ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ねこると創作クラブコミュの第四回ねこると短編小説大賞応募作品No.5『でんでらりゅうばあ』

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
でんでられんけん、でてこんけん、こんこられんけん、こられられんけん、こーん、こん

 この段々の街から、出たくて出たくてしょうがなかった。
 父が捨てた街、老いた母がいる街、青いばかりの思い出のある街。一度捨てようとした街。
 海と、坂と、船のあるこの街に嫌気が差し、福岡の大学へ行ってそのまま就職したはいいが上司と折り合いが悪く、結局行くあての無かった俺は地元の長崎へ戻ってきたのだった。父親は私が高校の頃に外に女を作り、この街を出ていった。妹は義務教育を終えてから、やりたい仕事があると言い、京都へ行ってしまった。私が地元へ帰った折、母親は脳出血で倒れ、後遺症のある母を置いて行けるはずもなく、私はますますこの街から出るタイミングを失ってしまったのだ。福岡でも就いていた新聞記者という仕事になんとかありつくことができ、それなりの収入を得ることはできているが、なんとなく物足りない生活を送っている次第なのである。
「母ちゃん、いってくる。昨日んごた無理に台所ん立つごとだめぞ」
「やぐらしかー、ワイは嫌々こん街おるとに、そんげん心配せんでんよか。まったく、だいのおかげで太ぅなったと思っとる。郁子も郁子や・・・・・・」
 脳出血の後遺症でうまく回らない舌を必死に動かしながら、母は文句を流す。元々愚痴の多い母ではあったが、倒れてからこっち、ストレスがたまるのか、八つ当たりの域に達していた。手足の麻痺は残るものの、杖や手すりで自宅内は自由に歩けるため、何度も家事をしようと危ない目にもあっていた。
「早う帰ってくるけん、大人しゅうしとれよ」
 新聞記者というのは、なんとか毎日記事を書かなければならないため、靴底をすり減らしてネタを捻らなければならない。その実外回りが多く、自由の効く仕事ではあった。
 梅雨入りしてまもなく、雨の多い長崎には珍しく晴天であった。午前中の取材が終わり、長崎湾を南から望む堤防で煙草をふかしながらコーヒーを飲むのが私の昼休みだった。
 煙草を一本くわえて火をつけようとすると、堤防の先に日傘が咲いているのが見えた。海に向かって咲いた白い傘は時折くるくると回り、ぴたりと止まる。火をつけ、何気なくその傘を見つめた。小柄な女性なのか、船止めに腰掛けると傘で体がすっかり隠れてしまっている。薄い桃色の衣服の端が、潮風に見え隠れしていた。私は携帯灰皿を取り出そうとすると、手元を狂わせてしまい、灰皿を取り落としてしまった。軽い金属音に、日傘がこちらに咲いた。振り返った姿は可憐な女性――ではなく、私の母よりも年かさの老女だった。
「ああ、ビックイした」
 老女は重そうに腰を上げ、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。正直びっくりしたのはこっちであったが、そんなことはどうでも良い。とりあえずさしあたりない挨拶を返した。女性は年齢が相応に刻まれた顔をほころばせ、私の方へ近づいてくる。女性の髪は年齢に比してボリュームがあり、混じりのない真っ白な毛は陽を浴びてきらきらと金色に輝いた。不覚にも、見とれてしまう。
 私の目の前まで数歩というところで、手元から傘が下がり、女性は膝をついて前のめりに倒れ込んでしまった。

「ばあちゃん、どけ行っとったとね勝手に家出て」
 病院の待合室で意識を取り戻した女性と座っていると、七十代くらいの男性が足早に歩いてきた。女性が倒れたあと、私は近くの病院に連絡し、診察して今まで付き合うことになってしまったのだ。
 おそらく女性の息子と思われる男性は、私に気づいているのかいないのか、真っ先に女性に小言をぶつけた。しばらく黙って聞いていた女性は息を一つつき、口を尖らせて言った。
「また年寄りば悪もんにして」
 ここで初めて男性は私に向き直り、頭を下げて侘びと礼を言った。
「すみません、ご迷惑かけました。母は病で普段は家におるとですが、目を離すと外に出てしまうんです。認知症と言われたことはないのですが、まあ年も年なので・・・・・・」
「うちはぼけとらんばい!」
 女性が強く一言言うと、男性によく似た私と同じくらいの、女性の孫だろう男が「りゅーばあちゃん」と駆け寄ってきた。大ごとになってしまいそうだったので、挨拶もほどほどに、その家族から離れ、病院を後にした。
 梅雨の中休み、乱反射を繰り返す海辺、風に煽られ金にも銀にも見える髪。その日の最後に回想した今日の長崎は、嫌になるほど美しかった。
   :
いけど切ない 石畳 ああ 長崎は今日も雨だった

