ。
 田所は、もっと良く見ようと懐中電灯を持った手を伸ばし、タンクの中に体を差し込んだ。黒い塊は、ゆらゆらと暗い水面を揺れながら近づいてくる。
 もう少し、明かりを。何だこれは?
 ぬるり。
 田所の手に、突然黒い塊が巻きついた。
「わあっ!」
 懐中電灯を持ったまま、田所が不安定なはしごの上でのけぞる。黒いぶよぶよとした塊は、その間にも素早く腕を伝い肩へと昇ってきた。
  (これは、生き物か?!)
 全身の毛が逆立つほどの嫌悪感と恐怖。
 その瞬間、田所は頭ごとずっぽりと塊に飲み込まれていた。
 見えない、苦しい、息が、息が出来ない!
 口から鼻から、どろりとした粘液が流れ込む。
 意識が遠くなる。
 ふわり、宙に浮く感覚。
 ゆっくりと田所の意識は闇の中に沈んでいった。

3 変化

 あれから一週間が過ぎた。
 相変わらず田所はビルの管理人を続けている。あの日の翌朝。田所は屋上で倒れているのを、捜しに来た掃除のおばさんに発見されたのだ。
 貯水槽のはしごから誤って落ち、気を失ったのだろうと言われた。
 そういえば、頭の後ろに大きなこぶが出来てる。体もあちこちが痛い。
 水槽の中で見た黒い塊は、どこにもなかった。田所は人にそのことを話す勇気はなかった。
 言っても、相手にされず馬鹿にされるのは目に見えていた。傷の手当だけをして、そのまま家に帰り寝てしまった。
 翌日は昼から『りんどう』のママの苦情で、貯水槽の点検が行なわれた。
 業者が調べてみると貯水タンクの中に大きなカラスの死がいがあったのだ。
 他にも羽アリやカ、ゴキブリなど実にさまざまな動物の死骸が見つかった。
 さすがにビルの経営者もまずいと思ったのか、テナントには内緒で貯水タンクの大掃除を始めた。水を全部掻き出して見ると、タンクの底はヘドロやゴミがびっしりとこびりついていた。
 業者が言う。「社長、おたくだけじゃないですよ。こんな事は、私ら業者にとっちゃ当たり前でね。こないだ掃除したマンションじゃ、蛇口をひねったらゴキブリの足が出てきましたからね。たぶん風で蓋が開いて、カラスが飛び込んだんでしょう。良くあることですよ。
 キノコやねずみ、それに昆布みたいに立派に育った藻がびっしり詰まったタンクもありました。まいったのは地下の受水槽ですよ。
 人間の排泄物、簡単に言やウンコがびっしり壁に、こびりついてたこともありましたからなぁ。社長のとこは、ましなほうですよ。わはは」
 ビルの経営者は吐き気で顔が青くなった。
「いいから、しっかりと掃除してくれ・・・」
 そう言い捨てると、そそくさと引き上げていった。
 社長の頭の中にあったのは、いくら払えば業者がこのことを黙っててくれるか、そのことだけだった。

  「とうさん。風呂空いたよ・・・」
 娘のあすかが、風呂上がりの髪をふきながらパジャマ姿でそばを通りすぎる。
 「おお・・・」生返事をしながら、ちらりと娘を見る。
 我が子ながら良く育ったものだ。胸も肢体も中学生とは思えぬほどに発達している。
 父親の自分が見てもどきりとするほど色っぽい時がある。
  「エッチ!」
 田所の視線を感じたのか、あすかが不意にそんなことを言ったりする。
 「ばか」 田所はそう言いながら席を立ち風呂場に向かった。
 服を脱ぎ、脱衣所の鏡に自分の姿を写してみる。
  「少しやせたかな・・・」
 気のせいか腹が細くなったような気がする。気苦労が続いたせいだ、その証拠に頭のほうは逆に薄くなった。頭頂部は、見るかげもない。
 残り少ない髪の毛を必死に中央に寄せてつくろってみるが、無駄だと気がつきやめた。
 娘が入った後だ、湯加減も確かめずに入った。
  「熱いっ!!」思わず飛び上がった。まるで熱湯だ。
  「なんでこんなに熱くするんだ!」大声を出す。
 妻の麻子が、声に気づいてやってきた。
 「なんですか、大声なんか出して。近所に聞こえるで しょ。そんなに熱いわけないわよ。沸かしてないんだから・・・」
 「そんなら、おまえ湯加減を見てみろ」
 麻子が手を入れ湯加減を見る。
 「なによ、ちょうどいいじゃない・・・変な人」
 言われて田所はもう一度、手を入れてみた。
  「あちちち・・・熱いよ、やっぱり」
 「じゃあ、うめればいいでしょ!」
 かまっていられない、と言った感じで麻子は風呂場から出ていった。
 田所富夫は、なぜ麻子が熱くないのかわけが分からなかった。 
 田所富夫のまわりで、微妙な変化が起こっていた。
 まず熱い風呂に入れなくなった。ぬるい水風呂の方が気持ちがいいのだ。
 同じく、熱い茶が飲めなくなった。
 いや、お茶だけではない、熱い味噌汁、ラーメン。熱いものがダメになった。
 「猫舌病よ・・ふふふ」娘のあすかにひやかされた。
 それと味覚の好みが、変わってきた。刺身がうまい。
 あんなに好きだった焼肉よりも、生の魚の方がうまいと感じるようになった。
 野菜も生野菜が好きになった。
 特にモロキュウなどは、いくらでも食べられる。
 キャベツやなす、人参なども生で食べるようになっていった。
 冷蔵庫に入っているカレー用の生肉なども、実にうまそうに見える。

