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【般若心経♡般若倶楽部】コミュの【心経音頭】注釈・解説篇(A面)

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(2010年10月28日:本トピ作製初出)
(2012年10月02日:少々加筆修正)
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2006年08月〜09月発表の元歌(本編)は↓コチラ
バッド(下向き矢印)
<A面>http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9420692&comm_id=60499
<B面>http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10507364&comm_id=60499

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※【ぶっとび心経音頭】注釈篇

先日公表(2010年10月06日:増補改訂第6稿)致しました処の
『【汎惹法螺滅多心経】(改新般若心経)/意訳と解説篇』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=56761320&comm_id=60499
も、併せてご参照ください m(_・_)m

本来、本作の原型が出来たとき(1998年春)から、本作には自作の節回し(曲)
も伴っているのですが…、、筆者の技能・技術力が無い所為で、そのメロディは
未だにネット上に公表することが出来ていない事は、残念です…
*
筆者に電話していただけば、唄って聴かせてあげることができます(^^;) 

 ここで、本作の原型が出来た当時のエピソードも少々披露してみまましょう^^
1998年春四月上旬、花祭り(釈迦の誕生日)の頃に、ふと思い立ったのが、
「般若心経」を歌の形式に訳してみようかという発想でした…
 更に遡って1987年大晦日〜1988元旦にかけて、筆者にはとてつもない神秘体験
があり、「色即是空」と「受想行識」の意味が完全にワカッタ、悟った、或いは
これで少なくとも「涅槃」や「阿耨多羅三藐三菩提」にリーチがかかったとの
思いこみ(?)があり、少なくとも「般若心経」を分かり易い日本語で説明できる自信
はあったのです…
 ちなみにその頃には「般若心経」の文言を少し取り入れた自作の独自のお経の
ようなものを(手書きにて)つくりました…
そのエピソードや「お経」のサンプルは、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45387582&comm_id=60499に少し書いてあります
 こうした背景や土台があったので、少なくとも「般若心経」を分かり易い日本語で
説明できる自信はあったのわけで、、
 かの花祭りの頃から1ヶ月ぐらいかかって文案とメロディ案を歌いに唄いながら
ワープロにて執筆と推敲を重ねて、、結局一応の完成を見た印刷物もできました。。
 それの作業に没頭していた期間に於いても、とりわけ完成に近づいた頃に
以前の体験をも上回るとてつもない神秘体験がありました。。
『観自在菩薩』(もしくはOSHO?)の声が空耳が幻聴のように聞こえてきて…
【心経音頭】に反映されるべき歌詞やメロディを教えてくれたのでした…
 そのときの原稿が完成したときには、文字通り有頂天の極みにて、、
1週間くらいは昼夜をとわずその【心経音頭】を大声で唄い踊り狂いつづけて
おりました…(^_^;)
 そして結局その原稿は、
(現在 mixi に掲載しているものと細部の違いはありましたが…)
【心経音頭】A面・B面とも各々52行からなり、A4版の用紙に印刷すれば丁度一枚
のスペースにて比較的読みやすい大きさのフォントで収まるものでした。。
ちなみに、その印刷物は縦書きにプリントアウトしまして、歌詞の部分を上部に、
その各行の下部に対応する参照用漢文を配置して、(上部も)下部の漢文行末も
一直線に揃った、まことに見栄えの良い美しいレイアウトに出来ていました^^
 ちなみに、これをA3版の用紙にの表に【心経音頭】A面とB面を印刷し、裏面に
喜納昌吉【花(すべての人の心に花を)】の私訳エスペラント語版、とついでに
【心経音頭】のPR宣伝コピーを印刷して二つ折りにしたものを【わがお経】として
( mixi に発表以前には〜)各地のヒッピー祭りに参加する度に、、
配って廻っておりました…

その後、本作の mixi に於ける発表時(2006年夏)の原稿は、一太郎にて作製、
右側に配した対応漢文テキストは、末尾が全部同じ高さに揃うように編集して
ありましたが、そのレイアウトは mixi の画面に移したときには反映されない
様相にて、あまり見栄え良くなっていないことは残念です…
(本原稿では少し変えて参照漢文は括弧に入れて右隣に添えました)

尚、「歌詞」は駄洒落の表現を多用しているために、漢字書きは必要最小限に
とどめ、ひらがな・カタカナを多用しています( mixi 掲載版)

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<♪心経音頭(A面)♪ >

こちらの歌詞の内容は、どちらかというと、梵文(サンスクリット)版般若心経の文意の流れに沿って
作られています…
右側に添えた漢文は、この作詞者が適当に付けた、あくまでも参考までの漢訳
にて、必ずしも、日本の皆さんがお馴染みの玄奘訳漢文版と同じではないです…

♪♪♪♪

●そら!すーすー スートラらった!すらすら スイスイスイ....(心経=the Sutra)

*さあさあ皆さん!これからスートラ(=お経)がはじまるよ〜〜ん!!


