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ADA【アクアデザインアマノ】コミュの石組み

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 これから60スタンダードで石組にチャレンジしようと思います。
先輩皆様のアドバイスをいただきたくトピをたてました。
よろしくお願いします

コメント(65)

↑ォット...


「 〜 ので参考になるか微妙ですが(汗) 参考までに・・・」

って日本語おかしくねーか?(・ω・*ノ)ノ!?www


>>なかともさん


や...
やはりタオルは駄目だったかOrz↓↓


今回はプリント用の普通紙だぜ(`・ω・´)bビシッ!!www
> ミュシーさん

 コメントありがとう存じます。

 石が違うので再現性には違いがありますが、親石と副石が重なっているのと、
添石の力関係において、バランスが偏っているよう感じました。
親石の表情を表現するに、どうかな…とも思いましたが如何でしょう。

 再度構成しなおしてみました。
副石(左1)の角度を変えて表情を少し出してみたのと、親石を少し嵩上げしてみました。
添石(右1)には親石の力を受け流しつつ、副石の高さや流れとは同じにならないように
してみました。
>>桜沢水葵さん

改めて写真を見てみると右の石は意外と小さいんですね。

てっきり右が添石、左が副石かと・・・
なぜか右の石よりもう少々大きい石が重なるように配石してあると
錯覚していたんですよね(汗)

自分で組んだレイアウトの重心も右よりだし...


ね・・・ 
眠かったんですよっっ

き、きっと!!


いやいや、お恥ずかしい限り・・・(-ω-;ゞwwwwwwww


んー。
ただ親石の存在感としては今のままでは逆に強すぎるぐらいなので
この石組において重なっている部分は特に問題ないように思えます。

親石を強調したいという趣旨が前提にある場合はそうなると思うのですが
どうでしょう?


今回の写真キレイですね。
砂の白さが際立ってます(*´エ`)b♪w

では早速気になった点なんですが写真では親石の平らな面が前面に出ている
ように見え大きさの割りに厚みが感じられずもったいないように感じました。
右の添え石にも同じく平らな印象を受けたのですが左の副石のみ厚みを感じる
置き方になっているのでそこだけが浮いて見えているよう感じます。

写真に写るものと実際のものでは変わってくる点があるのでアレですが...


あと添石の説明の部分がちょっとわかりませんでした。
「力を受け流しつつ」と「流れとは同じにならないように」の部分ですね。

力を受け流す=力を和らげる といった意味だと思うのですが見たところ
大きさの対比で存在を強めているように感じました。
流れに関しては確かに副石には右手前から左奥への流れの方向を意識した
配石になっているとは思うのですが全体をまとめて配した石組なのでどちらか
というと「静」の印象の強い三尊の様に感じますがどう思われますでしょうか?


んー。
こうして石組をジックリ考えるのはなかなかいい頭の運動になりそうだ(´∀`)w
> ミュシーさん

 前回撮ったときは携帯電話で、今回はきちんとカメラにて撮影しました。(笑)
それでも、やっぱり写真だと、なんだかのっぺりとしたように見えてしまうのは、
なんとも惜しい…と、何枚か撮ったのですが、そんなことを思いました。

 右図で見ると、実際は親石は二面が見えていて、あまり平面ではないです。
添石についても厚みはあるのですが、高さは抑えて、副石よりは低く頂点を持って
います。


 線を入れてみました。
頂点は総体として不等辺三角形、青線が主たる向きです。
 副石は、全体を断ち切らない角度に据え、かといって寝せすぎては、全く迫力が
出ないので、前の構図より上から見て、少し時計回りに動かしています。
 添石の力関係については、緑線が親石からの力を受け流している稜線を描くように
して、表現してみたつもりでした。捨石を配していないので、添石のみで親石からの
バランスを全て受け取るのは、やはり難しく思います。しかし、そうすることで
親石を強調表現したい、ということを考えました。
ですので、組としては確かに三尊ですが、その中でも品文字に近いものになると
思います。

 改めて思ったのは、親石が右寄りになってしまっていた、ということです。
副石と重ならない程度に、もう少し左に重心を…といったところです。
これは、次の課題にしたいですね。

 しかし、ものすごく頭の体操になりますね…。
皿が円いので、後で気付いてしまう…ということが改めて多く、今度は四角い皿…
というより、きちんと水槽ベースで作りたいと思います。
>>桜沢水葵さん

客観的に見るという点では写真の方がいいとは思うんですけどね。
どうしても自分で作った作品は頭の中で完成させてしまっているところが
あるので写真にするとまったく印象が変わったりもしますし。

私が水景を作る際は石組後必ず1回は写真をとって確認するようにしてますw



なるほどなるほど。

親石の頂点から描く弧のラインに沿うように添石を配しているわけですね。
そして親石と副石を上から見た時に描かれたラインの中間の角度で配石した
ということでしょうか。


