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10人10色の出産物語コミュの死闘19時間 M.Kの場合

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2005年11月21日 深夜
夜中にお腹が痛くて何度か目が覚める。時間はバラバラ。
2時間おきだったり、30分おきだったり・・・
あいかわらず多目のおしるし(出血)が続く。とうとう来たかな〜陣痛。
前の晩にちょっとしたトラブルで、会話のないまま別々に寝た旦那さんには黙って朝まで耐えました。

朝6時頃 
そろそろ等間隔にお腹が痛くなるようになってきた。
心待ちにしていた陣痛だったけど、いざ来るとなると
ちょっぴり不安・・・ 10分間隔で痛くなるようになってきた。
何も言わないまま、出勤の準備を終えた旦那さんが玄関から、
『おかん、ほな出るでぇ』とだけ声をかけてきた。
「なんでこんな時に・・・」と思いながらも玄関まで出て行くと
不安な気持ちと寂しい気持ちとなんだかわからんけど、
「なんでそんなに無関心でおれるん?血出てんの知ってるのに、
身体の調子どう?とかないの?もう10分間隔で痛いのに」って言いながら自然に泣いてた。
『えっ!!10分間隔?!』って旦那さんはびっくりしてた。今日の現場は宝塚。しかも1度でも現場に行ったことのある人でないとは入れない
ちょっと特別な現場で、普通の現場職人の一人として入っているいつもの現場だったら
すぐに休めるけど、今日ばかりはちょっとそういうわけにも行かない。とのこと。
担当の営業さんに電話して、なんとか代わりの人若い職人が明日現場に行ってもらう段取りがついて、
旦那さんは1日一緒にいてくれることになりました。
マニュアル本で「10分間隔になったら病院へ連絡しましょう」と書いてあったので
助産院へ電話をかけると・・・≪今のうちにゴハンをしっかり食べて、
家の整理をして、余裕があったらお風呂に入って、5分間隔までがんばれ≫とのご支持。
旦那さんが残り物のおでんを温めて、玉子焼きとシュガートースト、山盛りのごはんの
朝ごはんを用意してくれて一緒に食べました。いつの間にか昨日のわだかまりはなくなっていました。
いつも朝食はトーストのみさきちですが、この日はだんなさんが「がっつり飯のほうがいいんちゃう?」と
いうことで、結構な量の朝ごはんを食べました。
腹痛の方はホントにきっちり10分間隔でやってきて、痛いときは生理痛みたいな感じ。
メモ紙に腹痛の時間を書いていくと10分間隔が7分位になり、10時頃には5分感覚に。
きっちり5分感覚になってきたのでそろそろ準備して産院へ向かおうかと、
身支度をすることになったのですが、5分に1度腹痛がやってくるので1つの用事を5分以内に済ませ、
痛みが来る前にリビングへ帰ってくるという方法を取り、歯を磨いてはリビングへ帰り、
荷物の確認をしてはリビングへ帰り・・・を繰り返しました。
リビングでは痛みがくると、旦那さんが後ろからお腹をさすってくれて
「ふぅーふぅーっ」と一緒に呼吸もしてくれて、ずいぶん楽になりました。

10時過ぎ 産院へ
車で一緒に産院へ向かいました。
センセーは顔を見るなり「痛そうやな。でもまだまだ・・・^^」と笑顔でした。
お腹の赤ちゃんの様子を見るNSTをつけながら
内診をしてもらうと、子宮口はまだ3cmしか開いてませんでした。
身体を温めてもらうマッサージをしてもらって、様子を見ましたが
顔の表情やみさきち自身の意識具合からまだまだと判断され(今思うと自分でもこのころの記憶ははっきりある)
車があるし、旦那さんが一緒にいてくれることもあり、いったん家へ帰らされました。
今日は実家の母と一緒に初着を見に行く予定だったのを、電話で状況を説明しキャンセルしたら
母が家まで来てくれることに。瓢箪山駅で待ち合わせをして一緒に家へ帰りました。
この頃は痛みが来ると立っているのもきつくなってきてました。