●ハンニャハラミタ!、 (帰命一切智)

*この冒頭の一句が漢訳心経では:
「○○(任意)○○(任意)般若波羅蜜多心経」というタイトルの唱えになる。
*拙作に於いてはここは「般若波羅蜜多!」と短略。

●かんじざい〜  (聖観自在菩薩)

*「般若波羅蜜多(菩薩)は観自在(自由自在に物事を観れる)であり」、
〜と解されてもよし。。

●ぼさつのチエを みがくとき ( 行深般若羅蜜多時)

*「般若羅蜜多」=「(観自在)菩薩のチエ」と表現。。
*「深く行じつつある時」:
〜B~Sat~「観自在」がそのアイデンティティでもある「智慧」のパフォーマンスに、
よりいっそう深く磨きをかけるべく瞑想しているときに、、
⇒「チエを磨く時」と表現

●み照りゃ五シキの 蘊固な雲も  (照見五蘊)

*「見照りゃ」との解釈も可←「照見」)
*五蘊:
〜「5集類(五式/五色/五識)の蘊蓄してかたまったモノ」
又、空(そら)に蘊集する「雲」のようなモノとも例えてみた。。
*「この世の全ての構成要素は5種類(の集合物)であるとのここでの「教え」(の解釈)を
筆者としてはあまり信用していない。
〜おおよそ5種類に分ける、というのはあくまでも便宜的なひとつの仮の分け方であろう…)

●あつまるソラの みなカラっぽさ〜 ( 諸自性空)

*元梵文原義:「それら全て諸々)の自性はカラである」
⇒雲のある空(ソラ)も本質は空(ソラ/カラ)である)

●モンダイ一切 かたづけましたよ ( (*度一切苦厄))

*サンスクリット(梵文)原文には「一切の苦厄を渡した」との表現は存在していない。

●さぁサ、おききなさい シャーリィくん! ( 於此、舎利子)

*さぁサ、お聞きなさい」←「『今/ここ』」に於いて」(*梵語「イハ」)
 
♪(茶々)

●カタチに見るモノ、カラの結え (色是空、空如是色 )

*ここは梵典では、「色不異空、空不異色」という句の前に
「色は空であり、空であるからこそ色でありうるのである」
という表現がある。これには、
「色性是空,空性是色」/「色空,空性見色」等という違訳漢典の例もある。
*拙作では「色=梵語『ルーパ』」の本義;「形として眼に見えるモノ」をまず出し、
、それは「空(カラ)」なるモノを「ひらかれたモノ」と解し、それの結ばれた(とじた)姿
、が「色」である、との解釈…)

●カラぞモノにも ちがいなく (空不異色)

●モノぞカラとは 入りぐち出ぐち(/うしろにまえに) (色不〜)
*『後ろに前に』という挿入句は、なんとなく歌いながらの語呂から自然に
出てきた。
吾が観自在菩薩の天声からそう聞こえて来たので、たぶん必要な句 なのでであろう。
〜「表に裏に」/「左に右に」、と言い換えても可。
〜色と空は、人の物の見方の方向次第によってどちらにもなるのだ、という含意)
〜【2012年10/23:『入りぐち出ぐち』という新解釈を導入!】

●なまえはちがえど ちがわんモノだよ〜 (異空 )

*色」と呼んでみたり「空」と呼んで見たり、、或いは「後ろ」とか「前」とか、
人の見る方向次第にて「呼び名」は変われども、同じひとつの事象の事です。

♪(ホレ!)

