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☆花火☆コミュの☆花火の歴史☆

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花火の歴史は古く、200年頃中国で狼煙として使われていた火薬がその原点となっています。しかし、観賞用としての花火が作成されたのはそれよりも全然後になり、1400年頃ヨーロッパでの事でした。
 日本に火薬が伝来されたのは1543年の種子島に鉄砲が伝わった時のこと、その当時に出来た花火は筒から火の粉が舞い散る程度のとても味気ない質素な物でした。
 日本の花火は世界的に有名ですが、なぜこんなにも花火の技術が向上したのでしょうか?それは花火を鑑賞するときに私たちが叫ぶ言葉。「玉屋」「鍵屋」 が関係してきます。
 1659年、鍵屋弥兵衛という人物が江戸に上京し花火を製造し始めます、その後商人達の間で花火がブームになり鍵屋弥兵衛にどんどん花火を作らせるようになり、花火の文化が江戸に広まりました。そして将軍吉宗が両国川開きを行います。これは疫死病者の慰霊と悪霊退散祈願の為に行った花火大会です。
 1808年に鍵屋にいた花火職人の一人で清七という腕の良い花火士がおり、鍵屋から暖簾分けをしてもらい玉屋を立ち上げ、玉屋市弥兵衛を名乗りました。 これ以降、大川(今の隅田川)の両国橋を境に、上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、両者が競演となって (かーぎやー♪ たーまやー♪) などの掛け声が飛び交った。
しかし玉屋は事故で全焼してしまい、町内の半分を焼き払う大火となった。玉屋は財産没収の上、家名断絶となり、江戸を追放され一代限りで消滅してしまいます。
  明治時代になると彩色光剤が輸入されるようになり、花火が色とりどりの色を出すようになってくるのです。
 1961年に交通事情や川の汚染から両国川開きは中止となりますが、1978年に隅田川花火大会として再開されるようになりました。


他、参考資料。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E8.8A.B1.E7.81.AB.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2

コメント(2)

>筒から火の粉が舞い散る程度のとても味気ない質素な物でした。

そんなことないですよ!! 郷土の誇りです!

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