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メトロン星人の本棚コミュのゲゲゲの女房inワンダーランド

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「ゲゲゲの女房 in ワンダーランド」                
                                     桜井和幸

  1
  
 「お〜い、ちょっこし手伝ってくれ」
 仕事部屋から茂の呼ぶ声が聞こえた。
 夕食の洗い物を片付けていた布美枝はエプロンで手を拭くと、いそいそと茂のとなりに座った。
 「その原稿にスミ塗ってくれ」
 目の前に置かれたペン入れのすんだ原稿には、所々に『スミ』と鉛筆で書いてある。
 布美枝は大きく息を吸い込むと面相筆をとった。
 新米のマンガのアシスタントも今日で3日目。少しは慣れたけど、まだ筆先に力が入りすぎる。
「そげに力むな。ちとぐらいはみ出してもええんだ。あとで消せるけん」
「はい」布美枝は真剣な表情で墨を塗り始めた。

 昭和36年の夏。
 半年前の1月25日に見合いしてからたった5日で結婚式をあげ、そのまま東京にやってきた花嫁。
 ところがそこには布美枝の想像を絶する生活が待っていた。
 住まいは調布の片田舎、安普請のぼろぼろの一軒家だし、窓を開けると裏は墓場だった。
 さらに家の中には食材はおろか、鍋や家財道具もろくに揃っていない。
 溜まった勘定を取りにくる集金人、怪しい居候に得体のしれない友人。
 そして仕事に熱中して声もかけてくれない夫が描いていたマンガは、恐ろしい幽霊が出る気味の悪いマンガだった。
 布美枝は実家の大塚での生活を思い出す。
 家の回りには商店が揃っていた。近所の人たちはみんな顔見知りで、贅沢ではないが安定した安らかな生活だった。
 それが、どうだろう。
 ひとりでぽつんと取り残され、新婚の夫と話す事もなく、寒い夜をひとり布団をかぶってふるえている。
 だけどもう私には帰る家はない。
 ここでやっていくしかないと、心は決まっていた。
 そんな布美枝の決心と努力が茂の心を変えてゆく。
 少ない原稿料のやりくりをまかされ、入る事を拒んでいた仕事部屋の掃除も許してくれた。
 貧しくとも暖かい日々の生活に笑いが生まれるようになっていた。
 季節は春から夏へと移り変わっていく。
 茂は今、『妖奇伝』に描いた『墓場の鬼太郎』の続編を描いている。
 富田書房に鬼太郎の復活を望む読者からの手紙がたくさん届いたのだ。
 茂は本当に仕事に熱中していた。タオルの鉢巻きをして、体を大きくねじり、左の肩で原稿をぐいっと押さえつける。
 そして一心不乱にペンを走らせているのだった。それはまさに鬼気迫るとしか言いようのない姿だった。
 布美枝はその姿を見た。これほどまでに集中してひとつのことに打ち込む人間を初めて見たと思った。
 絵が気持ち悪いとか、話が怖いとか口にしてはいけない。
 この人の努力は本物だ。これだけ精魂込めて描いたものが人の心を打たんはずがない。そう思うと涙が出てきた。
 でも〆切が近いのに手が足りない。しかも不自然なかっこうが原因の慢性の肩こりで首がまわらない。
 おずおずと手伝いを申し出た布美枝に、最初は「素人がなにを言うか」と断ったが、夜中まで茂のために湿布を作る布美枝の姿を見て茂の心が変わった。
 その晩から布美枝は茂の横の机でアシスタントをするようになったのだ。

「おい、水をくれ」
 茂に声をかけられ布美枝は、はっと顔を上げた。
 立ち上がりコップに水をくんで差し出すと茂は一気に飲み干し、大きな息をつくとまた原稿にとりかった。すでに真夜中をとっくに過ぎている。こんな時間まで起きているのは、このあたりではうちだけだろうな。そう思いつつ布美枝は流しにコップを戻し、外から聞こえる虫の声に耳を澄ませた。
 出窓の外は、となりの光岳寺の墓場になっている。
 もう慣れたとはいえ夜中に見る墓場は、やはり気味が悪かった。それでも窓の外からは涼しい風が吹き込んでくる。
 ふと布美枝の目の端を何かが通り過ぎた。
 窓からもれる灯の中、墓石の間を縫ってたぬきが歩いていた。それも2本の足で立って人のように歩いているのだ。
「ええっ!」
 驚きと同時に、本当にたぬきなのか、それとも目の錯覚なのか、布美枝はどうしても確かめたくなった。原稿に熱中する茂を放り出して、廊下から物干に通じるドアを開け裏の墓場に走った。
 光岳寺との境は崩れかけた垣根だけ。垣根をまたいで出窓の外に出ると、すこし先にたぬきの姿が見えた。
 ゆっくりと歩いている。しかも赤い腹掛け、そしてなんとお酒の徳利まで持っている。
 実家の酒屋の店先に置いてあった焼き物のたぬきと同じ姿だった。
 驚きと同時になんともいえない嬉しさがこみ上げてきた。本当にいるんだ。
「ふふっ!」口に手を当てて思わず声が出た。
 その声に気がついたか、たぬきが振り向く。布美枝と目が合ってしまった。
 あわてて逃げるたぬき。そのふらふらと走る姿がまたおかしくて布美枝は夢中になって追いかけた。
 夜中の墓場の中を逃げるたぬき、追う布美枝。
 大きな石塔の裏に逃げ込んだとたぬきを追いかけた布美枝の足もとが、突然消えた。
 ぽっかりと空いた大きな穴に落ちてしまったのだ。
 それは一瞬のようでもあり、ずいぶんと長い時間のようでもあった。
 下に落ちているとも言えるし、上に昇っているようでもあり、右も左も真っ暗で気がつくといつの間にか底に着いていた。
 
