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メトロン星人の本棚コミュの「バンパイヤ 続 おおかみこどもの雨と雪」

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「バンパイヤ   続・おおかみこどもの雨と雪」

                              桜井和幸

1  

「出てこい。そこにいるのはわかってる」
中沢は暗闇に向かって呼びかけた。
街中からつけられていたのはわかっている。
知っていてわざと人気のない公園におびき出し、決着をつけてやろうと思った。
姿は見せないが、たぶん相手は一人。
先ほどまで、かすかに落ち葉を踏む音が追ってきていた。
ヤバい仕事を生業とする中沢にとって、脅されたり襲われたりするのは珍しくない。
複数の男たちに取り囲まれナイフで脅されたことも、いきなり鉄パイプで殴りかかられたこともある。
しかし中沢は空手3段、ボクシングに剣道の心得もある、なにより強靭な肉体と度胸があった。
並のチンピラなど恐くもない。
ポケットから鋼鉄のナックルダスターを取り出し左右の拳にはめる。
これで相手が複数でも十分戦える、分厚い革ジャンの内ポケットにはナイフも仕込んである。
相手が悪かったな・・・・・中沢はにやりと笑った。
公園の街灯の青白い光、冷たい風にざわざわと揺れる街路樹、あたりに人気はない。
「どうした、俺に用があるんだろう、出てこいよ」
暗闇の中からしみだすように黒いシャツを来た男が現れた。
まだ若い。どう見ても高校生か、顔を伏せ両手をジーンズのポケットに無造作に突っ込んでいる。
「中沢だな・・・・」
確認するようにぽつりと言うと、後ずさりして闇の中に消えた。
こんな若い奴ひとりとは、俺もなめられたものだ。そう中沢が思った途端、背筋をぞくりと悪寒が走った。
命のやりとりを含めた修羅場を潜り抜けたものだけが感じる殺気。
それが闇の中で、ぐわっとふくらむのを感じる。
獣のうなり声、落ち葉を踏む足音が四足のものに変わった。
こいつ犬でも連れてきたか、そう思ったが、つい先ほどまでそんな気配は微塵もなかった。
そいつは、突然襲ってきた。
思ったより大きい、すばやく右に回り込み低い位置から飛びかかってきた。
「このお」
中沢は体をひねり右拳を打ち出す。しかしそれは空を切った。
目の前に獣の牙があった。
突き出した右手に牙が食い込む。熱い衝撃が脳を直撃する。
バキリと骨の砕ける音がした。
一瞬、その獣と目があった。こいつは犬じゃない。
それはもっと凶悪な生き物、街中では絶対に見ることのない獣、日本では絶滅したはずの獣。
オオカミであった。
中沢は本物のオオカミを見たことはない。
童話や映画、小説の中の知識しかない。だが自分の右腕をかみ砕いた獣はオオカミに違いないと思った。
大型犬よりさらにひとまわりも大きい、褐色がかった灰色の毛並、なによりもその目が殺気に満ちていた。
そんなバカな、オオカミなんているわけがない。

そう思った瞬間、中沢はものすごい恐怖に襲われた。
その獣は一撃のあとすばやく暗闇の中に消え、中沢の隙を狙っている。
右手はもうぴくりとも動かない。だらだらと血が流れ激痛が襲ってきた。
中沢は逃げた。大声で叫びながら全速で走る。一刻も早く街の明かりの中に逃げ込みたかった。
追ってくる。背中に冷たい殺気を感じる。
小さく公園の出口が見えた。繁華街のネオンも見える、人間の世界が目の前に・・・・・
しかし、激しい衝撃とともに中沢は押し倒された。
公園の砂利の中に顔を埋め、抑え込まれ身動きできない。熱い獣の息と共に首に鋭い牙が食い込んだ。
意識が飛ぶ。
中沢は動かなくなった。

オオカミは、中沢から離れると暗闇の中に姿を消した。
そしてあの若い男が現れた。全裸である。
いやもう一人いた。センスのいいスーツを着た女性が一人。その男に脱ぎ捨てたシャツとジーンズを手渡すとカメラを取り出す。
そして動かなくなった中沢の写真を撮り始めた。
何枚も何枚も・・・・
その美しい顔に微笑みを浮かべて。

コメント(14)

2

雪は中学生になっていた。
母親の花が暮らす家を出て半年がすぎ、季節は秋になろうとしていた。
中学校の寮生活にもなれた。小学校からの友だちが何人か寮にいたし、友達の信乃ちゃんも同じクラスだった。
授業にもなれたし、成績もまぁまぁだった。
いちばん変わったのは普段の生活だった。帰り道の友人たちとのおしゃべり、コンビニやファーストフードの店、映画館、本屋、商店街。
いままで自分たちが暮らしていた環境がつくづく田舎だったと思い知らされた。
朝夕の小鳥の声、おひさまと木々の緑、冷たい湧水、静かな夜。
街にはそんな当たり前のものはないが、たくさんの車、人、そして音と光に満ちていた。
雪はおおかみこどもである。
小学校の時、追いつめられて変身し友達の草平を傷つけたことがある。
自分の持つ牙と爪がこんなにも恐ろしいものだなんて、信じられなかった。
童話で読んだ狼男が人から恐れられ、忌み嫌われ、追われてゆくわけが初めて理解できた。
雪の秘密を知った草平とは親友になり、いまでも雪の秘密を守ってくれている。

