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石原莞爾平和思想研究会コミュの敗戦で潰れる国と立ち直る国

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敗戦が国の滅亡につながる例は、歴史上、珍しいことではありません。カルタゴは、ローマ軍の徹底的な殲滅作戦のために、地上から姿を消しました。しかし「まるでカルタゴの平和じゃないか」と経済学者ケインズをして言わせた、第一次世界大戦で過酷極まりない講和条約をのまされたドイツは、見事に立ち直った。

「たとえ大会戦で決定的な敗北を喫したとしても、それだけで国家の運命が決まるなどと考えてはならない」とクラウゼヴィッツは言います。「かりにも国家の滅亡というものは、それほど急速に訪れはしない。溺れる者はわらをも掴むのが自然の本能であるように、国民は滅亡の淵に立たされると、乾坤一擲の手段を試みる。これは精神界の決まりである」。

敵国がどれほどわが方に比べて強大であろうとも、最後の努力を惜しんではならない。そうしないと「国家は魂の抜けた国家」になってしまう、とクラウゼヴィッツは強調します。「乾坤一擲」の試みは決して講和への道を妨げるものではない。

むしろ「講和を容易にし、また有利にする」。大会戦で決定的な敗北を喫したあと、あわてふためいて平和に走るような政府は、始めから勝者になる資格を欠いている、と手厳しいことを言っています。

クラウゼヴィッツの時代には戦争、とくに侵略戦争が犯罪だという観念はなかった。フランス人はよく侵略戦争という言葉を使います。敵の国土に深く侵入するのが侵略戦争で、国境周辺にとどまる攻撃を正規の戦争というのですが、これは「用語の非哲学的な混乱である」とクラウゼヴィッツは一蹴しています。

どっちにしても攻撃であることに変わりはない、というのです。まさにその通りです。二十世紀に入り、戦争が殲滅戦争の様相を帯びるとともに、従来の無差別戦争観に代わり違法戦争観なるものが有力になります。

違法戦争観の建前はすべての戦争は違法というのですが、実際は戦争のすべてが違法というのではなく、違法なのは侵略戦争で、防衛戦争は合法というトリックが隠されています。そこで犯罪となるのは侵略戦争だけで、防衛戦争はどれほど残虐行為(たとえば無差別爆撃や原子爆弾)をやっても罪にはならない。

まことに不公平な、勝者一辺倒の戦争観なのです。装いは一見、不戦の格好をしているのですが、中身はクラウゼヴィッツが想定した絶対的戦争 (殲滅戦争)の三大原則で貫かれた戦争観こそが違法戦争観にほかならないのです。

クラウゼヴィッツの三大原則の三番目にはこう書かれています。「敵の意志を屈服させなければならない」と。そのためにはまず敵の戦争指導者を犯罪人として告発し、処罰しなくてはならない。

ニュルンベルク裁判、東京裁判はこうして始められました。戦争は大規模な決闘とみなされ、軍人の名誉は勝者、敗者を問わず尊重されたクラウゼヴィッツの時代には考えられないことです。

昭和22年に始まった東京裁判の冒頭陳述で、日本人弁護団副団長で、東條英機の主任弁護人だった清瀬一郎はその違法性を指摘し、「われわれがここに求めんとする真理は一方が全然正しく、他方が絶対不正であるということではありませぬ」と喝破しました。

東京裁判で陳述された日本無罪論ではインドのパール判事が有名ですが、昭和22年酒田市において石原莞爾の訊問が行われる事となりました。なぜ極東軍事裁判が、酒田市において行なわれたかというと、石原莞爾を東京で訊問すれば、東京裁判と連合軍側の権威の失墜を招くことを恐れがあったと思うのです。

酒田法廷に出廷する石原莞爾をリヤカーで駅まで曳いた側近である私の父が当時の状況をこう語っているのです。当時の石原莞爾はこう語る、それは極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事に尋問を受けた。横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリした。

検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねた。すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示した。

畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と、検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言った。

次の検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った。」

「もし実行しなければ、大砲をぶっ放すと脅迫した。徳川政権は、結局米国の脅迫外交に屈して開国を決定し、列国と外交通商関係を結んだ。外国と付き合ってみると例外なく侵略主義の恐ろしい国だということを知らされた。それから貴国らを大先生として、日本は泥棒のような侵略主義を習い覚えたのだ。」

「いわば貴国らの弟子である。もし日清、日露戦争が悪いというならばペリーを証人としてあの世から連れてくるのだな」と帝国主義の歴史をユーモアなど交えながら語り、米国への批判を行なったのです。短い言葉で、よく本質をとらえています。敗戦直後、占領下で堂々と開陳した石原莞爾を日本国民はもっと誇りとしなくてはならないだろう。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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コメント(4)

泣けますふらふら涙バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)涙バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)
ブラウザーでも、アメブロでも開けます。
アムステルダム市長のスピーチ↓
https://ameblo.jp/murasaki-gumo-tenchi/entry-12437734418.html
オランダは勝戦国だったけど、最貧国に成ったのです。
>>[1]

基本は石原莞爾平和思想研究会で活動しておりましてURLまでは観る時間がないことをお許しくださいませ。
>>[2]

日本を開戦に追い込んだ連合国のABCD包囲網のようなスケールの大きな封じ込め戦略です。Aは米国、Bは英国、Cは中国、Dはオランダでした

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