 二週間がすぎた。
 はたから見ても、はっきりと体型が変わってきた。痩せてきたのだ。
 みっともなく出ていた腹が引っ込み、胸が厚くなった。特別にトレーニングもしていないのに、腕と太ももに筋肉がついたように見える。
 試しに空缶を握ってみると、鉄製の缶が紙コップのように簡単に潰れてしまった。
 ただ、不思議なことに全身の体毛が見る見る薄くなっていくのだ。
 すね毛やわき毛、恥毛までもがどんどん抜けてゆく。ひげも生えなくなってきた。
 頭のほうは、頭頂部はほぼ全滅。
 娘や妻は、本気でカツラを勧めてくる始末だ。
 田所は不安になっていった。  職場の仲間達は、痩せて精悍になったとか、健康そうだとかほめてくれる。社長にも「いつの間にトレーニングしたのか?」と声を掛けられた。
 まんざら悪い気はせず、失いかけた男としての自信まで、取り戻したかのように思えた。
 だが、自分では原因が分からないのだ。自分のからだの奥底で現実に起こっている変化は、何なのか?漠然とした不安がある。何かが自分の体を別のものに変えてゆく。
 その変化は田所の精神までも、彼の気がつかないうちにゆっくりと蝕んでいった。
 田所富夫は、ある決心をした。それまでの自分なら、絶対にしないであろう行為だ。
 それは、新たな事件の始まりでもあった。

コメント(10)

  4  怪物  

  6月のある日、その日は朝から一日中じとじとと雨が降り続いていた。
 気温も高く、ねっとりと体にまとい付くような湿気が服を通して体の中までしみ込むような、そんな日だった。
 田所はビルの管理人室にいた。今夜も夜勤である。
 クーラーのない管理人室は、地下ということもあって湿気がきつい。
 だが、意外にも田所はそんな湿気を心地よく感じていた。
 以前の自分とは見違えるほど体型が変わっている。ほっそりとスマートになり、肩や胸は筋肉が付き、ピンと張りつめている。顔も一回り小さくなったようで、目の回りなどはかえって落ち窪み、目が大きくギョロリとした印象になった。
 それに、最近は肌の色が悪い。カサカサとして土気色をしている。それに、やたら体のあちこちがかゆい。  ぼりぼりと体を掻いてはみたり、薬も塗ってはみたがいっこうに納まる様子がない。
 しかし、気持ちは逆に高揚してきている。むずむずと心の奥から突き上げてくるものがある。
 荒々しい欲情が頭をもたげ激しい興奮がぐっと体を包み込む。
 人と目が合うと思わず視線を逸らしてしまうようなそんな自分だったのが、逆に睨み付けることができる。今はそんな気分になっていた。
 そうだ。いまなら何でもできる。
 時間はそろそろ深夜の2時過ぎ。普通のスナックはそろそろ閉店時間だ。 『りんどう』のママも店を閉め、帰り支度をしている頃だろう。
 田所は、業務用のエレベーターに乗り込んだ。
  『りんどう』のママ、深田淳子は一人店に残っていた。
 今日は雨のせいでやけにヒマだった。いい加減に見切りをつけ、女の子達を先に帰して売り上げの計算をしていたのだ。
 傍らには飲みかけの水割りのグラスがある。溶けた氷がグラスの中でからりと音を立てた。
 入り口のほうでドアの開く音がする。
  「すみませ〜ん。今日はもう終わったんですけど」
 ボールペンを持ったまま、声をかける。そこには田所富夫が立っていた。 「あら、管理人さん。なにかご用ですか?」ママが振り向く。
 淡い草色の友禅に朱色の帯が目に鮮やかだ。
 襟から覗くうなじに、大人の色気がにじみ出ていた。
 若く、美しい、可愛い女だ、田所は思った。
  「突然だが、ママにお願いがある。これをもらってくれないか?」
 田所が懐から小さな包みを取り出した。
  「これは?」
 「私からの気持ちだ。大したものじゃないがあんたに似合うと思って買ってきた。イヤリングだよ。受け取ってくれんかね」
 「私に・・・どうして?」
 「あんたはいつも良くしてくれた。こんな自分にも声を掛けてくれた。だから、私は・・・私は、あんたのことが・・・」
  田所のすがりつくような目が、全てを語っていた。
  『りんどう』のママ、深田淳子は全てを理解した。
  「こんなもの、受け取るわけには行かないわ。うちは客商売なのよ。お客でもないあんたから、そんな物もらういわれなんかないわ。
 大体、私がやさしくしたって・・・?そんなの愛想に決まってるじゃないの。
 いい歳してて、そんなこともわからないの!あんた自分の顔、見たことある?
 ハゲのわびしい中年に、物もらうほど落ちぶれちゃいないわよ。さっさと出てって!」
 田所の手から、小さな包みがこぼれ落ちた。目の前が真暗になったように感じた。
 惚れていた。
 疲れはてた田所の人生の中で、唯一感じていたうるいだったのだ。
 空しかった、全てが嘘だった。
 自分に向けられた暖かな視線。それに答えようとしてきたささやかな努力は全てが徒労に終わった。視界の中のママの顔が、ぐねりと歪んで見える。
 何かが壊れた。
 壊れたのは、田所の中の人間の心か。
 嫌悪に醜く歪むママの顔に向かって、田所は手を伸ばしていた。椅子が倒れる。グラスの割れる音。
 叫び声がする。誰の・・・?
 深田淳子は管理人が襲ってくるとは思わなかった。
 人畜無害、とぼけた中年が何を血迷ってプレゼントなど・・・安物のイヤリングなどたくさん!
 雨、湿気、少ない売り上げ、おまけにハゲの中年に愛の告白!そう最悪だわ。
 怒鳴りつけて、追い出すつもりだった。
 まさか、襲ってくるなんて・・・  田所は淳子の手をつかんだ。
 ぐい、と引き寄せ、抱きついた。
 椅子が倒れる。  淳子が突き放す。爪を立て顔を引っ掻いた。
 その時、顔の皮膚がずるりと剥けた。
 田所の左目から頬にかけての皮膚が、腐ったみかんの皮のようにずるずると剥けていった。
 淳子が見たその皮の下には、どろりとした緑色の皮膚があったのだ。
  「ガアッ・・・!」
 顔から皮膚をぶら下げた田所の口から、人間のものではない声が出る。
 淳子は必至で振り払おうとした。田所の右手をつかむ、ずるり。また皮が剥ける。
 淳子の首に田所の両手がかかる。ものすごい力だ。
  「グァッ、グアッ・・・」奇声を発する田所。
 首を絞められ、前後に激しく揺さぶられる。
 淳子は苦しさと恐怖の中、意識が遠のいていった。
 そう、意識を失ったほうが幸せだったろう。