もっと小さいころ。どうして私と弟の雨は、おおかみになってしまうのと、おかあさんに泣いてたずねたことがある。
人と違うなんていや。おおかみになんてなりたくない。
花はふたりを抱きしめて言った。
「あなた達のおとうさんがおおかみだったのよ。やさしくて強くてさびしそうで・・・そんなおとうさんが大好きだったの」
花は泣いていた。
「あなたたちは、おとうさんとの私の宝物、人間の時もおおかみのときも、どちらも同じ私たちの子供」
「おかあさん・・・・・」
「だからおおかみでもいいの。世の中には人と違う体を持つ人がいっぱいいるわ。
生まれつき手や足のない子、目が見えなかったり耳が聞こえなかったり、事故や病気で動くことさえできない子もいる。
でもそんな子たちも一生懸命に生きてる。
あなたたちも同じ、病気じゃないし健康で頭もいい。
ちょっとぐらい違ってても、いいのよ。知られることなく人としてちゃんと暮らしていければ・・・・・」
そんな花の愛情に包まれて雪と雨は大きくなった。

しかし弟の雨は違った。
小学生になった雨は学校になじめずに授業を抜け出して図書室にこもるようになった。
3年生の時には学校を休みがちになり、花の職場である「新川自然観察の森」という公共施設に一緒に通った。
そんな雨を、花は先生と相談して無理に学校に行かせることはなかった。
そして雨は山におおかみの姿で頻繁に出かけるようになり、先生と呼ぶ年老いたキツネに出会ったのだ。
雨はおおかみとしての生き方を選んだ。
人ではなく、おおかみとして生きてゆく世界を見つけたのだ。
広大な山々が雨の世界になった。
この日本で人が住んでいる土地よりも、もっと大きな山と森の世界。
いま、山の家には花が一人で暮らしている。
「淋しくない・・・・?」雪が訊くと「淋しくないよ」と花は答えた。
「私はずっと、あなたたちのおかあさんだから」
そんな母の姿を雪は誇らしく思う。時々、さぞ苦労して育ててくれたのだろうなと思うと胸の中が熱くなった。
早く大きくなって立派な大人になって、おかあさんを助けてあげよう。
雪はそう思った。
秋晴れの日曜日。
雪は仲良しの信乃ちゃんたちと一緒に買い物に出かけた。
商店街の雑貨屋をのぞいたり、街角のドーナツ屋でアイスクリームを食べ、たわいもないおしゃべりに夢中になっていた。
ふと雪は自分を見つめている視線を感じた。
雪の感覚は普通の人とは違う、嗅覚も聴覚もかなり鋭いし、自分に向けられている視線を感知することができる。
おおかみだということを悟られぬように、人の表情や態度から緊張や疑惑の念を読み取ることもできるようになっていた。
悟られないように視線の先を見ると、2つ離れたテーブルにひとりの少年がいた。
黒い長袖のシャツ、ふるぼけたジーンズ、痩せて背が高く精悍な感じがする。
年は雪よりもいくつか上のように見えた。コーヒーのカップを前に、じっと雪に視線を送っている。
一瞬目があったが、あわてて雪は友人との会話に戻る。
だれ・・・あの子、ずっと私を見てる・・・・
「雪ちゃん、ケータイ持ってるよね」信乃が話しかけた。
「えーーーほんと?」他の子たちが騒ぐ。
「見せて見せて」
雪は買ったばかりのピンク色のケータイを取り出して見せた。
「雪ちゃんは特別なの。山のおかあさんと連絡するために持ってるのよ、学校の許可だってとってあるし」と信乃。
「うらやましいなぁ、あーーーうちの親も早くケータイ買ってくれないかなぁ・・・・」
雪の通う中学校は、ケータイは禁止されている。
しかし雪だけは担任の許可をもらい、家族との連絡用に持つことを許されたのだった。
この秋、やっと山の家のある集落にアンテナが立ち、携帯の電波が通じるようになったのだ。
はっと気が付き、雪が振り向くと男の子の姿はなかった。

その夜、自分の部屋で雪は花に電話をかけた。
「おかあさん、元気・・・・・・」遠い距離を飛び越えて花の声が聞こえる。
「元気よ。昨日の夜雨の声を聞いたわ、元気そうだった。そっちはどう。淋しくない・・・風邪ひいてない・・・ちゃんと食べてる・・・・」
母の会話はいつもやさしい。
「あのね、今日変わった男の子を見たの・・・・」そう言おうと思って雪は戸惑った。
あれ、なんで、気になるんだろう・・・・
「どうしたの雪」
「ううん、なんでもない。そうだ今日信乃ちゃんがね・・・・・」
それきり、雪はその男の子のことを忘れることにした。
3

何日か過ぎて、雪は自分がいつも見つめられているような感覚に襲われた。。
学校と寮との行き帰り、休みの日の外出、時々授業中でも、そんな感覚があった。
漠然とした不安、得体のしれないおぞましい視線。
感覚を研ぎすまし、向けられている視線を感じ取ろうとすると、それは消える。
ケータイの表示にある受信レベルのアンテナのように、増えたり減ったり、その感覚は途切れ途切れでとりとめがない。
無視しようと思えば気にならないが、ふと気を抜くとやはり見つめられている感覚がある。