 2

「いたたた・・・」と思わずお尻をさすってみたが、特に痛い所はない。
 下は乾いた砂地だった。見上げると丸い夜空が小さく見える。ここは古井戸の底なんかしら?
 回りはつるつるの石ばかり、とても登れそうにはない。
 ふと灯を感じて振り向くと横穴がある。その穴の中を走ってゆくたぬきの姿が見えた。
 布美枝は迷わず追いかけた。立って進めるほど横穴は大きくないので四つん這いになって追いかける。
 しばらく進むとすぐに穴は広がって大きくなった、それにどんどん明るくなってくる。
 気がつくと立って進めるようになり、やがて白い壁に囲まれた部屋に着いた。
 そこは本当におかしな部屋だった。
 ざらざらとした白い土壁が天井まで続いている。ドアも窓もない。四角なのか丸なのか、部屋の形もはっきりしない。
 天井に灯があるわけでもないのに妙な明るさがあった。
 部屋の角や壁のつなぎ目がないかと思って壁をたどると、いつのまにか部屋を一周してしまった。
 部屋に入った時の入り口もいつのまにか消えていた。
 「えっ!」
 閉じ込められた?心臓をぐっとつかまれたような恐怖感があった。
 両手を握りしめ思わず壁を叩いた。
「だれか!だれかいないの!開けて、ここから出して!」
 布美枝は叫び、夢中になって壁を叩き続けた。
 そのとき、目の前の壁にぽっかりと小さな黒い穴が開いた。
 驚いて後ずさると、その穴はまるで目のように瞬きをした。そして壁の表をゆっくりと動き始めたのだ。
 私を見ているの?・・・布美枝はその穴がなにかの目で、あわてふためく自分を観察しているような気がした。
 黒い穴の目はもうひとつあった。壁の反対側にあって、ふたつはいっしょにぐるぐると壁の表面をうごきまわっている。
 まるで『妖怪』みたい・・・そう思った途端、布美枝は思い出した。茂が話してくれた妖怪の名前を。
「これ・・妖怪?ぬりかべなの?・・・・」
 布美枝がそう口にした途端、一瞬で部屋が消えた。
 白い壁はなくなり、布美枝は薄暗い森の中にぽつんと立ちすくんでいた。

 はあ〜〜〜〜大きく息を吐き出すと布美枝はその場に座り込んだ。
「やっぱり、ぬりかべだったのね」
 前に茂は南方のジャングルで、ぬりかべに出会ったことがあると言っていた。
 敵に追われて味方とはぐれ、ひとり暗いジャングルをさまよったとき、ある所でまったく前にすすめなくなってしまったのだ。
 真っ暗でなにも見えないが、前に壁のようなものがあって右に行っても左に行っても壁は続いている。
 ところがあきらめて一休みしていたら、いつのまにか壁がなくなっていた。
 これはぬりかべの仕業だなぁ・・・と、どこか楽しそうに話してくれた。
 そのときは「そげですね」と適当にあいづちをうっていたが、まさか自分が同じような目に会うとは、茂が話していた妖怪の存在がみんな本当の事のように思えてきた。
 「妖怪もおばけもおる、目に見えんけどちゃんとおるよ」
 ふと、昔聞いたおばばの言葉を思い出した。
 