12時頃 家へ戻る
いったん車で家へ帰り、お昼ゴハンを食べようと旦那さんが原チャリで万代までお買い物に行ってくれました。
吐きそうに気持ち悪くなっていたみさきちは、それでも何か食べないといけないと思って
食べられそうなもの・みかん・プリン・アイスクリームをリクエストしました。
ヨーグルトやプリン、イチゴに高級なアイス(和ごころ)等たくさん買い込んできてくれたのに、
みさきちってば全然受け付けず、イチゴを2つぶとカフェオレ粒アイスをひとつ口へ入れてもらっただけでした。
旦那さんと母にはお昼ごはんを食べてもらって、(暖かいカップそばを旦那さんは匂いがイヤだろうからと
隣の部屋で食べてくれていました。)みさきちはリビングで四つんばいになり、毛布を丸めて腹に抱きながら、
ソファに顔をうずめて痛みに耐えていました。そろそろ陣痛が来ると「痛い〜!」と声が勝手に出るくらいの
痛みになってきていて、腰を強めにさすってもらうと少し楽になっていたので、母と旦那さんに
ずっとさすってもらっていました。
そうこうしてる間にみさきちの痛がり方がきつくなってきたようで(みさきち自身は家でどれくらい
陣痛に耐えていたのかわかりませんが、時間にすると3時ごろまでだったようです)
「2回も家に帰れとは言われへんやろう」ともう1度産院へ向かいました

再度、産院へ到着した私たちは診察室を通り抜け、分娩室へ入りました。
と、いってもいきなりお産が始まったわけではなく、分娩代の隣の小さな畳の部屋で
少し待機ということに。ホットカーペットでぬくぬくの床の上で円柱形のクッションに
またがり大きな丸いクッションをお腹に抱きかかえると少し楽な感じがしました。
抱きかかえていたクッションの目の前には14インチくらいの小さなテレビがあり、
「気を紛らわせてリラックスしましょうね」とテレビをつけてくれたのですが、
時間も時間だっただけに(平日の4時位ですから・・・)
なぜがお相撲が流れていました(笑)みさきち自身は見ている余裕もなかったのですがね。
(あまりこの辺の記憶ははっきりしていません)

破水
時間にして1時間くらいでしょうか、痛がっている様子から内診をすることになり
分娩台へあがることになりました。ぬくぬくの畳の上から立ち上がったとたんに
「ぱつん」という音がして生温い液体が流れ出ました。そうこれが有名な「破水」。
例えるならおもらしのような懐かしい感覚でしたが、おもらしと違うところは自分で
止めることが出来ないこと。分娩台へ向かって1歩歩くごとに羊水が流れ出るのはなんだか妙な感覚でした。
(出血していたのでオムツのようなお産用パットをしていましたのでご安心を)
いざ分娩台に上がることになったのですが、分娩台って結構な高さがあり、普段なら平気だと思うのですが
痛みに耐えながらの動作は非常に鈍く、分娩台へ寝転ぶまでがやっこらせ。
内診をしてもらいましたが、子宮口はまだまだ狭く、赤ちゃんの位置も高い。
その上お昼頃からずっと吐きそうに気持ち悪かったのが、分娩台に上がって一気に高まり嘔吐。
「すっきりしたかぁ〜?今日中には産まれるかなぁ〜」との助産婦さんのお気楽なお言葉に
「今日中か。今日中・・・」と心の中で何度もつぶやきながら、また痛みに襲われていました。

