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70年代の思い出の歌手達コミュの76年美空ひばりさん伴奏時代

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専属は松本文男とミュージックメイカーズ (18名編成) ジャズバンド
私自身の在籍期間1976年〜1978年
ひばりさんのバッグバンドとしての仕事は年間200日(演奏回数は約400回以上)
http://ic.mixi.jp/p/c7c5c53182b49d65a891be426be35f296a7ffbf537/56df0c77/bbs/76333336_215s.jpg
当時の伴奏映像1977年30周年 帝劇より
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=z9ybgaYzZY8


この伴奏時代にこれだけの事件?がありました

1)公演すっぽかし事件(九州)
2)美空ひばり芸能生活30周年
3)香山武彦芸能生活10周年
4)NHKと和解して久しぶりにNHKに出演
5)弟 哲也さんが帰って来られた
6)ハワイ公演 (シェラトン ワイキキビーチホテル) 3日間
7)和也君ひばりさんの息子に・・・
8)芝居の途中で舞台に缶コーヒーが投げられ幕が下りた 事件
9)武彦さんの歌の途中で野次があり喧嘩口論になった事
10)自宅のお金が無くなった事件・・・等々

4人家族が大変元気な時代でした
丁度家族がある事件で世間からバッシングを受けていた時からの伴奏で、ひばりさんが、どん底からどんどん大吉になって行った時でした・・・・
個人的にバンドがオフの時によくひばりさんから電話があり自宅に遊びに行きました
まだ今のひばりプロダクションの和也社長が3歳児の頃で庭で肩車したりおもちゃで遊んでいました

写真はひばりさん39歳私は27歳の時のツーショットです

当時のエピソードです ↓

■ 元ご主人

メーカーズはひばりさんの専属で活躍している訳ですが、その他に島倉千代子さん 二葉百合子さん(岸壁の母)高峰三枝子さん等のバックバンドでも結構仕事があり ほとんど休みは少なかったです
テレビのレギュラーはNHKの昼のプレゼント・演歌の花道・にほんの歌 等々

あるテレビの番組でひばりさんの元ご主人の○○○さんの伴奏した時でしたが、曲の打ち合わせはマネージャーがやり本番も本人はバンドに確か挨拶されなかった記憶がありました、忙しい歌手の方は本番スレスレにステージに来られる方もおられたので 挨拶しないのは珍しくもないのですが・・・・
本人はメイカーズで絶対歌いたくなかったでしょうね・・・・(笑)

丁度ドラムの横に大階段がありその上でずっと歌っておられました
僕は譜面より○○○さんを最後まで見ながら演奏しましたよ(笑)
彼は一度もバンド及びリーダーには目線をやらないで歌い終わったら そのまま向こうに引っ込んでしまったんですが、リーダーをはじめメンバーは何故か笑いをこらえながらの演奏でした 複雑な心境・・・

○○○さんとしては 「これがお嬢の専属か」って思っておられたと思います こちらも 「僕らのバンドで歌いたくないだろうな」 と多分全員がそう思ったと思います・・・・・(笑)

この世界はそう言うヘンテコリンな所が沢山ある業界ですから・・・・

とってもナイスガイな男性で今も活躍されています


■ 魚の匂い

地方興行の時はほとんど昼は注文の食事をされていますが たまに魚を焼いて食べられるみたいでやはり外食ばかりじゃ飽きちゃうんでしょうね・・・・
一回目のショーの終わり頃魚を焼いてる匂いが風向きによってステージに漂って来るんです・・・・笑

僕らは「オッ 昼は魚か」ってニタッとして演奏していました

多分お付の人が焼かれていると思いますが・・・さすが元魚屋さんです

ひばりさんは以外にさらっとした食事らしいです
それでもステージはバイタリティーあふれる歌を歌われるんですから・・・人間食べるものでは無く精神力ですね・・・関心

■ 悲しい酒の歌の時に寝たサックス

地方興行の時、ひばりさんもバンドもだんだん疲れがたまって来ますので、色んな事が出てきます
ステージ本番中に「悲しい酒」の歌の少し前あたりから静かな曲が続いて悲しい酒に入る訳ですが、サックスのS氏がなんと悲しい酒の時に寝ちゃったんです
疲れがたまってたんでしょう それとも二日酔いかな ?? (笑)

それも顔だけ上に向けて・・・・さすが指揮者の松本さんは機転を利かせ、その寝ている彼の前で客席から彼が見えないように少し移動して指揮をされたんです
それを見たメンバー全員は笑いをこらえるのに必死でした・・・
(笑)
悲しい酒ですからあたりがシーンとした雰囲気なので・・・