 真暗な店内。 入り口は鍵がかかっている。
 カウンターのそばのカーペットの上で、ごそごそとうごめくものがある。
 びちゃびちゃという湿った水の音。
 ずるずると啜る音。 ぐびりと飲み込む音。
 時折、ごきりと何かの外れる、嫌な音がする。
 しとしとと雨の降るその晩は、この世から一人の人間が消え、そして一匹の怪物が生まれた夜となった。

  5 猟奇事件

 深田淳子の惨殺死体が発見されたのは翌日の夕方、カギを預かっていたホステスの女の子が出勤してきた時だった。
 ドアを開けた瞬間に、物凄い血の匂いがした。
 女の子はてっきりガス漏れだと勘違いした。
 ムリもない。 血の匂いなど嗅いだこともない若いホステスだ。だが、本当に驚いたのは明かりをつけた時だ。カウンターの前のカーペットは一面の血の海だった。
 たっぷりと血を吸ったカーペットは、すでにどす黒いぐずぐずのゼリー状になっている。その中に、着物の前をはだけた状態で仰向けになったママの死体が転がっていた。
 女の子は半狂乱となって警察に電話した。
 ただちに金沢市中警察署捜査一課による現場検証と、監察医による被害者の検死が行なわれた。明らかに殺人事件。
 それも極めて猟奇的な犯罪だった。
 被害者は前日午前一時過ぎには、女の子達を帰している。死亡推定時刻は、午前2時過ぎから3時ぐらいまで。死因は絞殺による窒息死。
 しかも、死亡後犯人は死体を切断し、内蔵の一部を持ち去ったと考えられた。
 腹部が切り裂かれ、肝臓がなくなっていたのだ。
 店の鍵がかかったままになっていたことから、犯人は合い鍵を持つ顔見知りの犯行と思われた。店のホステス、出入りの酒屋、関係業者、そしてビルの管理人、田所富夫も当然容疑者になった。
 しかし、田所は行方をくらましていた。
 捜査一課は田所を重要参考人として手配し、ウラを取るべく聞き込みを始めた。
 金沢中警察署の会議室で、番匠正之刑事は若い捜査官と一緒に、監察医の検死結果を聞いていた。   この事件の担当となった番匠刑事は35才。
 見た目は風采の上がらない中堅の刑事である。だが、性格は一本気で粘り強い。
 いつも着古した感じの背広を着て少し猫背で歩く。煙草は吸わないが、市販の栄養ドリンクが好きで、いつも彼の机の引き出しには、さまざまな種類の栄養ドリンクがギッシリと詰まっていた。もう趣味と言ってもいいだろう。そんな男である。

  「死因に付いては、先程報告した通りです。ただ、どうも納得できないことが、今回の事件には多すぎますなぁ・・・医者の立場を抜きにして、言わせてもらえれば、なぜ死体からわざわざ肝臓だけを持ち去ったのか分かりません?
 さらにおかしなことに、遺体を切り裂くのに刃物を使った痕跡がない。
 物凄い力で皮膚を引き裂いたと見られる跡があるうえに、さらに皮膚と内臓の一部には、容疑者の歯形らしきものも多数発見されました。
 これはまるで、熊か豹にでも襲われたようなありさまです。この犯人はまるで飢えた獣のようだ」
 若い捜査官が手帳のメモを見ながら話を引き継ぐ。
  「容疑者と見られる田所について報告します。本名、田所富夫45才。
 市内に住宅を持つサラリーマンで、妻と娘が一人。家は持ち家でローンがまだだいぶ残ってます。元の会社を首になり、一年ほど前からこのビルの管理人をやっています。
 性格は温厚で、勤務態度は極めてまじめだったそうです。同僚の話では特に目立つような女性関係もなかったそうですが・・・。
 それから現場に落ちていたイヤリングの包みですが、包装紙から近くの宝石店のものと分かりました。店員に聞いたところ、一週間ほど前に田所が買って いったものと判明しました。
 これ領収書の写しです。
 田所の給料にしては、かなり高額の買い物だったようで、買うときにはずいぶん迷っていたと店員が言ってました。
 犯行当日は通常通りに出勤。掃除のおばさんの話では特別変わった様子もなかっ たそうです。しかし、ここ2週間ほどで田所はずいぶんと痩せてますね。いや、本当に病気かと思われるほど、顔色が悪かったそうです。
 でも医者にはかかっていなかったと、家族から聞きました。勤務も休んではいません。
 現在立ち寄りそうな心当たりを調べ、必要と思われる場所には何人か張り込みに行ってます。
 消息はいまだ不明です・・・
 動機としては、やはりプレゼントから考えても痴情怨恨の線でしょうか?」