 でも、ここはどこ?
 こんな森は家の近所にはなかった。深夜のはずなのに夕方のように薄暗く、まわりには見た事のないような変な木や草が生えている。耳をすますと、チキチキとかケケケとか、鳥や虫の声とは違う変な音が聞こえるし、木の影や草むらに、なにかいるような気配もする。歩き始めるとぞろぞろと何かが後をついてくるような気さえした。
 不安になった布美枝は、道や人の住む家をさがして走り始めた。
 木の上からは人のものじゃない笑い声が聞こえる。なにか丸いぐにゃりとしたモノも踏みつけた。
 薮を手ではらいながらしばらく走ったが、森の中はどこも同じで、もしかすると同じ所をぐるぐると回っているだけなのかもと思った途端、足が止まった。
 息を切らして立ち止まり、小さな空き地の中の石に腰をおろした。
「ここはどこなの?私のうちはどこにあるの・・・・」
 頭をかかえて布美枝は泣きそうになった。本当に妖怪の住む世界に迷い込んだのかもしれないと思ったとき。
「いいにおいがするにゃ」と、声がした。
 はっと顔をあげると、そこに女の子がいた。
 赤いリボンをしたおかっぱの女の子。赤い水玉のワンピース、足にはサンダル。
 まるで近所にいる子供が、ひょっこりと現れたようで、どうして女の子がここに?と思ったが、それより先に人を見た喜びのほうが大きかった。
「よかった。ねぇあなた、どこの子。家はこの近くなの?私、迷ったみたいで、道を教えてちょうだい・・・」
 布美枝は女の子にすり寄ったが、女の子はするりと身をかわしてまた言った。
「いいにおいがするにゃ・・・それ欲しいにゃ」
「えっ?なに」
 布美枝は女の子が見ているのは自分のエプロンなのだと気がついた。もぞもぞとポケットをさぐる。
 手にふれたのは、夕方買い物に出たとき乾物屋の「山田商店」で女将の和枝にもらった煮干しだった。
「ふみちゃん、いい煮干しが入ったのよ。これちょっと味見してみて。美味しいお味噌汁ができるわよ」
 と、勧められて一袋買って帰ったのだ、そのときもらった煮干しをポケットに入れてたのをすっかり忘れていた。
「これ、これが欲しいの?」
 煮干しを取り出して女の子に差し出す。
 女の子の目が一瞬に大きくなった、口が耳まで裂け赤い口の中に白い牙が見えた。
 驚く布美枝の手から煮干しをひったくり、あっと言う間に食べてしまう。
「まだある?」
 女の子は、もとの顔にもどるとたずねた。
 この子も妖怪なんだ・・・驚いたが布美枝は納得した。やっぱりここは妖怪の国なのかもしれない。
 ポケットには、まだ何匹か残っている。一匹取り出し娘に見せた。
「ねぇ、煮干しをあげるから、人の住む場所がどこにあるのか教えてちょうだい」
「人って人間の事?それなら砂かけのおばばに聞くといいわ」
 そういうと女の子は、すばやく煮干しを取って口に放り込む。カリコリとあっという間に食べてしまう。
 布美枝はまた一匹取り出した。
「砂かけおばばの家はどこにあるの?教えて」
「おばばのうちは、ほらあそこ、あの木の向こうにゃ」
 女の子が指し示すと、暗い森の中がぼうっと明るくなり、その先に草葺きの小さな家が見えた。
 布美枝は立ち上がり女の子にお礼を言おうと思ったが、振り向くとそこに女の子の姿はなかった。
 声だけが聞こえる。
「久々に美味しいものを食べたにゃ。またごちそうして欲しいにゃ」
 はっとしてポケットを探ると、煮干しはもう一匹も残っていなかった。
「にゃにゃにゃ・・・・・」楽しそうな声が遠くなってゆく。
 布美枝は目の前に見える家に向かって歩き始めた。