●モノこれすなわち カラなのさぁ (色即是空)

●カラこれすなわち モノなのさ! (空即是色)
 
●かんじ・かんがえ・くわだて・ふんべつ な (受想行識)

*「受・想・行・識」(感覚・イメージ・意志・知識、などと訳される例もあるが、、
それぞれの正確な原義を詮索して正確に訳そうとしても余り意味ないと考える。
〜これら(の精神作用)を「四蘊」と呼んで四つに分けたこと自体もあくまでも便宜的な事であろう。
〜だから、四蘊のそれぞれの意味には色々な解釈もあってかまわないし、
〜適当に割り当ててもかまわないと考える…
*「感じ」、「考え」、は頭韻にして揃えた

●こころのカタチも 仕組はおんなじさ〜 (亦復如是)

*ここでは「色」はカタチ(形象)だから、こころ(ひろく精神作用一般)のカタチ
も、
〜人の名付ける見方の方向次第にて同じ事が「ひらき」にも「とじ」にもなる、
というシクミがおなじだ、、
また「出」の側になったり「入り」の側になったり、との出入り口を思い浮かべてもよい。
*類例:勝者の側から見た事実「勝った」⇔同じ事物を負けた側から表現すれば、
⇔「負けた」が事実。。
〜との解釈…

♪(ア ホイ!)
●おききなさーい、イマ・ココで! (於此、舎利子)

*二度目以降の「舎利子!」という名前の呼びかけは拙作では省略した
*梵語版では「シャーリプトラよ!」という呼びかけは3回出てくるが、
〜玄奘漢訳版では「今・此処に於いて」は省略し、「シャーリプトラよ!」も3回目は省略している…
*拙作では寧ろ、「今・此処に於いて」という表現の方を強調^^

●すべての、ダルマは・「法則」は (是諸法)

*頻出する「諸」という接頭語は梵語「サルバ」にて「一切の/全ての」という意味。
*梵語「ダルマ」は通常「法」と訳されるが、「存在」という意味もあり、
、「法則」という意味もある。
*拙作では、「ダルマは」・「法則は」と二重に述べて、「ダルマ」の意味の説明を兼ねる)

●カラのありかた  カラナナリ〜 (空相無相 )
*空な在り方/空な成り
*身なりの「なり」のごとく「なり」と表現
*梵典での表現は:「空相にして無相」

●うまれもなければ ほろびもない (不生不滅)

●よごれもなけりば きよみもなーい (不垢不浄)

●へってもいなけりゃ ふえてもいない〜〜(不減欠不増満)

*「不増不減」ではなく「不減不増」となってる処にも注意(!)
*サンスクリット文での原意は『減損することもなく円満することもなし』

♪(ソーレソレッ!)
                     
●だからカラなる ナリのなか〜 (是故舎利子、空中)

*「是故、舎利子!」の「舎利子」は拙作では省略…

モノからこころの カラクリからして (無色無受想行識)

*「モノから」←「無色」
*「こころの絡繰り…」←「受想行識」を一言にまとめた

●めみみはなくち からだにこころに (無眼耳鼻舌身意)

*「舌」は、ここでは、歌う場合語呂が良くなく「下」とも同音なので、、
あえて避け「口(くち)」と言い換えた。。
〜味覚器という意味で大雑把に…

●みえてきこえて におってあじして (無色声香味)
 
●ふれてのっとる なんたるモノまで〜 (触法)

*「のっとる」;一応「法る/則る」だが、「こころを乗っ取るもの」という含意も…

●ナイナイづくしの うつろのカラから〜

*「無〜」の連打なわけだが、
〜これら「六根〜六境」も本質が「穴」たるとの解釈にも留意…
 
♪(五つの塊り カラカラカラカラカラーー ((欠五蘊))

♪(六つの器も カラカラカラカラカラカラーー ((欠六根))
**
*いわゆる「五蘊」も、「六根(*視覚器、聴覚器、嗅覚器、味覚器、触覚器、意覚器)」も、
〜皆「空」たるスペースたる「穴」によって存立し機能している気管であるにも留意してください…)

♪(茶々)(ソッ から、) 
             
●眼にみたせかいは ナイせかい (無眼界)

*「無眼界」=「眼界が無い」:
←拙作ではやや違った解釈にしてもよく。、
〜ここでの眼界に見える世界は「無の世界」、或いは「無」がここでは「見える」…

●分かったせかいも ナイせかい (乃至無意識界)

*「意-識界が無い」:
←拙作ではやや違った解釈にしてもよく、例えば、
〜ここでの意識界にて認識できる世界は「無の世界」、
〜或いはここでは、まさに「無」の世界がワカル)
**
(虚ろの空の穴から覗いたら、そこで「無の世界」が「見えた!」、「ワカッタ!」、
〜という感動的な場面です^^…

