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二瓶.comコミュの二瓶

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小さいときに、うちの爺さんから二瓶家の歴史を聞きました。

先祖はもともとは蒲生氏里(ガモウウジサト)の家来。
蒲生家が福島に転地したときに手柄を立てて、2つの「ひょうたん」をお殿様からもらったのが「二瓶」と言う苗字の由来だと・・・

これって本当でしょうか?

コメント(53)

はじめまして!!
うちは親の出身が福島の会津で〜す。
よろしくです(^^)
外人に言われますょねッ?!ワラ
まぁー私もそん時ゎネタになっちゃいましたけどね〜。ワラ

つか、やっぱり二瓶って苗字ゎ福島多いんですねぇ〜。
後、山形にも二瓶が多ぃって聞いたことあるなぁ、確か・・
はじめまして!野口英世も二瓶家って聞いたことがあります。
うちの家系は野口英世と親戚っていう噂があるんだけれど、
あくまで噂で、親戚って言ってもドンぐらい近い親戚なのかもわかりません(ーー;)
確かめるためには、実家の福島に行かなければ、わからないらしいです。
関東にいるので珍しい苗字って言われます(-.-)
よろしくです(^^♪
テレビ番組の企画で野口英世の子孫は千円札を何枚持ってるか!?みたいなので行き着いたのが二瓶さん〜☆
結果数枚だったけどf^_^;
こんにちはァァ☆☆
私もじいちゃんから「二瓶」ルーツ聞きましたっ♪♪
まったくおんなじでした☆☆
私関東出身なんで、珍しいみたいです。。。。

野口英世さんと親戚とかいいなァァ♪♪
素敵ですね★★
はじめまして!二瓶コミュ入会します!
父方の爺様が会津の上三寄出身です!!その辺りでは二瓶が一杯いますよね〜(笑)
二瓶のルーツですが、私が聞いたところでも手柄を立てた褒美に2つのひょうたんだか酒徳利を貰い、二瓶を名乗ったとのことです。
でもほとんどの人は明治が始まるときに地元で有名な二瓶を名乗ることにしたのだと思いますが…うちも先祖代々農家ですし。
はじめまして☺
父親の実家が会津にあります。
確か家紋は徳利が二つだったような…。そのまんまですね(^^;
よろしくお願いします。
初めまして♪
私は会津若松出身です。
ご先祖のことはよくわからないので、
実家に帰省したら聞いてみようと思います。
家紋はmiさんと同じく、徳利2つのものです。
よろしくお願いします(^^)
はじめまして
自分も会津若松出身で、家紋も二つの金の壷(瓶?)ですよ^^
家系図の先頭は清和源氏となっております
が、家系図のコピーが紛失した為に詳細は
原本のある西会津の安座に行かないと分かりません(_ _)
機会があれば確認に行こうかと...

宜しくお願いします!
>あやこさん
はじめまして。
>瓶(?)が二つ並んでいて…
まさにそれが「ひょうたん」では!?家の家紋もそれですよ。
コカコーラの瓶みたいな形では?
>あやこさん
なるほど!了解しました!
一体どれくらいの種類の二瓶家紋があるのでしょう?
実家の家紋はどこへ行ったのやら…
聞いてきました☆家紋(^O^)/

うちは桔梗<ききょう>の花だそうです(☆_☆)

二瓶関係無い…
はじめまして、よろしくお願いします。

私自身は二瓶ではないのですが、母方の実家が二瓶(ニヘイ)家です。
私の母方の祖父は、福島出身です。
家紋は「桔梗」ですね〜二瓶でも色んな家紋があるなんて知りませんでした。面白いですね。家系のルーツを色々と知りたいです。
どうも。二瓶と申します。家は瓶が二つ並んでいる家紋です。桔梗ってなんだかとても偉い人みたいですね☆★家のまわりにニヘイさんがあまりいないので会えてうれしいです。
二瓶さん方初めましてグッド(上向き矢印)二瓶ですウッシッシ
福島県民ぴかぴか(新しい)家紋は○に、橘です手(パー)
東北の方の二瓶家のルーツは、やはり、会津にあるようですよ。
実家の蔵にあった、[二瓶家のルーツを訪ねて]という本に、書いてありました(ヒマがあったらまた詳しくよんできます)
ちなみに、著者は、自分の大叔父です。
自分がまだ幼い頃に発行したらしいです電球
全国の二瓶さんに、
幸あれぴかぴか(新しい)グッド(上向き矢印)
HELLO HELLOハート

bottle×2のfragrant桜
グッド(上向き矢印)meの名前デスぴかぴか(新しい)