その夜、雪は寮の近くにあるコンビニに買い物に出かけた。
お菓子や雑誌を買って帰ろうと外に出ると、あの男の子が立っていた。
やはり黒いシャツ、古いジーンズ、あの時と同じ視線。
これだ・・・・・・雪は直感した。
とたんに恐くなった。私の正体を知っている。そんな予感があった。
(・・・おみやげみっつ、たこみっつ、おみやげみっつ、たこみっつ・・・・・)
頭の中で、花から教わったおまじないを繰り返す。背を向けて帰ろうとしたら、声をかけてきた。
「おい、待てよ」
雪は走り出した。すこしでも早く寮に戻りたかった。
でも、あとからその子が追いかけてくる気配がする。振り向くと同じ速度で追ってくる。
だめ、このまま寮に戻ったら・・・速度を上げて振り切ろう。
雪は早い。本気を出せば人間の姿のままでも中学生の記録くらい簡単に越える身体能力がある。
でも、そうして注目をあびるのが恐くて体育の時は、意識して力を抜いていた。
ダッシュして寮とは反対の方向に走る。風を切り全力で走る。すれ違ったサラリーマンが驚いて振り返った。
完全に振り切った、そう思えたころ雪はちいさな公園で止まった。コンビニで買った商品はどこかで捨ててしまった。
はあはあ・・・・息が切れる。本気で走ったのは久しぶりだった。
しばらくここにいて、それから帰ろう、そう思った時、目の前にあの男の子が現れた。
「おまえ早いな」笑っている、息もきれてない。
雪は驚きで動けなくなった。この子も人間じゃない・・・・・
「おまえもバンパイヤだろう。なんとなくケモノのにおいがするし、俺が見ていることも知っていたしな」
雪は、恐怖から自分が変身して襲いかかってしまう衝動を必死に抑えていた。
「おっと、こわがらなくてもいい。別に危害を加えるつもりもないし、俺も仲間だからさ」
そういうと、男の子は雪の目の前でオオカミに変わり始めた。
顔が伸び、耳が逆立ち、ばさりと体毛に覆われる。姿はまだ人のままだが、あきらかにおおかみおとこだった。
おかあさんから聞いて知っている父のすがたと、それは重なって見えた。
「な、安心したろう。俺はお前と同じなんだよ」
「私は違う。私はおおかみなんかじゃない・・・・・」
雪はつぶやいた。

男の子はテツオと名乗った。
年は16歳、高校生のはずだが学校には通ってないと言った。
年の離れた姉とふたりで、市内のマンションで暮らしている。
「けっこう金持ちなんだぜ、姉さんは。いろいろ手広くやっている、金貸し、不動産、貴金属の取引とか、そのおかげで俺も遊んでいられる」
雪は公園のベンチに座ってテツオの話を聞いていた。
「飲めよ、あったかいぜ」
テツオが自販機で買ってきた熱いコーヒーを差し出した。
おかあさんは、おとうさんがおおかみの最後の生き残りだと言っていた。でもここには私の知らないおおかみおとこがいる。
もっと仲間がいるのかもしれない。雪はそれが知りたかった。
「それで、偶然おまえを見かけたのさ。もしかしたらと思ってあとをつけてみたら、ビンゴ、というわけ」
「あの・・・・・聞いてもいい。そのお姉さんもおおかみなの、他にもおおかみに変身する人がいるの」
テツオはちょっと驚いた様子で笑った。
「なんだ、おまえ知らないのか。俺たちはバンパイヤ、夜泣き谷一族だろ。おおきく言えば親戚のようなもんだ。
姉さんはオオカミには変わらないが、それでも力を持ってる。バンパイヤにもいろんな奴がいるってことだ」
「あのぉ・・・・バンパイヤって、なに?」
「なんにも知らないんだなおまえ。どこの生まれだ、親はバンパイヤじゃないのか、そんなことも教えてくれなかったのか」
「おかあさんは人間よ、おとうさんがおおかみおとこだったの」
「ふーん、めずらしい奴だな、じゃあ教えてやろう」
テツオは呪われた「夜泣き谷一族」の事を語り始めた。
昔、木曾の山奥に「夜泣き谷」という村があった。
そこに七百年の間住み続けている一族が、夜泣き谷一族である。
外界との接触は一部を除いては、厳しいおきてで禁じられていた。
なぜならば夜泣き谷の一族には、不思議な力を持つものが多かったのだ。
獣の姿に変わるもの、体中に毛が生えるもの、猿のように森を飛びまわり、カメレオンのように体の色が変わったり、人にはない不思議な力を持っていた。
戦国時代のころは、忍者として大名に使えて活躍したものも多かったという。
しかし世の中が平和になると、一族は村に閉じこもり、外に出なくなった。
犬神憑きとか、狐憑き、と言われて忌み嫌われたからである。
江戸、明治、大正と時代の流れに逆らうように一族は暮らしてきたが、戦後ついに夜泣き谷にも国勢調査の手が伸びた。
その時一族は決心した。村を捨てて町で暮らす。一族の呪われた力を隠して、ひっそりと生きてゆこうと。
その夜、村のすべては焼き払われた。
村人は家族ごとに分散し、全国に散らばっていった。互いの事は干渉せず、連絡も取らず静かに消えてゆこうと誓ったのだ。
バンパイヤとは、夜泣き谷出身の立花博士が命名した「異常な能力を持つもの」の総称である。
立花博士は若いとき、おきてに背いて村を出て苦学して博士になった。そして村人を救うために立ち上がろうとしたのだった。
しかしその志は実を結ぶことはなかった。志半ばで博士が死んでしまったのだ。
おおかみの姿になったところを警察に撃たれて死んだとも、事故で死んだともいわれている。
だが立花博士のバンパイヤという概念は、かれらにとっての希望となった。
恥じることはない、獣は自由で正直だ。自然と共に生き自然と共に死す。
これこそが、本来人間が求めてやまない理想の姿ではないか・・・・と。

