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石原莞爾平和思想研究会コミュの田中角栄の“DNA”

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自民党・野中が引き継いだ旧経世会の権力掌握術は、田中角栄時代につくられたといえます。マスコミは「田中支配」という言葉をよく使っていたが、1974年に、田中内閣が金脈・金権問題で倒れるまでは単純に勢力拡大の時期でした。

「田中支配」、つまり権力の二重構造は、ロッキード事件で田中が逮捕されたことに端を発します。その後、鈴木内閣を作り「角影内閣」といわれました。その鈴木が政権を投げ出したときに、中曽根政権をキング・メーカーとして作り上げ、より影響力を増したことにより「直角内閣」「田中曽根内閣」などと呼ばれていました。

この手法はそのまま竹下登に引き継がれました。やはり、リクルート事件という日本政治の大きな転換点を機に、最大派閥が自分のところから総理総裁を出せなくなってしまうという形を生んだ。堂々と自らの派閥から候補を出すことをせず、裏から手を延ばして、都合のいいように総理を選んで“操り人形”にしました。

総理を辞任した竹下が事実上指名した宇野宗佑などがいい例ですが、海部俊樹などは、総理の専権事項であるはずの解散権まで完全に奪われ、内閣総辞職に追い込まれました。日本の政治が大きく横道に逸れていったのです。

我々石原莞爾平和思想研究会では日本新党を守り立て細川護熙非自民連立政権も出来たが、それも結局、旧経世会型政治の申し子と言える小沢一郎が主導権を握っていました。その後、自民党は社会党との連立という「禁じ手」を使って政権に返り咲くが、村山富市元首相が辞任後に政権を支えたのは梶山静六を中心とする竹下派である旧経世会だった。

旧田中派のこのような力の源泉となっているのは、「一致団結箱弁当」と言われた人間関係の結びつきの強さでしょう。旧田中派、竹下派には「向こう三軒、両隣」の面倒は全部みるという深いつながりがあります。これは田中角栄がロッキード事件で逮捕され、刑事被告人となり、一審、二審で有罪判決が出ても、倒れるまでの間に脱落者が出なかったことに顕著に表れています。

旧田中派系は、役割分担がしっかりしていて、それぞれのセクションで、若い人が出てきたら全部面倒をみる。将来的にも、それなりの大臣のポストぐらい取れるところまでは世話をする。秘書は秘書で、たとえ別の代議士の選挙でも確実に汗を流して応援する。そういう縦のつながり、横のつながりがピシッとしている。もちろんその背景には資金の潤沢さもある。

かつて後藤田正晴元副総理がこんな言い方をしていたことがあります。「田中角栄という人のDNAが何か知らんけど、あの人の影響力がいかに強いかということですよ。よく見てごらんなさい。政界の肝心なところにある『石』は全部かつての田中派出身者です。鳩山由紀夫、邦夫、かつての細川、羽田、小渕、橋本、野中、小沢。本当にすごいですよ。(旧経世会を)解体すべきだと言ってもほかが弱すぎるので、解体できっこない」

現在、自民党以外の『石』は、鳩山、小沢の二人です。しかし、その政局運営のやり方は、以前の旧経世会支配時代とは大きく変わってしまった。竹下が健在だったころ。ソフトで円熟味をもった手法は消え去り、穏健だった小渕も亡くなってしまった。参議院無所属の会代表だった椎名素夫は「手口だけの自民党に墜落したんじゃないか」と分析していた。

「昔は自民党にも新しい理念を持った人がいたと思う。それから、風格のいい人がいました。仕事師で手口が巧みな人、これも必要なんですけど、そういう人もいました。その3つのバランスがかつての自民党はとれていた。」

「しかし、今はその理念と風格が消え去って、手口屋だけが突っ走っている。昔なら風格ある人が出てきて、あまりみっともないじゃないかと言って、恥ずかしがって止めたんだけれども、そんな人は今はいなくなってしまった。手口だけが残っている」

石原莞爾平和思想研究会の顧問であった「加藤の乱」を見ても、あるいは若い人たちの「自民党の明日を創る会」の議論を封じ込めようとしたやり方を見ても、自民党には、昔あった「振り子の論理」を展開するだけの余裕はなくなってきている。自党から出した参議院議長の首を飛ばしてまで、強引に法案を通し、あとはただひたすら、反乱分子を恫喝で押さえ込もうとするだけでしょう。

石原莞爾平和思想研究会である加藤が決起した理由のひとつには、この旧経世会支配への反発があった。いままで、宏池会からは四人の首相を出しています。創設者の池田を別にして、大平、鈴木、宮澤、すべて田中、竹下派の協力を得て政権を獲得した。

加藤も腹の底では、このままいい子でいれば、いずれは橋本派と協力して、簡単に総理になれるとは思っていたはずです。野中にしろ、青木にしろ、森にしろ、最有力候補は加藤であったことは間違いなかったでしょう。ところが、加藤にしてみれば、それでは“操り人形”となった先輩たちと同じ道をたどるのではないか、結局は橋本派の風下に立つことになる、そういう思いがあったのです。

コメント(2)

加藤総理は見てみたかったです。無くて良かったのは 小沢総理かな。
文大統領は訪朝しそうですね。
統一に向かうのでしょうか?
政治家になるには自分の命をかけても国民を守り抜くという気構えでいて欲しい。
少なくとも竹下登までの首相達はワルであると決意をしていた。
政治家の中にワルを探すと、同じ主治医の小沢一郎、亡くなった親戚の渡辺美智雄ですが、この方に共通して言える事は、マスコミの評判は悪いということです。

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