 3

 その家は不思議な家だった。
 遠くから見るとごく普通の茅葺きの民家に見えるが、近くで見ると屋根にはびっしりと草が茂り、柱や窓は自然に生えている木がそのまま使われていることがわかる。あちこちが右や左に微妙にかたむき、窓や扉の大きさもまちまちだ。
 人が作った家ではなく、まるで森の中に生えてきた植物が、たまたま家の形をしている。そんな風に思えた。
 布美枝はそっと窓からのぞいてみた。中からは変な声が聞こえる。
 カエルの声、虫の声、そして人のだみ声、意味不明だけど、おかしな節がある。歌をうたっているのだろうか?
 薄暗い部屋の中には、真っ白な髪で白い着物のおばあさん、赤い腹掛けと蓑をつけた頭のはげた子供のようなおじいさん。
 そしてぼろぼろの笠をかぶった狸のような動物がいた。みんな大きな切り株の回りに座って楽しげに歌をうたっている。
「あのぉ〜〜〜」
 外から布美枝が声をかけると、途端に皆が振り返った。
「だれじゃな」おばあさんが返事をした。
「おいおい、人間の匂いがするぞ」笠をかぶった動物が鼻を鳴らす。
「私、村井と言います。道に迷ってしまったんですが、ここはどこでしょう?」
「ほう、人間じゃ。こりゃ珍しいのぉ。この世界に人間が来たのは百年ぶりじゃ」
 じいさんが立ち上がり、入り口の扉を開けた。
「さあさあ、入りんさい。遠慮はいらんよ。わしらは退屈しておったんじゃ、ひひひ・・・」
「このスケベぇじじいが、勝手にまねきおって、ここはわしの家じゃぞ」
「砂かけよ、文句を言うな。お前だって退屈しておったろう、さあさあここに座るがよい」
 部屋の中は土間だったが、切り株の回りには小さな木の株が椅子のように取り囲んでいた。
「すみません、おじゃまします」
 布美枝が座ろうとしたら、足もとに小さな猫がまとわりついた。
「きゃっ!!」飛び上がる布美枝。
「ひゃっひゃっひゃっ!」
 あわてる布美枝を見て、じいさん達は飛び上がって喜んだ。
「そりゃ猫じゃないわ、すねこすりっちゅう妖怪じゃよ」
「そうそう、こいつは人間が驚くのを見るのが大好きじゃからなぁ」
「わしは砂掛け、こいつは子泣きじじい、こっちの獣はカワウソじゃ。ところであんた、この国にどうやって来たんじゃ?」
 カワウソがじろりと布美枝を見ると、下げていた魚籠(びく)から魚をとりだし生のままかじり始めた。
 子なきは汚い茶碗を出しお茶を入れ始めた。
「私、村井布美枝といいます。光岳寺の裏に住む漫画家の水木しげるの妻です。光岳寺のお墓で狸を見かけて、追っていたら井戸に落ちたんです。森の中で猫みたいな女の子に会って、このうちを教えてもらったんです。あのう・・ここはどこですか?」
「なんじゃ、猫娘に案内されたのか。あいつは人間が好きじゃからな。ひゃっひゃっひゃっ!」
 子泣きが笑った。
「布美枝さんかい・・・あんたの言うとおりここはわしらの国、人間から見れば妖怪の国じゃろうな。ここは人間の世界のすぐそばにあるけど、人には見えんし、めったに人間もこん。ただ時々あんたみたいに、わしらの姿を見る事の出来る人間が迷い込む」
「あの、そういう人は戻れるんでしょうか・・・」
「戻る人間もおれば、そのまま居着く人間もおるし、妖怪に食われて死んだりする人間もおる・・・」
「あんた、これ飲むかね?」
 子泣きじじいが茶碗を差し出した。どろりとした緑の液体の中に白いつぶつぶが浮かんでいる。
 茶碗を手に取った布美枝はぎょっとした。生臭い匂い、それに白い粒は目玉だったのだ。
「カエル茶じゃよ。目玉もはいっちょるからうまいぞ、飲め飲め。ひゃっひゃっひゃっ!」
「はい・・・・・」と言ったものの布美枝にはとっても飲めない。
 こみ上げてくる吐き気を押さえて飲んだふりをして切り株の上に戻した。
 テープルの上には他にも変なものが並んでいる。イモリやトカゲの干したもの、芋虫、石のような饅頭、木の器や葉っぱの上に盛られたそれは、勧められても布美枝にはとても口にあいそうになかった。
「そういえば、水木という男をわしらは知っとるな」
「そうじゃおばば、墓場の横の家に住んどる片手の男じゃろう。わしらの事を怖がらんし面白がっとる。あいつも見えとるんじゃないか?」
「ああ、あいつは人間にしちゃあ、なかなか見所のあるやつじゃ」
 布美枝は驚いた。茂さんって妖怪にも知られているんだ。
「茂さん、いえ水木しげるは皆さんの事をマンガに描いているんです」
「マンガってなんじゃ?」砂掛けばばあが子泣きに聞いた。
 さあ?と首をかしげる子泣きじじい。
「マンガは絵巻ものじゃ、絵が描いてあっておとぎ話になっちょる」
 それまで黙っていたカワウソが、ぼそりと言った。
「おお、カワウソ。おまえ見かけによらず新しい事にくわしいのう。読んだ事あるんかい?」
「ああ、人間に化けて、町の貸本屋で借りて読んだ。キタローいうたかのう」
「それ、それです。『墓場の鬼太郎』うちの主人の描いたマンガです!」
 妖怪まで茂さんのマンガを読んでいるなんて驚きだった。人間にはあまり評判がよくないというのに・・・
「・・・人間の描いたものにしちゃあ案外まともじゃったなぁ・・・」
「人間は科学とかいうものに凝っているからのう。わしたちのことも迷信だとかぬかして信じなくなっとる」
「そうじゃのう、おばば。そのくせ墓参りだの、神社だの、幽霊やお化けの話も大好きときておる。どうなっとんじゃ」
 子泣きじじいが、イモリの黒焼きをボリボリとかじりながら言った。
「でもな、わしらは人間がおらんようになったらつまらん。人に忘れられたらわしらもおらんようになってしまう」
「妖怪の皆さんは、人がいなくなると困るんですか?」
 布美枝はついたずねた。妖怪は昔から自然にいるものだと思っていたのに。
「そうじゃ。妖怪は人の心の裏側のようなもんじゃ。神様を祀るのと同じくわしら妖怪の事も祀ってくれんと形がのうなってしまう。世の中は目に見えるものだけがすべてじゃないぞ。見えんものにもちゃんと心があるし、魂がある。地獄も天国もちゃんとあって、人の魂も体から抜けたら、この世界に集まってくるんじゃ」
「魂だけじゃないぞ、生きている間に無くした手足なんかも、この世界に集まってくる。あんたの旦那の無くした手もこの世界に来とる」
「本当ですか!」
 砂かけばばあの言葉に、布美枝は思わず身を乗り出した。
「ああ、たぶん手足ばばあの所にあるじゃろう。あのごうつくばばあ、大きな屋敷に人間が無くした手や足、目や鼻や口なんかを山ほどため込んじょるからなぁ」
「じゃあ茂さんの手もそこにあるんですね。返してもらえないでしょうか」
「無理じゃ無理じゃ、あのごうつくが返すわけが無い」
「でも頼んでみたら・・・・」
「あんた本気かね?そんなことをした人間はだれもおらんぞ。よけいな事考えんと、さっさと元の世界に帰ったがいい。戻るのは簡単じゃ。この家の裏に井戸がある。そこに入ればいいんじゃ」
 布美枝はうつむいてじっと考え込んだ。
 マンガを描いている時の茂の真剣な姿、何度も湿布を張り替えた夜のこと。あの人に両手があれば、どんなに助かるだろう。
「私行ってみます!」
「ええっ!」そこにいた妖怪がみんな驚いた。
「戻る方法を教えていただいてありがとうございます。でも戻る前にやっぱり行って頼んでみます。その手足ばばあのお屋敷を教えてください」
 子なきも砂かけも、そしてカワウソも、あきれて顔を見合わせた。

コメント(7)