「俺と姉さんは、そのことを知ってから人間の事を利用してやろうと思ったんだ。力をもっているなら使えばいい。
うまく立ち回って金をためれば、もっと楽しく暮らしていける。びくびくしながら生きることはないんだ」
「そんなこと本当にできるの・・・」
「教えてやるよ」テツオは笑った。
雪は思い出す。子供の頃、花がどれほど苦労して私たちを育ててくれたか。おおかみだということをどれだけ必死に隠してきたか。
でも目の前にいるテツオという少年は、そんな苦労など少しも感じさせなかった。
人の中でおおかみを隠して生きることを選んだ雪。
おおかみになって人と離れて暮らすことを選んだ雨。
しかしここにもう一つの選択肢があった。人の中でおおかみの力を使ってお金を儲けて暮らす生き方。
本当にそんなことが出来るのだろうか・・・・・
「今度、うちに来いよ。姉さんを紹介してやるよ」
テツオは立ち上がった。コーヒーのカップを握りつぶして捨てる。
「その前に、おまえの本当の姿を見せてくれないか、俺と同じなのかどうか」
「えっ・・・・ここで」
雪はためらった。もう何年もおおかみの姿になったことがない。
こんなところで、誰かに見られたら。
「心配ない、このあたりに人の気配はないよ、さあ」

雪はおおかみに変わった。それは美しいメスおおかみの姿であった。
4

雪はテツオと会ったことを花に黙っていた。
自分の正体を知られたことも、他におおかみに変わる人々がいるということも、言えばきっと怒られる。そう思った。
待ちどおしかった花からの電話が苦痛になった。
おかあさんに嘘をつくことが、こんなにも苦しいなんて。
電話の受け答えも、どこか上の空、テツオと約束した休みの日まで、雪は自分から電話をかけることはなかった。
日曜日。
雪はバスに乗って市内の中心部に出る。テツオに教えてもらった住所は大きな高級マンションだった。
ガラス張りのロビーに入り、インターフォンを操作してテツオを呼び出す。
すぐにテツオがドアを開けてくれて、ロビーに迎えに来てくれた。
「よく来たな、姉さんも待ってるよ」
雪は精一杯のおしゃれをしてきた。ユニクロで買った流行のワンピース、友人と行った雑貨店のブローチ。
花から送られてくる、わずかなおこずかいをためて買ったものばかりだ。
マンションの最上階で降りると、テツオが先に立って部屋に案内した。
まるで高級ホテルのような部屋だった。広いフロアに豪華なシャンデリア、輸入品の西洋家具、革張りのソファ。
フローリングの床には毛足の長い絨毯。あちこちに豪華な花束が飾られている。
雪は田舎の自分たちの家とあまりにも違う世界に目を見張った。
そしてそこにいたのは美しい真っ赤なドレスをまとった女性だった。
「いらっしゃい雪ちゃん。今日はゆっくりしていってね、歓迎するわ」
岩根ルリコと名乗った女性を、雪はまるで女王様のようだと思った。
磨き上げられたプロポーション、輝く美貌、そして全身から香り立つ香水の匂い。
くらくらとめまいがしそうだった。
しかしその香りの中に雪はふとかすかな異臭を感じた。なんだろうよく知ってる匂い。
「さあ、座って。今お茶を入れるわ」
体が沈み込むようなふかふかのソファーに座るとテツオがティーポットやケーキを乗せたワゴンを運んできた。
香り高い紅茶、見たこともない高級そうなケーキ、南国の珍しいフルーツ、紅茶からはブランディの香りがした。
雪は夢見心地で、二人の会話についていくのがやっとだった。
ケーキも紅茶も食べたことがないくらい美味しかった、
何を聞かれただろう、田舎の家の事、畑の事、近所の人達、おとうさんの思い出、とりとめのない話題・・・だけど雨の事は黙っていた。
町の中学に行くときに花に言われたのだ、山に戻った雨のことは人には言わないで、雨が静かに暮らせるようにと。

