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石原莞爾平和思想研究会コミュの極東国際軍事裁判2

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当時の石原莞爾はこう語る、それは極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事に尋問を受けた。横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリした。検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねた。

すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と。

検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った。もし実行しなければ、大砲をぶっ放すと脅迫した。徳川政権は、結局米国の脅迫外交に屈して開国を決定し、列国と外交通商関係を結んだ。外国と付き合ってみると例外なく侵略主義の恐ろしい国だということを知らされた。それから貴国らを大先生として、日本は泥棒のような侵略主義を習い覚えたのだ。いわば貴国らの弟子である。もし日清、日露戦争が悪いというならばペリーを証人としてあの世から連れてくるのだな」と帝国主義の歴史をユーモアなど交えながら語り、米国への批判を行なったのです。短い言葉で、よく本質をとらえている。

昭和22年酒田市において石原莞爾の訊問が行われる事となった。なぜ極東軍事裁判が、酒田市において行なわれたかというと、石原莞爾を東京で訊問すれば、東京裁判と連合軍側の権威の失墜を招くことを恐れがあったと思うのです。酒田法廷に出廷する石原莞爾をリヤカーで駅まで曳いた側近である私の父が当時の状況をこう語っているのです。

A級戦犯についてですが、東京裁判とは、それ自体、戦勝国が敗戦国を裁く見せしめに処刑されているわけです。戦争をしたけど、何処の国でも自国のために命をはったのだからお墓に埋葬されるのも当然です。 靖国参拝とはA級戦犯の墓参りに行くことではなく、国の為に命をはったその行為に感謝の意をささげる行為ですから。

日本の指導者よりも、広島、長崎に原爆をおとし、東京、神戸を始めとする大都市に焼夷弾による爆撃をかけ、女性、子供、老人といった非戦闘員を何十万人と焼き殺した、トルーマンにこそA級戦犯、いやS級戦犯にでもしてほしいものです。石原莞爾は東京裁判で「私に証言させろ」とマッカーサーへ言ったのです。

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