又彼は、かなりの出っ歯でして 顔だけ上を向き口は ほぼ全開状態でおまけに出っ歯と来てますから それはそれは大変な格好でした

いびきをかかないで良かったとあとで皆に笑われていました(笑)

しばらく彼は 「寝るサックス」ってメンバーから言われていましたよ・・・(笑)

おそらく色んなバンドがひばりさんを伴奏したと思いますが彼が「悲しい酒」の曲で寝た最初で最後の人だったでしょう・・・・爆笑

残念ながら彼は他界しましたが・・・・

今頃ひばりさんから 「コレッ」って叱られてるかも・・・・
気風のいい男だったんですが・・・・残念。

■ バンドの給料UPストライキ

1977年新宿コマ劇場出演中でのハプニング・・・・
実はお粗末なお話しで申し訳ないですが、この一ヶ月のコマ劇場の出演の時にバンドは思い切った給料アップのストライキをやろうとしていたんです・・・(笑)
今から思えば随分大胆不適な行動でしたが、当時バンド事務所とバンドメンバーとが色々ありまして、思いきってこう出たらアップがかなったんです・・・・(笑)

ショーが1部終わって1時間30分の休憩中にバンドマスターとバンドメンバーの代表の二人がコマの楽屋を出て対面に喫茶店アマンドがあり、そこでバンド代表がバンドマスターに「全メンバーの代表で申し上げますが、全バンドメンバーの給料UPお願いします」・・・・・って申し出た訳です 「もしUPしなければ次のステージは誰も出ませんから」・・・・と言うと リーダーはそれはそれはあせったと聞いてます
次のステージ誰も出なかったら幕が上がらない事になるので、しょうがなく全員給料UPと相成った次第で・・・・(笑)
バンドの作戦勝ち !! ヤッター ですね

ファンの人達はそんな裏話しがあったとは知らないで2部のステージもいつものように幕が上がり ひばりさんが無事歌えた訳です・・・・(笑)

数日たってひばりさんの耳にバンドの給料UPの話が入ったんでしようね
演奏が始まる前にバンドの前で皆に「給料しっかりもらってる」って言われるようになったんです 全員爆笑です・・・・・

なんてひばりさん皆の事思ってくれているんだろうと、感謝していましたよ
ひばりさんバンドの味方になってくれたんです

歌手とバンドはステージでは夫婦の様なもので 歌手を生かすも殺すもバンド次第と良く言います

ひばりさんはバンドと歌手の関係当然良く知っておられ 特にひばりさんはバンドには うるさいですが気配りも他の歌手以上にされる方でして・・・・

さすが女王ひばりさん バンドメンバーの味方でした・・・・(笑)

裏ではこう言った凄い話しがあった訳で、もし給料UPしなければコマの興行はどうなっていたか分からなかったですね・・・(笑)

人情味タップリのひばりさん カッコいいねぇー !! ひばりさん
聞いてますか━ !!

■ はじかきそば

司会の西村小楽天さんのお話しです・・・・

興行は一日2回興行が当時常識でした、一回目が終わり1時間30分くらい休憩があり2回目が又はじまる訳ですが、2回目のショーの時に、ひばりさんの曲の紹介を力演タップリに小楽天さんの何時もの名司会でドンドン進んで行くんですが 小楽天さん最後に司会してエンディングと筋書き通りに司会が出て来る所 どう勘違いされたのか分かりませんが小楽天さん司会忘れて控え室で もはや帰る支度をして待っておられるんです (笑)(笑)オイオイ・・・(笑)

ステージではひばりさんが「先生 出て来ない」って言って急遽自分で曲紹介してエンディングとなる訳でして・・・・この時はバンド全員大爆笑

いつも先生、2回目のショーの時に、なんか勘違いされ、最後の司会出て来られない時が結構ありました (笑)

この時は決まって次の日は「恥かきそば」と言う事で出演者全員にそばをご馳走されていました
昔の芸人さんは粋ですね

自分の失敗で迷惑かけたと言う事で皆さんにご馳走されるんですから・・・・
勉強になりました

先生がわざわざバンドの休憩室に来られ「私の恥かきそばです」と言ってニコニコされていました

だから僕達は なれたもので先生又最後に忘れて出て来ない時は「明日 そばだっ」てみんな顔合わせニコッとしていました


■ やじる客

地方興行の時 武彦さんが4曲くらいだったと思いますが、歌っておられました 一曲は唐獅子牡丹でした・・・(笑)
あとは忘れました

その歌ってる最中に客が武彦さんに野次を何度も何度も飛ばすんです・・・
とうとう武彦さん怒り出してステージからその客に向かって大喧嘩が始まったんです

司会の小楽天さんが下手カーテン越横から 「若 抑えて抑えて」って言っておられました
ショーはドッチラケになり しばらく喧嘩は続いてました

まぁ 何とか、おさまり 又最初から武彦さん歌ってました
つらかったでしょうね 又歌わなければならないので・・・
このあたりはショーマンのつらい所でしょう・・・

ましてやお姉さんの舞台ですから・・・グッと抑えられてましたヨ (偉いぞ 武さん さすがひばりさんの弟 !!)

実はこのような怖いお兄さん達が地方公演の時は結構ウロウロしていました、バンドの控え室によく怖いお兄さんから「武彦出せ」とか「哲也どこにいる」とか電話がかかってきてました

ハプニングばかりの面白い時代でしたヨ・・・・・(笑)
懐かしいです

■ 舞台を張り替えさせた

僕が中学卒業してすぐ大阪の劇場(大劇)でバンドボーイしていた時ひばりさんが一週間出演されました その時のエピソードですが・・・・

バックバンドは憧れの原信夫とシャープスアンドフラッツの時代ですが、ひばりさんが僕の記憶では白の大きいドレスで出て来られたと思いますがステージが古くてザラザラしていたのでドレスの裾がザラザラの木に少し引っかかるのでなんとステージの引っかかる所を一日で新しく全部作り替えたんです ひばりさんが出て来る上手からセンターマイクまでの面積ですから、結構大変だった見たいでした・・・・・

そんな歌手今までいなかったらしく 「凄い人だな」って感心していました
そんな大物のひばりさんを僕が年間約200回近く伴奏するとは(笑)
人生本当に何があるか分かりません・・・・(笑)

それにしても ひばりさんの一言でステージが作り替えられるんですから・・・

ひばりさんは我々が考えている以上に、はかり知れないくらい超大物だと思いますが・・・・・・。


■ UFOの話しが会誌に載った

僕が伴奏していた70年代はスプーン曲げのユリ・ゲラーとUFOの凄いブームでした
実は僕はUFOを何度も見ていてその話しをひばりファミリーによくしていたんですが まったく信じてもらえず 笑われるだけでした・・・・まったく

優しいひばりさんはそれでもテレビ番組のUFO特集をホームビデオに録画して手紙を添えてビデオを頂きましたが 当時ビデオデッキなんて高価なシロモノはまだ誰も持っていない時代でして いつも「ビデオ見た!」なんて言われてたので「見ました」とひばりさんに悪いのでウソを言っていました デッキは当時一台30万円くらいでした・・・・・タカッ!!
ひばりさんはデッキはみんな持っていると思っておられたんでしょうね キット

ステージで、その後ひばりさんがUFOの話しをされていました
確かピンクレディーのUFOって頭のうしろで手を立てるマネをしておられた様な記憶が残っています・・・・・(笑)
ビデオは探せばそのまま残っていますよ ただ当時のテープは大きくて今のデッキでは見れないので 多分一生見ないのかなって思います・・・・姫からの贈り物ですが 勿体無い

このUFOの話しがひばりファン後援会会誌に載ったらしいです・・・笑


■ 哲也さんが帰って来る

1977年の御園座公演の時にひばりさん朝から超ご機嫌なんです「今日哲也が帰って来る」ってはしゃぎまくって大変だったんです

その日はどしゃ降りの雨だったんですが ひばりさんの気持ちは晴天だったんでしょうね (笑)

スタッフ一同いつ哲也さんが御園座に来られるのか楽しみにバンドも伴奏していたんです
哲也さんは実は自宅に銃を持っておられ警察沙汰になっていてある所に入っておられたんです・・・

何曲かやっていたらドラムの横で男性が僕の名前を大きな声で呼んでるんです
すぐ哲也さんとわかりましたがスポットライトの光りで顔がハッキリ見えなかったんですが哲也さん手をふって僕に合図されていました

ひばりさんも哲也さんに気付き、もう歌を歌ってる時にいつも以上にオーバーアクションでノリノリで歌っておられました
それはそれはうれしかったんでしょうね

その後地方興行の時にステージで哲也さんが数曲歌を歌われてました

新宿コマの公演の時に哲也さんによくコーヒーご馳走になりましたよ
コーヒーの途中でまわりのお客さんが哲也さんに気付き大変でした
哲也さん凄い人気がありましたよ・・・・・
喫茶店では、ひばりさんを今後どう言う風に企画して売り出して行くか・・・・
毎回熱弁でした 僕はいつも聞き役・・・うなづくだけでした