「ステキなおうちですね。ふたりで住んでいるんですか」
「そうよ、ここは私たちだけのプライベートな家、オフィスは別にあるわ。ここに招待するのは特別に選ばれた人だけよ」
「雪、君は特別なんだ。人間とは違う、特別な力を持っている」
「でも・・・・」雪は口ごもる。
「おかあさんはおおかみになっちゃダメって・・・童話でもおおかみは嫌われて銃で撃たれて殺されるから・・・」
「ほほほ」ルリコが笑った。
「雪ちゃん、それはね。バンパイヤの持っている力を人間が恐れているからよ。バンパイヤは昔から世界中にいたわ。
今では妖怪とか怪物とか言われているけど、それはバンパイヤを迫害した人間が勝手に言ってる事。
悪魔とか魔女なんていわれたこともあった。罪のないバンパイヤがいままでに世界中で何百万人も殺されてきたのよ。体が変身するというだけでね」
「でも、その変身するっていうことが悪いことなんでしょ」
「違うわ。世の中には変身しなくてもゆがんだ心を持つ人間が掃いて捨てるほどいる。そしてそんな人たちが世界を支配しているのよ」
ルリコの目が怪しい輝きを見せる。
「私はたくさんの人間を手足のように使っているわ。お金と力があれば人間は支配されることに何の抵抗もない」
「そうさ姉さんは強い。俺たちに逆らう人間はいない。もっとバンパイヤは豊かになるべきなんだ」
ふたりは熱に浮かされたように語った。
「いいこと雪ちゃん。あなたはこれからどうやって暮らしてゆくの。秘密を隠したまま社会に出て小さな会社でコツコツ働いて、
人間とは結婚も恋愛もできないのよ。もし理解してくれる相手がいたとしても、あなたのおかあさんがした苦労を繰り返すだけよ」
「そうさ、一生働いても報われることはない。仮に獣の姿で生きることを選んでも、いずれ山で死ぬか、猟師に撃たれて死ぬか、それまでだ」
ルリコが雪の手を取った。
「バンパイヤは、まだ世界の各地に生き残っている。私はみんなを探し出し、助け出して大きな力を持った組織にするのよ。
雪ちゃん、あなたはその最初のひとりになるの。私の右腕になってテツオと二人で働いて欲しいの。そうすればもっと豊かになれる。
おかあさんだって、こんな豪華な生活ができるようになる。お金の苦労なんてしなくていいのよ。きっと喜んでくれるわ」
雪は頭がくらくらとしてきた。
紅茶やケーキに入っていたブランディと、ルリコの体から匂う香水に酔ったようになっている。
繰り返し繰り返し聞かされる、バンパイヤの暗黒の歴史、そしてそこから抜け出して目の前に広がる豊かな暮らし。
「待って待ってください。私、ちょっとトイレに・・・・」
雪は立ち上がった。
テツオに教えられて、ふらふらとお手洗いに立つ。
豪華な大理石のトイレは雪には落ち着かなかった。洗面所の冷たい水で顔を洗って一息つく。
鏡に映った顔は、ぼおっと赤くなっていた。ふと、またあの匂いがする。
トイレのドアをそっと開けて廊下にでると、ぷんと匂いは強くなった。
ルリコとテツオは、応接間にいる気配がする。テレビでも見ているのだろう。バラエティ番組の笑い声が聞こえた。
トイレの横はキッチンのようだ。ドアを開けて中に入ると、ステンレス製の豪華なシステムキッチンがあった。
そして目についたのは、巨大なステンレス製の業務用の冷蔵庫だった。一台じゃない、天井まである大きなのがずらりと並んでいた。
匂いはそこからもれているように感じた。
気になって近くの冷蔵庫の扉を開けてみた。なかには高級そうな食材がぎっしりと詰まっている。
そのとなりには、高級ワイン、そして果物や大きな肉の塊もあった。
次々と覗いては閉め、そして突き当りの冷蔵庫の扉を開けてみた。そこは冷凍室だった。
白くびっしりと霜に覆われた大きな塊がいくつも並んでいる。なんだろう・・・・黒い糸のようなものがいっぱい絡まっている。
手を伸ばして、取り出してみた。冷たい、それに意外と重い。
くるりと裏返してみた。
どんよりと濁った眼、半開きの口、固まってこびりついた血。それは凍った人間の生首だった。
雪は叫んだ。声にならない声で。手から離れた生首がごとんと床に落ち、ごろごろと転がってゆく。
冷凍室の中は凍った生首でいっぱいだった。首だけじゃない。手や足、内臓のようなものまで冷凍パックに入って保存されている。
匂いは死臭だったのだ。
山で遊んでいた子供の頃、死んだ動物をたくさん見た。その時に嗅いだ匂い、死んで腐った生き物が発する匂いだった。

「見たね」テツオの声がした。
雪は電撃に撃たれたように棒立ちになった。
振り返るとテツオとルリコが微笑みながら雪を見つめていた。
「驚かなくていいよ、それは姉さんのコレクションなんだ。戦いと勝利の記念品さ。ちょっとしたものだろう」
ルリコが、にこやかに床に落ちた生首を拾い上げ、冷凍室に戻す。
「いつもはカギをかけてあるのよ。でも今日はあなたが来るから開けておいたの。きっと気が付いてくれると思っていたわ」
「バンパイヤは匂いに敏感だからね」
「ほほほほほ・・・・・・」
雪は目の前が暗くなった。腰が抜けて立っていられない。
そのまま抱きかかえられるように居間へと連れ戻された。

夕方、雪はひっそりと寮に帰ってきた。
気が付いた友人が声をかける。雪の顔は血の気がなく体は小刻みに震えていた。
「雪ちゃんおかえり。遅かったね寮長さん心配してたよ。ごはん食べたの」
びくり、雪は立ち止まると、そのまま駆け出してトイレに走った。
げぇげぇ・・・と中で何度も吐く気配がする。
「雪ちゃん、どうしたの・・・・大丈夫」友達が声をかけたが返事はなかった。
「ありがとう、私疲れたから・・・・もう寝る」
しばらくして出てきた雪は、自分のベッドにもぐりこむと布団を頭からかぶった。
翌朝、ベッドに雪の姿はなかった。
5

山の朝は早い。
霧に覆われた山々、紅葉は終わり雨の多い毎日、今日も太陽は雲の中だ。
花は冷え切った空気を吸い込むと、ほーっと息を吐いた。白い息がふわりとひろがりそして消えてゆく。
朝食前に畑を見に行くのは花の日課だった。
収穫はほとんど終わっているが、畑の畦や用水路の様子を見まわるのは韮崎のおじいちゃんゆずりの習慣だ。
雪に埋もれてしまう前に、やらなければいけないことが山ほどある。
何度目かの冬。
でも今年はたった一人で過ごさなければならない。
雪もいない、雨は戻ってくるだろうか・・・この近くにいることは遠吠えで知っていた。
たまに山の中で姿を見かけることもある。でもちらりと視線を交わすだけで森の中に消えてゆく。
朝ごはんの用意をしようと家に戻ると、玄関先に雪の姿があった。
赤いフードつきのコート、小さなバッグをひとつ握りしめて、ぽつりと雪が立っていた。
「どうしたの、雪」
花が駆け寄ってゆくと激しく抱きついてきた。
「かあさーーーん」
花の胸に顔をうずめ雪が泣く、耐えていた感情が爆発して止められなくなった。
花は何も言わずに雪を抱きしめ、背中をやさしくなでてやった。