自分の部屋へ
内診の結果、まだまだ時間がかかりそうなので、一旦自分の個室へ通されました。
みさきちが選んだ産院は部屋数が5部屋しかない小さな産院で、産まれた日から母子同室の個室だったので
部屋にはお母さん様のベッド、赤ちゃん用のベッド、テレビ、ビデオデッキ、エアコン、加湿器、冷蔵庫、
整理たんすまで完備されているまさに「お家の一部屋」な感じの快適な部屋でした。
(もちろん部屋の様子をまじまじと観察できたのは、お産が終わってからですが・・・)
個室では床で丸まったり寝転んだり、ベッドで寝ながら腰をさすってもらったりして
時間をすごしたと思います。お昼ごはんを食べていなかったので、センセーが
「今のうちにしっかり食べとかな、まだまだ先は長いのに、バテるで!」っと、
鮭入りの小さなおにぎり5.6個とおからの炊いたの、りんご等を部屋まで運んでくれましたが、
ほかほかおにぎりの匂いがするだけで吐きそうになっていたので、りんごを1カケだけかじった後は
旦那さんと母に食べてもらいました。部屋ではテレビがかかっていましたが、
面白くない時間帯だったようなので、たぶん7時頃まで部屋にいたんだと思います。
助産婦さんが何度も部屋に様子を見に来てくださって、「そろそろどうかな?」と内診を受けることに。

再度分娩室へ
陣痛と陣痛の間の痛みのマシな隙を見て、2階の自分の部屋から1階の分娩室まで降りることになりました。
自分の体重の95%位を旦那さんに預けてやっとのことで階段を降りました。分娩台へ上る前の和室で
うずくまってしまい、しばらくは動けない状態になりながらも、やっとの思いで分娩台へ上がりましたが、
やはりまだまだ時間がかかりそう・・・ せっかく分娩台へ上がったのでそのまま陣痛に耐えていましたが、
なんとその時、もうひとり陣痛が始まっている妊婦さんが産院へ到着。
後で聞きましたがその妊婦さんは5時位に産院へ到着する予定でしたが、何らかの事情で遅れてしまっていて、
悲痛な表情で産院へ到着。子宮口の具合など内診をするためにみさきちはお邪魔になってしまいました。
で、お産までまだまだなみさきちは診察室へ移動。診察室の奥のベッドでNSTを付けながら陣痛に耐えることに。
このころから陣痛は2つの山があることに気付き始めていました。差し込む痛みがきつい山と、
それに比べると少し痛みが小さな山。痛みと痛みの間が何分かはわかりませんが大きいほうの山が来る前は
痛くない時間がほんの少し長くて、その分余計に大きな山が来るのが怖かったのを覚えています。
「子宮口が十分に開いていない状態でイキんでしまうと、表からは見えない子宮の奥の口が裂け、
大量出血になってしまい、専門の病院へ搬送されることになるよ!」とセンセーに何度も注意されていたので
痛みがきてもひたすら息を吐き続け、痛みを逃がすのですが、その大きな山の陣痛のときには力を
入れないでいるということはもう無理で、どうしてもぐっと力が入ってしまいます。
そりゃそうでしょう、人間「痛い!」と思った瞬間には身体に力が入るものです。
それをしないでいるのはなかなか大変でした。痛みの山が来ると力を抜こうと、ひたすら息を吐き続けるのですが
途中でか呼吸になってしまい、顔の表面と太ももの前の皮膚がジーンとしびれてくるようになって来ました。
それでも、ひたすら痛みを逃がし続けるのですが、大きな陣痛の山では逃しきれずどうしても2度ほど力が入って
イキんでしまっていました。イキんでしまうと羊水か出血か解らないものが漏れるので、
すごく怖かったことをよく覚えています。

診察室の奥のベッドで陣痛に耐えること2時間ほど。
後からやってきた妊婦さんの「イタ〜〜イ!!」という悲痛な叫び声がだんだん大きくなってきたかと
思っていたら・・・「おぎゃ〜〜っ!!」という元気な赤ちゃんの産声が!!^^
先を越されてしまった上に自分のお産はまだまだだし、相変わらず陣痛は痛いし、後の妊婦さんのスピード出産に「ええなぁ・・・」と真剣にへこみました。

母がたいへん
それからまた陣痛は続き、いつの間にか母がセンセーに診察室で血圧を測ってもらっていました。
母は元から血圧が高めな上に去年の年末には脳梗塞も患っており、なんだか気分が悪くなってきたとのこと。
思ったとおり血圧は上昇。精神的にもしんどかったようです。みさきちは32歳にもなっていますが、
やはり母にとってはいつまでたっても子供なんですね。長い間悲痛な顔で痛がっている姿を
見続けているのは、少し母には堪えたようです。実家に待機している父に迎えに来てもらうように
連絡をして、母には少しの間みさきちのベッドで休んでいてもらうことになりました。
ひたすら痛みに耐えてるだけの時の記憶は曖昧ですが、この時の会話はよく覚えています。