となると私の考える『流れ』とはまた違うようですね。
私の思考を『流れ』を強調して作ったレイアウトで説明します。
1枚目が正面で2枚目がそれを上から見た写真です。

この水景における大きな水の流れは写真2枚目で言うと上から下への流れです。

川の流れによって小さな石は動かされ、その中で流れに動じない巨大な石が
あればその周囲の流れは緩くなり流されていた石はその周囲でとどまります。

この時にできる石のラインが私が石組で作る『流れ』になります。
つまり石の連続性ですね。

そして青のラインが石によって生まれた新たな水の流れで、この流れに沿う
(強調する)ように添石を配したり石の向きや角度をつけています。


ちなみにこのレイアウトはあえて左側の親石の頂点に他の石を揃えた
変わった作品です。

下の方から川を見上げた構図で奥に巨大な岩が連なっているイメージを
出すよう作り上げました。
つまり奥の石は実は手前の石と同じぐらい、もしくはそれ以上の巨大な石
というイメージであるため配石する高さを同じぐらいにしている訳です。


ってー・・・ヵ

6時回ってるし?(・ω・*ノ)ノ!?



グヒィー(o _ _)oZZZzzz
ぁ、
2枚目の写真の赤のラインが石の『流れ』を表した線です。

|ミ サッ
> ミュシーさん

 そうなんですよね…写真(画像)で審査ですからねぇ…。

 今回のもので思ったのは、親石の存在感が希薄で、右上の空間がちょっと…
といったよう感じました。
中央より僅かに左にレイアウトの中心がある、といったところは良いと思いますが、
例えて言うなら、左ブロック・右ブロックというよう区分とするとして、いずれも
平行なラインを作っており、流れすぎ…といったよう、緊張感に欠けている感じが
あるよう思います。

 右ブロックについては、なんだかまばらな印象で、特に右の親石的な存在について、
副石、添石となる存在が感じられず、右1については寝せすぎ、後ろの捨石は、
崩れすぎに加担してしまい、別の位置に存在を置いたほうがいいかな…といった
ような印象があります。

 左ブロックは、親石の後ろに捨石があるため、結果、全体構図として偶数個の
レイアウトに見えてしまっている…というのが、最大の難のよう感じます。
本来の親石となるべくしてあるだろうこちらの親石を、もっと右に寄せてみて、
副石を角度を変えて再配置し、存在感をもっと生かしてみたほうが、躍動感が
出るよう感じました。


 で、今回のものです。
15キューブにミナミヌマエビが棲んでいるのを、無理矢理間借り(苦笑)ということで、
水の透明度と水槽に対しての中身の高さは…今回見逃してください…。(苦笑)
>>桜沢水葵さん

右上の空間は構図を明確にする上でも必要と思います。
逆に右側の空間が埋まっていたとすればバランスの比率は1:1に近づき非常に圧迫感のある
作品になってしまうと思います。


ちなみに親石といった表現をしていますが私のレイアウトにおいて親石は主役と言う意味合いを
必ずしも持ち合わせておりません。私のレイアウトは石単体を主役、脇役といった区切りにしている
訳ではなく石群によって作り出している『見所』をポイント的に作っています。

わかりやすく言うと『石を主体に撮った写真』と『石のある風景を撮った写真』の違いです。
親石を生かすではなく全体の情景、視覚のバランス、流れを中心に考えているわけです。

天野氏の写真の中に大きな岩はあるが圧迫感は無く全体の情景に溶け込んでいるものがいくつか
あったと思うのですが、それをヒントとして前面に大きな石を張り出しつつも圧迫感を与えず溶け込ます
試みをした作品でもあったため親石の存在が希薄と感じられたことは逆に幸いなわけです。



さて、左右に分けてご判断されたようなのですがー...
左右に分けてそれぞれ判断するのはあまりよい判断とは思えません...

『右の石の配置に対して左の配置は不自然』という解説であれば納得いくのですが(;´エ`)ゞポリポリ...


かつて貴族達が高級絵画を買いあさり、さらに欲を出して高級な額縁に入れようと絵を切ってしまった
と言う話を聞いたことがありますが、当然そのようなことをすれば絵のバランスは崩れどんな作品でも
『有名画家が描いた非常に価値の"あった"絵』になってしまいます。

同じように1枚の絵画を真っ二つに分けて判断する人はまずいないでしょう。
たとえ画力は見れたとしてもバランスや表現までは読み取れません。

水槽のレイアウトも同じくあくまで全体から見た構図,配石,バランスで考え組まれている為
半分に分けてしまっては元も子もなくなってしまいます。
絵やレイアウトはあくまでキャンパス,水槽全体がその作品であるため全体から見た方が
適切に判断できると思います。


あと、親石を右に寄せてしまうと迫力が出たとしても視覚的に親石から左の空間は死んでしまいます。

写真の右半分を手で覆いながらボンヤリと見ていただければわかると思うのですが視線は自然と
左の白い空間のある方向へ逃げ、親石より左側には意識していなければ視線はいかないはずです。
黄金比の原理ですね。視線は自然と黄金比を求めて移動してしまいます。

これ以上親石を左に寄せた場合右にできた空間の圧迫感はすさまじく視線はそこで遮断され水槽を
狭く見せてしまいます。さらにその空間の圧迫感を左の配石でバランスを取ろうとすれば必要以上な
圧迫感により見ていられない作品になりかねません。


あと、平行なラインと流れすぎという解説がよくわかりませんでした。

まぁ、元々自分の思考を解説するためにUPしただけの作品なので思考さえ伝われば
全く問題ないんですが...(汗)




今回のはまた随分小さい水槽ですね?(・ω・;
気になるところとすればー...

