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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュの当時の地図が見たい

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見つけました。釧路川に飛び出ていた砂浜海岸がわかります。

啄木と芸妓が夜の砂浜で過ごした場所を探すのにもってこいの地図ですね。

この地図は大正三年のもので、「近代デジタルライブラリー」にあります。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/909230

ここの6ページを拡大すると、当時の建物の名前などが分かりますし、地名も入っています。

この砂浜の写真は、「啄木写真帖」に掲載されています。

釧路見番ではなくて、まだ常盤見番であることも分かりますし、釧路新聞社の位置も現在あるスタンドだったことがわかります。

小奴と郵便局で別れた場所も特定できるのではないかと思います。


啄木日記より

三月二十日
(略)
十二時半頃、小奴は、送つて行くと云ふので出た。菊池とは裏門で別れた。何かは知らず身体がフラフラする。高足駄を穿いて、雪路の悪さ。手を取合つて、埠頭の辺の浜へ出た。月が淡く又明かに、雲間から照す。雪の上に引上げた小舟の縁に凭れて二人は海を見た。少しく浪が立つて居る。ザザーツと云ふ浪の音。幽かに千鳥の声を聴く。ウソ寒い風が潮の香を吹いて耳を掠める。
 奴は色々と身の上の話をした。十六で芸者になつて、間もなく或薬局生に迫られて、小供心の埒もなく末の約束をした事、それは帯広でであつた。渡辺の家に生れて坪に貰はれた事、坪の養母の貧婪な事、己が名儀の漁場と屋敷を其養母に与へた事、嘗て其養母から、月々金を送らぬとて警察へ説諭願を出された事、函館で或る人の囲者となつて居た事。釧路へ帰つてくる船の中で今の鶤寅の女将と知つた事。そして、来年二十歳になつたら必ず芸者をやめるといふ事。今使つて居る婆さんの家は昔釧路一の富豪であつた事。一緒に居るぽんたの吝な事。彼を自分の家に置いた原因の事。
 月の影に波の音。噫忘られぬ港の景色ではあつた。“妹になれ”と自分は云つた。“なります”と小奴は無造作に答へた。“何日までも忘れないで頂戴。何処かへ行く時は屹度前以て知らして頂戴、ネ”と云つて舷を離れた。歩き乍ら、妻子が遠からず来る事を話した所が、非常に喜んで、来たら必ず遊びにゆくから仲よくさして呉れと云つた。郵便局の前まで来て別れた。
(略)

しゃも寅の裏門から出て、埠頭の辺りの浜ですから、町役場前の浜でしょうか。

そのあと、下宿前の郵便局で別れたのか、それとも米町の小奴前の郵便局なのかは不明です。
ルートは二つです。

ひとつは、しゃも寅の裏道を通り、休み坂まで下り、まっすぐ浜辺に降りて、啄木前の郵便局で別れるコースです。

もうひとつは、しゃも寅の正面の波止場通りを下り、米町方面へ行き、浜辺に出て、ふたたび波止場通りに戻り、郵便局で別れるコースです。

どちらでも良いのですが、私の考えるには、小奴の自宅の近くの郵便局方が夜道なので自然なようですが、啄木の我儘な点からすると下宿前でしょう。

この前にも、啄木は浜辺を訪れています。

深夜のビスケット会や千鳥のと、月を踏んで帰ったことなど、エピソードに心が惹かれてしまいます。


啄木日記より

三月十五日
 日曜日。第三小学校の児童学芸会へ午后一時から臨席。半日を天真爛漫の裡に遊んで夕刻帰宿。
 梅川と三尺が来て歌留多。小泉佐藤らも一寸来て帰つた。横山が巧く芝居をやつてくれて、三尺は、モウ之で満足だから今後来ぬと云ふて帰る。十時頃。横山と共に二人を送つて行つて、帰りに波止場の先の荷揚場へ行つた。十五夜近い月が皎々と照つて、ヒタヒタ寄せくる波の音が云ふ許りなくなつかしい。船が二隻碇泊して居る。感慨多少。名刺を波に流した、二人も流した、芸者の名刺も流した。潮が段々充ちて来た。自分らは、梅川の袂に入れて行つたビスケツトを噛つて、“自然”だと連呼した。
 月が明るい。港は静かだ。知人岬の下の岩に氷交りの波がかかると、金剛石の如く光る。光る度に三人は声を揚げて“呀”と叫んだ。三人! 二人は男で一人は女! 三人は“自然”だと叫ぶ。三人共自然に司配されて居る。そして寧ろそれを喜ぶものの如くであつた。噫、自然か、自然か。此夜の月は明かつたが。
“三月十五日は忘れまい”、と一人が云ひ出した。“さうだ、忘られぬ”と一人が応じた。かくて此三人を“ビスケット会”と名づけた。“ビスケット会は自然によつて作られ、自然を目的とす”と誰やらが云ひ出した。“毎月十五日には、お互何処に居ても必ずビスケットを食ふことにしませう”と女が附加した。二時頃月を踏んで帰つて寝る。
 三尺事件の前篇は、ビスケット会で結末になる。まだ後編が必ずある、必ずあると云ふ様な気がして、我知らず眠つた。

三月十七日
 十二時起床。何とはなく不快で今日も休む。灰神楽に逢つた鉄瓶の尻みたいな顔をして、永戸が一寸来て行つた。
 夕刻、日景君が衣川子と共に来た。一緒に晩飯を認める。与謝野氏の手紙と“明星”が社に来て居たといふから、女中をやつて取寄せる。今月の応募歌題“瓶”の撰者を事後承諾で僕にして居る。手紙には、自然主義が大体から見て文壇の一進歩だと書いてある。
 梅川が、小さい花瓶に赤いリボンを結へて、燃ゆる様な造花の薔薇一輪をさしたのを持つて来た。日景君が散々揶揄する。
 日景君は自分の初恋の話をした。失恋といふ事は、恁麼男の性格まで変へるのかと思ふ。軈て帰つて行つて、佐藤と梅川残る。
 二人が帰るといふので、門口まで送ると、戸外には霜かと冴ゆる月の影、ウツカリ下駄をつツかけて出た。心地がよい。誰の発議ともなく、此間の晩の浜へ行つた。汐が引いて居て砂が氷つて居る。海は矢張静かだ。月は明るい。氷れる砂の上を歩いて知人岬の下の方まで行くと千鳥が啼いた。生れて初めて千鳥を聞いた。千鳥! 千鳥! 月影が鳴くのか、千鳥の声が照るのか! 頻りに鳴く。彼処でも此方でも鳴く。氷れる砂の上に三人の影法師は黒かつた。

啄木の生活は、全て短歌のために費やしたことがわかります。人の心をゆさぶる短歌が生まれるのは、そのせいかもしれません。

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