旦那さんの活躍
診察室の奥のベッドは本当に部屋の隅っこで、狭い所でした。仰向けよりも横を向いたほうが楽で、
ずっと壁の方を向いていたみさきちのベッドサイドで旦那さんはずっと身体をさすってくれていました。
もうひとり、助産婦さんがついていてくれて陣痛の波の時に絶妙な力加減とポイントで腰を押してくれるのがとても助かっていました。その助産婦さんが「ちょっと離れるで」と言われたので・・・
「待って!センセー行かんといて」とひきとめました。センセーは少し驚いた様子で
「いやいや、おってもええねんけどあんたら二人にしたろかなと思って」とのこと。
「全然おってくれていいから、腰押してて。センセーでないとアカンねん。」とお願いしました。
旦那さんは『おいおい。俺の立場はどないやねん』とその場に少し笑いがおきていましたが、
「旦那さんはおって手握ってくれてるだけでいいねん」と言うと、納得したようなしないようなで
またみさきちはふたりに身体をさすってもらいながら、陣痛に耐えることになりました。

分娩室での先の妊婦さんの処置が終わったようで(出産の後は出血の様子や子宮の収縮具合を
見たりするため、2時間安静にしていなくてはいけないのです。)みさきちはまた分娩室へ戻ることに。
その際どうやって診察室から分娩室へ移動したかの記憶はありません。たぶん11時頃。
それまで産院へ着いたまんまの格好でしたが、このタイミングで産院で用意された前開きのネグリジェみたいなのに着替えました。内診をしましたが子宮口は5cm位で赤ちゃんの位置も高め。
「なかなかやなぁ〜」のセンセーの声にがっくりしましたが、この時センセーがあることに気づきました。
「あんた、オシッコ行ってるか?行ってないんちゃうか?」とのこと。そう言われてみればそうでした。
旦那さんも思い起こしてみて『そういえば朝に家出てから病院で検査用のオシッコ取って以来、
家へ帰った時も、またこっちへ戻って来てからも1回も行ってないと思います』と答えてくれていました。
「そりゃアカンわ。膀胱にオシッコ溜まり過ぎたら、それがじゃまで赤ちゃんが降りてこられへん。出しておいで。」と、言われトイレに座りましたが・・・元々尿意が全くないのにトイレでじっと座っているのもつらいし、陣痛のおかげで「オシッコ出ろ、出ろ・・・」と集中することもできず、出ませんでした。
そのままでは大きな膀胱が邪魔なので、結局分娩台に戻り管を通して出してもらうことに。
まぁ出るわ出るわ・・・なんで尿意がなかったのか不思議なほどでした。それもそのはず、食事はしていませんでしたが、陣痛の間は口で息をして痛みを逃がしていたので口の中がすぐカラカラになってしまっていて、お茶はいっぱい飲んでいたのでオシッコは当然溜まっていたはずでした。
膀胱は空になりましたが、そんなすぐに赤ちゃんが降りてきてくれるわけでもなく、「今日中には無理やったかぁ〜」というセンセーの言葉と共に、時計は12時をまわっていました。
このころはもう陣痛の大きな山でイキんでしまっても、何かが漏れるという感覚はなくなっていました。
が、イキんでしまうとみさきちが呼吸をしないので酸素が赤ちゃんに届かなくなってしまうのです。
赤ちゃんの様子を調べるNSTを着けていると赤ちゃんの心拍がわかります。
センセーに「ほら。まだ子宮口開いてないのにあんたが今からがんがんイキんだら、赤ちゃんが出てこられへんのに苦しくなるやんか。よう聴いててみ。」と言われ我に返って心拍を聞くと
みさきちが痛みに耐えきれずイキんでしまった後は赤ちゃんの心拍が急にゆっくりになるのです。
「ゴメンな ツレ蔵 ゴメン・・・」と言いながらももう精神的にはぐったり。ツレ蔵の事を思いやってやれる余裕はどんどん少なくなっていました。
「じゃあ次は2時に見よか」とのお言葉を残し、センセーは一旦仮眠をしに退出されました。