「仕事お休みするって電話したよ」
花は台所から声をかけた。
雪は気が抜けたようになり、ダイニングテーブルの自分の席に座っていた。
味噌汁の鍋がふつふつと湯気を上げる。漬物を刻む包丁の音。目の前には生みたての玉子、海苔、梅干が並んでいる。
花がご飯をよそってくれた。
「さあ、食べましょ。食べて元気出して」
あったかいご飯を口に運ぶと、口の中いっぱいに甘味とあたたかさが広がった。
おいしい・・・・・飲み込むと、猛烈にお腹がすいてきた。
みそ汁を飲み、ご飯をほおばり、生卵や漬物を食べる。
食べながらまた涙が出てきた。泣きながらおかわりをする。また食べる。
そんな雪を、花は微笑みながら見つめていた。

やっと落ち着いた雪の話を、ぽつりぽつりと花は聞き出した。
声が震え言葉に詰まることもあった。
それでも花は辛抱強く、ゆっくりと聞いてくれた。
「そうなの、その子もお姉さんもおおかみなのね。いえ、バンパイヤっていうのかしら」
「怖い、あの人たちは人殺しよ。いっぱい写真を見せられたわ、死んだ人が写った写真、これもコレクションだって・・・いうことを聞かないとこうなるって」
「警察に届けないと・・・・」
そう言って花は口ごもった。そんなことをすれば私と雪、雨の事も調べられる。おおかみだってことがわかってしまう。
「あの人達、私に仲間になれって言うの、そうしないとかあさんを殺すって・・・・」
そう言った途端、雪の目から涙があふれた。
なんであの家に行ったんだろう、なんで正体を見せたんだろう。あんなにダメって言われていたのに・・・・
そんな雪を見つめながら花は必死に考えをめぐらせた。
警察には行けない、雪を学校に戻すわけにもいかない。彼らはきっとこの家にもやってくるだろう。
家を捨てるしかない。もう一度雪を連れてどこか別の土地で一から始めるしかない。
この家で暮らした12年の思い出が脳裏によみがえる。ボロ家を初めて見た時の驚き、雪山を駆け回る雨と雪、やさしい近所の人達、韮崎のおじいちゃん。
でも、それしか方法がないのなら。
花は決めた。逃げよう。早い方がいい。
荷造りを始めて一時間、中古のジムニーに荷物を積み込む。
戸締り、近所の人たちへの書置き、家の中には思い出がいっぱい詰まっていた。
冷蔵庫に貼ってあった家族の写真、そして彼の免許書、それらをカバンに押し込み玄関に出る。
「おでかけですかぁ」
そこに岩根ルリコが立っていた。
雪が花にすがりつく。手にしたカバンが落ち、家族の写真がこぼれルリコの足元に散らばった。
「落ちましたよ」
微笑みながらルリコが拾い上げる。そして写真を見た。
「あら、弟さんもいるのね。おかあさんと3人。いい写真ねぇ」
花は雪の手を握りしめ、すばやくカバンを拾うと、ジムニーに向かって駆け出した。
しかしジムニーの影からテツオが現れた。
「逃げるなんて無理無理。実家に戻るのはわかっていたから、ずっと後をつけてきたのさ。車のカギは抜いといたよ」
テツオはジムニーのカギをぶらぶらと上げて見せた。
「おかあさんですか、はじめまして私、岩根ルリコと申します。お嬢さんはとてもいい子ですわね。私たちを案内してくれましたわ」
「ウソ、ウソよ、おかあさん。私案内なんかしてない」
雪が必死で首を横に振る。
花は背中で雪をかばいつつ後ずさった。
「この子は渡さない。今すぐ帰って、帰ってください」
「そんな手ぶらで帰れるわけないでしょ。一緒に来てもらわないと」テツオが近寄ってくる。
「ふたりに来てもらえば、いずれ弟さんも来る。バンパイヤがふたりも見つかるなんて今日はなんていい日なんでしょう」
岩根ルリコは笑った。
「いいこと、あなた達には他に道はない。雪ちゃん、おかあさんが大切なら、私たちのいうことを聞いた方が身のためよ」
花は雪を抱きしめた。
「この子になにかしたら、許さないから」

