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傷つく 準備を しておこうコミュの真の大苦悩は死後に訪れる

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【真の大苦悩は死後に訪れる】

正しい仏法に背くこと(謗法)の報いは、人生にあらゆる不幸を引き起こすのですが、じつは、これも、謗法が招く真の大苦悩の、まだまだ一分でしかありません。

そして、その真の大苦悩については、世の中の人々も、ほとんど気付いていないのが実状なのです。

では、それは、いかなることかと申しますと、

経文に、「謗法の者は、命が終わった後、無間地獄(絶え間なく大苦悩を感じ続けていく境涯)に陥る。
そして、永劫という長きにわたって、大苦悩を繰り返し受け続けるのである」(法華経譬喩品第三)
と説かれているところの、死後に受ける無間地獄の苦しみのことであります。

ただし、ここで早合点しないでいただきたいのは、地獄といいましても、この世界の他に、何か、地獄という別な次元の世界があって、死後、そこで鬼に責められて苦しむ、というわけではありません。

これについて少々説明いたしますと、私達が眠っている場合に、実際は布団の中に身体があるにも拘わらず、ジャングルで猛獣に追いまわされたり、水に溺れたり等、さまざまな悪夢にうなされることがあります。

たとえ、周囲の人達にはわからなくとも、本人は悪夢にうなされ、現実に苦しみを感じているのです。

それと同様に、この現実の世の中を離れて地獄という世界が存在するわけではないのですが、死後の生命は、それまでに自らが積み重ねてきた謗法の悪業によって、厳然と地獄の大苦悩を感ずるのであります(その地獄の苦悩とは、概していえば、燃え盛る熔岩の中で我が身を焼き尽くされる苦しみ、といわれています)。

しかも恐ろしいことに、死後の生命は、もはや主体的な意志や行動をもたない受動的存在ですから、自らが積んだ悪業をそのまま感じ続けていくしかなく、身を焼き尽くされる地獄の苦しみを感じていても、それから逃れようとする行為すらとれません。

ゆえに、この大苦悩を、一瞬一瞬、絶え間なく感じ続けていくことになるのであります。

この無間地獄の苦しみが、どれほどに凄まじいものであるかについては、経典にも、あまり詳しくは説かれておりません。

何故なら、それを詳しく説き聞かせれば、聴いた者が、ショックのあまり吐血して死亡することすらあるからだ、というものです。

もって、その凄まじさを知るべきでありましょう。


【不幸の根本原因】

日蓮大聖人の仏法は、私達の生命の奥深く内在する仏の生命力(仏界)を開発し、真の幸福を獲得していく、唯一最高の大法です。

では、もし、この大法に従わず、背いていった場合には、いったい、どうなるのでしょうか。

この大法に背くこと、すなわち、我が胸中に仏界という最高の生命力を引き出すための法に背く、ということですから、 それは、かえって自分の中の仏界を、覆い隠し、破壊することになってしまいます。

そのために生命力はしぼみ、その、しぼんだ生命力で人生を生きていく結果、仕事上、健康上、精神上と、あらゆる面にわたって諸々の行き詰まりが生じ、次第に、悩み苦しみに煩悶する人生に陥っていくのであります。

すなわち、世の中の一切の不幸の寄って来たる根本原因が、ここにあるのでありまして、これを通常、仏法では「罰」と呼んでおります。

ここで注意したいことですが、普通、罰といいますと、人間を超越した絶対者(神仏)がいて、忠実な者には恵みを与え、背く者には罰を与えるのだ、といった捉え方がされているようです(事実、キリスト教の旧約聖書によれば、背徳の町ソドムとゴモラが、神の降らせた硫黄と炎によって滅ぼされた話などが説かれています)。

しかし、仏法でいうところの罰とは、このような、神や仏から与えられるといった、迷信の類ではありません。


【罰とはルールに反して生ずるもの】

私達の身近な例として、交通法規というものがあります。

これは、いちおう、社会に生活していく上での、ひとつの法(ルール)であります。

この交通法規が存在しているにも拘わらず、もし、これに従わず、信号・標識・規則等を無視して通行したならば、どのような事態が起こってくるでしょうか。

申すまでもなく、必ず、事故を起こすなどの反価値(マイナス)な現象が生じてまいります。

しかも、その場合に、たとえ

「自分は山奥から出て来てルールを知らなかった」
「そのようなルールを学んだことがなかった」

といっても、知ると知らずとに拘わりなく、従わないこと自体が反価値を招く原因なのですから、ルールの適用を免れることはできません。

また、もちろん、交通法規を知っている者が、あえてそれに逆らい、すべて逆に逆に行動したならば、知らずにルールに従わなかった人よりも、さらに激烈な大事故等の反価値現象を引き起こすことは、申すまでもありません。

以上は交通法規の例ですが、この他にも、私達の生活上にはさまざまな法(たとえば、国の法律、世間の常識など)があって、それらのルールに従わず、背いたときには、やはり、それ相応のマイナス現象が生じてきます。

このことは要するに、ひとつの法(ルール)が存在するにも拘わらず、自分がそれに従わなかったならば、結果としてマイナスな現象を招く、という道理でありまして、それも、他の誰かがマイナス現象を与えるのではなく、いわば、自らマイナス現象(不幸)の中へ飛び込んでいくようなものであります。