 二人の話を聞いていた番匠刑事は、手にした小さなドリンク剤をぐいっと飲み干した。
 「真面目だと思われていた男の逆上、そして猟奇殺人。
 いかにもありそうだな。つきあいを断られ逆上したと・・・
 だが、死後体の一部を切り取るというような猟奇殺人の場合は、本来は犯行現場ではなくて自宅とか、人目に付かない場所に移してやるもんだ。
 それに、なぜ肝臓なんだ?
 怨恨なら性器とか、首とか、他にもありそうなもんだ。さらに、なぜ刃物を使わない?
 すぐ近くには厨房がある、包丁やナイフなど、すぐそばにあったんだぜ。
 いかに逆上したっておかしな話じゃないか。死体に残った歯形も、どうもひっかかる。
 おい、目撃者はいないのか?」

 声を掛けられた若い捜査官は、手帳をめくる。
  「それが・・・犯行後の田所の姿を見たものは、まだ一人も見つかっていません。
 実際に犯行の行なわれた時間には、となりの店は営業してましたしね。カラオケで音が聞こえなかったとしても、通路や外にはかなりの人がいたはずですし、 いったいどうやって逃げたんでしょうか?」
  「そう言えば被害者が握っていた皮の様なもの・・」
  監察医が口をはさむ。 「あれね、人間の皮膚ですよ。なんていうか、干からびたミイラの皮のような物です。
  被害者はなんで、そんなものを握ってたのか?事件にどういう関係があるんでしょうか?
  「とにかく、どうも不自然なことばかりだ。殺人の動機にしても、被害者と田所の間に殺人にまで発展するような深い関係があったとは考えられん。
 おい、続けて目撃者捜しと聞き込みだ。
 とにかく田所を見つけん事には話にならん。先生は、その皮膚の分析をお願いします」
 番匠刑事は、会議室の窓の外に目をやった。
 相変わらず、しとしとと小雨が続いていた。
 「また雨か。嫌な事件だよ。まったく・・・」
 事件から、まる2日が経とうとしていた。
  6   歴史

 焼肉である。
 しかも、食べ放題である。
 食べ放題の焼肉に行かないか?と誘われて断る男子中学生はいないだろう。
 案の定、藤井一浩は大喜びでついてきた。
 しかもどういうわけか、同級生の白神美幸まで一緒なのだ。
 美幸にほのかな恋心を寄せる一浩としては食い気と色気のスペシャル二本立てだ。
 断る理由など、どこをどうしても出てくるはずはなかった。
 この時点で誘った藤井孫佐ェ門の思惑は、ほぼ完璧に達成できた。
  「さあ、どんどん食べなさい・・・」
 目の前の鉄板の上では上カルビが、じゅうじゅうと音を立て焼けている。
 孫佐ェ門がすすめるまでもなく、一浩は次々と焼けた肉を皿に取り口に運ぶ。
  「あちちちち・・・」
 あわてて肉を落としそうになる一浩を見て、美幸が笑った。
  「あわてなくても、まだたくさんあるわよ。ゆっくり食べれば!」
 美幸も自分の分を鉄板に乗せながら、おいしそうに食べている。
 久しぶりのにぎやかな食事だ。
  「美幸ちゃんのお母さんも、一緒に来れば良かったのにね」一浩が言う。
  「おかあさん、あんまり肉好きじゃないのよ。家で留守番してるから行ってらっしゃいって。
  私、こういう店って一回来てみたかったの。焼肉屋さんって初めて。面白いね」
  「本当はお母さんにも来てほしかったんだけど、美幸ちゃんだけでも喜んでくれてよかったよ。あんな事件があった後だからね、これからも何かあったら私に相談しておくれ、及ばずながら力になってあげるよ」
 孫佐ェ門は、楽しそうな美幸を見て目を細めた。

 片町の『パーラービル』4階の焼肉屋である。
 一人2300円で焼肉が食べ放題!他にもサラダやデザートなどがバイキング方式で食べられる店である。落ち着いた和風の造りになっており、お座敷や6人掛けのテーブルが並んでいる。今日は雨模様で屋上のビアガーデンが休みになり、その客が焼肉に流れてきたのだろう。
 広い店内は、雨模様にも関わらず家族連れや会社帰りのOLなどでにぎわっていた。
  6階で起こったスナックのママの殺人事件は、新聞などで派手に報道されたが、ビルの営業自体は翌日から平常通りの営業になった。
 ただ6階の『りんどう』だけは、いまだに閉鎖され時折、警察の現場検証が続けて行なわれていた。事件から一週間経った今も、家族の心配をよそに田所富夫の行方は依然として分からなかった。新聞の報道もひと段落つく頃、人々はあのおぞましい事件をゆっくりと忘れかけていた。
 いい加減お腹もいっぱいになり、美幸と一浩はデザートのアイスクリームを食べていた。
 頃合を見て孫佐ェ門が美幸に話しかける。
  「美幸ちゃん。例の天狗の少年・・え〜とタツ君とか言ったよね。あれから姿を見せなかったかい?」
 美幸は、アイスクリームのスプーンを持つ手を止め孫佐ェ門の顔を見ている。
 何となく、この食事の目的が分かったようだ。美幸の顔に笑顔が浮かぶ。
  「先生。なんだ、タツ君のことが聞きたかったんだ!
 いいわよ。先生になら教えてあげる。実はあれから、タツ君とは会ってないの。
 どこにいるのか知らないし、連絡の取りようもないでしょ。
 あの時、私たちを助けてくれた天狗様は確かにタツ君だった。私はそう思うの。
 ずいぶん恐い目にもあった。
 でもあれからお父さんにも会いに行けるようになったし、お母さんもずいぶん明るくなったわ。二カ月も経ってないのに、なんだか夢の中の出来事みたい」
  「そうか・・・美幸ちゃんのお母さん。小夜子さんから、事件の真相を聞いてわしは本当に驚いたよ。まさか、天狗がこの世に本当に存在するとはな。
  しかも、あの黒竜会の事務所のガス爆発事件が天狗の仕業だったと言うじゃないか・・・いや、驚いたよ。  まあ当然、警察ではまともには扱ってはくれないだろうし、ガス爆発の事件とその後で発見された殺人事件も、黒竜会の坂間という男の仕業だと言うことで手配された。
君たちの身に、被害が及ばなくてわしも安心したところだ。
 ただ、気になるのは『天狗』の正体だ。
 わしも長年、民俗学をやってきて伝説とか言い伝えにはなんらかの真実が必ず隠されていると思っている。その天狗くんには、ぜひ会ってみたいんだよ」
  「じいちゃん。天狗って妖怪なんだろ・・・」
 じっと聞いてた一浩が、孫佐ェ門にたずねる。
  「いや、そう言われてるがね。いろいろ気になって文献を調べてみると、思わぬことが分かってくるものだよ。

