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石原莞爾平和思想研究会コミュのイギリスのチャーチルとは

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19世紀初頭に確立したイギリスの覇権による世界秩序、「パックス・ブリタニカ」は、ビスマルク・ドイツの成立によってその基盤を揺るがされ、時代は「栄光ある孤立」を誇った「一国覇権主義」から「帝国主義列強」の時代へと大きく転換しました。

ボーア戦争の過程で世界各国が反英世論に巻き起こり、イギリスは外交的孤立を深め、ボーア戦争収束に、日英同盟への気運が一挙に高まっていくのは、この時の孤立感が非常に大きくボーア戦争の苦境の中で、イギリスは同盟国がどれほど大切だと思い知ることになったのです。

この戦争に関して、記者として従軍していたのが、イギリス首相ウィンストン・チャーチルです。敵の捕虜となり、収容所を脱走するという体験をしているのです。日清、日露戦争で日本が勝てたのも、戊辰戦争における、賊軍の「敗者の知恵」のようなものが、軍人たちの間に生きていたからではないでしょうか。

また、日本占領の連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの祖先は、南北戦争での敗者の家系に繋がることなども考えると、敗者の側からつぎの戦争の名将が出現する法則を思い描くことが出来るかもしれません。

チャーチルは、ボーア戦争での体験に加えて、第一次世界大戦では海軍大臣として「ガリポリ戦没」での作戦上の悲惨な失敗を経験しています。第二次世界大戦は、チャーチルにとって、まさに「3度目の正直」だったのです。

日本軍がハワイ・オアフ島真珠湾に奇襲攻撃して、壮絶な大東亜戦争が勃発しました。ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていましたし、攻撃命令はイギリスのチャーチルが事前に傍受して暗号解読してトルーマンに伝えていたので、情報は時の米政権は確認していました。

米国民への参戦効果を最大限高めるため、卑怯な奇襲攻撃を受けたという事実を流布したのです。一方、ヨーロッパでの米英はチュニジアに上陸して、25万の独伊将兵を捕虜としたので、ムッソリーニは脱落して、日独伊の一角は地中海で崩壊しました。

スターリングラードの攻防戦はソ連の大勝に終わって、独軍20万は潰滅しました。チャーチルが最初に恐れを抱いたのはドイツではなくソ連の共産主義でした。その前にドイツが数年間で武力を準備して突如ヨーロッパで暴れだしました。

それでチャーチルの関心はソ連からドイツに移ったのです。米ソと共同してドイツを叩いたのだが、その焼け跡に大きく聳え立つソ連の怪物をチャーチルは見たのです。ドイツが崩壊した後のヨーロッパはソ連にとっては無人になりました。

海洋からこれを守る国が英国だけになってしまう。特に英国の伝統は大陸に大国を作らないことにあり、これを英国の信条としているのがチャーチルだったのです。ちなみに、イラクは、もともとイギリスの石油利権のために作られた国で、当時植民地担当大臣だったのはチャーチルなのです。

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