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拡張型心筋症患者の実話の台本コミュの余命宣告4

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酒井先生 じゃ、明日の説明しますね。手術は1時間半です。麻酔は部分麻酔です。
トヨアキ えっ、全身麻酔じゃないんですか?
酒井先生 歯医者の麻酔です。
トヨアキ (覚悟できていたので笑顔で)俺ね、若時に頭にドリルで穴開けて、中で血が溜まっていたのを部分麻酔で抜いたんですわ。その後扁桃腺を全身麻酔です。頭と心臓が部分麻酔で、扁桃腺が全身麻酔って変でないですか(>_<)
酒井先生 凄い体験ですね。痛そう。
トヨアキ 痛かったんですわ。悲鳴上げながら受けましたよ。
酒井先生 で、手術は危険性はほとんどありません。もし途中で心臓が止まっても、電気ショックがありますから(笑顔)
トヨアキ よく笑顔で説明できますね。
酒井先生 (真面目な顔して)電気ショックありますから・・・こんなんで良いですか?
トヨアキ もう分かりました。
酒井先生 問題は、手術で無いんです。アンカロンって、副作用の強い薬を飲まないとダメなんです。
トヨアキ 副作用って?
酒井先生 この薬は、福井で何人飲んでいるのかな?不整脈の薬なんですが、柴田医大でも、日赤でも、県立でも処方はしません。副作用が怖すぎて。何が起きるか分からないんです。
トヨアキ だから、どんな副作用なんですか?
酒井先生 あのね、間質性肺炎って言って
トヨアキ 病院の中で、酸素ボンベ持っている患者さんのあれですか?
酒井先生 そうですね。確率的には6割なる可能性があります。

沈黙

トヨアキ  やっぱり、止めます。俺、嫌です。どうしてもその薬飲まないとダメなんですか?
酒井先生 (ペースメーカー手帳を出してきて)ここに書いてあります。この器械入れる人は必ず飲まないとダメなんです。あのね。寺坂さん・・・(ゆっくり)保険です。明日命がある保険です。寺坂さんが福井で十四人目なんです。2000年に保険適用になって、寺坂さんで十四人目。生きなきゃ。死ねないんでしょ。ある意味選ばれたんですよ。同じ病気で突然死していく患者さんをたくさん診ました。明日の命の保証欲しくないですか・・・
トヨアキ ・・・・・あかんわ。死んだほうがまし・・・・・
酒井先生  (大きな声で)生きるんでしょ寺坂さん!!!!
トヨアキ すいません・・・・明日の朝返事します。


トヨアキ  沈黙30秒・・・・酸素ボンベ持ちながら生活って・・・その晩、初めて睡眠薬を貰って飲んだけど、なかなか寝むれなかった。




担当看護師さんが夜勤だったので、相談して、怒られた。


「・・・生きるんでしょ!!!!!!・・・」
そんなの分かっている。けど怖い。死にたい・・・止めようか・・・でも・・生きなきゃ・・・
5時間はその繰り返し。知らない間に寝ていた。朝、看護師さんに、採血で起こされ、答えた。
「入れます」と・・後に分かったんだけど、肺炎になる確率は1割未満でした。症例数があまりにも少なく、何も分からなかったのが現実なのでしょうね。手術が始まった。




先生と話しながら、先生の話が聞こえながら。

黒子男   「おい、上手くいかないな。やり直し・・あかんな・・・あかんな・・・」途中、埋め込みが終了し、

黒子男    「今から実際に電気ショック掛かるか、確認しますね。」
えっ・・・・殺されるんですか?・・・
黒子男   「 そんなもんですね。お薬で寝てもらいますよ。」
これが、同じ器械を入れている人の中で言う、臨死体験です。いろんな経験を皆さんします。さて・・三途の川は・・・ラーメン屋でした・・・どんだけラーメン好きやねん・・・苦笑い


沈黙

    俺は立派な、身体障害者1級に認定されました。車の運転はしない。バスで障害者手帳を出して、半額で乗り、バスの中で、毎日乗っていると、以外にも障害者手帳を持った普通の人がたくさん居ることをしりました。障害者に皆さんが質問する、耳にタコができるほど嫌な質問しってますか?

黒子   「タクシーただなんやろ! バスただなんやろ! 車の税金ただなんやろ。障害者年金もらえるの・・・・」
いちいち答えるのが嫌になりますね。
「悔しかったら、障害者になりな!!!!!!」って言えませんが。後で知ったんです。親友の板倉が、心臓移植の募金活動を調べていたらしい。最低8000万。普通で1億3000万。こんなオッサンに誰が募金しますか・・・板倉は一昨年、俺より先に末期がんで亡くなりました。どうして、こんな良い奴を殺すの。俺は、電気ショックという保険がかかり、電気ショックという響きの強迫に徐々に心をやられ、そこで、思いもかけない事件が起きました。
嫁の実家、俺が婿養子に行った家が、火事になったのです。両親に俺がこんな病気だと言ってない俺は、火事の後始末の手伝いが出来ない。そんな事したら、3階まで階段が上がれない俺の心臓がパンクしてしまう。そんなプレッシャーにやられ、ストレスが物凄い事になり、一週間後、事件が起きました。