 
 そもそも、天狗とは『流れ星』のことなんだ。
 637年舒明(ジョメイ)天皇の時代。ある夜に流れ星が大きな音を立てて東から西に流れた。この時、随に渡り24年もの間勉強して帰った当時の偉い坊さんが「これ流星にあらず、天狗(アマキツネ) なり」と言った。  これが『日本書紀』に出てきた初めての天狗の話なんだ。
 つまり、尾を引いて流れる星を、天の狐にたとえたんだな。
 その後、平安時代には『役小角(エンノオヅノ)』という天狗の原形ともいえる修験道の行者が現れる。人でありながら、厳しい修業を積み、験力を得て空を飛び、海上に浮かび、鬼神をも自在に駆使する、不思議な通力を持っていたと伝えられる行者だ。
 現在、天狗の山と言われているほとんどの山は、修験道の祖『役の行者』が開いたとされている。修験道の山伏の姿がそのまま天狗と重なっていって全国に広まっていったと考えられるんだ。
 なあ、一浩。妖怪の中で天狗ほどきちんと姿がはっきりして、しかも組織された妖怪って言うのはないだろう」
  「そうかぁ・・・言われてみれば、妖怪って大抵、人のいない寂しい場所に一匹だけ、ぽつんっているもんね。全国チェーンの妖怪って、聞かないよね」
 「うん。全国チェーンか!そう、その通り。まさに天狗は全国に支店を持った大組織だったんだよ。

 代表的なのは『八天狗』で『愛宕山太郎坊』『鞍馬山僧正坊』『比良山次郎坊』・・・など、これらの天狗達が常に集まって会議を開いていたという。
 また、偉い神通力のある坊さんが亡くなると天狗になるとも言われてきた。
 鬼や河童と共に日本の代表的な妖怪と言われている天狗だけど、明らかに他の妖怪とは違っているよね」
  「牛若丸が天狗に剣術を習った話は私も聞いたことがあるわ。鞍馬山の天狗様でしょ・・・」美幸が言う。
  「そう、天狗は実は日本の歴史にも時には大きく関わっている。時の権力と対決したりして、破れた高僧が天狗になったと言う話はたくさんあるんだ。
 天狗には『天狗道』というものもあってね。
 仏経の世界観『六道輪廻』の世界からも『浄土』と言われる天国からも切り放された、まったく別の『天魔』の世界なんだよ。過去や未来を悟り、虚空を飛ぶ。
 天狗は、時間と空間を超越した世界に繋がっているんだ。

 ・・・いや、ごめん、ごめん。ちょっと難しかったかな?
 でも、これだけ高い知能を備え、人の生活と深く関わり、歴史に登場した妖怪はいないだろうね。他の妖怪と一緒にして、簡単に山の化物だと決めつけるのは、どう見ても不自然だよね。もしかしたら、天狗は今でも本当にいるんじゃないか?そんな気がするんだよ」
 孫佐ェ門は一人、小夜子の言ってた『赤神丸』の事を思い浮かべていた。
 (人が天狗に変わるのならば、あの赤神丸とは・・・あれこそが人を『天狗』に変える薬ではないのだろうか?)
 「じいちゃん。そろそろ帰ろうぜ!」
 物思いにふけっていた孫佐ェ門は、一浩に言われて我に返った。
 「いやいや、悪い悪い。どうも、夢中になってな。悪い癖だ。 二人ともお腹いっぱい食べたかな?さあて帰ろうか」
 美幸と一浩は、もうすでに別の話題で盛り上がっていた。
 三人は支払いを済ませ、エレベーターのほうに向かっていった。
  7 惨劇