4

 布美枝は手足ばばあの屋敷に向かっていた。
 森の中の細長い道を抜けると広々とした草原に出た。
 道はしだいに広くなり、くねくねと曲がりながらまっすぐに手足ばばあの屋敷につながっているという。
 あんたも物好きじゃのう・・・砂かけばばあの言葉を思い出した。
 あいつはもとはぬっぺらぼうという妖怪じゃった。いつからか人が事故や病気でなくした手足や目や鼻、体の部品を集め出したんじゃ。気に入ったものは自分の体にくっつけて使ったり、使えんものは塩漬けや干物にして妖怪に売ったりと、妖怪のくせに金儲けにすっかり凝り固まって、今じゃみんなに嫌われておる。
 金のためにあいつにこき使われている手下の妖怪もたくさんおる。悪い事はいわん、行くのはやめたほうがええ。
 
 気がつくと空はどんよりと暗くなり、行く手には古びた大きな旅館のような建物が見えてきた。
 木造の3階建て、江戸時代の旅籠のような造りに見える。
 空にはカラスの群れが鳴きながら飛び回り、屋根の上にとまってあたりを見回していた。
 布美枝は開けっ放しの玄関から暗い土間に入って、声をかけた。
「すみません・・・・だれか・・・いませんか」
 声はまるで吸い込まれるように暗い廊下の奥に吸い込まれていった。
「だれかね・・・・」奥から黒い影がじっとりとにじみ出るように現れた。
 派手な打ち掛けをぞろりと羽織り、日本髪を結った美しい女性だった。
 はっと気がつくといつのまにか、布美枝は何人もの手下に囲まれていた。
「おや珍しい。生きた人間じゃないか。何年ぶりだろうねぇ」
 手足ばばあは、人の心をざらりとこすり上げるような声で話しかけた。布美枝は、その声まで借り物のように聞こえた。
「あの・・・・私、砂かけおばばに聞いてきたんです。村井布美枝といいます。ここにうちの主人、村井茂の左腕が来ていないでしょうか」
 手足ばばあの顔がゆがんだ。口がぐにゃりと耳までさけて笑っているようだ。
「そうかい、そうかい。あんた旦那の腕をさがしにきたんだね、けなげなもんじゃないか。そうさね、ここにはたくさんあるからねぇ・・・上がってさがすといい、案内してあげよう・・・・」
「はい、ありがとうございます」布美枝は深々とおじぎをした。
 案外親切なんじゃないか、こんなにすんなりといくなんて・・・
 どこか心にひっかかる所はあったが、布美枝はほっとした。
 
 暗く長い廊下を手足ばばあについてゆくと、両側にはたくさんの同じような部屋が並んでいた。
 やはり旅館のようだと布美枝は思った。
「ふふふ、この部屋にはね、私の集めた大切なものがいっぱい入っているのさ。見たいかい・・・・」
 振り向いた手足ばばあが言った。
「いえ、主人の左手だけでけっこうです」
 手を振って布美枝は遠慮したが、手足ばばあはかまわず襖に手をかけた。
「せっかく来たんだ、見ておゆき」
 がらりと重い音をさせて襖が開いた。中は暗くてよくわからなかったが、目が慣れてくると布美枝は凍りついた。
 そこには目ばかりがあった。
 和室の中にぬるりとした目玉ばかりが、何百、何千個といくつもの山になって固まっている。それが一度に動いて布美枝を見つめた。
 みんな生きていた。目玉だけで生きている。
「ほほほほ、こちらもごらん」
 手足ばばあは、嬉しそうに呆然としている布美枝の手を引っ張りながら、次々と襖を開けていった。
 鼻の部屋があった。くんくんと匂いをかぐ、うずたかく積み重なった鼻だけ。
 髪の毛や、耳も、胃や腸、心臓、その他の内蔵だけの部屋もあった。
 布美枝はくらくらとめまいがして、こみ上げてくる吐き気を押さえるのに必死だった。
「どうだい、たいしたものだろう。これはみんな私のもの。どんな美しい顔だって体だって出来る」
 手足ばばあは、踊るようにくるくると回ってみせた。こうして自慢するのがなによりも楽しいのだ。
 狂ってる、狂ってる・・・・布美枝はこの屋敷に来た事を後悔した。
「さあ、左手の部屋だよ」がらりと襖を開けた。
「お前の旦那の腕がわかるかい?」
 部屋の中には、腕が山積みになっていた。手首だけのもの、肩から先全部揃ったもの、大人の大きな手、子供の小さな手、細い手、ごつい手、ぐねぐねともつれあい、うごめいて布美枝の方に近づいてくる。
 布美枝は、とてもこの中から見つけるのは無理だと思ったが、ふと思った。
 そう、夫茂の右手の感触を思い出したのだ。深大寺の境内をふたりで歩いたとき繋いだの手、暖かくて大きくて、安心出来るあの感覚。夜、寄り添って寝ているとき布美枝にふれた、やさしい手。
 あの右手と同じ感覚を持つ手が茂の手だと思った。
 布美枝は部屋の中に踏み込んだ。しゃがみ込み、次々と手をさわってみる。
 目を閉じて、感覚を研ぎすまし、茂の手を思い出しながら・・・・
 何百もの手が布美枝を取り囲んでいた。もぞもぞと動きまわり、布美枝のまわりに集まり積み重なってゆく。
 まるで自分だけは助けて欲しいとすがりついてくるように思えた。
 突然、わかった。
 ぴったりとくる感触が手に伝わった。布美枝は立ち上がると一本の腕を抱きかかえていた。
「これです!茂さんの手です!」
「本当かい、驚いたね。」部屋から戻った布美枝を手足ばばあは睨みつけた。
「よく見つけたもんだよ、まったく人間てやつはこれだから・・・・」
「お願いです。これを返していただけませんか」
 手足ばばあは口惜しそうに顔を歪めたが、急ににんまりと笑った。
「いいとも、あんたが見つけたんだ。返してやろうじゃないか。ただし・・・・代わりにあんたの目をもらおう。その大きくてきれいな目をね」
 えっ・・・布美枝は立ちすくんだ。
「その手のお代は、目で払ってもらうよ。私はあんたの目が欲しくなったのさ。ほほほ・・・・」
 手足ばばあの顔が、笑い顔のままとろけて、ずるりと床に落ちた。
 あとにはなにもない。ゆで玉子のようにのっぺりとした顔があるだけ。
 布美枝は叫び声をあげていた。