家紋わ〇の中に瓶が二つ並んでて家系わ侍でしたもみじもみじ
はじめまして、二瓶と申します。

祖父が福島県出身です。

家紋は、徳利2つです。
はじめまして◎東京に住むじいちゃんが福島出身の二瓶です♪ よろしくでーす
調べてきました。

川崎市南加瀬に居住する二瓶一信氏家伝の
「細川末葉二瓶支流高橋続書」、古文書、史料等によると


清和天皇(人皇56代)平安時代
と貞純親王の間からが始まり。
 ↓
経基王(将軍)→満仲(将軍)→頼信(将軍)→頼義(将軍)→義家(将軍)と義綱(会津二瓶氏の祖)

義家→義国(号足利式部大夫)→義康→義清→義実→・・・・・・・・・・・
 
二瓶弥八郎、播州平田に居城、細川隆国、織田信長に仕う。など長いのでこれ位で・・・・


家紋について

二瓶氏の家紋は20種類あるのがわかりました。

おじいちゃんが福島です


俺は、東京住だけど、、、

家紋は、
表は丸二だきみょうがで

裏は、○に瓶 2つのです
こんばんは、二瓶です(笑)
うちの家紋は特殊六角に瓶二つです
叙勲か何かの時に、家紋を使う時、大変苦労したって話。
普通は正六角らしいです
私の家紋は丸に並び瓶子、瓶子とは神前に捧げる御酒を入れる陶器です。

以前、ルーツを調べた時に判った事。
(各市の歴史本、戦記物、新撰風土記、戸籍、三代の二瓶さんの伝記、ルーツを尋ねて本などを調査)