 彼はかつてない解放感に包まれていた。
 彼の回りにあるのは、冷たく暗い水ばかり。上も下も、右も左もない。
 いつからここにいるのか?自分が何者なのか?どうしてここにいるのかさえも、彼にとっては、すでにどうでもいいことのように思えた。
 ゆったりと手足を伸ばし、水の中に体を浮かべ、ゆっくりと水を呼吸する。
 かつては空気を呼吸していたはずの肺が、今は水の中から酸素を取り入れている。
 時折、体の表面からほろりほろりと剥がれてゆく物がある。それは彼が人間だった頃、皮膚と呼ばれていたものだ。
 今、彼の体は緑色をしたとろりとした粘着性のある新しい皮膚に覆われている。
 手足の指の間には、薄い膜状の水かきまである。
 ゆっくりと目を開くと、驚くほど鮮明に水の中が見渡せた。
 たぶん業者が念入りに掃除をしたのだろう。
 屋上の給水タンクの中は、澄んだ水でいっぱいになっていた。手足を伸ばし水をかく。
 すっと体が前に進み、かき分ける水の流れが快感となって彼の体を包み込む。
 驚くほど楽に進めた。まるで最初から水の中で暮らしていたかのように、水族館で見たイルカのようだ!  水族館?イルカ?・・・『イルカ』ってなんだ。覚えのない単語が脳裏をかすめる。
 だが、すぐにそんな思いは水の中を進む快感にとって変わられる。
 彼は、もと田所富雄だったものは、幸せだった。
 そう、腹が空いてくるまでは。

「おい。肉?どうしたんだよ?」
 「その中に入ってるだろ・・・」
  「どこに・・・どこにもねぇよ」
  「ああっ、冷凍してあった切り身もない」
 「おっかしいなぁ?誰か持っていったのかなぁ」
  「早く持ってかないと、チーフに怒られるぞ」
 しばらく続いた長雨のため、屋上のビアガーデンは開店休業状態となっていた。
 予約してあった客は、一階の居酒屋や四階の焼肉屋に回して何とかしのいでいた。
 しかしビアガーデンのために仕込んで冷蔵庫に入れておいた肉や野菜、魚の切り身が心配だ。屋上にある冷蔵庫から移しとけ、とチーフに言われ若いアルバイト二人は降りしきる雨の中、屋上にやってきたのだ。  「冷蔵庫にはなかったろ?」
  「ああ、カラスにでも持っていかれたかな」
 「ばか!カラスが冷蔵庫開けるかよ。それに冷蔵庫の回りはカラスよけのネットまで張ってあるんだぜ。そんなわけないだろ」
  「そうだな・・・おい、これなんだ?」
 カラスよけのネットに目をやったTシャツ姿のアルバイトが異様なものを発見した。
 魚の干物・・・?のように見えた。
 茶髪の方のアルバイトが近寄ってみる。しばらくじっと眺めていたが、突然びくりと体を震わせた。
  「こ、これ・・・手だ、人間の手だよ」
  アルバイトの学生達が見つけたもの。
 それは正確にいうと手の皮、人間の皮で出来た手袋なのであった。
 ところどころ破れ、汚れてはいたものの、よく見ると、ほぼ元の形状を留めている。
 それは手袋がそのままネットに引っかかり、うっかりと外れてしまった、という感じでぶら下がっていたのだ。
 よく見ると、その先の床の上にも、同じような物が落ちている。
 明らかに同じもの、人間の皮のように見えた。
 学生アルバイトの二人は、皮の後をたどって見る。他にも同じようなものがないか?
 目を見開いて、夕闇の迫る屋上を探してみる。
 ほどなく、Tシャツが新たな皮を見つけた。
 それは、屋上の巨大な貯水槽の上に登る、はしごのすぐ下だった。
 このはしごの上には貯水槽の蓋がある。
 二人は顔を見合わせ黙っていた。
 早くどちらかが、ほっといて帰ろう・・と言い出すのを待っているかのように・・・
 実際、そのほうが良かったのだが。
 水道の水が危ない・・・そんな声が専門家の中でささやかれるようになってから、もう随分長い時間が過ぎている。
 当たり前のようになっている、浄水場での塩素処理の過程で発生する発ガン性物質トリハロメタン。
 アメリカでは1979年に水道水に含まれる総トリハロメタンの許容濃度を100ppmとする規制が生まれている。
 その2年後には日本も同様の規制を設けた。
 しかし、発ガン性物質には許容量というものは存在しないのだ。
 発ガン性物質は0でない限り、しだいに体内に蓄積されていつかはガンの引き金になる。さらに危ない物質が発見された。
 塩素処理の過程で発生する有機塩素化合物(トリハロメタンも含む)には、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、そして未解明、手付かずの物質も数多く含まれているのだ。
  これらを総称してTOX(トックス)と呼ぶ。
  恐ろしいことにこれらのTOXには、発ガン性、催奇形性、変異原性の3つの毒素が含まれている。これらの毒素は複雑に絡み合い、遺伝子を傷つけDNAの中の遺伝情報に直接ダメージを与えていく。
 しかもその不自然に歪んだ遺伝子は、その変化を遺伝子を通して次々と子孫に伝えていくのである。    毎日我々は少なくとも2 の水道水を飲んでいる。
 最近の日本人のガン死者は、10万人に200人ぐらいだが、その半数が消化器系、泌尿器系だと報告されている。
 先天性奇形児の発生も体内での薬物被ばくだけでなく、生殖細胞の突然変異が原因だと指摘する学者も多くなってきた。
 水は空、海、山とあらゆる場所を巡り、川に流れ込む。人々は水を汚し、その水を浄化しようと処理を繰り返す。しかしその水でさえ、安心して飲める水とは言えないのだ。
 水を汚し、自然を破壊し、生き物の命を奪ってきた人間は、自然に復讐されようとしているのか!
 一見きれいに見える水道水、屋上の高置水槽、地下の受水槽・・・そこは人の造り出した有機塩素化合物(TOX)によって、いまや危険な遺伝子組み替えのための実験場となっているのかも知れない。