5

 うす暗くカビ臭い部屋に布美枝は連れてこられた。
 まわりは分厚い板壁、その正面は格子で座敷牢のような部屋だった。
 茂の左手を抱きかかえたまま、のっぺらぼうの手下に引きずられて、この部屋に連れ込まれたのだ。
「さてと、いまからおまえの目を抜くとしよう。生きている人間の目は久しぶりだねぇ。こんどはどんな顔にしようかね」
 手足ばばあは、のっぺりとした顔をゆがませてもぐもぐと言った。
「お願いです。お金を、お金を払いますから目はかんべんして」
「金なんぞいらないよ。そのきたない手もどうでもいいんだ。私はあんたのその目が気に入ったのさ。目を抜いたら、うちで死ぬまでこき使ってやろう」
「約束が違います。私を返して、人間の世界に戻して!」
「うるさいよ!約束なんぞした覚えは無いね。ここじゃなんでも私の好きなようにするのさ」
 ガチャガチャと鉄の道具のふれあう音がする。
 のっぺらぼう達が鉄のヤットコやはさみを取り出して布美枝に近づいてきた。
「さあ、お前達この女を押さえつけな。私がこれで目を抜いてやろう・・・」
 布美枝は手足をのっぺらぼう達に押さえられた。必死で振りほどこうとしても身動き出来ない。錆びた大きなはさみを取り上げて手足ばばあが近寄ってきた。
 そのとき、耳元で声がした。
「困ってるようだにゃん!」あの猫娘の声だった。でも声だけで姿がない。
「助けてやってもいいんだにゃん」
「お願い、助けて、猫さん!」布美枝は叫んだ。
 その瞬間、布美枝の姿がすっとかき消えた。手や足を押さえつけていたのっぺらぼう達は支えを失ってあわてた。
「こりゃあどうしたことだ。どこへ行った!出てこい!そうか、人間にこんな真似が出来るはずがないよ。だれだ!手を貸しているのは!」
 手足ばばあがはさみを振り回して怒り狂っている。
 姿が消えた布美枝の前に、あの猫娘がいた。「しーっ・・・・」猫娘が口に指をあてている。
 まわりはうすいもやがかかったようになり、その中で影のような手足ばばあやのっぺらぼうが布美枝を探して手を振り回していた。
 こっちこっち・・・・猫娘が手招きをしてる。
 布美枝はそっと足を忍ばせて猫娘に続いた。部屋の格子戸を開けると廊下に出る。
「早く逃げるんだにゃん、あいつらすぐに追ってくる」
 四つん這いになって走る猫娘といっしょに布美枝も走った。長い廊下の途中で、しだいに消えていた姿が戻ってきた。
「ありゃ、もう見えてきたにゃん、急ぐんだにゃ!」
「逃がすんじゃないよ!目よ!耳よ!手に足ども!あいつらを捕まえるんだ!」手足ばばあが大声でわめいている!
 廊下の襖が次々と開くと、中から無数の目や耳や口、手や足が転がりだしてきた。
 目が叫ぶ「女と猫は、ここにいるぞ!!」
 耳が呼ぶ「足音がする、ふたりはこっちだ!」
 口がわめく「手や足ども、こいつらを捕まえろ!」
 布美枝は猫娘といっしょに茂の左手を抱えたまま必死になって走った。
 廊下にあふれた目の大群を蹴散らし、耳を踏みつけ、手や足が襲ってくるのを危うくかわしながら、玄関から飛び出した。
 目の前に広がる草原を走る、身を隠すところはどこにも無い。振り向くと手下ののっぺらぼう達や手や足が、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらすごいスピードで追ってくる。
「このままじゃ追いつかれるにゃ」すでに息の切れ始めた布美枝を見て猫娘が叫んだ。
「ぬりかべ〜〜!!」
「おお〜〜〜い!」太いだみ声の返事があった。
 突如、草原に大きな白い壁が出現した。猫娘と布美枝が通り過ぎた後に、草原をまっすぐに横切って、白い長い巨大な壁があらわれたのだ。
 追っ手は勢い余って壁に激突、ばたばたと倒れた。
 壁は地平線の彼方まで続き、まるで万里の長城のよう。乗り越えようと飛び上がるが届かない。壁はたいらで登るための手かがりも見つからない。そこに遅れてきた手足ばばあがやってきた。
「なんてだらしない奴らだよ!どきな!」
 追ってきた手足ばばあは、大きなカマを振り上げて、ぬりかべに切りかかった。
 ざっくりと壁が切られた、と思った途端に壁はあっと言う間に消えてなくなった。
 猫娘と布美枝は森の中に逃げ込んだ。