添え石の色味でしょうか。
どうしても目が行ってしまいますので(;´エ`)ゞポリポリ...w
> ミュシーさん

 空間のあり方は大切ですが、水槽幅から鑑みるに、やはり盛土を含めても右は
空きすぎているということ、石の配列がほぼ左右対象といったこと、線入図で見ると、
赤線・青線のV字形の線がそれぞれ平行になっていて、それは連続性とは捉えにくい…
ということがあるよう思います。

 黄金比でいけば、線引きは左3の凸付近にあたります。
この場所に重心のある、やはり表現でいくと親石にあたるものが据えられたほうが
それこそ、左右に分割して見てしまう…といったことにはなりにくいことと思います。
あと、やはり石は正面から見て重ならない…ということさえあれば、それこそ左の
空間は、無駄にならないかと思います。


 そして今回のレイアウトなのですけど、それこそ持っていて使える石が六個しか
なくて、それだけ龍王石なのですね…。(苦笑) また何個か仕入れてこようかと思います。
(前の山谷石とかも、全て\200というところも…ですが…・苦笑)
それと、もう少し大きめのものも吟味してこようかと…。
>>桜沢水葵さん

先ほど記入した通り現状でバランス取れているのでこれ以上右を重くする必要は無いように感じます。
特にこのレイアウトの場合例えば左を3〜5cmほど厚くし石を置いたとすれば三角構図、凹型構図の
どちらともとれるような中途半場な作品になりかねません。

最も底床を盛っている左端が20センチ以上、右側においても15近くは盛っています。
石に関しては上からから7センチ程度に頂点が並んでいる石がずらりと広がっている訳です。
三角構図維持のために全体を盛っていったとして3cmほど盛ったとすると...

圧迫感が出すぎるのは目に見えていると思います。


平行,対象とされている点も見る限り気になるような配列になっているとは思えないです。
線で表したものも大まかな流れの線であり実際見る限り石の大きさなどの対比で変化をつけている
ため頭に引っかかるほどの不自然さを感じるようには私には見えません(汗)

ハイ。
左から3つ目の小石あたりに線を引いたところが黄金比の線引きになると思います。

見る限り視線の重心はちょうどその付近に来ると思うのですがいかがでしょう?
そこに目が行く場合は全体のバランスとして黄金比が取れているはずです。
そこに親石となる石が存在する必要性は私には全くないと思います。

黄金比の線上にという考えであればすべての作品の親石がいつもその場所、もしくは反対側に
なければならないと言う話になってしまいます。
凸型構図の場合はまだ頷けるのですが凹型、三角構図となると逆にその位置に来ることは少ない。
黄金比のバランスは特殊な構図(北斎の浮世絵『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』 重心のバランスを
極端に崩しつつも視覚的にバランスが崩れていない作品)でない限りくずれることはありませんし。

わかりやすい例だと180cmを超えるパノラマ水景において果たして良い作品だと感じたものすべて
1;1.618の場所に親石があるのか?ということです。
あるものもあると思いますが凹型構図の多いパノラマ水景において1:1.618の位置に親石を置いて
レイアウトすることは非常に少ないでしょう。黄金比はあくまで視覚が最も落ち着くバランスの比率で
あり石の置く位置を決めるものではありませんし...


また、石が全く重なって見えていないことほど不自然に感じることは無いように思いますよ(;´エ`)ゞポリポリ...
どんな川の風景を見ても複数の岩が入り組んでおり、全体が見える石は逆に少ないと思います。


これまでいろいろな方と話しをしてきた訳なのですが、やはり左右を分けて見てしまうと言うのは
作品がと言うよりも三尊石組の感覚で石を見る癖がついているからのように思えます。



そうですねー。
そろそろ60水槽あたりの作品が見たいところであります(-ω-)b♪
> ミュシーさん

 そうでなければ連山組だとしても、左右に分かれる流れが一直線上にあり、凡庸に
見える…といったこととなるかと思います。
それと三つの頂点がほぼ一直線上にあることで、右上の空間に不安感を、より覚える
よう思います。

 凹型構図でも、180~などで組んだ…というような連山組においても、ピークは
二つでよく、そういった場合においては捨石を用いてつなげ、水槽の高さを配慮し
そこで三石を基本としていく…といったほうが、圧迫感がないよう感じます。
 三つ以上ピークをつける場合、盛土如何によっては、石と空間の比が詰まってしまい、
後に水草を植栽する場合において、石の存在感が希薄になるよう思います。

