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【般若心経♡般若倶楽部】コミュの梵文の原義にいちいち強く拘って愚直に訳してみたら、こうなってしまった^^;

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(当トピック作成初出:2010年11月22日)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
★★★
na mah ssa rva jnhya ya ,
一切の叡智なるものに敬礼します;
Aa ryaa va lo ki te shva ra bo dhi sa ttvo
神聖なる観自在菩薩は、
gaM bhii ra yaaM pra jjnhaa paa ra mi taa yaaM
深遠な"プラジニャーパーラミター(/完全本源叡智)"において
ca ryaaM ca ra maa No vya va lo ka ya ti sma.
修行を行じつづけながら、観察した:
pa nca ska ndhaah staa shca
sva bhaa vaH shuu nyan pa shya ti sma .
(「自分」とは、)五つの(〜諸事物の)スカンダ(/集積/蘊)としてある;
(そして、)その(そうした集積の)夫々は正に自性(/それ固有の主体的性質)としては
ゼロ(正味がない)である、と洞察した。
i ha shaa ri pu tra
今ここでは、シャーリープトラよ!
ruu paM shuu nya taa
"形象(/眼に見えるもの・有形なるもの)"は"ゼロ性(シュンニャータ)"であり、
shuu nya tai va ruu paM
(だからこそ)"ゼロ性(シュンニャータ)"はそのまま"形象"なのであり、
ruu paa n'na pR tha k shuu nya taa ,shuu nya taa yaa na pR tha gruu paM ,
"形象"と"ゼロ性(シュンニャータ)"は別ものでなく、
"ゼロ性"である事とは"形象"は別ものでなく、
ya druu paM saa shu nya taa ,
(おしなべて)"形象"であるものはその時それは"ゼロ性(シュンニャータ)"であり、
yaa shuu nya taa ta dru paM ,
"ゼロ性(シュンニャータ)"である時それ即ち"形象"であり、
e va mee va
正に前述の如くまったく後述の様に、
ve da naa saM jnha saM skaa ra vi jnhaa naa ni .
感受作用(/受)、想念(/想)、サンスカーラ(/前意識的造作力/行)、
認識作用(/識)もそうである。
i ha shaa ri pu tra ,
今ここでは、シャーリープトラよ!
sa rva dha rmaaH shuu nya ta'a la kSa Naa
すべてのダルマ(/存在・法則)は、"ゼロ性"にして特性が無く、
a nu tpa nnaa a ni ru ddhaa
生起せざるものであり、消滅せざるものであり、
a ma laa na vi ma laa  
汚れざるものであり、清浄でもなきものであり、
no naa na pa ri puu rNaaH .
減損することなく、円満することもない。
ta smaa c'chaa ri pu tra
その故に、シャーリープトラよ!
shuu nya taa yaaM na ruu paM ,
"ゼロ性(シュンニャータ)"においては"形象(/色)"も無く、
na ve da naa na saM jnhaa na saM skaa ra na vi jnaa naM ,
感受作用(/受)も無く、想念(/想)も無く、
サンスカーラ(/前意識的造作力/行)も無く、認識作用(/識)も無く、
na ca kShuH shro tra ghraa Na ji hvaa kaa ya ma naa Msi ,
眼、耳、鼻、舌、身体、マインド(/意)も無く、
na ruu pa sha bda ga ndha ra sa spra STa vya dha rmaaH ,
色彩(〜視覚の対象形象)も、音も、匂いも、味も、触覚も、
"ダルマ"(/認識対象)も、無く、
na cak Shu rdhaa tu ryaa va n'na ma no vi jnhaa na dhaa tuH
眼(-識)の領域から乃至〜意(-識)の領域にいたるまで無く、
na vi dyaa ,na'a vi dyaa ,
聡明(/明)も無く、無明(/無知・暗愚)も無く、
na vi dyaa kSa yo ,na'a vi dyaa kSa yo ,
聡明(/明)の消滅も無く、無明(/無知・暗愚)の消滅も無く
yaa va n'na ja raa ma ra NaM ,na ja raa ma ra Na kSa yo ,
さらに、老衰や死も無く、老衰や死がな無くなることまでも無く、
na duH kha sa mu da ya ni ro dha maa rgaa ,
不如意(/苦)も、その原因も、その制圧も、(その制圧の為の)方途も無く、
na jnhaa naM , na praa pti ra .
"知るはたらき"(/智)も無く、(達成すべき)対境も無い。
ta smaa d'a praa pti tvaa d'bo dhi sa ttva naaM
ゆえに、(就執するところの)達成対象の無きを以て、ボーディーサットヴァたる者は
pra jnhaa paa ra mi taa M'aa shri tya vi ha ra ty'a
"プラジニャーパーラミター(/完全本源叡智)"に依拠して行動するので
ci tta'a va ra NaH .
純イシキを覆うもの(バリアー)が無い。
ci tta'a va ra Na na'a sti tvaa d'a tra sto ,
純イシキを覆うものが何も有ること無いがゆえに、恐怖無く、
vi pa ryaa sa'a ti kraa nto ,
顛倒(妄想)を踏み越えて、
ni STha ni rvaa NaH .
究極の境地としてニルヴァーナ(/永遠の平安)に住する。
Trya dhva vya va sthi taaH sa rva bu ddhaaH
三世に在住するすべての覚者は、
pra jnhaa paa ra mi taa M'aa shri tya'a 
nu tta raaM sa mya ksam bo dhi M'a bhi sam bu ddhaaH .
"プラジニャーパーラミター(/完全本源叡智)"に依拠するが故に、
アヌッタラ・サムャク・サン・ボーディ(/この上なく真正で完璧無欠な悟り)に
(現前として完璧に)目覚めきるのだ。
Ta smaa j'jnhaa ta vyaM .
それ故に知ることができるはずである。
pra jnhaa paa ra mi taa ma haa man tro
"プラジニャーパーラミター(/完全本源叡智)"の偉大なマントラ(/呪言)を、
ma haa vi dyaa man tro 'nu tta ra mantro 'sa ma sa ma ma ntraH
偉大な智慧のマントラを、無上のマントラを、等しきもの無き(/比類無き)マントラを、
sa rva duH kha pra sha ma naH
(そのマントラが)一切の不如意(/苦)を鎮めるものであり、
sa tya m'a mi thya tvaa tca
(それは)真実であり、虚妄でないからであることを、
pra jnhaa paa ra mi taa yaa m'u kto ma ntraH .
"プラジニャーパーラミター(/完全本源叡智)"(の境地)において宣べられたマントラを。
ta dya thaa ,
それはこの様なものである:
ga te ga te paa ra ga te paa ra saM ga te bo dhi svaa ha .
往けり、往けり、超えて往けり、全て超えて往けり。覚醒(/悟り)よ、祝福あれ!
iti pra jnhaa paa ra mi taa hri da yaM sa maa ptaM .
これにて"プラジニャーパーラミター(/完全本源叡智)"の心髄が完成・完了する。
★★★
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※註(訳文の上に添えたローマナイズの原文について):

