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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュの逸身豊之輔

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小奴と縁のあった人物です。

二人の間には、貞子という娘がいたそうです。

二枚の写真は啄木来釧頃のものです。

当時の勤務先の別保炭山の記録によると、逸身自身の評価はびどいものでした。

以下→http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00105975&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JAより参照しました。□の字は読めないのです。

大阪鉱業株式会社別保炭山
本炭山は釧路村別保官林内に介在し東北は釧勝興業株式会社炭鉱に西南は榎本武憲炭山に接す
釧路港を距る東北三里別保川の支流サクンベフタクンベイチャルナイの諸川を包括面積百三十六万六百五十九坪を有し地勢高からず従って炭層の最低水準位は海面上約百三十尺最高の山□と雖も五六百尺に過ぎず地質は第三紀層に属し貢岩砂岩礫岩等の互層より構成され而して炭層は別保川の支流渓間に露出し厚さ三尺乃至四尺概ね西南へ五六度の傾斜をなし拡大して居る
沿革は明治九年頃北海道開拓使雇米人ライマンなる人全道地質踏査の成蹟を報告するに際り釧路炭田なる者の存在を証明し居りたるも未開時代の事迚空しく遺棄され去る二十九年始めて日本炭鉱株式会社是れを発見其後共立会社筒井吉松なる者等の手に転々されたるも唯権利の名目のみ超えて同三十八年現大阪鉱業株式会社の有に帰すると共に翌三十九年開鉱の運ひに到ったのである
爾来元山に鉱業所を釧路町字幣舞に事務所並に貯炭庫を設け亦元山より別保川に沿い別保釧路川に□する六哩八鉱の間運炭軌道を敷設別保鉱路間は十噸積艀船を以て釧路川を流下し又売炭所を□□青森の二港に置き盛んに事業の発展を企□して居る
出炭量は一ケ年約三万噸主なる売先は釧路線鉄道、富士製紙釧路分工場其他諸船舶に供給し居り釧路国に於る諸短鉱中其規模に於て出炭額に於て第一位である
唯前任支配人逸身某の放漫なる経営振りは会社財政の紊乱を醸もし遊惰淫逸妾宅を□い日夜酒色に耽溺して社業を顧みず部下一味の輩亦其□に□い□うて花柳の巷に出入し私腹を肥やす等伏覧窟の状を□し為めに数万の欠損負債を生し取引商人に支払せさるのみならす甚しきは従業坑夫等に米噌の供給すら出来さる窮境に陥り人をして社業の前途を危ぶましめたりしが本年二月逸身某以下一味□類の放逐され現支配人加藤光三郎氏就任根本的改革を断行し財政の整理をなし信用の恢興に努め爾来炭況の回復と共に社業の基礎を確立し倍々発展を図って居る



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