 石を重ねないのは、多少は重なったとしても、入り組んだ複雑味をもたせることに
おいて、見付きがない…というのでは、本当にその石を捨ててしまっていると感じます。

 神奈川沖浪裏を例として出されています。
確かに波の頂点は1:4付近にありますが、見付きとなる白波は重なることがなく、
大きくせり出した波の先から富士山の先端に向かってのラインが整っている筈です。
そして、富士山から垂直に線を引き、右端と波の先端を結ぶと、比が見えてきます。
 波の曲線も対数螺旋となっていて、黄金比となっています。
その中央に当たるところにこそ、黄金比で割り出される重心が見えてくる筈です。
だから、バランスが崩れて見えないのです。


 60…ないんですよ。(苦笑)
もう間借りできる状態ではありませんし、他は最大で45なのですが、それも既に
間借りできる状況ではありませんので…。
小型水槽しか実地検証できるものがないのです。その辺りはご容赦ください。
>>桜沢水葵さん

ピークを2つ、3つ作った水景であっても最終的には全体を見て左右の力の
バランスが黄金比になっていなければおかしくなりますよね。
構成の際に水景を二分三分して黄金比を見るのはあくまで大型ゆえの構成の
難しさに由来すると思います。


複雑味をもたせることにおいて、見付きがない…
と言うと複雑に組み過ぎていてほとんど見えていないという意味でしょうか?

確かに左にある小さな石は特になくてもいい石ではあります。

と言うかいらないんです。
砂止めなんで(爆)

これほど高く盛った場合エビを入れた際に水草の育成が追いついていない
箇所ではドンドン底床が崩れていくことがあるので事前に配石しています。


また右奥の石の場合は確かに全貌はほとんど隠れています。

が、それでいいんです。
右奥の石は右手前の石に重なるように配置され背景に長いの草を植えたと
してもその場に空間として残り存在を維持する配石となっています。

石としての存在よりも石が存在するであろう空間を重視した石ですね。
見え隠れを織り交ぜる事は無駄ではなく自然の表現方法の1つだと思うんです。



神奈川沖浪裏の解説。
なるほどすばらしく思います。

ただ私としては何よりも富士の存在のさせ方に北斎のバランス感覚の鋭さを感じます。

波単体で見ると左右のバランスの差はすさまじく、右側の大波の迫力はとても
補うことができないように見えてしまいますが、波間に見せるシャープな線で
描かれた小さな富士は波の色と同色で描かれ船や波で全貌を大きく隠しながらも
大波に負けることのない存在感を放っている。

波の迫力に対して富士は溶け込みつつも硬さのある存在感の強さにより人の視線が
波から遠のくことなく作品全体が目に入るように構成されている様に感じます。


この作品の主役はあくまで富士であるが、人々の力が到底及ばないような大波の
合間に描くことで大波ですら消し去ることのできない存在感を伝えることにより
逆にとても大きな存在であることを主張した逆説的な作品だと感じます。



あら(汗)
今60は使用中なんですね・・・

では早速ホームセンターにいっ(ry


了承いたしました(-ω-;b♪w
>>桜沢水葵さん

>土留めの存在であれば、ないほうがいいと思います。
>であれば、崩れるような構図を改良すればいい…というよう感じます。
>捨石ひとつにも存在があるのであれば、そこにも視点や重心のバランスを引き立てる
>存在感や間といった、何かしら違った存在感を持たせた方がいいよう思います。


それはあくまで人それぞれの勝手かと思います(汗)

その存在によって何か支障をきたすわけでもなく石があればすべて見せなければいけないと言った
規制があるわけでもありませんし反則技とも思えません。
まして、今回のように上から作品を見ることは製作者以外になく、水草を植え完成していたとしたら
果たして誰がその存在に気づくでしょうか?もしもその存在を見つけたとしてその瞬間に作品としての
評価は見る前と後で変動するのでしょうか?


もっと自由な発想でレイアウトをしてもいいように思います。

> ミュシーさん

 土留めの存在であれば、ないほうがいいと思います。
であれば、崩れるような構図を改良すればいい…というよう感じます。
捨石ひとつにも存在があるのであれば、そこにも視点や重心のバランスを引き立てる
存在感や間といった、何かしら違った存在感を持たせた方がいいよう思います。

 石があったとする空間だけが突如として空虚となることで、そこだけに違和感が
出そうな気もしますが…それでも、草選びと植栽次第ですね。

 神奈川沖浪裏は、私の感覚で言うと、パースのある平面…というもののよう思います。
 パースの効いたような水墨や山紫水明の構図にあらず、仰るとおりに富士は白く
凛と堂堂としており、存在感を引き立たせています。そして、垂直線上にある
雲は、それを補償しています。
 白波、富士…どちらにも安定する要素があって、なので、右上の空には安定感が
あるものだと考えます。