 元は田所富雄だったもの・・・  河童は、物音を感じた。
 貯水槽の鉄の蓋が開けられてゆく音だ。
 もとあった間に合わせのFRPの蓋は、清掃業者によって新品の鉄製の物に取り変えられた。しかし、やはり鍵は掛けられていない。
 真暗な水槽の中に、微かな明かりが差し込む。
 人の声もする。
 河童は意識を声に集中させた。河童の感じていた意識・・・空腹・飢餓・獲物・狩り、冷蔵庫にあったわずかな肉や魚では、もはやこの飢えは満たせない。
 新鮮な人の肉が、血のしたたるような人の肝が喰いたかった。
 全身をぶるりと震わせ河童は、獲物の気配のする方向へと水底から浮かび上がっていった。
  「おい。何もないだろう!・・・早く行こうぜ!」
 下にいる茶髪のアルバイトが声をかける。
  「ちょっと待てよ。暗くてよく見えねぇんだよ」
  はしごに昇って中を覗いていたTシャツ姿のアルバイトが、振り返り返事をした。
 その時だ。
 暗い水面にぽかりと顔が浮かび上がった。
 気配に気づいたTシャツが振り向く。しかし遅かった。
 水掻きのある緑色の手が彼のえり首をつかみ水面に浮かんだ。
 「けぁっっっっ!!」
 目の前の無気味な顔、赤い目、どろりとした緑の皮膚、頭部に生えたまばらな髪、大きく裂けた口、そして細かく並んだ白い牙。それだけのものが一瞬で見て取れた。
 彼は絶叫した。しかしその悲鳴は届かなかった。
 ぐしゅッ!
 首に河童の鋭い牙が食い込む。噴き出した血しぶきが辺りを真赤に染める。
 はしごの下にいた、アルバイトは友人の悲痛な叫びを聞いた。
 体が凍りつく、動かない。
 立ち尽くす彼の顔や肩に、ぼたぼたと真赤な血潮がしたたり落ちてきた。
 思わず手で拭う。彼の両手は手首まで真赤に染まった。
 ごとっ。 ふいに、彼のすぐ横に友人の体が落ちてきた。
 その首は不自然にねじまがり、首から肩にかけての肉がごっそりとえぐり取られ、血の色の中に白い骨とピンク色をした筋肉の繊維が見えていた。
 地面に血の輪が花のように広がってゆく。
  「うわぁぁぁ・・・!!」
 彼は走り出した。もつれ前に進まぬ足を必死に動かし逃げる。
 その先には階下への階段がある。
 ざあっ!衝撃と共に目の前に黒い影が舞い降りる。
 同時に長い腕が、頭の上をなぎ払った。
 河童だ。跳んだのだ。
 もつれた足のおかげで、彼は河童の最初の一撃を幸運にもかわすことが出来た。
 しかし、次はない。 彼は、とっさにすぐそばにあったドアに取り付き小さな部屋の中に入った。
 そこはエレベーター用の電源室だった。
 鍵を・・・ドアノブを必死で押さえ鍵をかけようとした。
 しかし鍵は壊れていた。
 ドアが物凄い力で、こじ開けられる。コンクリートで囲まれた屋上の小さな部屋の中激しい火花と共に、哀れなアルバイトの絶叫が響く。

  ビルの4階にある焼肉屋で食事をすませた藤井孫佐ェ門と孫の藤井一浩、そして白神美幸はエレベーターに乗った。
 一浩が一階のボタンを押す。ゆっくりとドアが閉まりエレベーターは動き始めた。
 しかし、動き始めてすぐにガクンと大きな衝撃があった。
 エレベーターが止まる。つづいて照明が消え、中は真暗になった。
 「事故かな?」 孫佐ェ門が壁で体を支えながら回りを見渡す。
  「故障かしら!」一浩と美幸も不安そうだ。
 「大丈夫だよ。すぐ動くからね。待っているんだ」
 孫佐ェ門が、二人を落ち着かせようと声をかけた。
 原因は屋上にあった。  茶髪のアルバイトを引き裂いた河童が、エレベーターの配電盤をも同時に破壊してしまったのだ。地下の警備室では、トラブルを示す警報が鳴る。
 各店が営業時間中ということもあり、警備員の他にも数人の従業員が集まってきた。
 まずエレベーターの中に閉じ込められた客の救出。続いて事故の原因となった屋上の電源室の点検。階段を使い屋上に向かっていった。
 「大丈夫。すぐ出られるからね」 孫佐ェ門が非常灯のかすかな明かりをたよりに非常ボタンを押しインターフォンに呼びかける。
  「お〜い!ここに3人閉じ込められているんだ。開けてくれ!聞こえるか?」
 「大丈夫ですか、今そちらに向かっています。動かないで、待っててください」
 インターフォンの向こうから、声が聞こえてきた。閉じ込められた三人は顔を見合わせ、ほっとした表情でうなずき合う。
  「大丈夫だよ。すぐ出してくれるさ」一浩は途端に元気になった。
  「そうね、よかった。でも藤井君、ずいぶん恐がってるように見えたけど・・・」
 美幸が一浩をからかう。
  「そんなことないよ」
 心の中を見透かされたように美幸に言い当てられ一浩は精一杯元気ぶって見せた。
 屋上に駆け上がった従業員達は、信じられない物を見た。
 雨足が強くなってきている。
 ビアガーデンのために設営された屋台のテントに雨が当たり、バラバラと音を立てる。
 回りのビルの明かりが、低くたれ込めた雨雲に反射して、くすんだ紫色になっている。 時折、フラッシュが瞬くように世界が白く輝く。何秒か後にくぐもった雷鳴が、ごろごろと雲の上を通り過ぎる。
 階段の出口で男達が見たものは、こちらに向かって歩いてくる異形の人型だった。
 稲妻がその姿を白く浮かび上がらせる。
 その姿は、全身が緑色のゴムで覆われているように見えた。
 ぶよぶよとしたウエットスーツを着た男のようだ。
 片手に何かを引きずっている。男達はそちらのほうに気を取られた。
 激しくなる雨の中、出口に取り付けられた提灯の明かりで、引きずっているものの正体が分かった。
 人間だ。足首を掴まれ、ずるずると引きずられていても、身動き一つしない。
 ゴムの男に視線を移す。
 そいつが着ているのは、ウエットスーツでもなければ濡れた洋服でもなかった。
 悪夢のような緑色の皮膚を持つ怪物。
 雨に濡れ脂ぎった光沢を放つ体。胸から肩にかけて、こぶのように盛り上がった筋肉、ぎゅっと締まった腰、ぷっくりと膨らみ張りつめた太股、もしも巨大な蛙が立ち上がったとしたら、こんなふうに見えるのではないか?
 そいつが顔を上げた。
 ぎょろりとした巨大な目、真赤な瞳。頭の回りにはもつれた髪の毛がまとわり付き、頭頂部だけがつるりと皿のように剥げ上がっている。
 目の下から口の回りがやや前方に突き出し、口が大きく両側に裂けていた。
 開いた口からは細い真赤な舌がひらひらと覗き、中には鋭く尖った白い牙がびっしりと並んでいる。
 雷鳴が轟く。
 怪物は男達に気づき、威嚇の叫び声を上げた。
 手にした死体を放り出し、物凄い勢いで男達に襲いかかってきた。
 あわてた男達は我先にドアの中に飛び込み逃げる。階段を転がり落ちんばかりの勢いで、言葉にならない声を張り上げ駆け降りた。
 河童は、ひと飛びで屋上への出口へと取りつくと、逃げ惑う男達の声を楽しむかのように、ゆっくりと階段を降りていった。