●サトリもマヨイも 老いて死ぬにも (〜無明無無明亦無明尽

*元梵文〜:明/智は無く、無明/無知も無く、〜

●もともとナイシ きりもナイ (〜無無明尽乃至無老死)

*元梵文〜:明/智の終焉も無く、無明/無知の終焉も無く、〜
**
*梵文版の表現構成は;『無明、無無明、亦無明尽、無無明尽』。
←一方、玄奘漢訳では;『無無明、亦無無明尽』、と短略化されている。。

♪(茶々)                (〜亦無老死尽)

●くるしみもナイシ はじまらナーイ! (無苦集〜)

*「苦」:梵語「dhukha」の原義は「おもうようにならないこと」、
〜「なやみ」といいかえたほうが解りやすいかもしれない…
*でも、「苦」という漢字のイメージにて「ちぢ固って苦しい」という概念bも捨てがたい…

●やめるも止めやる みちもナイ (〜滅道)

●知るものはイナイ なし得はしナイ (無智亦無得)

●「明智というものはない」が原義?、
〜ここでは「智者は居ない」という解釈を採用。
←その出典が何処だったかは失念…

●そもそもなし得た ものじゃナイ (以無所得)

●カラ、                      ( 故)

*「無知無得、以無所得。故、菩提薩埵…」:
〜(知る事も)得る事も無い、(because)得る所無きが故に
、と読まれる向きも多いようだが…、、
*同じ漢訳テクストを用いる中国、朝鮮、ベトナム、に於いてもここは、
「無得。 (「以無所得(with no attainmant)」故(then)菩提薩埵…」
となっている。。
〜「所得/達成」無きがゆえに菩提薩埵は、〜〜(→ニルヴァーナまで究めるに至る…)
*本作では、
「>無得、←(because)得る所無きが故に」、と読まれる向きにも、
、以無所得故(無所得の境地を以ての故に〜)、菩提薩埵は云々
〜と読まれる向きにも、どちらとも取れるような歌詞にしてある…

●ボーデイサッツバ、ハンニャハラミタ・ (菩提薩唾)

*「菩提薩『唾』の「唾」にも注意^^。
 拙作の発表当初の頃は未だ『埵』という漢字はPCで表示できなかった。
 当時、余所のテキストでは『埵』の字は「た」と書いてあったり、「土垂」などと
いった表示にてまこと無様であった…(>_<)
〜筆者はこの代用字として「埵」の字と同音で字形もよく似ている『唾』を採用^^
〜ついでに「ボーディーサトヴァ」も「ボーデイサッ『ツバ』と訛って表記した^^)

●ひがんにゆきつく チエのおかげで〜 (依般若波羅蜜多故)
**
*「般若波羅蜜多=彼岸に行き着く智慧」と音訳と意訳を併記。。

●ココロにかかる クモリもナイナイ! (心無罣礙)

*「こころに罣かるクモリ」:
〜青空の如き純粋意識(*無心)の「空」(そら/クウ)に、
罣かる(カカル)雲のごとくに遮蔽物となり、影をつくり、意識を曇らせるところの
〜 「マインド」(*受想行識の四蘊の別名。又は五蘊全部にも相当。)のこと。

●クモリなければ こわいものナク (無罣礙故無有恐怖)

●天地転倒、マヨイも離れちゃ〜 (遠離(*一切)顛倒妄想)

*ここでの「一切」という一句は、梵文版には無いし、じつは玄奘の漢訳にも無い。
*日本の般若心経(漢訳)にはこの「一切」が入っているのが一般的だが、
*中国、朝鮮、ヴェトナム、の漢訳般若心経にはこの一句は入っていないのが一般的。。 
**
*「顛倒」は「迷妄」の意。
〜日常馴染みがの少い「顛」という漢字が使われるとかなり多義的になり解りにくいが、
〜ここではどちらかというと「転倒」(*逆さまにひっくり返る)のほうが相応しいのだが、
いちおう「迷い」という訳語も加えておいた。。
*「顛倒夢想」←歴史には実際「顛倒「妄想」」と表現した違訳の漢訳本も存在する。
*これは、もともと「顛倒・夢想」という2語の表現ではなく、
〜梵典では「ヴィパルャーサ」という1語による表現だから「転倒」だけでもよい
*拙作では、『遠離転倒夢想』を、文字通り天地がが転倒した世界観の逆転と捉えて、
*「天地転倒、迷いも離れちゃ〜」という表現にした^^