 布美枝は息を弾ませてへたりこんだ。
「もうダメ、走れない・・・・」
「このままじゃ、捕まってしまうにゃ」猫娘が布美枝の手を引っ張って立たせたが、まだ足もとがふらふらだ。
「困ったにゃ・・・・」
 そのとき、森の中をすーっと飛ぶ白いものが見えた。
「あっ、しめた!一反もめんにゃ!おーーーい!」
 猫娘に呼ばれた白いものが、ふらふらと方向を変えてこちらに飛んできた。
「なんでごわんす?猫娘」
「手足ばばあに追われているにゃん。この人をひっぱってくれない?」
「よかとよ、猫娘の頼みなら聞きもうそう」
 布美枝の体にくるくると一反もめんが巻き付いた。途端にふわりと体が軽くなる。
「さあ、急ぐにゃん」
「はい!一反もめんさん、ありがとう」
 疲れて走れなかったのがウソのようで、布美枝は軽々と走ることが出来た。
 体を包み込む軽くあたたかな感触、そうかこの妖怪が一反もめんなんだ。茂が描いた一反もめんの絵を思い出した。
 一反もめんも本当にいるんだ。妖怪がみんな私を助けてくれる・・・布美枝は心が熱くなった。

 
 ふたりはやっと砂かけばばあの家にたどりついた。
「おばば〜〜!連れてきたにゃ!」
 猫娘が呼ぶと砂かけと子泣き、カワウソまで出てきた。
「おうおう、よう無事じゃったのう、わしら心配でのう猫娘にようすを見に行かせたんじゃ」
「おっ!手も取り戻してきたか、あんたなかなかやるのう、ひゃっひゃっひゃっ」
「のんきな事を言ってる場合じゃないにゃ、すぐに追っ手がくるにゃ」
「なんじゃと!そりゃ大変じゃ。あんた早く人間の世界に戻るがええ、井戸はこの裏じゃ」
「みなさん、ありがとうございます!」
 布美枝は深々と頭を下げた。危ういところを救ってくれたのは、この妖怪達なんだ。
「そうはさせないよ!」
 突然の大声があたりを震わせる。
「よくもこの私をコケにしてくれたね。その女!バラバラに切り刻んでやるよ!邪魔するつもりならお前らも同じ目にあわせてやる!」
 手足ばばあが手下ののっぺらぼう達と、手や足を引きつけて家を取り囲んでいた。
「ばかやろう!やるってのか、おもしれぇ。おらぁ前からお前が気に食わなかったんだ!」
 それまで黙っていたカワウソが、いきなりキレた。
「おいおい、そんな乱暴な・・・」と砂かけばばあがあきれ顔で止めようとしたが。
「おまえら、やっちまいな!」
 手足ばばあのかけ声と同時に、のっぺらぼう達が襲いかかってきた。
「ええい、カワウソめぇ」砂かけばばあと、子泣きじじいも否応なしに戦いに巻き込まれた。
 無数の手や足が団子のようになってカワウソに飛びかかる。
 カワウソは息を吸い込むと口から激しく水を吐き出した。激しい放水が手や足を押し流す。
 のっぺらぼうが砂かけばばあに殴り掛かる。おばばがくるくると回り出すと砂嵐が起こりのっぺらぼうを吹き飛ばした。
 しかしのっぺらぼうには顔が無いし目がない、砂で目をつぶそうにも効き目が無い。
 倒れたのっぺらぼう達は、すぐに起き上がってまた襲ってきた。
「こりゃいかん、こいつらには砂は効かんか」
 猫娘と子泣きじじいも戦っていた。猫娘はとびかかり引っかき、かみつく。子泣きは太い木の杖を振り回していた。
 布美枝は家の裏にある古井戸に向かって走った。
 自分はとても戦いの役には立たない、それよりも抱えた茂の左手を持ち帰る事がなによりも大切だった。
 あった!
 苔むした平たい石で蓋がしてある古井戸は、すぐに見つかった。
 かけよって蓋を持ち上げようと両手をかけて力を入れる。う〜〜〜ん・・・蓋が少しずつずれてゆく。
 ごとり!と、ようやく蓋がずれた。覗き込むと井戸の中は真っ暗だが、下からは風が吹き上げてくる。
 人間の世界につながっているんだわ・・・と思ったとき目の前に手足ばばあが現れた。
「逃げようたってそうはいかない。バラバラにしてやるよ!」
 大鎌を振り上げて布美枝に切りかかった。あっ!と思ったとき体からするりとなにかが抜けた感覚があった。
 一反もめんだ。体に巻き付いていた一反もめんが振り上げた大鎌に巻きついている。
 「くそっ!離せっ!」そのまま一反もめんはぐるぐると手足ばばあの体にも巻き付いていく。
 白いミイラのようになった手足ばばあ、そこにいきなり子泣きじじいが飛びついた。
「おぎゃー!おぎゃー!」
 手足ばばあに抱きついた子泣きじじいが、激しく泣きはじめた。
 立ったままもがいていた手足ばばあの動きが止まった。子泣きが石のように重くなってきたのだ。
「あわわ・・・」立っていられずに、ばたりと倒れる。それでも子泣きはしっかり抱きついたまま、さらに激しく泣き続けた。
「お、重い・・・潰れる・・・・」一反もめんを体に巻き付け動けないまま、子泣きに押しつぶされそうになり手足ばばあは、遂に降参した。
「助けてくれ・・・私の負けじゃぁ、つ潰れる・・・・・」
 砂かけばばあとカワウソ達もやってきた。状況が不利と見て、手下ののっぺらぼう達はさっさと逃げ出したのだ。
「子泣きよ、もう許してやれ・・・」砂かけばばあが声をかけると、子泣きが泣き止み手足ばばあから離れた。
 一反もめんも離れると、手足ばばあは、大あわてで後ろも見ずに逃げ出した。
「これでええ、あいつも思い知ったじゃろうて、ひゃっひゃっひゃっ」砂かけばばあと子泣きじじいが笑った。
 猫娘もカワウソも笑っている。一反もめんはくるくると飛び回って喜んでいた。
「さあ、これを持って帰るにゃ」
 猫娘が茂の左手を渡してくれた。
「皆さん、ありがとう。皆さんの事、絶対に忘れません。本当にありがとう」布美枝は何度も頭を下げた。
「またいつか会えるにゃ・・・・」
 まわりが暗くなり、猫娘の声が遠くなる。
 どこかに落ちていくような感覚があった。
 6

