ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

石原莞爾平和思想研究会コミュの 白人社会の中の韓国

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


現在、従軍慰安婦問題でも安倍総理の発言がタカ派だと責められています。日本が韓国を本当に「奴隷化した」したのでしょうか。日韓相互防衛のため、自国を併合してほしいと日本に要請した韓国皇帝の「請願」があることは明らかです。

その当時のイギリスとアメリカは「奴隷化」を認めていました。なぜなら、そのころの日本は力の均衡地域で極東の「安定」を維持する「安全な」同盟国だったからです。軍事同盟によってイギリスに縛りつけられた小国日本は、イギリスの安全保障体制の「番犬」の役割を演じていたのです。日本の役割は潜在的「混乱」地域である韓国で「法と秩序」を維持し、共産主義の敵がその地域で必要以上に勢力を拡大しないよう抑制することだったのです。

1894年と1911年においては、韓国国民の幸福は「戦略的に重要な」地域に住んでいるという事実の前では、さして重要なことではありませんでした。大多数の韓国国民は他国から干渉されないで生きることを望んでいただけでしょう。韓国は戦略的に重要だが軍事的に脆弱だから、力ある国が管理するというのが、大国の論理でした。ただイギリスもロシアも、相手に管理させたくなかったのです。

イギリスにとっては、中国のほうが大事です。多くの国にかかわり(コミットメント)をもっていました。アメリカも抱えられるかぎりの「コミットメント」をもっていました。だから、イギリスにもアメリカにも、韓国の「指導」を引き受ける考えはなかったのです。こうした情勢のもとでは、日本の存在はありがたかったのです。

イギリスは、もし韓国が「安定化」も「近代化」もされず、他国の「保護」もなく放置されていたら、必ずロシアが入ってきて中国のイギリスの権益を脅かすだろう、と考えました。だから、日本は当然かつ「安全」な同盟国だったのです。当時、日本は投入できる資本をほとんどもっていなかったから、中国における経済競争の手強い相手になるとは考えられなかったのです。

日本は近代的工業・軍事大国に必要な天然資源をほとんどもたない島国だから経済封鎖にもろい。資源的に脆弱な日本は、イギリスとの軍事同盟に意のままにされる操り人形だったのです。1921年ワシントン会議で日英同盟が解消されたのちも、海外の物資供給源と市場に大幅依存しなければならない日本は、国家というより、単なる将棋の駒だったのです。1931年の石原莞爾が起した満州事変で初めて日本は、西洋の先生である、イギリスの事前同意を得ないで始めて行動を起こした出来事だったのです。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

石原莞爾平和思想研究会 更新情報

石原莞爾平和思想研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。