●やすらぐ宇宙は ニルヴァーナーー! (究竟涅槃)

*「やすらぎの境地=ニルヴァーナ」という意味…
 
♪(茶々)

●かこにみらいに げんざいに (三世)

●ホトケにめざめし モノどもはみな (諸佛)

*「モノ=物/者」←山川草木悉皆成佛^^

●ハンニャハラミタの チエのおかげで (依般若波羅蜜多故)

●カク「得」するべき 「成」果もナケレバ〜 ( (茶々ツッコミ))

*「以無所得故」という前提条件を再確認しています^^

●「チエの完成」、サイコー!正解! (得阿耨多羅三藐〜)

*「智慧の完成」は「般若波羅蜜多」の一般的な訳語のひとつ、尤もそれでは誤訳、
との評も… 

●かんぜん光明 かくせい達「成」さー!! (〜三菩提) 
**
*梵典では「アヌッタラ・サムャク・サンボーディ」=無上の正しい完全な悟りを
〜「得る」とは表現していなく、、
〜「『アヌッタラ・サムャク・サンボーディ』に覚醒する」との表現。

*「無上」→「最高」、「正しい」→「正解」、「完全な悟り」→「完全光明」 
⇒覚醒、達「成」さ〜!:
〜以無所得=原意「達成するということはない」、という前提と矛盾した表現;
〜「『得』得阿耨多羅三藐三菩提」を茶化して、遊んでいます^^;
  
♪(ハイ!)

●だカラ知るべし ハンニャハラミタ、 (故知般若波羅蜜多)

●どえらいマントラ!めざめのマントラ! (是大神呪、是大明呪)

**「マハー・マントラ」→「大神呪」→「偉大なマントラ」→「どえらいマントラ」)
**「マハー・ヴィディヤ・マントラ」→「明智のマントラ」→「覚醒のマントラ」→「目覚めのマントラ」)

●キワメのマントラ!トンデモない様な (是無上呪)

*「ヌッタラ・マントラ」→「無上呪」→「極めたマントラ」→「極めのマントラ」)
**
*めざめの」、「きわめの」、と韻を踏む…)

●超ユニークなマントラァ!が (是無等等呪)
*「サマサマ・マントラ」→「比べるもの無きマントラ」→「唯一〜」→「超ユニーク〜」)

●すべての悩ヤミも フッとばす! (能除一切苦)
(2012/0925 改訂:「苦悩」→「悩ヤミ」)
〜声に出して歌うばあい、「苦悩」というカタイ音が不調和かな)
*「〜ヤミ」とカタカナ表記を加えることによって「無明の闇」を連想させる…

●本当なんだよ! ウソじゃナイんだから〜 (真実不虚故)

*「真実不虚、故説「〜般若波羅蜜多」ではなく、
 「真実不虚故。説「〜般若波羅蜜多」」という構文が本来)

♪(サア!)                        (説) 

●そう教えたカラ、ハンニャハラミタ! (有於般若波羅蜜多)

●チエのスートラ!みやげにマントラ! (所説之呪)

●ソラ! ハートのうただよ! ( 即説呪)

*「心髄的なマントラ」という意味でもある

こう、うたいなさーい〜〜〜 (曰)
****
*梵典の表現では;
〜「般若解脱の境地に於いて既に宣べられたるマントラがあり、すなわち次の如し」
 
♪(ホラ!)

●Gate, Gate, Paragate, (掲諦掲諦波羅掲諦)

●Parasamgate!  (波羅僧掲諦)

●Bodhi! Svaha!! (菩提娑婆訶)

●(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーデヒー スヴァーハー)

⇔GATE GATE PARAGATE PARASAMGATE BODHI SVAHA !!

♪GATE GATE PARAGATE PARASAMGATE BODHI SVAHA !!

♪GATE GATE PARAGATE PARASAMGATE BODHI SVAHA !!

 (マントラ、リフレイン。。)


*ントラは、歌う様に節つき唱えるのが、大方は世界の常識です^^
〜このマントラを節回しらしい節もつけず、無味乾燥に棒読みするのが最も一般化
してしまっているのは、
〜恐らく日本特有のつまらない現象でしょう^^)

♪♪♪♪

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

<♪心経音頭(B面)♪>の注釈篇は↓コチラ
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=57503497&comm_id=60499

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