*悉曇文字によって音節単位で綴られ(時には縦書きもされる)音節単位の綴りを反映
 して表記してある
*同母音の連続は長音をあらわす
*[nh]と記した字は、通例[ñ]と転写される[ニャ/ニ/ニュ/ニョ]などの発音
*[sh]と記したものは、通例[ś]と転写される音(≒[ʃ]?)
*[c]は、[ʧ/チ]の音 *[j]は、[ʒ/ジ]の音
*大文字で記した文字は通例下に[.]を打って転写される子音であり、
 [M]のばあいは、日本語の[ン]と同様に、後につづく音次第により[n/ŋ/m]などに
 読まれる
 [H]の場合は私にはよくわからない [R]のばあいは[リ]と」聞こえる音
 それ以外の子音のばあいは、そり舌音であろう
*[']で分けたた綴りは、発音としては1字にまとめられているが、
 意味的には前後の単語にかかる音
*句点と読点については、原文に付いている位置に忠実に付けてある

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※この度は、
 サンスクリット(原文)による文意をできるだけ律儀に忠実になぞった日本語訳
 をつくってみました。。
¥¥¥
※尚但し、私はサンスクリットの知識自体はとぼしいので、、
 下記の文献による解釈を参照・比較検討して訳文を作成しました。。

(結果、通常定番とされ権威あるかの「岩波文庫」版/中村元・紀野一義
 による和訳文(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28157462&comm_id=60499
 の中ほどあたりに転載文あり)は、かなり誤訳乃至迷訳な部分も多いとおもえます。。)

(で、結局拙訳は、たぶん余所では見られない、独自訳みたいな様相になって
 しまっているかもしれません…
 日本語の訳文も日本語としてこなれてていない生硬な表現のままですが、、
 日本語としてこなれるために、勝手な解釈にて元の微妙な言い回しの構造を
 歪曲しないように極力こだわった訳文にすると、こうなってしまった、という訳…)

*<参照文献>
☆手帖版 梵字般若心経 (木耳社手帖シリーズ) [単行本] 徳山 暉純 (著)
 http://www.amazon.co.jp/%E6%89%8B%E5%B8%96%E7%89%88-%E6%A2%B5%E5%AD%97%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C-%E6%9C%A8%E8%80%B3%E7%A4%BE%E6%89%8B%E5%B8%96%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E5%BE%B3%E5%B1%B1-%E6%9A%89%E7%B4%94/dp/4839346534/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1289615426&sr=1-2
☆般若心経完全マスター・バイブル(碧海龍雨) 後篇第七章
 ステップ3≪サンスクリット語の般若心経に馴染む≫
 http://www.hannya.net/bongo.htm 
☆般若心経マスターバイブル(碧海龍雨) 後篇第7章
 【ステップ4】全単語を正しく理解する
 http://www.hannya.net/masterLC7-1.htm 
☆[PDF]『般若心経』梵文和訳ノート(長澤弘隆)
 http://www.isis.ne.jp/shinkyoNote.pdf
△ぷらっとさんぽ
 (悉曇文字やデーバナーガリ文字による梵文テクストも対照して見れるサイト)
 http://www.1-em.net/sampo/hannya/
△土屋さん 「般若心経における空思想への批判」 2007,11,7,
 http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha321.htm 

====================================
※いろんなサイトにて掲載されているサンスクリット原文を些細に見てみて気がついた事:

ローマナイズされた翻字についても、各サンプルに於いて悉く細部に違いあり、
フレーズの異動さえあり、、どれが定番の読み方であるかは不明…(>_<)
しかも、それらにつけられたフリガナについても、悉く原文に一致していない誤記や
記載漏れなども散見され、やはりどれが定番な読み方であるかも不明…(>_<)

梵文の般若心経の文意の流れには、玄奘漢訳版に見るようなシンメトリカルで詩的な表現
はどこにもなく、微妙な複合語によりニュアンスを変えた言い換えだらけで、、
梵文版の文章は甚だ散文的なものである…

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<参照トピ>
☆サンスクリット(梵文)の般若心経について:
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28157462&comm_id=60499
☆梵語の意味と日本語の意味って同じ?:
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12363601&comm_id=60499

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