一方、みさきちのベッドで休んでいた母が復活。てっきり帰るもんだと思っていたみさきちは母に
「ごめんな〜がんばるから家で待ってて」と言いましたが母は「あんたに余計な心配させてごめんな。
もう安定剤飲んだから大丈夫やから」と帰る様子はありませんでした。なんでも父には迎えに来てもらったのではなく
安定剤の薬を持ってきてもらったんだとか。父も分娩室へ様子を見に来てくれましたが、何を言われても返事をすることは出来ず、手を振って答えるだけの愛想のない対応しか出来ませんでした。
(ごめんよ父ちゃん・・・)
《今日中に産まれる》との言葉を頼りに陣痛に耐えてきたみさきちは日が変わってしまったことにがっくり。
これではいつまでこのまま痛みに耐えていればいいのか、目指すものがなくなってしまいました。
オマケに前回の内診で赤ちゃんのへその緒が首に巻いていることが判明。余計に降りて来ずらい状態に。

少し話はそれますが、みさきちの姉は3人の子持ちで一人目のお産のときに散々陣痛に耐えてがんばったのに結局へその緒の長さが足りず、だんだん赤ちゃんの心拍数が鈍くなってきたので、最後は帝王切開になったという悲惨な体験をしていたのでみさきちも「自分もそうなるかも」という思いが頭から離れませんでした。

「2時になったら開いてるかも。2時まで、2時まで」と陣痛をなんとか耐えました。
でも2時になってもセンセーはなかなか現れず、「早くセンセー呼んで!もうお願い!」と
その時はもうほとんど精神的にはイッてしまってる状態で、今自分で思い返すと恥ずかしい言葉をどんどんしゃべっていました。
「もう無理、もうがんばられへん。」「麻酔打って寝さして」「腹切って出して」などなど・・・
旦那さんに『無理とか言うな。ツレ蔵もがんばってるんやで』と何度も言われましたが
さっきも言ったようにツレ蔵の事を思いやってやれる余裕はほとんどなくなっていました。
この頃の痛みはピークで、自分の手も握っている旦那さんの手も噛むわ、自分の髪の毛はひっぱるわ、
唇は噛むわで(この傷は後でいかりや状態に腫れました)とても人様にお見せできるものではありませんでした。
「もうこれで開いてなかったら無理やから、もう降りてこられへん。病院へ搬送して切って出して!」などずっと付き添って腰や足など、さすり続けてくれた助産婦さん2人にわがまま言いたい放題言い続け、「2時に内診するって言うたやん。はよセンセー呼んで!」と叫び続けやっと2時半にセンセー登場。 内診の結果は・・・

