ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

尾張の歴史(名古屋〜愛知西部)コミュの尾張のおもしろ話2

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
尾張のおもしろ話2

【尾張のスーパーウーマン・第一回】


 今昔物語・巻二十三より〜



今は昔、聖武天皇の御代(724-749/奈良時代)。

美濃国 方県(かたがた)郡 小川の市(おがわのいち・※1)に、とても力の強い女がいた。体が非常に大きかった。名を、美濃狐(みののきつね)といった。

昔、美濃国に、狐を妻にした人がいたが、その子孫である。

美濃狐の力の強さは、百人力に相当した。小川の市のなかに住んで、行き来する商人に乱暴して、商品を奪い取っては暮らしていた。



さて同じ頃、尾張国 愛智郡 片輪の郷(かたわのさと・古渡※2)にも、力の強い女がいた。その大力に似合わず、体つきは小さかった。

この人は、昔、尾張国にいた道場法師という元興寺(※3)の僧の、その孫である。

(ある時、雷神が天から落ちてきて、片輪郷の農夫に助けられた。雷神はお礼にと、その妻に子を授けた。その生まれた子が道場法師である。怪力で、鬼と力比べしたという)

(この尾張の女は、久玖利(くくり)という人の妻なので、名前を仮に《久玖利妻》としておく)



この久玖利妻が、美濃狐が小川の市で乱暴をふるって商人の物を奪い取っているという噂を聞き、どれほどのやつか試してやろうと思い、蛤(はまぐり)五十石を船に積んで、小川の市にやってきた。他にも、準備して船に積み込んだ物がある。それは、二十本の熊葛(くまつづら)で作ったムチであった。


久玖利妻が市に着くや、美濃狐がきて、蛤をぜんぶ取り押さえ、売り買いの邪魔をした。そうして美濃狐は、久玖利妻に尋ねた。

「お前、どっから来た女だ?」

久玖利妻は答えない。美濃狐はもう一度聞いた。またもや答えない。もう一度。ついに四度目に、ようやく久玖利妻は答えた。

「どこから来たのか知らないね」

美濃狐は激怒し、久玖利妻を張り飛ばそうと近づいた。すると久玖利妻は美濃狐の両手をつかまえ、熊葛の鞭を取り、何度も打ちすえた。
鞭を打つ。血が出る。
鞭を打つ。血が出る。
十本の鞭をふるったが、みんな血で染まった。
ようやく美濃狐は降参し、

「あなたが怒るのも、ごもっともです。私がたいへん間違っておりました。後悔しております」といった。

久玖利妻は、

「お前は今後、永久にこの市から出て行け。人を困らせることをやめよ。もし言うことを聞かずに、市に居続けるなら、私は必ずもう一度やってきて、お前を打ち殺すだろう」

と言って、尾張へ帰っていった。

その後、美濃狐は市から出て行き、人の物を略奪することはなくなった。市の人々はみな喜んで、平和に交易して、市は後の世までも栄えた。

久玖利妻のほうが美濃狐よりも力が強いことを、すべての人が知り、この話は今なお語り継がれている。





※1 美濃国 方県(かたがた)郡 小川の市 … 今の岐阜県大野郡、根尾川の西岸あたり。


※2 尾張国 愛智郡 片輪の郷 … 今の名古屋市内、古渡だと推定される。


※3 元興寺 … 七世紀後半に創建された、東国最古の寺院。尾張氏の氏寺。今の金山駅の西にあったが、その伽藍は残されていない。


画像は、猿候庵「名陽見聞図会」より。


(管理人・口語訳)

コメント(3)

【尾張のスーパーウーマン・第二回】


 今昔物語・巻二十三より〜



今は昔、聖武天皇の御代に、

尾張国 中島郡(※1)に、尾張の久玖利という者がいた。その郡の長官であった。
妻は同国の愛智郡 片輪の郷(かたわのさと)の人である。この人は道場法師の孫である。久玖利妻の、姿形のなよやかさは、練り糸をよったようであった。



ある時、久玖利妻は、麻の細畳(ほそづくり・目の細かな織物)を織って、夫に着せた。
その細畳の美しく晴れやかなことといったら、比類がなかった。

(夫婦は尾張国府の周辺に住んで、夫は国府に出仕していた)