 60は、今はもう置く場所もないので…とりあえず40くらいで、また七五三組なども、
考えてみたいと思います。
> ミュシーさん

 自由でもいいとは思いますが、あくまで基本(>>1)などについては、やはり基礎として
あるべきだと思います。
それが今の石組の基礎として継承され、綿々と続いている所以かと存じます。
>>桜沢水葵さん

それを基礎と言う言葉で片付けられては私には意味がわかりません。
その存在があってはいけないとする理由はただの勝手な主張の様にしか感じとれません。

見えなくて何が悪いのでしょう。
自然にある石は見渡す限り丸見えだと言うことでも無い限りそのような定義は不要としか感じません。


> ミュシーさん

 まずは基礎があり、それを総じてセンスというのではないでしょうか。
>>桜沢水葵さん

ですからそれを基礎とする理由が提示されない限り納得しようが無いと思いませんか?

それが石組の基礎と言う一点張りでは分かるはずも無いと思います。

基礎と言うからにはそれなりにレイアウトを構成する上での利にかなった理由が存在するはずです。

> ミュシーさん

 AJを読んだり、庭を愛でたり、それこそ絵画を研究すれば、それはわかるのでは
ないでしょうか。
 総じてそれが、センスを磨く…というものではないでしょうかね。
自己主張の一点張りでは、それこそ、ただの基礎に対しての反論にはならないですよ。
>>桜沢水葵さん

いえ。
やはりこの指摘に関してはどうかと思います。

果たして天野氏は見えなくなる石すべての存在は必要ないと語っているでしょうか??
特に構図と全く関係の無い石に対してまで規制をすると言うのは基礎では無くただのゲームの
ルールのようなものと化しています。


天野氏はどちらかと言うと見えなくなるような細部にまで拘りをもたれる方です。
AJや自然から学ぶと言うのであれば逆に存在の薄い空間にすら丁寧な配石を行おうとするはず。

今回の砂止めとして使っている石もただの砂止めであればこの際アクリル板を切って差し込んだ
方が植栽面積も増えるばかりか砂止めとしての機能は格段に高いのは理解できますよね?

砂が大量に蓄積する空間には石があるなどの理由がそれなりに条件として存在するはず。
アクリルなどでとめるのとは違い石でとめる方が自然の理に適っていると思いそうしているまでです。



私は天野氏の自然美を追求する姿勢に非常に共感を持っています。
三尊石組はあくまで天野氏が長年の研究により確立さっれたレイアウトスタイルです。

ただそれがすべての石組においての基礎にあたるかと言うとそうでもないと思います。
確かに三尊の配石スタイルは非常に理に適った点が多く始めて石組を挑戦される方にも配石方法に
決まりが多いため逆にレイアウトしやすいスタイルとなっています。
それゆえに三尊石組は今の天野氏にとっては最も簡単につくれる石組だと語っています。

しかし。本当に三尊は簡単なのかと言うと私はそうは思いません。
規制の多い分作るのは簡単ですがそれゆえに完成度の高く美しいものを作るにはかなりのセンスが
必要で作者そのものの技量、センスがすべて映し出されます。
天野氏が簡単と語る理由はあれほどのレイアウトのスキルとより多くの自然を観察されてきた
結果によるものと思います。

よっては私は三尊水景をほとんど作りません。
作るにはまだまだ未熟すぎると感じるが故です。
自分の思うがままに石を並べ自然を表現することのみに徹しています。

最終的にたどり着くところはもしかすると三尊になるのかもしれません。
しかし、まずは自分の感性で自然から学び受け、自分の思う自然を作り上げることこそ
自分の技術の進歩に当たると考えております。


もうすぐ仕事のため時間が無いので説明しきれていませんがこの辺りで一度切らしていただきます・・・
なるほど
ずっとROMさせて貰ってました。横から失礼します。
ミュシーさんの自然を表現というのでやっと解りました。間違ってたらごめんなさい。

石を表現するのと、石で表現するのの違いだと思うんですよね。
盆栽や庭園では親石の良い所を引き立たせる様にする為に、副、添えと、必ず主役があります。それが石を表現

キャンバスや写真では空間を大事にする為に、目立つ物が主役にならない場合があって、主役が無くても表現できる。それが石で表現

野球とサッカー位違うので多分お好みは別れてしまうのだと思います。盆栽は自然では無いので、自然を切り取る水景と言うとなおの事離れてしまうんでしょうね。
因みに僕は夫婦岩が好きです。
> ミュシーさん

 なんだかご自分で最初の頃に、三尊や黄金比、それこそ絵画を用いるに至るまで
論を展開していたのに、ここで何故、自由な発想でレイアウトしても…ということに
なってしまったのかが、とても理解しづらく思います。

 天野氏の提唱するスタイルを尊重するが、自分でそれはできない、だから自分の
思うままにレイアウトしている…、というだけでは、視点を自ら逸らせてしまっていて
故、構図においてブレに気付かない、至るに、他人の指摘を受け入れられない…、
そういったことはありませんか。