 突然、目が覚めた。
 窓から差し込むまぶしい朝日、外からスズメの声も聞こえる。
 いつもの家の中、茂の仕事部屋、横には徹夜あけの茂が横になって眠っていた。
 頭がぼうっとしていた。あれは夢・・・・夢だったの・・・・・
 あまりに衝撃的でとても夢とは思えない。徹夜で鬼太郎の原稿を描き上げたせいだろうか。
 そういえば、描き上げて茂と一緒に喜んだ記憶もぼんやりと残っている。
 どちらが本当の記憶なのか、それもあやふやだった。
 はっ・・・・
 そうだ、茂さんの左手。
 布美枝は起き上がり、まわりを見回し左手が落ちてないか確かめた。
 横にいる茂の左手もそっと確認する。やはりない、確かに抱えていたはずの左手は消えていた。
「やっばり、夢だったんだ・・・・・・」そっとつぶやいてみた。
 そのとき、はっと気がついた。
 体の中になにか暖かいものが入っている。胸の中、目をとじて自分を抱きしめると確かにあの左手の感触があった。
 あの左手が・・・私の中にある。漠然とした感覚ではあったが、布美枝は自分の体の中に茂の手が吸い込まれたのだと思った。
「そうか、私がこの人の左手になればいいんだ・・・ずっと・・・」
 横に眠る茂の顔を、布美枝はやさしく見つめていた。
「私、妖怪に助けてもらったんですよ」
 
 その夜、原稿を届けて稿料をもらってきた茂とささやかな食事をしながら、布美枝は妖怪の国の夢の話を聞かせた。
「おもしろいなぁ、砂かけばばあに子泣きじじいか。それマンガにしたら面白くなるぞ」
 しきりに感心する茂。
 でも取り戻したはずの左手の事は黙っていた。
 窓の外でしきりに猫の鳴き声がする。
「今夜は、ようけ猫が鳴いとる」茂がみそ汁をすすりながら言った。
 布美枝は昼間、煮干しをたっぷりお皿に盛って家の裏に置いておいたのだ。
「また、ごちそうして欲しいにゃ・・・・」
 布美枝はあの猫娘の言葉を思い出した。
 そう、目に見えなくても妖怪はおる、私たちを妖怪が見守ってくれている。
 布美枝はそう思うだけで、自然と笑顔になった。

「茂さんって、妖怪にも好かれちょるんですね」
「はぁ?・・・・」
 茂はなんのことか分からなかったが、目が合うと二人は笑った。
 またひとつ、ふたりに取って大切な思い出が出来た夜だった。


 了


 
 
 あとがき

 当時 NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」にハマってました。
 とにかく面白くて毎日、朝2回、時間があればお昼に一回と楽しみに見ていました。
 視聴率も好調で7月は大河ドラマの「龍馬伝」まで抜いて20.5%という断トツの一位。
 基本、フィクションではありますが、誰でも知ってる「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるの奥様が描かれた本が原作です。
 底なしの貧乏生活をマンガバカの夫を信じて、さまざまな困難を乗り越えてゆく夫婦の物語が、たくさんの人々の共感を呼んだのでしょう。
 この主人公「飯田布美枝」さんを使って「不思議の国のアリス」をやったら面白いよね。
 なんて友達とバカ話をしたのがきったけで、この話が出来ました。
 ドラマにも原作にもない、布美枝と妖怪の冒険物語。
 本当、単なる妄想を作品にして、もうしわけないです(笑)
 でも、書いててアリスの世界と水木しげるの妖怪の世界が、こんなにピッタリくるとは思っても見ませんでした。
 すこしでも楽しんでいただければ、幸いです。
今、拝読させて戴きました。

その当時、「ゲゲゲの女房」は、断片的にしか見ていなかったのですが、
此れ程迄に「不思議の国のアリス」とマッチするとは、思いませんでした。

私の知らないエピソードが沢山出て来て、楽しめました。

有難う御座居ました。
>>[6]

いえいえ、まともにゲゲゲの女房なのは、頭とラストだけです(笑)

あとは、ほとんど不思議の国のアリス。

手足ばばあは、ハートの女王、猫娘はチェシャ猫です。

でも、ゲゲゲファンの皆さんには、意外と好評でした(笑)

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