時の国司(都から赴任してきたエライ人)は、《若桜部の任》という人で、地方長官(現地の責任者)の久玖利が着てきた衣のすばらしさを見て、その衣をとりあげてしまった。

「これはお前のような身分のものが着るものではない」

といって、返さなかった。



家に帰った夫を見て、妻は尋ねた。

「衣はどうしたのです?」

夫は肩を落として答えた。

「国司に取られてしまったのだよ……」

妻はまた問いかけた。

「あなた、あの衣を心から惜しいと思ってますか?」

「とても惜しい……」

その言葉を聞くや、妻はすぐに国司のもとに行った。

「その衣を返しなさい」

国司は驚き、

「何だこの女は! さっさと追い出せ」

家来たちが来て久玖利妻を捕まえて引っ張ったが、すこしも動かない。久玖利妻はたった二本の指で国司を敷物ごともちあげると、国府の門の外まで運んでいった。そしてもう一度衣を返すよう言った。国司は怖れ、衣を返した。久玖利妻は衣を取ると、洗濯して、家の元の場所にさりげなく置いておいた。

久玖利妻の力の強いことは、人並みでなく、竹をさえも、まるで糸を扱うかのように、砕いてしまうのであった。



さて、夫の父母がこの事情を知り、夫にとやかく言ってきた。

「この妻のために、国司の怨みを買い、処罰されてしまうだろう」

「おおいに憂慮すべきことだ。家のためにはよくないことが起きてしまった。
妻を実家に返すのだ」

夫は父母の教えに従い、妻を実家へ返してしまうのであった。





※1 尾張国 中島郡  … 今の稲沢市、国府宮のあたり。尾張国府があった。


画像は猿候庵、名陽見聞図会より

(口語訳、管理人)
【尾張のスーパーウーマン・第三回】


 今昔物語・巻二十三より〜



故郷に戻った久玖利妻が、草津川(※1)という川の船着場に行って洗濯をしていると、ある商人が船に草を積んで通り過ぎる時に、久玖利妻をからかって、たいへん嫌な気持ちにさせた。

久玖利妻はしばらく黙っていたが、船主の下品な悪口がなおやまなかったので、久玖利妻は言った。

「人を辱めるやつは、ツラをぶたれるよ」

これを聞いた船主は、船を留め、物を投げて久玖利妻に当てた。

久玖利妻はなにも言わず、船尾を叩いた。すると船はざぶんと揺れて、船首のほうから水が入った。船主は津の近くで雇った雇い人たちとともに、あたふたと船の荷をおろしはじめた。船は動かなくなってしまった。

久玖利妻は言った。

「礼儀しらずだから船を動かなくしたのさ。
なぜ人々は私に乱暴を働いたり、馬鹿にしたりするのだろう」

そういって久玖利妻は船の荷を載せたまま、一町(※2)ばかり陸に引きあげてしまった。ようやくのこと、船主は久玖利妻にむかってひざまずいて、

「私はおおいに間違っておりました。あなたの怒るのはごもっともです」

といったので、久玖利妻は許してやった。



その後、久玖利妻の力を試みようと、五百人を集めてその船を引かせたが動かなかった。この実験により、久玖利妻の力は、五百人の力に勝るということが判明した。

これを見聞きした人は、

「奇異なことだ。思うに、前世になんらかのことがあって、今生では女の身でありながら、このような強力を得たのだろう」

と人は言い、語り伝えたそうだ。




※1 草津川 … 片輪郷を古渡だとすると、草津川は「そうづがわ」と読み、「しょうじんがわ = 精進川」のことで、今の新堀川になる。

※2 一町 … 約120メートル。


画像は小田切春江、尾張名所図会より


(口語訳・管理人)
本名古屋市史に、この尾張大力女の説話の、歴史的見地が載っているので、抜き書きします。



美濃狐との対決 ⇒

・美濃の在地勢力が独占的に抑える小川の市にたいして、尾張氏が交易活動の自由を要求して参入することに成功したことを示す

・(尾張氏は)あゆち潟の海上から濃尾平野一帯の河川水系を抑え、美濃にまで進出していたと見て、間違いないであろう。



国司との対決 ⇒

・時には、郡司の立場を超えた在地の抵抗が起こり、それをめぐって郡司が収拾に苦労するという事態を反映した側面もあるかもしれない。



船主との対決 ⇒

・津の管理が尾張氏によって行われており、そこでの商行為も、それを離れた自由なものではありえなかったことから来たものだとすることが可能である。船主は、尾張氏の統制を離れた交易を要求して破れたのである。



全体のまとめとして ⇒

・国司と郡司の権力関係における政治的上下関係の厳然たる存在とともに、その国司といえども、在地の郡司の実質的支配力を無視した強引な行政を実行すれば挫折するという姿であり、津や市にたいする郡司の統制の事実



物語は物語としておもしろいですが、こういう歴史的解釈も、興味深いものがありますねわーい(嬉しい顔)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

尾張の歴史(名古屋〜愛知西部) 更新情報

尾張の歴史(名古屋〜愛知西部)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング