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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュのしゃも寅と市子について

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 しゃも寅に自前芸妓として勤めていたのは小奴で

 市子は鹿島屋で抱え芸妓と啄木日記では解釈できますが、

 明治44年7月20日印刷された「釧路人物評伝」(啄木から俗悪愚劣の人間古川萍水と揶揄された古川忠一郎の著作)には、しゃも寅の広告に市子の名前が見られます。

市子は名前を一子と改め、登利屋にいたこともあります(明治42年から「啄木と釧路の芸妓たち」より)が、この広告にある市子が啄木の日記に出てくる市子ならば、少なくとも明治44年7月にはしゃも寅に勤めていたことになります。


近代デジタルライブラリーの179枚目と177枚目です。しゃも寅のアドレスの方を載せますね。→http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777693

しゃも寅は大正6年11月19日で廃業になります。その後大正8年2月に名前を改めて「鷹の羽」で経営者が代わり営業をはじめます。(「啄木に魅せられてより」

 ・しゃも寅には何年間いたのだろうか。
 ・しゃも寅廃業後は何処へ。
 ・2ケ月後の鷹の羽には勤めたのだろうか。  という新たな展開が生まれます。

したがって、市子の消息を辿るには、明治44年から大正6年11月に焦点を絞る必要があります。
どこから探ろうか、まだ決めていません。釧路はおいそれとはいけない場所にあるのです。

しかしなから、北畠立朴著「啄木に魅せられて」のしゃも寅の調査資料を読むと、北畠氏は、啄木離釧後の市子についてある程度把握していたのではないかと推測されますが、北畠氏の市子に対する研究の資料は見つけられずにいます。

小奴や梅川のように、研究成果を発見できないのにはそれなりの事由があるのかもしれません。

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