「ばあさん、なんしょんなる」
 雨傘はやはり海に咲いており、体はすっぽりと見えなくなっていた。雨の日は車の中で休息しているものを、遠くからこの傘を見れば、良い予感がするはずはない。
「あいや、あんたぁ、昨日の。どうもその節はありがとぉ」
 真っ白な髪をしている割には身綺麗にしており、背筋は伸びている。認知症の老人というのは身だしなみに無頓着になると聞いたことがあるが、それには当てはまらなかった。
「体の悪かやろ。送ってやるけん」
 なんだかいつも自分の母親に言っている文句とよく似ているな、と思う。
「おお、雨の気持ちんよかねぇ。こん街は雨もお天道もよう似合うとる」
 私は眉をひそめ、心の中で唾を吐きかけた。
「俺は好かんと。雨も、天気も、だんだんの街も」
「あんたあ、他所の人かね」
「こん街で生まれて育ったばってん、せせこましいこげんとこ、出て行きたかて思うとった」
 女性はゆっくりと腰を上げ、港をぐるりと見渡した。
「うちは平戸の生まればい。うちも嫁いで始めは街から出たか思うとった」
 しとしとと降る雨は、彼女の言葉の合間に刺さり、静かな空間を形作る。
でんでらりゅうば、でてくるばってんでんでられんけんでてこんけんこんこられんけんこられられんけん、こーん、こん。
 女性はわらべうたを口ずさみ、恥ずかしそうに笑った。
「こん街からは、出られんばい。そうやろ。出たか思うとっほど、出られん。うちの名前は辰年の辰子やけん、りゅうばあ言われとる。長崎のりゅうは、出られんとやろ」
 りゅうばあはそう言って笑った。大人しく私の車に乗り、帰路の合間『でんでられんけん』と繰り返した。
 その夜、帰る頃には雨は上がっていた。ふと諏訪神社に赴きたくなった。山の麓に車を停め、石段を登る。硬い足元を小さい頃は強く蹴り、頂上まで走っていたものである。今ではじっくりと踏むのがやっとだ。お諏訪さんと地元の人間は親しみを込めて呼ぶ神社と杜は、その昔、進水式を見るに絶好のスポットとして、子供たちに好まれていた。私の時代ではない。母や父の世代である。
 鎮守の森をうろつき、港を望める場所に腰掛けた。夕暮れの港、周りに坂、ほつぽつと照らされる街の灯り、白い石畳。すり鉢の中身のようだった。出ようともがいてももがいても出られない蟻地獄をこの目で見たことはないが、おそらくこんな形だろうと思う。
 狭くなったのは私が大きくなってしまったからか。お諏訪の風は昔と変わらず吹いていた。

   :

七つおたくさ あじさい花は おらんださんの置き忘れ

 今にも泣くぞと言わんばかりのぐずついた天気だった。
「またおる・・・・・・」
 今日は傘を持たず、堤防に佇むりゅうばあにわざと聞こえるように言い放つ。ゆっくりとした動作で振り向いたその顔は、にたりと笑っていた。
「そん言葉、そっくいそんままお返しすっ」
「なんか。用のあっとか」
「人ば、待っとると」
 また海に向き直った。意味が分からず黙っていると、勝手に続きを話し出す。
「戦争中、船で他所に行きんなった父ちゃんば待っとると」
 何年前の話をしているのか、私は呆れた。
「死んどんなるんでしょう」
 彼女は首を振り、言う。
「死んどんなっとっても、うちはここにおらんばいけん。どがん地元の恋しかばってん、出られん」
 どきりとした。彼女が長崎にいる理由は、夫のためなのだ。自分が置かれた状況を、膜の外からつつかれた気がした。
「ピカの落ちても、末の子の亡くなんなった時も、うちはずうっと待っとったとに帰らんやった。ここでしびれきらしてしもうたら、悔しかもんが」
 そやろ? といったが、私は同参もできず、黙っていた。
「うちには分かると。もうすぐ帰ってきんなる。勘でん、うちは信じてここで待っとる」
 病を持っていると聞いていたし、私はいわゆるお迎えというやつなのではないかと思ったが、それを制する理由も無いので今日はそっとしておくことにした。