  『パーラービル』の最上階10階は2軒の高級クラブが真中の通路をはさんで向かい合っている。
 ビルの10階にたどり着いた従業員の男達は、口々に叫びながら両方の店の中に逃げ込んだ。雨模様とあってどちらの店も客は少ない。
 だが、それでも客とホステス、従業員を合わせれば30人近くはいただろう。
 店内はたちまち大騒ぎとなった。
 顔色を変えた男達が大声で『怪物だ!』とか『早く逃げろ。殺される!』とか言っても、聞いた方は酔っぱらってるのか?としか思わない。
 どだい、酔いが回って浮かれている客に、まともな説得をしようとしてもムリがあったのだ。
 通路の右側にある高級クラブは『銀鈴』という。
 ホステスの女の子が着る白いチャイナドレスが売り物の高級クラブだ。
 その中華風の彫刻で飾られた店のドアが、めりめりと音を立ててむしり取られた。
 普通に押せば開くドアを、もぎ取って入ってくる客はいない。
 河童だった。
 入り口近くのホステスが、黄色い声を張り上げ立ちすくむ。
 ほとんどの客が振り向いたが、今自分が見ているものをすぐには信じることが出来なかった。
 河童は一通り店内を眺めると、腹の底から響くような凄まじい叫び声を上げた。
 店内にいたほぼ全員の客がパニックになった。テーブルがひっくり返り、グラスが割れ、氷が飛び散り、皿に盛られたチーズやクラッカー、メロンなどのフルーツが散乱する。怪物の叫び声は、店内の人間を怯えさせ壁ぎわにひとかたまりにまとめてしまった。
  酔った勢いで酒ビンを片手に河童に挑みかかろうとする命知らずも何人かはいた。
 2〜3人が襲いかかった。
 河童はまったく相手にしない。
 その長い腕のひと振りで、背広を着た中年の客が宙を飛びカウンターに叩き付けられた。ボトルが割れ派手な音を立てる。
 別の男はもっと悲惨だった。
 振り上げた腕を河童に掴まれ、そのまま体ごと振りまわされたのだ。
 あっという間に片腕が根元から折れ、ネジ曲がる。
 そのままボックスの仕切りのガラス板に突っ込んだ。ガラスが粉々に砕ける。
 男は全身にガラスの破片を浴びながらも、ぴくりとも動かない。
 腕が千切れなかったのが幸せなくらいだカウンターの椅子を投げつけた男もいた。
 それは河童の背中にしたたかに当たった。
 しかし、なんの効果もない。
 河童は、逆にボックス席にある厚さ3センチはあろうかという大理石のテーブルを持ち上げ、男めがけて投げつけた。
 間一髪、男はかわした。
 うなりを上げ飛んできたテーブルは、店のほぼ半分を横切り、大音響と共に反対側の壁にめりこんだ。    これ以上の抵抗を試みるものは、もう誰もいなかった。
 壁ぎわのソファーの上に、団子のように固まった客達は恐怖のあまり理性を失いかけていた。
 ゆっくりと河童が近づいてくる。大会社の社員だろうか?仕立ての良い紺のスーツを 着た太った男が、自分の前にいたホステスの子を河童の前に突き飛ばした。
 河童の気を引きつけ、その隙に逃げようとしたのだ。
 一瞬、それは成功したかのように見えた。
 だが、次の瞬間その男は宙に浮かび上がった。河童が横を擦り抜けようとした男の襟首をつかんだのだ。 男の足は床から10センチ以上は浮いていた。
 ぐふぅぅるるる・・・・
 河童の目が怒りで赤く燃えるように見えた。

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