 石組みの鉄則は、石を、そして石組み自体を魅せることが主題です。
なので既に、当初あった課題からは乖離している…、そうは思いませんか。
>確かに左にある小さな石は特になくてもいい石ではあります。
>と言うかいらないんです。
>砂止めなんで(爆)
 こんなのはそこに石を置く理由にはならないのです。
しかし、図解で線まで引いて解説をなさってくれたときは、水の流れを上から下へと…
といったことでしたよね。まるで反故ではないですか。

 思うに、ネイチャーアクアリウムとは、ただそこにある自然を切り取るだけに非ず、
それこそ長年に亘り培われた自然の造形美と、人間の感性を真に求めた究極を追う
姿であって、妥協はそれこそ、石のひとつをとっても許されるものではありません。
 真摯にそれを受け止めるのであれば、基本をまずは押さえることが肝要である…、
私はそう思います。
>>桜沢水葵さん

>なんだかご自分で最初の頃に、三尊や黄金比、それこそ絵画を用いるに至るま
>で論を展開していたのに、ここで何故、自由な発想でレイアウトしても…とい
>うことになってしまったのかが、とても理解しづらく思います。


この返答を見てお互い何らかの食い違いがあるのではと思い自分と桜沢水葵さん
の文章を今更かもしれませんが一から読み直して見ました。


私の主張は自分自身では一貫していると思っていたのですが、もし私の作った
レイアウトが今の今まで三尊石組だと思われていたのなら誤解です。

まず>>30の写真、>>34の親石の使い方から三尊石組とは違ったタイプの石組で
あると言うのが既に伝わっていると思い込んでいたので語弊を招いたようです。

三尊と言う位置づけであれば当然親石の存在感が薄すぎるのは親石を主役として
展開する三尊の考えからすればおかしい。そればかりか構図として一番左に親石
を追いやっていること自体無理があると言えると思います。


また、左右に分けて判断されたところをもう一度読み返したのですが確かに
分けて判断はされているのですが実際のところ左右を別物として判断されている
ような内容はありませんでした。

>左ブロック・右ブロックというよう区分とするとして

の部分に過剰に反応し、誤解をしていたようです。申し訳ない...



あと、三尊は論の中で私は入れていないと思うのですが・・・
私の見過ごしや誤解かもしれませんが、どのような点が三尊を論じたと
思われたのでしょうか?


>天野氏の提唱するスタイルを尊重するが、自分でそれはできない、だから自分
>の思うままにレイアウトしている…、というだけでは、視点を自ら逸らせてし
>まっていて故、構図においてブレに気付かない、至るに、他人の指摘を受け入
>れられない…、そういったことはありませんか。


それも誤解です。

三尊石組ができないわけではありません。
当然極めたと言う意味ではないですが...


先ほども記入したように三尊は初心者でも作るこができるレイアウトだが
完成度の高いものを作るのは非常に難しいく、私のレベルではまだまだ未熟
であると感じ現在封印しているのです。

これは決して避けているわけではありません。


少々長くなりますが一応そこへ至った経緯を説明しておきます...



私が石組を始めたのはかれこれ8年ほど前からでしょうか。

始めた当初は石1箱分ほど購入し練習に励んでおりました。
最初に作っていたのはもちろん三尊石組です。

学生だったこともあり時間は豊富で毎日のように練習に明け暮れていました。
一日4時間以上水槽の前で格闘し汗だくだったのを思い出します...(汗)
休みの日には良くしてくれるお店があり店主や常連さん達からアドバイスを
頂いたり店の水槽を借りて練習したりの日々でしたね...

最初の頃は無茶苦茶でしたが練習の甲斐ありそれなりに見れる作品ができる
ようにはなりました。

しかし、ある時疑問に感じたんです...


『AJから得た知識で表現した石組は自然を表現したと言えるのか?』
と。


天野氏はこのスタイルを確立するまでにいろいろな勉強をしてきたのでしょう。
三尊石組を作り上げるにおいて模倣できるものが無く、すべてを自然から学び
作り続けたすえ完成に至ったと聞きます。

天野氏も石組を始めた当初は非常に悩んだに違いありません。
自分の目で見て感じたことを水槽に表現する以外なかったわけですから。

私も練習の一環としてAJの風景写真などを多く見てきましたが天野氏の経験から
すればその程度の知識はチリのようなものです。
自然と真剣に向き合い作り上げてきた天野氏だからこそあの様な石組を作り
上げることができる訳であって、私の作品は自然ではなく天野氏の真似事なの
ではないだろうかと思ったのです。


意識しようとせずとも三尊石組を作るとなると天野氏の作品が頭に浮かんで
しまっていることは皆あると思います。
しかし、天野氏は作るときに自分の過去の作品など思い浮かべて作るはずが
ありません。自然の光景を思い浮かべそのイメージを天野流のやり方で表現
している。


