サイコロ一家のU2Kは自身のMIX CDで、"日本語ラップ"ではない新しい概念"NIP HOP"を旗揚げし、新しい時代のラップとビートのスタイルを模索する。Remmah the Dopest Drug(=Hammer Da Hustler)等のアンバランスだけども緻密なビートと、ルーズだけども端整なラップ、そしてほとんどがヘイター攻撃と"NIP HOP"ボーストという無意味なリリックからは、SEEDAの"エモさ"の部分ではなく"スワッグ"の方に大きく影響を受けていることがわかるという意味で、「リアルな内容の作品=優れた作品」という価値観から外れた、まったく別の価値観を育む世代が現れつつあることを予感させる。
フリーのミックステープ"A DAY ON THE WAY"をドロップしたAKLOも同じような価値観を持つ。SEEDAとVerbal両者のフロウを混ぜ合わせたようなラップスタイル。Jay-ZやT.I.やRick RossやDrakeの最新曲/ヒット曲の上でラップしテーマを再解釈して自分の曲に仕立てあげてしまう姿勢。インテリっぽさを漂わせたオルタナティブ方面での経歴。あらゆる面で胡散臭さが鼻につくが、それでも、Hammer Da Hustlerのビートと、AKLO自身の「常にアップデートされる音楽にこそ未来がある」というヒップホップ観がそのイビツさを埋め合わせ、"A DAY ON THE WAY"にUSメインストリームに通じた"スワッグ"を付与する。
前作"A DAY ON THE WAY"からわずか3ヶ月、AKLOがドロップした新しいミックステープ"2.0"は恐ろしくエコなつくりだった。Lil Wayneのミックステープ"No Ceilings"からほとんどのビートを拝借し(しかも本人曰く原曲を聴いてすらいないのもある!)、そのまま曲タイトルをAKLOなりに解釈したラップを載せただけ。USミックステープ文化を踏襲してつくったローコストでインスタントな内容だけども、そこには日本人が直訳してしまうことで生み出されたウッカリした面白味が溢れていた。
磯部:BOSSのラップの面白さと、ZEEBRAのラップの面白さが共存しているんだよ。 BOSS THE MCのラップの面白さってわかりやすいから、野田(努)さんみたいなヒップホップ外の人たちが評価したのもすごくわかるんだけど、腑に落ちなかったのは彼らがZEEBRAのラップ――ヒップホップがアメリカからの輸入文化で日本語ラップはそれのモノマネだっていうところを全部自分で背負っているZEEBRAのラップ――を嫌うからなんだよ。SEEDAはそのZEEBRAのラップすらも受けとめていて、BOSSの要素だけではなく、ZEEBRAの要素まで持ち合わせているからオレはSEEDAが好きなんだと思ったね。 BOSS THE MCやSHING02は両手離しで好きとはいえなかったけど、SEEDAは今までのラッパーの中で一番好きかもって思ったもんね。
微熱:SCARSというか、SEEDAに関しては「この2組の後」って感じが凄いするんですよね。それこそストリートでの生活における「ドキュメンタリー」という側面ではMSCの影響を受けている印象を受けるし、過去の体験を「私小説」みたいにリリックに落とし込む側面ではTHA BLUE HERBの表現が過去にあったからこそ出来ている。でも、「この2組の影響を受けた」と一口に言ってしまえば簡単に聞こえるかもしれないけれど、このレベルの作品を作るのは非常に難しいじゃないかなと思うんですよね。もうリスナーは当然このレベルのものを求めていると思うんですけど。
微熱:勿論SEEDAはラップはとても上手だし、トラックもキャッチーだし、ヒップホップとして聴き易い作品ではあるんだけど、リリックに関してはTHA BLUE HERBやMSCとはもうワンランク違った「凄さ」があると思っています。リスナーが非常に聴き易い形にリリックが落とし込まれているというか…。それこそ「啓蒙的」なリリックであったり、リスナーに訴えかけるようなラップというのをTHA BLUE HERBやMSCは持っているんだけど、SEEDAはそこまでリスナーに押し付けるようなリリックは書かない。リスナーや仲間と肩組むような感じじゃない一歩ひいた視点に新しさと頭の良さを感じます。
微熱:あとこの辺の流れを聞いていて思ったのは、「自己肯定」と「自己否定」の面でも別けることが出来るということですね。MOSADやTHA BLUE HERBなんかは凄く「自己肯定色」が強くて、SCARSの中でもSEEDAやBESは特に「自己否定色」が強い。MSCが丁度中間くらいかな?「俺イズム」が横たわっていた日本語ラップの中で、SEEDAやBESの「今の俺の生活はロクでもねぇ」というような自己否定的な表現はやっぱり新しいと思うな。
微熱:そういった意味でも、日本語ラップをやり続ける「希望」が見えないで、「限界」の方に目が行ってしまっている印象は確かに受ける。実際にSEEDAのリリックでも『マイク握ればBig timerでも普段のバイトは吉野家』っていう揶揄があるし、「ラッパーとしてのカッコよさを求める」ということよりも、「ラッパーとして金を稼がなきゃ意味がない」という意識が強く出ている。正にANARCHYなんてそのラッパーとしての「理想」と「現実」のジレンマにがんじがらめになっているのが”ROB THE WORLD”を聴けばよくわかる。