その時だ。背後の森の中から、ゆっくりとおおかみが現れた。褐色の毛並、大きな体、そしてなによりその目は雨だった。
「雨ーーー」花が叫ぶ。
ちらりと花を見たおおかみは、テツオに向かって牙をむき出し威嚇を始めた。
「こいつ、やる気か」
目の前でテツオが服を脱ぎ捨てる。アッという間に全裸になったテツオは四つん這いになると変わり始めた。
ぼきぼきと関節が動きだし、毛が伸びて体の形が変わる。見る間に雨よりもひとまわり大きなオオカミに変わった。
空で雲が巻く、風と共に細かい雨が落ちてきた。
2匹のオオカミはうなり合い、互いの力を計りながら距離を詰めてゆく。
最初の一撃で急所を狙う殺し合い、野獣の戦いだ。
瞬間、ふたつの獣はぶつかり合った。急所を狙って牙を相手の体に突き立てる。離れ、絡み合いぶつかり合って、ものすごいスピードで森の中を走り回る。
どちらが優勢なのか、どちらが勝つのかまったくわからなかった。
ルリコも動いた。
ポケットから小型のナイフを取り出すとふたりに向かって突きつけた。
「さあ、雪。おかあさんがどうなってもいいの。今すぐに、あのおおかみを止めなさい」
その時、花が突き出されたナイフにひるむことなく、ルリコにつかみ掛かった。
意外な力があった。長年農業で鍛えられた足腰、ごつごつとした手、もはや東京にいたころのか弱い少女ではない。
それに子供を助けるための母親の力が加わっている。
しかし、ルリコもバンパイヤである。獣に変身する能力はないが、力は並の人間とは比較にならない。
すぐに花を圧倒し地面に押し倒す。雪が変身する。おおかみに変わりルリコのナイフを持った利き腕にかみついた。
ナイフが落ち、ルリコの腕から血が流れる。
「うおおおお・・・・」
流血に興奮したルリコが花と雪を突き飛ばした。
その目がつりあがり獣のものになる。髪がばさりと落ちて、口から牙が伸びた。
両手の爪が伸び、体もひとまわりふくらんだように見えた。
まるで能に出てくる『般若』のようだと花は思った。憎悪が人間を怪物に変えるのだ。
その目からは憎しみが炎のように吹き出している。
「おまえらなどに、私の苦しみがわかるものか、のうのうと人間づらして暮らしている奴らなど殺してやる」
伸びた牙が口の周りを傷つけ顔は血だらけになっていた。
「人間を呪ってやる。なにもしないとうちゃんとかあちゃんをなぶり殺しにしやがって、善人面した人間こそ、本当の化け物だ」
花はぞっとした。ルリコのおぞましい過去が垣間見えたような気がしたのだ。
雪は恐怖のあまり人に戻ってしまった。
花に抱きつき震えている。
「死ぬならいっしょに・・・」花は雪を抱きしめた。
その時、突然森の中から何匹ものオオカミが現れた。それも大きな大人のオオカミである。
そして一斉にルリコに向かって襲い掛かった。
半狂乱になり、必死で暴れまわるルリコ。
しかしオオカミの群れの攻撃は、すばやく的確で無駄がなかった。
まわりを取り囲み、隙を見て次々と襲いかかる。
まもなく一匹のオオカミがルリコの首に食いつき、押し倒して止めをさすと森の中へ引きずって行った。
残りのオオカミは連絡を取り合うかのように吠える。
ウォオオオオオーーーン、ウォオオオオオーーーン。
森の中からも応答があった。あれは雨の声だ。
花は思った。向こうにも仲間がいたのだった。雨は一人で来たのではなかった。
仲間を引き連れて助けに来てくれたのだ。
助かった。そう思った瞬間、力が抜けてゆく。
雨が激しく降り始めた。地面に広がった血だまりを雨が洗い流してくれる。
花と雪は、そのままじっと抱き合っていた。

6

そのあと、雪は熱を出して寝込んだ。花はつきっきりで看病した。
テツオもルリコも、やってきたオオカミも雨の姿も何事もなかったように消え失せた。
事件の名残といえば、ふもとの里に高級車の放置車両があり、持ち主がわからず警察に引き取られたらしい。
そんな話を近所の人から聞いただけだ。
すこしずつ雪は元気を取り戻した。
学校には病気のため自宅で休ませていると花が連絡を取った。
数日後、家にひとりの老人が訪ねてきた。白髪の品のいいおじいさんで、ありふれた農作業のジャンパー姿だ。
この里では見かけたことのない老人で、手土産だと言って土のついた里芋を一袋さしだした。
「あのう、どちらさまでしょうか」
花はすこし警戒しつつたずねた。その老人は花の顔をじっと見つめて笑った。
「なにちょっと話がしたくてな・・・・」
振り向いて「どうした、入っておいで」と後ろに声をかける。
おずおずと玄関に入ってきたのは人間に戻った雨だった。同じようなジャンパー姿である。
「雨・・・・」
花ははだしで土間に駆け降りると、ぎゅっと抱きしめた。
「無事でよかった・・・・・・」

久しぶりに家族がそろった。ダイニングテーブルに花とパジャマ姿の雪、向かいに老人と雨。
湯気の立つお茶をひとくち飲むと、その老人は語り始めた。
「わしの名は立花トッペイ、夜泣き谷の生き残りでおおかみおとこじゃ」
「それじゃ先日のおおかみ・・・・」花と雪の顔色が変わる。
「いやいや心配無用、このあいだは突然現れてさぞ驚いたろう。あいつらはわしらがちゃんと始末した。もう大丈夫じゃよ。
奴らは、悪いバンパイヤだ。なんとかせねばと思っておったが、雪ちゃんを追ってここまで来たのを知り、仲間をあつめて打ち取ったまでよ」
老人は雨を見た。
「雨はわしらが預かっておる。このあたりの山は一族のふるさと、木曾、飛騨、立山、白山、広大な山に分散して一族は暮らしている。もちろん人の姿でな。

雨はわしらが見つけた。おおかみのままだといずれ狩られる。聞くと森の古ぎつねに山の作法を教えてもらったそうだ。なかなかに面白い子じゃな」
雨は申し訳なさそうに下を向いたままだ。
「花さん。あなたのことは雨から聞いた。よくぞこの子たちを育て上げてくれた。さぞ苦労なことだったろう。心から礼を言う」
老人は深々と頭を下げた。
「花さんの夫、おおかみおとこは、わしの息子じゃ。雨と雪はわしの孫ということになる」
花は目を見張った。彼は両親は死んだと言っていた。その後人間の親戚に預けられ育ったと・・・・・
「わしの親父は夜泣き谷の立花博士、谷を出て苦学して博士になった最初のバンパイヤじゃ。
実はわしも若いころ人間の世界にあこがれてな、東京に出てアニメの会社に勤めていたことがあるんじゃ。
虫プロといってな手塚治虫先生のプロダクションだった。もっとも全然ものにならずやめてしまったが、息子も同じように都会にあこがれたんじゃな。
ある日ふらりと出ていってしまった。どうしているかと気になっていたが、死んでしまったとはな。
でも花さん、あなたがいてくれた。息子の秘密を知りながら寄り添ってくれて、こんなかわいい子供までもうけて、あいつも幸せだったろう・・・・」
花は彼の姿を思い出した。
やさしい低い声、懐かしい匂い、あたたかな体の体温まで思い出された。
あなた、あなたのおとうさんが目の前にいるのよ。
胸に熱いものがこみ上げてきた。立ち上がると走ってテーブルを回り老人に抱きついた。
わあああああ・・・・・花は泣いた。うれしくて泣いた。
老人はそんな花の頭をやさしくなでてくれた。いつかの彼のように。
雪も立ち上がり花に抱きついた。
花はそばにいた雨を引き寄せて、今度はふたりをぎゅっと抱きしめた。
秋晴れの真っ青な空には雲ひとつ、ぽかりと浮かんでいた。