故に私は三尊を離れ自分の思ったとおりに自然を表現することに徹しています。
先ほども言ったように行き着く先が三尊かもしれませんがこれは遠回りとは思い
ません。

天野氏が真剣に向き合って自分で三尊を作り上げたように私は自分の感性で
自然と向き合い自分で石組が何たるかを探求しているのです。


三尊を再び組むとすれば天野氏の作品を思い浮かべることなく三尊の法則に
従って自然の情景のみをイメージしながら組める自信がついた時です。

>石組みの鉄則は、石を、そして石組み自体を魅せることが主題です。
>なので既に、当初あった課題からは乖離している…、そうは思いませんか。
>>確かに左にある小さな石は特になくてもいい石ではあります。
>>と言うかいらないんです。
>>砂止めなんで(爆)
> こんなのはそこに石を置く理由にはならないのです。
>しかし、図解で線まで引いて解説をなさってくれたときは、水の流れを上から
>下 へと…といったことでしたよね。まるで反故ではないですか。
>
> 思うに、ネイチャーアクアリウムとは、ただそこにある自然を切り取るだけ
>に非ず、それこそ長年に亘り培われた自然の造形美と、人間の感性を真に求め
>た究極を追う姿であって、妥協はそれこそ、石のひとつをとっても許されるも
>のではありません。 真摯にそれを受け止めるのであれば、基本をまずは押さ
>えることが肝要である…、私はそう思います。


んー・・・
この点に関しては申し訳ないですがやはり納得できません。


"三尊石組"は"石組"の中で最も確立されたスタイルであり配石の法則のような
ものが存在しますが"石組"と言うのはあくまでレイアウト素材において石のみ
を使用し(素材に水草を省く)構成されたレイアウトの総称と思います。

そこに鉄則や制約があるとは思えませんが、
あるとすればネイチャーアクアリウムが発祥の基盤と考えると自然美を
作り上げることのみではないでしょうか?


主役と呼べる親石の存在がなくてもいい。
石が隠れていてもいい。
砂止めに石も使ってもいい。
>>1で書かれた内容も全てにおいて守らなければいけないと
言うことではないと思います。


証拠として上げるとすれば三尊の派生から生まれた創作石組。

派生とは言うものの三尊の法則の観点は無く非常に自由度の高い配石になって
います。SUIKEIの"石組の世界"と言う本に載せられていたレイアウトですね。


掲載されていたものは...

・三尊の法則にしたがった配石だが親石などの主要な石の
 ほとんどがウィローモスに覆われ骨格のみを残した石組。
・左右対称に親石サイズの石を二つだけ配置したような石組。
・自由な配石で立体感をつくり石の力ではなく有茎草で迫力を演出した石組。
・自然観の演出のみ表現するために多くの石が無作為に積み上げられた石組

などがございました。
天野氏もまた三尊の法則とはまた別の表現を探求し続けていると感じます。


しかし...
それと私の砂止めは全く関係が無いと感じるかもしれませんね...


では底床のハイブリッド水槽はどうでしょう。

管理面や砂とソイルが混じら無いようにする点から石を仕切りとして使い多く
の石が埋められています。私の石組の底床を高く盛る際に砂が崩れるのを防ぐ
ために石を砂止めに使っている点と差ほど代わりが無いと感じます。

ハイブリッドは2種の底床材を使うため。
私の石組では底床を高くしても崩れないようにするため。

どちらも意味があって石を使用しており無駄ではないと思います。


>確かに左にある小さな石は特になくてもいい石ではあります。
>と言うかいらないんです。
>砂止めなんで(爆)


もしこの言い方のみが気に食わなかったのであればまた誤解なのでしょう。

別に悪ふざけでその石を置いているわけではありません。
この時はただの笑い話で終わると思ったのでこの様な言い方をしました。


正確に言えば構図としては全く必要の無い石と言えます。
しかし、崩れる危険性を考えるとこの石が無ければ水草の生長が遅れた際に
エビに盛り土が崩される危険がある為、非常に不安な部分となります。

ハイブリッド水槽においても水草の成長が遅れればエビがソイルを嫌がらせの
ように大量のソイルを運んでしまうので無理の仕方ではどちらも似たような
レベルと感じます。



私も悪ふざけで石組をしているわけではありません。

桜沢水葵さんも>33の石組で異種の石を配置することは基本に反していますよね。
究極の姿を追うものであれば当然許されないことでしょうがそのような事は
桜沢水葵さん自身も言われなくてもわかり切っており悪ふざけで組んだわけでは
ないはず。

『そんな違和感の出る石は無い方がいい。同じ種類の小さい石が無いと言う
のは理由にならない。』などと言われれば当然心外と感じるはずです。


この指摘に関して気分を害されたのなら申し訳ないです。
しかし私も同じような心境です。
ご理解いただきたい。
あと最後になりますが...

>しかし、図解で線まで引いて解説をなさってくれたときは、水の流れを上から
>下へと…といったことでしたよね。まるで反故ではないですか。


の部分がちょっとわかりませんでした...(汗)
私自身語学がそれほど得意と言うわけではないのでできればわかりやすい
言葉を選んでいただけると今後助かります(;´エ`)ゞポリポリ...