携帯電話を持っていない俺は、公衆電話から、電話して、受話器を置いた瞬間

        パントマイム
     ドカン!!!!!「なんだ、静電気!!??・」・・・電気ショックだったんです。気が付くのに数秒掛かりました。救急車を呼ぶ・・いや、ここならタクシー拾える。顔面蒼白。息が上がって、パニックです。タクシーの運転手さんに
「急いでお願いします。もし警察に捕まったら、俺がなんとかします(息絶え絶え)」
そして、ハートセンターに着いた。夕方でした。いきなり、ベッドに10人くらいの医者が取り囲み、ちょうど居合わせた、器械メーカーの人が、データーを読み取り、専門用語で医者たちが意味不明な事を話します。
     結論・・・脈拍190の不整脈が、30分の間に、頻発していて、数秒越えたら、器械が死んだと判断して電気ショックを掛けたらしい。そうなんです。俺は脈拍が180になっても、気が付かない。慣れた体になっていたんです。
そこで副院長先生が「もう良いよ帰って」そんな事言われても困る。頼んだ。一晩だけでも泊めてください。先生たちは必要ないって言うし、拝み倒して泊めてもらった。そこで反省した。酒飲んだり、お水も普通に飲んでた。ダイエットもしていない。徐々にラーメンの回数が増えている。真面目に節制しよう。だから電気ショック掛かったんだ。・・・・
     現在処方されている薬、33錠・・・全部朝・・・副作用で目眩、吐き気、便秘、胃が荒れ・・・直ぐに吐く・・・次の日先生に宣言した。今から節制します。その練習にしばらく入院させてください。その5日後から、謎の腰痛に苦しみ、ロビーまで歩くだけで、腰痛が・・・
苦しかった。勿論先生に診てもらいましたよ。その時には酒井先生は柴田医科大に転勤になって、先生が変わっていた。真面目な先生。勿論、酒はダメ、利尿剤は最低限しか出さない。塩分、水分は1リットル、カロリー・・・とりあえず、それを守ろうと頑張った。
けど腰痛が取れないまま、退院した。薬30錠以上を、水が勿体無いから50ccで飲み、節制した。どんどん腰痛が酷くなる。そこから、鬱病の扉が開いてしまった。なんど時間外外来で行こうが、腰痛の原因を診てくれない。半年が過ぎ、松原病院(精神科専門病院)も行った。三精病院(精神科専門病院)も行った。眠れない。お客さんと笑顔で話せない。
俺はこの腰痛と一生付き合わないとダメなんや。死んだほうがましや・・・

自殺の場所を探す

メガネ屋に行けない日も月に数回あった。店の横で車の中に横になったり、お店の横にある、ゆー遊(健康ランド)の仮眠室でよこになったり、もう限界だった。ある日、夫婦でコパ(ショピングセンター)に出かけ、
そこで激痛が来た。そして、初めて過呼吸になった。(過呼吸の演技)・・・・そのままハートセンターにいった。そこでも相手にされなかった。

PHS・・・・先生の会話
黒子    はい・・・・心電図は異常ありません。・・・レントゲンも異常ありません。
黒子    なら、帰ってもらって!
どうやら、大袈裟患者と思われ嫌われたようだ。次の日、斉生会病院に行った。そこの、相談コーナーで
「僕、風船型心筋症なんですが、腰痛が酷いんです。整形外科で良いんですか」病気が病気だから、循環器内科の先生に診てもらってから、どこの科が良いか聞きましょう。
で、レントゲンを撮り、診察室に呼ばれた。レントゲンを見ながら先生はこう言った
黒子男  「この影はなんですか・・・なるほど」先生が指をさし、「ここに放射線科の先生のコメントがありますよ。」
影はボタン電池のような白いものだった。緊張しながら目をやった。
     糞石・・・米に異なるでウンコの糞。の石。・・・
黒子男  「便秘ですね。ウンコが石になってますわ。便秘薬を2倍にしてもらってください」
「俺、そんな事先生に言えません」
黒子男   「じゃ先生にお手紙送っておきますわ。今日は浣腸して、便秘薬出しておきますね」
「でも先生!俺、毎日出てますけど」
黒子男    「多分、量が足りないから、慢性的に宿便になっているんですね」
「そうなんですか」

      これを契機に、転勤した酒井先生を追いかけて、鬱病も三精病院の副院長先生のアドバイスで・・・心筋症患者には使っていけない精神薬がたくさんあるので、精神科も柴田医大に転院することになりました。

そして1年くらいしたころ、衝撃的な先生の言葉がでました。「おめでとう。寺坂さんの心臓の数字、正常値に収まりましたよ。もう安心です。良かったですね。」うれしかったです。13回入院していました。もう入院は、そんなにしなくて良いんだ。喜んで、嫁に電話しましたが、あまり嬉しそうでないんです。もう元気になっていたから。でも鬱病は治ってないから・・・・



今まで、お見舞い返しを出来ていなかったんです。快気祝い、内祝いと言う言葉が見付からないから、でも、今ならお返しできる。そう思った俺は、友達を集めて、全快祝いパーティーを開こうと企て、30人で部屋貸し切りで盛大にお祝いしてもらいました。



生ビールだけで、50リットルは開けました。嬉しかった・・・安い会費であとは、自腹で楽しんでもらった。
     
でも、その十日後、不整脈が酷く深夜入院になってしまった。もう友達の合わせる顔が無いというか、もう飲みに誘えない。俺は友達と飲んじゃダメなんだと。考ええみてください。難病の友達に酒を注いで、直後に入院したら、どれだけ罪悪感があるか。2ヶ月の入院になりました。退院の練習の外泊で毎回深夜に酷い不整脈で病院に帰るの繰り返しでした。
結局先生が諦め、俺が諦め、練習無しで退院するしかなかったのです。改めて、自分が死ぬ難病なんだと思い知ったのがこの時です。尚更、鬱が酷くなり、完全に引きこもりになってしまいました。接客が出来ない。元気な笑顔が出来ない。首吊ろうと、家で柱を捜していたりもしました。でも、死ねない。
家族の為に。友達の為に・・・・・そして1年後の外来で、酒井先生から、思いもよらない言葉が出ました。



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