あれから老人は雨と一緒に時々家にやってくる。
野菜やキジの肉などを手土産にして。
それでなにをするのかと言えば、テレビでアニメを見ているのだ。
なんとトッペイじいさんはバンパイアの長老なのだという、えらい人なのね、と花が言うと雨が困ったような顔で答える。
他の仲間がいるところだと恥ずかしいからって、うちに来るんだぜ。
家にはアニメのDVDがめっきり増えた。
そんなふたりをくすくすと笑いながら花はみつめている。いまでもマンガ映画が好きなんだなぁと。
雪も帰ってくる。おじいちゃん、またアニメばっかり見てる。
と、いいながら三人で笑っている。
花は食事の支度をする。
「ご飯ですよーーー」
山の生活は、少しだけにぎやかになった。

おわり



あとがき

細田監督の「おおかみこどもの雨と雪」いい作品でした。
タイトルは非日常ですが、作品世界は日常そのもの。子供を抱えた母親の愛情に満ち満ちていました。
田舎の描写、畑づくり、里の人々、山の風景、そして生き生きと走り回る雪と雨。
とても美しくて、楽しくて、悲しくて、映画館で見ている時間が本当に短かった気がします。
で、映画館を出て最初に思ったこと、これ昔見た「バンパイヤ」とつながるんじゃないかな。
手塚治虫先生の名作「バンパイヤ」は少年サンデーに1966年に発表された作品で、水谷豊主演でTVドラマにもなりました。
この作品も私は好きで、作品の中に手塚先生本人が出てくるという特別な作品でもあります。
おおかみおとこって、バンパイヤじゃなかったのか。
だとすれば、他にも仲間がいるんじゃないか。
雪と雨はこれからどうなるんだろう。あーーー気になる。
じゃ、自分で書くか。 
ということろで、こんな話になってしまいました。
細田監督ごめんなさい。
メトロン星人 さま。

この素晴らしい文芸作品を再び読む事が出来て、大変嬉しいです。
有難う御座居ます。

願わくば、期間限定なんて仰らずに、ずっと読める状態にしておいて戴きたく存じます。

確かに、映画館での2時間の上映時間は、あっという間でした。
インターミッション付きの3時間オーバーの作品でも、耐えられるでしょう。
(『沈まぬ太陽』は、本当に体力勝負でしたよ。)

因に私、この「おおかみこどもの雨と雪」は、映画館で32回観ました。
半分以上は、新宿バルト9でした。
ここが最も画像がクリアでした。

これだけの回数を観ておきながら、DVD と Blue Ray Disc の両方を予約しました。
もう殆ど馬鹿ですねえ。

手塚治虫先生の「バンパイヤ」とリンクさせるところが凄いですね。
脱帽です。

これだけの文才のあるメトロン星人さんの他の作品も、読んでみたいですね。
いやいや、怪しい薬屋さん、32回見たあなたの方がスゴイ。
私は一回しか見てないし(笑)

でも、この作品を書くために監督が書かれた小説は読みました。
小説と映像が見事とにリンクしていて、すべてのシーンが脳内で再生できましたね。
この作品を書くときにも、その雰囲気を壊さないようにと気を配りました。
本当は、バンパイヤの心の闇をもっと書き込むつもりだったのですが、それも原作の雰囲気を重視して取りやめました。

他の作品も、とのことですが細田監督の話では「時かけ」のパロディで「時をかける日本沈没」というのがありますよ(笑)

32回も映画を観たのは、私は単身赴任者なので、夜が暇だったからです。
新宿って所は「眠らない街」ですので、深夜でも映画が観られるんですね。
しかし新宿バルト9は、レイトショーやミッドナイトショーの時間帯でも、割引はありません。

私がこの映画を初めて鑑賞したのは、8月30日でした。
それからは、あちこちの映画館に脚を運びました。
御蔭で、それぞれの映画館のスクリーンの特徴が良く解りました。
10月を過ぎると、新宿バルト9しか上映されていない状態になりました。
しかも、深夜の時間帯でした。
根っからの不眠症の私には、うってつけでした。
最終上映日の12月14日迄、付き合いましたよ。
まさか私自身も、此処迄のめり込むとは思いませんでした。
50年間の人生に於いて、映画鑑賞の最長不倒距離です。

『時をかける日本沈没』とは、面白そうな小説ですね。
筒井康隆と小松左京の、夢のコラボレーションですね。
是非とも、読ませて戴きたいと思います。
なるほど・・・それはすごいですね。
日本でいちばん見てるファンじゃないですかね。
私も映画は大好きで、劇場で見た作品だけでも3000作以上はあるなぁ。
特撮やアニメ、歴史にアクション、買い集めたパンフレットだけで段ボールで10箱以上あります。

「時をかける日本沈没」は、当時「時かけ」と同時に樋口監督の「日本沈没」が公開されていて、
時かけの舞台を沈みゆく日本に置き換えて書いた作品です。
では次の作品は、それにしましょう。
お待ちください。

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