ここで投稿されている比較的若いひばりファンの方は哲也さんとか武彦さんの話しはピンと来ないと思いますが・・・・・

僕が伴奏させてもらっていた時代はファミリーが一番元気な時でしたから、ひばりさんだけではなく弟さんの話題にも触れてしまいます・・・・
ひばりファミリーは皆さん庶民的で面白い人ばかりでした
今は皆さん天国に行かれたんですね・・・・・。


■ NHKと和解

NHKとギクシャクしてしばらく出演しなかった時代ですが その後和解して久し振りにNHKに出られた時の話しです・・・・関係者の数も凄くリハの前に関係者にインタビューをやっていました

リハーサルからひばりさん凄いハッスルしておられたんです 久し振りのNHKですから それはそれは当然でしょう・・・・
又ゲスト歌手はちあきなおみさんと布施明さん その他複数・・・・

ちあきさんの音合わせの時にひばりさんがちあきさんに向かって「歌が最高 私の弟子にしてやる ・・・」と言って本人を笑わせていました
ひばりさんは彼女が本当に大好きなんでしょうね この時の二人のやりとりで好きだと言う事がしっかり伝わってきました
この時のスタジオが101スタでした

本番前に101スタの近くにあるトイレに入ったら布施さんも一緒に入って来て ならんでようをたしていた時に布施さんが「今日は大御所だから緊張する!!」って僕に話していました 布施さんも緊張するんだって苦笑したしだいで・・・
布施さんとはひばりさんの前に2年くらい彼の専属バンドでずっと一緒でしたから気さくに僕に話しかけてきたんです

それからユーチューブ動画サイトでひばりさんとちあきさんがならんでひばりさんのものまねを唄ってるものがあります、もうひとつ森昌子ちゃんが階段から降りて来てひばりさんのものまねしているのがありますが、あの番組は玉置さんの人気番組で 「象印スターものまね」・・・・・の一画面ですがこの時バックで僕がドラム叩いています バンドはメイカーズのひとつ前のチャーリー石黒と東京パンチョス での懐かしい動画です
この時ひばりさんの特番で2本撮りでした
このテレビの時もリハーサルから二人は大きな声でよく笑って ノリノリでいました

今 昔の凄い番組が沢山見れるんですね・・・・・驚きです


■ スッポンの生き血

劇場公演の時は芝居と歌の2本だてで やはり鉄人28号(ひばりさん)も風邪をひいたり調子が悪くなる訳で 当時コロンビアのひばりさん付のマネージャーの森さんが毎日劇場に来られていて なんとスッポンの生き血を杯くらいの入れ物に入れられゆっくり回しながらエレベーターに乗っておられました 「ジャッキーさん今日はひばりさん非常に調子が悪いのでステージ最後までもつかどうか分からないよ」って言って心配されていました そして血は回さないとすぐに固まるから回してるんだとも言われてました スッポンの生き血は精力剤として有名ですよね

そして歌が始まる少し前に一気に生き血を飲まれステージに向かう訳ですが 1〜3曲はやはり調子が悪そうですが その後中盤から後半にかけて凄い勢いが出てきて最後の方はいつもより絶好調になり普段かけていない掛け声を曲の中でドンドン自分でかけられ のりのりで幕となる訳です
終わって見て どこが調子悪かったのか分からない状態でした
僕はこの人は絶対鉄人28号だと確信した次第です (笑)(笑)

この様なスッポンの生き血を飲まれステージにたたれた事は劇場の時はしばしありました
本当に凄い精神力で感心します

ファンの方々はこう言ったひばりさんの切羽詰まった話しは当然分からないでステージ見ておられる訳ですよね
裏ではこの様な事が多くある訳です・・・・・・スターはつらい !!


■ 田舎のプラットホーム


地方興行の時、何処の会館か忘れましたが、お客さんがまったく来なかった事があったんです
あとで聞いた話しでは興行主が天下のひばりさんだから宣伝しなくてもお客は沢山来るだろうと思い宣伝しなかったのが原因だったらしいです
関係者はあまりにもずさんな行動にたいして立腹・・
そしてその日のひばりショーはやらないで そそくさと全員帰って来たんです
次の新聞に「興行しないで帰って行った」と少し記事が出ていましたが大きな話題にはなりませんでした

話しは戻りますが、そして急いで会館を出て駅に着きバンドからひばりファミリーから司会の西村小楽天さんも田舎の電車のホームで帰りの電車待ちしていた時にかなり待ち時間があったのでひばりさんも面白くなかったんでしょうね 大きなため息ついておられたので僕がとっさにひばりさんの「車屋さん」の歌を軽く踊りながらホームでふざけて歌い出したら小楽天先生も一緒になって軽く踊り出されたんです それを見ていたひばりさんが一緒に歌い出し2番まで歌われたんです それも結構大きな声で(笑)・・・・

田舎のホームですから人はまばらでしたが その一般の電車待ちしている方々は素晴らしいショーを目の当たりにされた訳です(笑)

想像して見て下さい ひょろっと痩せた長髪の若い男と (僕です)
痩せた小柄の老人 (小楽天さん)の二人が変てこな踊りをホームで踊ってる姿を・・・・そして途中から大きなサングラスをかけた小柄な派手な女性 (ひばりさん)がそれも大きな声で「車屋さん」を歌ってる光景を・・・・(笑)

その歌で待ち時間のしらけたムードが少し楽しくなり電車に乗ったんです (笑)

同じホームで電車待ちしている一般の方々は まさか ひばり御一行とは気付かなかったでしょうね (笑)(笑)

どこかの服装の派手な女親分位に見ていたんじゃないでしょうか(笑)・・・・・・


■ ひばりさんとハワイ公演

1976年9月 ハワイ シェラトンワイキキビーチホテルにて3日間にわたりひばりショーが行われました

ひばりさんはハワイ公演は2度目で若い頃にも公演されていました
日本から僕と指揮者の松本さんギターの木村さん湯藤さんそして和楽器の数名が現地で演奏しました
司会は西村小楽天さんでした

さてハワイ公演はハワイの外人ビックバンドと共演と云う事でハプニングの連続で リハーサルも実に面白おかしく・・・大変でした (笑) リハーサルの途中で演奏が止まってしまうんです (爆笑)
外人バンドとしては当然演歌の伴奏ははじめてだし譜面の解釈もまったく駄目でした
まぁなんとかリハ終ったんですが本番の時に演奏がうまく行かず音が止まったら次の曲にすぐ行こうとひばりさんが笑いながら言っておられました

ひばりさんの弟の武彦さんが 「オイオイ」って驚いてました 武彦さんもこの時ステージで数曲歌ってましたから、この外人バンド大丈夫かなと僕のドラムの横に来て不安そうに喋ってました・・・・

このハワイのステージで木村よしおさんと湯籐ちゃんの2人で岡林信康さんの風の流れにと言うフォークソング的な曲をひばりさんが歌ったのがバカ受けでした
ハワイ公演の映像なんて無いのですかね ??

又僕が伴奏していた時期は、ひばりさんが人生で一番ノリノリでふっくらされていて実にエネルギーのかたまりの様な人でした 本当に・・・・鉄人28号だ!! と 思ってました

当時今の社長がまだ3歳位だったと思いますが庭で彼を肩車してひばりさんの 「車屋さん」を歌いながら遊んだ事がありました
キャッキャッ言ってはしゃいでいました ひばりさんのお母さんが「ジャッキーいつまで下手な歌唄ってるんだね」って言って、 からかわれていました 彼 肩車の事おぼえているかなぁ??

又地方公演の時、休憩時はひばり家族は家庭マージャンをしながら時間をまっておられ、彼は三輪車に乗って遊んでいました 僕が三輪車のうしろを押して遊んだ事もありましたが多分おぼえて無いでしょうね・・・・(話しが古過ぎる)

お父さんの哲也さんには本当にお世話になりました (感謝)・・・・・
ひばりさんと家族の方々の思いで話は多すぎて・・・・・・
ひばりさん宅の仏間の部屋のホームコタツで酔っ払って寝た事もありました・・・・・

■ 実現しなかったドラムセット

ひばりさんは一度だけリハーサルの合間に僕のドラム叩かれ歌っておられた事がありました
どんな風に叩かれ何の歌かは記憶に残っていませんが その時ひばりさんが僕に紫色のドラムセット買ってあげようか・・・何て言われた事があったんです
ひばりさんは非常に紫色が好きだったみたいです

残念ながら僕はメイカーズをその後すぐに辞めたので実現しませんでした
もし頂いていたらそれこそ今は宝物になっていましたね・・・残念


日本の歴代の歌手の中でもビッグバンドが大好きだった歌手はひばりさんおいて誰もおられなかった



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