仏法でいうところの罰という考え方も、じつは、基本的にはこれと同じ考え方である、といえましょう。

つまり、罰とは、神や仏などの絶対者によって与えられるものではなく、法(ルール)に反した、自分自身の行き方から生ずるものなのです。

しかも、その法とは、自らの生命に内在する仏界を開発し、真の幸福生活を築いていくための、いわば人生の根本の法です。

この根本の法に従わないから、生命力がしぼんで、さまざまな不幸が生じてくるのであり、これこそ、人生の、もっとも根源の不幸の原因にあたるのであります。

前に挙げた、交通法規や国の法律などの種々のルールは、特定の時代や環境、また生活のごく一部分に適用される、浅く狭いルールでありましたが、それでさえ、無視すれば大きな事故や苦しみを招きます。

ましてや、人生の根本法たる仏法に背く罰は、まさに想像を絶するほど重く、厳しい、と知るべきでありましょう。

なおまた、前の例で、「交通法規を知らなかった」といっても交通事故から逃れられないのと同様、
これまで、この日蓮大聖人の仏法のことを知らない、聞いたことがなかった、という人であっても、これに従っていないということ自体、法に外れている、反していることでありますから、罰を免れることはできません。

つまり、この大法に従っておらぬ人は、誰一人の例外なく、すでに、罰によって種々の不幸を受けていることになります。

事実、自分自身も含め世の中の人々の姿を、よく御覧ください。

たとえ、うわべが幸福そうに見える人であれ、、一歩内側まで立ち入ってみれば、経済的な苦しみとか、病苦、家庭不和、対人関係の悩み、人格的欠陥、性格的な悩み等々、誰もが必ず、さまざまな問題を抱え、悩み苦しんでいるではありませんか。

これこそが、正しい仏法に背いているための、罰の現象(現実の証拠)なのです。


【経典に示される罰の有り様】

経典には、罰の具体的な有り様を、次のように説いております。

「眼・耳・鼻・口等の諸器官が正常に働かず、いわゆる奇形や不具・身体障害といった姿を現ずる。

語ることを、周囲の人々が信じてくれなくなる。

口より悪臭を漂わせ、しばしば金縛りにあったり幽霊・物怪の類を見るようになる。

貧苦のどん底となり、他人に酷使される立場となる。

身体に多くの病気をもち、痩せ細ってしまう。

頼るべき人がなく、また人に親しく接していっても、相手はそれほど心に置いてくれない。

所得収入があっても、次々に支出してしまって、生活苦に陥る。

もし、自ら医者となって病人を治療すれば、医療ミスを犯して、
かえって他の病気を引き起こしたり、死亡せしめてしまう。

また、もし自分が病気になったときには、これを、よく治療できる医者がなく、たとえ特効薬を服用したとしても、ますます病状が悪化したり、他の病気を併発してしまう。

周囲の人々に裏切られたり、また、他人に金品や財産を騙し取られ、あるいは盗み取られる。

以上のような不幸が、我が身に、次々と起こってくるのである。」(法華経譬喩品第三)


「常に悩み苦しみにさいなまれたり、足ることを知らぬ貪欲な境涯となったり、あるいは、動物のように本能だけで行動する人格・境涯となってしまう。

貧苦に陥り、痛々しいまでに貧相な姿となる。

身体に、水胞や瘡蓋、白斑や出来物などの病が起こり、次第に拡がっていく。

常に身体から悪臭を発散させる体質となったり、垢や汚れを落とすこともできない生活状態となる。

自分勝手な妄想や曲がった見方・考え方に捉われ、そのために、腹立たしさや苦しみを自ら増していく。

婬欲が盛んとなり、動物のごとき行ないとなる。」(同品)


「癩病等の業病にかかる。

歯肉の病気等により、歯がすき欠けていく。

いわゆる三つ口や、口曲がり、鼻筋がなくなる等の、悪相が現われる。

手足の骨の病により、通常の生活や歩行が困難となる。

左右の眼球の位置が狂い、やぶ睨みとなる。

身体から悪臭を放ち、膿の混じった血が出るような皮膚病となる。

腹水がたまり、命が短くなる。

その他、諸々の悪重病が起こってくる。」(法華経普賢品第二十八)

「心が荒んで、常に煩悩にさいなまれたり、人を殺したり、諍いばかりの日々となったりする。

また、他人を罵って無実の罪を被せたり、被せられたりする。」(金光明最勝王経四天王護国品)

「人としての良識に外れた行ないが甚だしく、また、貪欲で、怒りっぽく、筋道のわからぬ人格となり、親を親とも思わない、畜生のような恩知らずになってしまう。

短命になったり、虚弱体質になったりして、毎日に覇気も喜びもなく、薄幸な日々を送って苦悩する」 (大集月蔵経法滅尽品)

「一に経済苦、二に諍い、三に病苦。その他、諸々の災厄が次々と身に起こり、親戚にも背かれる。」 (大集経虚空目分護法品)

これら、人生の諸々の不幸なる現象は、すべて、この大法に背くことによって起きた罰だというのであります。

この厳然たる事実を知らず、また知っても重ねて背き続けていくならば、なお深重な不幸の原因を積み重ねることになってしまいます。

そして、これによって生ずる至極の罰は、
「頭破(わ)れて七分になる(頭破七分)」(法華経陀羅尼品第二十六)
といって、
物理的に頭部や脳を損傷して非業の死を遂げる、あるいは、心が常に不安と苦しみにさいなまれて通常の生活ができなくなる、精神分裂やノイローゼ等の異常をきたす等々、自らの人生を破滅させてしまうほど重いのであります。

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