「ホレ、はよ飯にせー。どうせワイはうちが台所ん立つとが気に入らんとやろ」
 夜帰宅すると、玄関先に蕾の混じった薄紫色の紫陽花が花瓶にいけられていた。花瓶ば落として割ったらどげんすっとか、というお小言はぐっと飲み込んだが、それに気づいたのか、母は言った。
「お隣さんに貰ったと。花瓶ごと持ってきてもろうたけん、心配すんなぁ」
 母は福岡の炭鉱町の生まれで、未婚の祖母と二人で生きてきた。詳細は聞いたことがないのだが、父と出会い、結婚して長崎へ来たのであった。戦後に母一人子一人でさぞ大変だったろうと想像するしかないが、祖母は穏やかな笑みを絶やさぬ女であった。その祖母は一昨年、自宅で静かに亡くなった。
「あんたあ、父ちゃんに顔の似とらんぶん、頭ん似て、ハゲチャビンになるとやろ。ホレ、通販で薬ば買うたけん、付けェ」
 夕飯前、母が食卓に着いたとたん、一本のスプレー缶を差し出した。
「また通販か。無駄なもん買うてえ。遺伝にゃ勝てんばい」
「よう効くごたっばい」
 家にいる事が多くなった母は、最近通販生活を楽しんでいる、というよりはそれ以外に楽しみを見つけられないようであった。集団の中が苦手な母は、グループホームやショートステイを嫌い、家にいることを強く望んだ。
「母ちゃん、父ちゃんの恨めしい思うとっとか?」
 あん? と母は魚をつつきながら見返した。あの老女と、己の母親を重ねてしまい、思わず普段口に出すことをはばかられていた父親の話題を出してしまった。不機嫌になると思いきや、母はさらりと答えた。
「若か頃は恨み言ん一つでも言わんば気のすまんやったばってん、今はそげん元気もなかばい。生きとるかも、死んどるかもわからん人間のことば考えてもしょんなか」
 ばってん、と母は続ける。
「こん先、うちの死ぬごとんなる時の来とっ時は、ちっとは思い出すやろ思う。会いたいて思うかもしれん」
 私は頼りなくなった母の利き手を見ながら、ふうん、と答えた。

    :

噂にすがり ただひとり 尋ねあぐんだ 港町 長崎の
ああ長崎の女

 傘を差しただけでは防げない程の雨が降っている。彼女はまた、大波止の堤防で座っている。
「何の病気や」
 りゅうばあから十歩程離れたところから、背中に語りかけた。
「がんちゅう病気らしか。そんげん長う生きられんとやろ」
 なんとなく、夕べの母の言葉が思い出された。
「父ちゃんのお迎えが来んなっとやろうか。あんたが何年も会うとらん父ちゃんに似てきんなったごたる」
「なんでここね?」
「ここで見送ったと。やけん、帰ってくる時はまたここに来ると」
 遠くで船が横切り、漁船が行き来するくらいで、お迎えのムードには程遠いように思われた。
「父ちゃんは、器量の悪いうちを嫁にしたといつもぶつくさ言うとった。ばってん、髪の美しかやけん、いつも綺麗にしとれて言いなんなった。うちはそいから髪だけはしっかいきれかにしようとしとったばってん、年には勝てんばい。こげん真っ白なってしもうたわ」
 彼女は髪を一束つかんで引っ張った。ハネもなく、絡みもせずまとまった髪だった。今日は日光が無いので、雨に混じって銀色に見えた。
 雨音が世界をかき消す時間を、休憩時間いっぱいまで消費し、りゅうばあを家に送り届けた。