あと、念のために書いておきますが>34で記したように私が水槽の写真を出して
解説したのは私と桜沢水葵さんの流れの表現の仕方に違いを感じたため説明した
しだいです...

それによって流れに関する会話になると思ったのですが予想外の方向に流れて
しまい残念です↓↓



長々と失礼致しました。
>>アントニオさん


はじめまして。
私の今目指している表現は大体そんな感じです(-ω-)b♪


>野球とサッカー位違うので多分お好みは別れてしまうのだと思います。盆栽は
>自然では無いので、自然を切り取る水景と言うとなおの事離れてしまうんでしょ
>うね。


ぁーとー・・・・・

盆栽のくだりが少々わかりませんでした(;´エ`)ゞポリポリ...
> ミュシーさん

 大変な長文ではありますが、読んでみて、やはり自分に対して甘いのでは…と
感じました。
 石組みには、やはり鉄則があります。それがわからない…というのであれば、
センスがない、としかいいようがありません。

 ちなみに以前のものは、このようになりました。
100円の山谷石ひとつを変えただけです。
>>桜沢水葵さん

そうですか・・・
上記の点で申し訳ないと思った点は変わりません。


しかし。
私の感じていた不信感は食い違いから来るものではなかったようです...

あなたの語る鉄則はただの執着、こじ付け、視野の狭さとしか感じられません。
センスが無いと言うお言葉はそのままお返ししますね。


これ以上討論してもお互い理解しあうことは無いでしょう・・・



さて...
トピ主であるなかともさんや管理人様。

場を荒らしてしまい大変申し訳ございませんでした。



桜沢水葵さん。

良い形で出したかった提案なんですが、このトピはあくまでなかともさんの
立てられた石組の質問のトピ。我々のこの一連の書き込みは不適切以外に無い
でしょうから明日までにお互い削除しませんか?
元々削除の判断基準は管理人様にあると思いますがこの様なことで管理人様の
手を煩わせる訳にも行きませんし。

削除に納得いかれない場合はスルーしていただいて構いません。
 喧嘩にはなっていないと思いますよ。
感覚は人それぞれでしょうから…。見る限り、ほぼ批判ばかりで、自分のものには
なんだか甘い…、というように思えたのです。

 ただ、黄金比とか三尊などが見ていてしっくりする…というのは、それなりに
人の感性に響くものがあるからなのでしょう。
 だからそれこそ、それを踏まえて造園したり、絵画に描かれたり…ということが
綿々と継承されてきたものだと思います。それが、則り、というものです。

 さけさんも、いい機会ですから、ひとつくらい組んでみるといいですよ。
少なくとも頭の体操にはなります。それに他の人の目に触れることで、何かに
気付くこともあるかもしれません。
> ミュシーさん

 執着、こじ付け、視野の狭さ、というものは、転ずれば、則りと化します。
伝統的な分野からも感性を磨くのであれば、この理くらいは、知っていてもおかしくは
ないでしょう。

 別に喧嘩だとは思いませんし、持論を語り合い、そして実際に組んでみた…と
考えれば、これは、ひとつの表現の場であり、後にまた石を組んでみようと思った
ときに、もしかしたらひとつの財産になるのではないかな…と考えます。

 皆で我々を見てきたことでしょうし、折角これだけ積み上げたものを、消すには
なんだか惜しいと思いませんか?
情報とか、各者の表現のやり方などとして共有できれば、それはそれでいいのでは
ないでしょうかね。
>>ミュシーさん@57
どーも。すれたて主のなかともですw
お二人のディベートが熱かったのでいつカキコしていいのかと・・・参考になりました



が、途中から面倒くさくてスルーしてましたw
まぁ、石組系雑談板がなかったのでトピを立てただけですのでお気になさらず



さけさん、アントニオさんはじめまして
 そうですよね。
ADA製品だけを語り合ったところで特に面白くもなし、だったら天野氏の提唱する
ようなことにまで突っ込んで、雑談とかをしてもいいと思います。
 天野的論に迎合、批判…と、いろいろと作例を見て研究するのも面白いと思います。
それに、AJ160は流木組です。それぞれの得手不得手とかもあろうと思いますし、
自分のレイアウトをこういった場で出すのも、なんだか面白いよう感じますね。

 そうでなければ、ただアクアガーデンはなんで三年保障になったのかとか、フィルタが
五月蝿いとか、Do!シリーズは要らねーよ…、とか、なんだかただのつまらない製品
インプレッションコミュにしかならないような気がします。


> なかともさん

 面倒と仰らず、いつでも自分の表現を見せていくことは大切だと思います。
誰も批判に徹するわけでありませんし、構図を研究することで、何かしら、今の
石でもスタイルが見出せればいいな…と、思います。
>>なかともさん

いえいえ。
本当に申し訳ないです(汗)


心遣い感謝いたします(o_ _)o ペコッ♪
はじめまして!
石組みレイアウト好きでよくやります。特に龍王石が好き(^-^)
洗濯ばさみは気にしないでください。笑

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