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細川忠興と細川一族コミュの【特別展】江戸城築城における細川家文書

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2007年1月2日(火)〜3月4日(日)まで東京両国の「江戸東京博物館」において江戸城の特別展が行われていますが、そこに細川忠興がまとめた、細川家文書が展示されています。

江戸城築城に当たっては、石垣の石は小田原から伊豆半島にかけての第四紀火山岩類が多く点在する地域に石切場を設けて、そこから石垣になる石を採取していました。

その石切場の分布図を細川家が現地調査をしてまとめたのが、「伊豆石場之覚」という書物です。
この書物によると伊豆半島には74箇所の石切場が設けられていて、良質の石が採れる場所は早くから、各大名によって争奪戦が繰り広げられていたことがわかります。

また、石垣工事にかかる石材・木材は担当した大名が負担することとなっており、このようなところにも徳川幕府の参勤交代などに見られる、大名への負担を多くすることで財力と権力を抑え込むやり方がわかります。

この忠興の現地調査によって、石切丁場に「組」が構成されて、丁場割り(役割分担)もスムーズに行われるようになりました。

【写真左】細川家文書「伊豆石場之覚」
【写真右】「伊豆石場之覚」をもとに作成された第四紀火山岩の分布と石丁場の所在を示した地図。

「江戸東京博物館 【特別展】江戸城」
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0102/200701.html

※「伊豆石場之覚」は出品目録の102番です。

コメント(1)

石切丁場の一つに早川石丁場があります。

ここは小田原征伐の際、豊臣秀吉が陣所を構えた石垣山城の北側斜面にあたり、ここに石丁場跡が発見され、発掘調査がおこなわれました。

早川石丁場からは切り出し途中で放棄された石材などが多数発見されています。

製品化途中の石材の形状や場所から、徳川御三家が関わった「早川新丁場」である可能性が考えられています。

【写真:早川石丁場の発掘状況と発掘された石】

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