 久々に夢を見た。
 軍服を着た男性がこちらに背を向け、じっと立っている。もしかして、と思い、「辰子さんが待っている。早く帰ってやれ」というようなことを言った。
 男は何か言ったような気がしたが、よく聞こえない。
 男は振り返ったが、どうしてかその顔はぼんやりとしていた。私は見たことのないその顔を、懐かしいような気持ちで眺めた。すると、男は右腕をあげ、進行方向をぴたりと指差した。
 私はそこで目を覚まし、上半身を起こした。外はまだ暗闇で、時計を見ると夜中の二時四十分。
 ――行かなければ。
 思うより早く、私はパジャマを着替え、母が寝ていることを考慮せずにバタバタと玄関から出ていった。適当に履いたサンダルがパタパタと雨上がりの石畳に音を立て、闇夜に響く。海を見ながら坂を下り、借りた駐車場に停めた車に乗り込もうとしたが鍵を忘れるというミスをしたことに気づく。再び坂を登っている暇はない。私は走った。サンダルを履いているのかいないのか、足の裏は感覚が無くなってきた。
 街灯の下を走り、休むことなくどんどん坂を下る。大波止の海へ、蟻地獄の底へ。
 りゅうばあは、いつもの場所に立っていた。遠目から寝巻き姿と思ったが、紫陽花色の浴衣をしっかり着付けた出で立ちをしている。誰かを迎える格好のように見える。
「お船(精霊船)ば見送るっとにはまだ早かぞ」
 私は左手を痛いほど握りしめていた。怖いような緊張感に支配されたが、声は震えていなかった。
「今日こそは、父ちゃんの来るばい」
「ぞうたんのごと。そんままじいさんと一緒にあの世行くっとか」
 聞こえていないかのように、焦点があっていない目を私に向け、そのまま動かなくなった。闇に白い髪がよく映えた。その中の目が、少しずつ大きく見開かれる。
「父ちゃん」
 彼女は一歩、こちらへ踏み込んだ。お諏訪の杜から、一陣の風が吹き降ろし、波の少ない水面を騒がせた。一歩一歩、こちらへ寄るごとに、りゅうばあの髪は黒色に染まり、顔に刻まれた年数分の皺は無くなっていく。水面で照り返される街の小さな明かりが、黒々と染まっていく髪を艷やかせる。
 信じられない目の前の光景に、私は目が離せなかった。浴衣の袖に触れようと伸ばした手をひらりと躱した彼女は、既に私よりも若く見えた。
 私を通り過ぎた彼女が向かう先には、いつの間にか人影があった。
 若い男であることがわかった。私はその男が誰なのか、よく知っていた。なぜなら、私の胸は熱く煮え、沸騰し、溢れた涙が目から流れ出したからだ。
「じいちゃん・・・・・・」
 会ったことのない祖父への感慨、神がかった光景とりゅうばあの思いを考えると、ただ立ち尽くすしかできなかった。とめどなく流れる涙を拭うこともできず、視界はどんどん悪くなる。
 二人は暫く語らいあった様子であったが、私には何も聞こえなかった。固い包容をした後、男が私の方に向き、微笑んだ気がした。そして何かを言っていたが、私には届かなかった。
 気がついたとき、空は群青色に染まっており、膝立ちに崩れていた。りゅうばあは、包容を交わした場所でうつ伏せに倒れていた。
「ばあさん!」
 駆け寄ると、あっさりりゅうばあは目を覚ました。そこにいたのは、いつもの老いた女であった。
「・・・・・・父ちゃんの、来んなっとったばい。ばってん、どげん話ばしたか、いっちょん覚えとらん・・・・・・もったいなかねぇ」
 夢現といった顔をし、ぽつりぽつりと話す。あん人は、戦争で死んだとやなかったとやねえ、あんたが、証拠やったんやねえ。だけん、懐かしか気のしたとやねえ。

 どうして祖父が長崎に戻らず、福岡で祖母と出会い、再び父とならなかったのか、それは想像するしかない。そしてどこでどうしているのか。いや、年齢のことを考えるともうこの世にいないと考えたほうが自然かもしれない。
 大波止でりゅうばあと私が出会い、祖父に一時でも会えたのは偶々であろうか。あの出来事が夢か幻だったとしても、何かの導きであったと、私は思いたかった。

 あれから何度か大波止でりゅうばあと会えたが、次第に彼女の姿は港から消えた。
 文字通り蟻地獄に飲まれたのか、あるいは抜け出したと解釈するべきか。
 オランダ人を長崎から見送り、生きた長崎の女の名を持つ花は、玄関先でそろそろ見頃を迎えている。

コメント(2)

<投稿者ののヴさんによるあとがきがあります>
 ねこると大賞皆勤賞なんかは作らないんですかね? のヴです。
 懐かしくて、憎くて、恥ずかしくて、愛おしくて、誇らしくて、帰れる場所で、帰らなければいけない場所。そんな色んな思いがあるのが故郷だと思うのです。
 内容について多くは語りませんがひとつ。九州に「うち」という一人称はあまり見られないそうですが、高齢の女性で使う方もいらっしゃるようなのでここでは女性の一人称をすべて「うち」としております。ややこしいし。
 ここまでご覧頂き、ありがとうございます。
<読んだ人の感想>
・戦争とかおばあちゃんとか…この組み合わせはいい意味で卑怯です。

・方言がわからなくてもさくっと読めるのでよかったです。こういう雰囲気が好きです。

・紫陽花と切ない雨の情景。おらんださんの置き忘れとでんでらりゅうばあ。民俗伝承と方言。お諏訪さんとわらべうた。そして、フォークソング。長崎の情緒あふれるとてもロマンチックなお話でした。言葉が持つイメージ一つ一つが生かされてて思わず深読みしてしまいます。言葉遊びが秀逸。あと、作中に挿入される唄が楢山節考みたいで面白いなぁと思いました。

・綺麗な髪のおばあちゃん・・素敵ですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ねこると創作クラブ 更新情報

ねこると創作クラブのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング