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ことのは(言の葉)コミュの暇つぶし編

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シリーズもの考えるのって意外と
面倒だと気づいた今日この頃。
よって短編を作ればいいと思いついた私。
だから暇を潰し、自分の好奇心を
満たそうと思案した結果
ほんの戯れで手慰みの結晶が出来た。
それが私の言の葉。言の葉を紡いで
誰かの元へ宛のない便りの様な文字の羅列。
不規則に見えて目には見えない制限で
縛られた世界で生まれる文字。
言の葉遊びに意味を見いだせないまま、
私は筆(必)をとる。
この世には偶然が溢れているかもしれない。
果たしてそれは本当に偶然なのか。
或いは必然なのか。もし仮に今回私が
筆をとったのは偶然だとしたら、
そこに意味を求めても無意味かもしれない。
私は今回の様なことは、もう二度としない
かもしれない。だが私は、今筆をとった。
これは事実でそれ以上(異常)でも
以下でも無い。故に必然が必然を呼び、
また新たな必然を紡ぎ出す。
人はそれを運命だとか宿命だとか
言っている。でも紡ぐから連想(連奏)される
言葉は糸であったり音楽である。
糸であるなら一本ので創られる世界は
無限(夢幻)に広がる。
無限であるなら、編み物の様に緻密に
編み込まれた世界は入り組んでいて、
そしてとても暖かいもので
あればいいと私は思う。
また夢幻であるなら、夢、幻であるから
その人の望む世界であっていれば
心から嬉しく思う。はたまた音楽の様なもの
であるとすれば、次元の線で区切られた
世界は同一かつ並行で
その観測者を魅了する。人は視覚的、
聴覚的にその世界を観測する。
その世界にはその創造主たる人物の言の葉が
載せられている。或いは込められている。
そしてその言の葉が強いほど
観測者を巻き込み魅惑する。
魅惑の海で溺れた観測者達はその言の葉を
音と言う媒体を介して広める。
否、広がっていくと言う方がなお
正しいのかもしれない。
音は波であるから広がっていく。
さらには媒体が人から人へ。
それが今でも語り継がれる名作、
名曲と呼ばれる言の葉達。
初めは赤ちゃんと同じで小さく、
生まれた事実は母親とその関係者しか
知らない。しかし歳月を経るにつれ
成長し大きくなる。また大きく
なりすぎて器から零れ落ちてしまう
かもしれない。しかしそれを制御し形に
成した者こそ、その世界の創造主たる
資格を有するのである。それが私は、
天才ではないかと考える。
必然と偶然或いは現実と虚構の交じり
合った世界で生まれは私達。
その世界で必然を選び続けるのも
一興であるし、敢えて偶然を装うのも
また選択肢である。今の言の葉の溢れる
世界では、溢れるモノ或いは過ぎたるモノ、
極論を言えばあって当然で当たり前の世界
であるが故に、蔑ろにされているのも
事実である。だから言の葉の真の意味を
もう一歩進んで、はたまた追求する
いい機会であると私個人は考える。
この事象が必然であるのか
はたまた偶然かはどちらでしょうか?
さて今回はここまでと致しましょう。
それは何故かと仰る方もいるでしょう。
答えは必然だからです。仮にこれが
誰の目にもとまらずに消えてしまう
こともあります。しかし此処へ辿りく。
否、事実辿り着いてしまった。
では貴方或いは貴女は必然に導かれたのか。
或いは偶然に導かれたのか。
答えを知るのは観測者たる者だけです。

コメント(6)

【譜面】


2008.10.24→2012.5.20 改訂版 感想
別に人のモノを批評するつもりはありません。
だってここは言の葉が集う場所なので・・・

だから一切技量については
口出し致しません。というか我流でホントなら
私自らが拙いので文句を言われてしまう立場です。
故に私がすること或いは出来ることは
単なる独り言を言うことだけです。

悲しさですか。天才の苦悩。のようなモノを感じました。
厳密には自分と他人との相違を理解したが故の苦悩でしょうか。
その一言で言い表せないですが、おそらくそうです。
人は我を天才と呼ぶ。しかし私ほど平凡な人を私は知らない。
世界と私の認識の齟齬。私はただ誰よりも平凡でありたいのに。
世界は認めてくれない。そして世間は私を恐れ、私を羨む。
私はそんな彼らの中に入りたいだけなのに。
ただお話したいだけなのに。私は弾かれてしまう。
まるで私と他人は磁石のよう。
私は両極を兼ね備えた。私が世界に合わせる為に。
しかし他はそれを羨み、私は反発される。
脆くも儚い理想と現実に圧倒される。
私は望むのはもんの細やかな自分への理解。
言い換えるなら愛情とか想いやりと言う言葉が適切でしょうか。

結論 
貴方が演者なら私が聞きましょう。
さぁー奏でなさい。それがラプソディーであっても
レクイエムでもいいのです。貴方がそれを表現することに
私は意味を見出すでしょう。不協和音で何が悪い。
それが自己を表現する手段であるなら
私にとっては何よりも代用出来ぬモノなのです。

故に我はその百万石にも相当する手段を欲する。
世界は私のような凡人には退屈過ぎる代物なのです。
【いつもの問い】

- 2012.5.20 改訂版 感想

全て後付けです。
私は設問があるから後付けする。
無関心を装えばそれは事実であるかはわからない。
仮に知っていたとしても自分が知らないと
言い張ればそれは知らないことになる。
だから私は無知な愚者であり続けたい。
世界は私には優しくない法則で構成されている。

< ポエット >

世界の本質を自らの感じれる範囲で
言い換えるなら条件及び制限付きの顕微鏡で
拡大し想像(想像)する存在。
それが人間であるかは定かではない(言葉遊び)

< インキュベーター >

観測者。仮に全ての情報を共有し、そこに意思があるとすれば
現時点で世界に干渉出来る存在。すなわち創造主の最も近い存在。
または生きる意思のあるものから、新たな未来を生む力。
ただしそこには観測者の主観が大いに反映される。

“孵化させる場を与える者”こそ、現実の変化を促す最良の教師。
これに関しては、希望的観測だが存在してほしいと願う。

< ストーリーテイラー >

私のことですね。
変容し続ける世界の中で傍観し続ける存在。
または記録し、後世へ言の葉を紡ぐ存在ですかね。
主な事項としては自ら、行動を起こそうとしないのが
最大の欠点であり、最大の存在意義である。
また主観なるものは無いと仮定する。


< アントレプレナー >

概ね同意。異なる点を挙げるなら
‐故に真の“起業家”は組織ではなく、個々人の共鳴より生まれる。-
個々人の共鳴より生まれるというより個々で生まれ発芽し、
その芽が人から人へ伝染する。或いはその行動または思想に
感化され共鳴するという感じでしょうか。

< セラピスト >

単なる学問領域から臨床へと舞台を移した存在。
百聞は一見に如かずという諺の具現化ですかね。

< ゲームプレイヤー >

個と言う存在。人生と言う名のゲームの主人公。
社会の法則に束縛されているが、我々も法則の一部であり、
法則そのものもまた生き物のように変化している。
だからこそ、“遊戯者”として無知なる者は
人生をホントのゲームのように怠惰に過ごせる。

< アーティスト >

既知なる者。未来の可能性を知っているから、予測も出来る。
だから天才である程、その人生は既知故に退屈だと思う。
刺激がないから。反対にそれを利用して成功も失敗も
自らの意思で出来る。しかし私はすごく寂しいと思う。

−7つの力を備えた時に自らを統率する者へと問う。

『マネジメントとは何か?』

いま、という瞬間は
いま、という世界は
何百億という歳月によって生み出された。

いま、という、ばしょ、わたしは、あなたは、
ただ、一回限りの奇跡だ。

「経営とはアートである。そして真にアーティスト(天才)たる者は
それは奇跡でなく偶然という名の必然を操作し、自ら奇跡を作り上げた者である
- Management is Art.」

そこで生み出され、成功を収めた戦略は、紛れも無く完成された芸術だ。
だからこそ私は私の想像するアーティストにはなりたくない。
選ばれた成功を約束されていたとしても、自らの意思で失敗を選ぶ人間でありたい。
私は醜くとも、それがどんな形であろうと私が選んで
生きた証が残せればいいと思う。そこに一切の他人の感情及び哀れみはいらない。

−それが今の私の答え。
人間が動物として限界があるのなら、理論に限界はあるのだろうか?

答えは多分「無い」。多分。

奇跡も魔法も(科学的根拠が)あるんだよ。

それは科学信仰だけど、それを否定するものは、文学とか芸術とか、「表現力」が意味を持ってくると思います。

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