・二瓶姓の始まりは鎌倉時代初期の源頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた文治五年の平泉高館の戦いで武功をあげ、瓶子の御酒を頂いたこと。
・姓を河越から二瓶に改めたこと。
・応仁の乱頃は奥会津(三島)を中心に山内氏の配下で会津盆地へ入る街道の要衝に柵を設け守っていたこと。
・二瓶駿河など。
・東要衝は、猪苗代湖南岸は御代、湖南、西岸は崎川浜、北岸は猪苗代、二本松。
・西要衝は阿賀川出口の津川、越後口の横田、金山、山入、本名、川口、本拠地の三島、宮下、西方
、柳津、板下。
・南要衝は日光口の大戸雨屋、小野?。
・北要衝は米沢口の桧原、喜多方。
・瓶子が関係しているのか?地域の神社の神主さんを二瓶さんが務めている記述が多い。
・戦国時代は芦名氏ー山内氏の配下で桧原に柵を構え、穴澤、高橋と共に何度も伊達政宗を撃退したこと。
・遠藤某の手引き、正月、湯治の誘いで入浴の際に攻められ桧原口を破られたこと。
・奥会津まで攻め込まれ、上杉へ援軍を頼んだが、先に降伏した川口山内氏?の手引きで制圧されたこと。
・蘆名氏主家が滅んだが、豊臣秀吉の奥州仕置で伊達政宗は会津から仙台へ。伊達に味方した川口山内氏?と配下は政宗に従って仙台へ→仙台伊達藩士の二瓶さん。
・上杉氏会津百万石、蒲生氏郷が会津百万石、松平20数万石の間に横山山内氏?に従って会津藩士になる二瓶さん(会津若松市内穴澤病院に会津藩士二瓶さんの屋敷あり)。武士から農民へ帰農する二瓶さん多数。
・細川氏に仕官した二瓶さんが室町時代なのか蒲生氏が会津を離れた時なのかは調査出来ていません。
・帰農した二瓶さんは要衝を押さえていたため、会津地域の各地で有力名主や肝煎り、郷名主など郷や村方三役となる。津川、三代、三島、猪苗代、崎川浜、湖南福良、雨屋ほか。(喜多方の名主は調べてません)
・特に金山、三島方面の二瓶さんは一領具足として農民として生活しながら武芸を磨き主家山内氏に何かあれば武器を持って戦えるよう長年準備。幕末に薩長西軍に会津藩が攻められた時は会津の雇われ藩士として戦った。
・幕末開国時、横浜港が開港した際、会津藩の武器調達の為に横浜港近隣(川崎)に拠点を置いた二瓶さんがいた。→二瓶プロレス組長?
・会津藩の外国船警備のため、千葉県房総、北海道中北部へ伴った二瓶さんがいた。
・戊辰戦争に敗れ斗南藩へ国替えになったら時に江戸初期仕官、江戸末期仕官の二瓶さんは会津藩士として斗南藩(青森、岩手、北海道東部)へ移住。岩手の二瓶さんの家に伝わる古文書が地方自治体に寄贈されたというニュースもありました。
・会津に残った名主、肝煎の二瓶さんは戊辰戦争の混乱で小作農民による名主家打ち壊しに遭ったり大変な思いをしたようです。
・この時、三島の名主の二瓶さんは河越姓に戻したりしています。
・上雨屋の旧名主の二瓶さん(私の祖先)は、家長が磐梯山の温泉街に逃亡。残った家を姉が継いで上雨屋の二瓶さん家が続いています。戸籍は私の曾祖父さんが家長のままだったので、平成の中頃に直系の全部戸籍を取得したら上雨屋の二瓶さん一族の膨大な戸籍が送られて来ました。
・さらに江戸期を遡ろうと上雨屋のお寺(常金寺)に過去帳を確認しに行ったら、お寺の火災で焼けた後でした。ただ、住職さんから「上雨屋の二瓶さんはこの地域では特別な家。」と、通常の墓地とは違う裏山の中腹にある二瓶さんだけの墓所に案内されました。墓所からは阿賀川や対岸、山々が一望出来ましたが、今は木々が茂ってしまいました。
なお、姉筋の当時の家長さんにお会いし、代々の墓石群、逃亡した曾祖父さんを埋めた場所を教えて貰いました。今はお婿さんを取って五十嵐さんと二瓶さんの連銘の新しい墓石になったようです。

これらを詳しくまとめて父に送ろうと思いましたが、震災後に急死してしまったため、今は中断(家系図だけは渡せた)しています。

いかがでしょうか?
それぞれの二瓶さんの家系と何処かで繋がりましたか?
追記

・東京の二瓶さんや川崎の二瓶さんの中には、桔梗の家紋の方がいました。
・並び瓶子でも丸を二重にしたり、六角の二瓶さんが会津でありました。
・違い鷹羽も見た事があります。
・茨城県や習志野の日大に弓の上手な二瓶さんがいました。
・50数年前の話しですが、埼玉県には朝霞市?上福岡?方面と春日部方面に二瓶さんは数戸しか住んでおらず、詳細な住所を書かれていなくても郵便が届きました。(笑)
父が宮城県七ヶ宿町のとある木こり集落出身です。
江戸の中頃に福島方面から移住してきたとのこと。
家紋は丸に瓶子です。



徳川家康の出自を遡り、初代松平氏の世良田親氏を調べていたら
八幡太郎義家、新田義貞、世良田氏(得川氏)の世良田本流の家系図の中に
「世良田宥伝の長子、文右衛門、二瓶氏養子」の文字を見つけました。

二瓶文右衛門といえば、三代御代の大庄屋、二瓶文右衛門さんで、伊能忠敬が大日本地図作製の為に諸国の測量を行った際に、猪苗代湖南岸で宿泊した大庄屋家として出て来るお方。

三代御代の二瓶さんは八幡太郎義家、新田義貞に連なる世良田氏本流の血が流れてるんですね。

因みにこの世良田氏系図は会津と深く関係があり、
会津真船氏、赤津、秋山、崎川浜などが分家や嫁ぎ先として出て来ます。
参考に、世良田氏系図を添付します。

出典はこちら。

http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/Japan/meizoku/serata.htm#top

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