子宮口は9cm!
内診の結果、やっとのこと子宮口は9cmまで開いてくれていました。
全開で10cmなので、もう全開も同然。
「よしよし」とのセンセーのお言葉にみさきちのやる気&元気復活!
いざ出産へと心ワクワクし始めました。
全開になると、それまでツライ痛い苦しい陣痛に耐えるだけだった重〜い雰囲気の分娩室が、
にわかに活気付き「さぁいくぞ!」という明るい雰囲気に包まれました。
センセーをはじめずっと身体をさすり続けてくれた助産婦さんも、まわりのスタッフさんも
お産後の準備をしているのか、動きが活発になり、分娩室はにぎやかになりました。
それまで半分イッてる状態だったみさきちの精神状態も回復し、記憶も鮮明です。
いざイキんでいいということになると、陣痛が来るのとあわせて気張るので、それまで怖くて仕方がなかった痛みの山を「よっしゃ!陣痛カモ〜ン!!」というおかしなハイテンションと共に
テレビでよく見る頭の上の手すりを思いっきり引き寄せて気張ると「あんたいざとなったらスゴイ馬力やなぁ」とセンセーに感心されつつ、手すりを握ると力が入りすぎて裂けそうだということで手すりを持ってイキむことは1回きりで禁止され(笑)
両手がグーの西川きよしポーズでイキむこと数回。「いくぞ〜 がんばれツレ蔵!」とつぶやきながら
イキんでいると「あ〜見えてきた見えてきた」とのセンセーのお言葉。
「次の陣痛でイキんだら、ストップって言うたら力抜くんやで!」と言われ、みさきち自身ツレ蔵が今どこまで出てきているのかわからないままうなずき、最後の陣痛。
「うおりゃ〜っ!」とイキんだ直後「はい!ストップ!力抜いて〜!!」とのお言葉。
旦那さんがみさきちの上半身に、身を乗り出して『力抜け、力抜け』と言ってくれてみさきちはそれまでカチカチに力が入っていた身体から力を抜くことだけに集中していると、今まで出てきているという感覚がなかった下半身に「するん」という感覚とともに赤ちゃん誕生!
赤ちゃんの肩から下あたりからはスムーズに回転しながら出てくれるので、そこだけ産まれ出る感覚がわかりました。
〔おぎゃ〜っ!!〕と元気な声を出してくれた赤ちゃんと、まだへその緒がついたまま、おまたの向こうでご対面。
少し紫がかった赤ちゃんを見た瞬間は・・・なんとも言えない達成感と安堵の気持ちが入り混じり、勝手に涙が流れていました。
そこからは、みさきちのへその上辺りで旦那さんがへその緒を切ってくれるという1大儀式を写真に撮ったり、みさきちは身体に残った胎盤を出す作業をされたりと、微笑ましい雰囲気の中着々とケアが進んでいき、赤ちゃんはまだ羊水や脂肪みたいなのがついたまま、みさきちの裸の胸の上に乗せられました。
「いらっしゃい。ツレ蔵。はじめまして^^」
今までみさきちの身体の中でウニウニ動いていたものが目の前にいる現実は、なんだか少し妙でした。初めて目の前に出された我が子は当然ですが、ちゃんと「ヒト」でこんなに大きいのが自分のお腹の中に今さっきまでいたこと、今年の3月までは卵だったのがこんなに立派に自分のお腹の中で「ヒト」として成長してくれたことに、なんだか胸がいっぱいになりました。
しばらくの間赤ちゃんを胸の上に乗せたまま処置が続いた後、赤ちゃんはお風呂に入れてもらいに行きました。
身体計測の結果 体重3198g、身長49cm。
髪の毛はふさふさしており、ぱっちり二重のおめめ。
「これは男前になるでぇ〜」との助産婦さんの声に「当然です」と答える余裕もあったみさきち。
自分自身の達成感はもちろん、分娩室全体のふわわとした暖かい空気がなんともいえず心地よかったです。
お風呂にいれてもらってすっかりキレイになった赤ちゃんと記念撮影。ベッドに張り付いているみさきちをよそに旦那さんは赤ちゃんを抱いて離しませんでした。それはもう母に抱っこさせてあげるのを忘れるくらいに。(笑)
すごくすごくうれしそうに赤ちゃんを抱いている旦那さんを見て、とても幸せな気持ちになりました。
あとで助産婦さんに聞いた話ですが、うちの旦那さんはわがまま言いたい放題のみさきちを怒ることなく、一緒にパニックになることなく、なだめ気遣い、お茶を飲ませて励まし続けてくれた、最高の立会い姿勢だったそうです。

かくしてみさきちの長い長い出産19時間はこうして幕を閉じました。
3時15分の出産の後、2時間の処置を終えて部屋に戻ったのは5時半ごろ。
赤ちゃんと並んでベッドに入り、寝ようとしたのですが興奮のせいか全く眠ることが出来ず、
となりで寝ている赤ちゃんをずっと見ながら、7時の朝食を迎えました。
まだぼんやりでしか見えてないであろう目をしっかりこちらに向けてくれたりすると、
愛しさのあまり寝ている場合ではありません(笑)
それくらい何をしていてもかわいい我が子です^^

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