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尾張の歴史(名古屋〜愛知西部)コミュの酔笑人神事/熱田神宮

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五月四日の夜に、熱田神宮の酔笑人(ゑようど)神事に参加させてもらいましたので、そのレポートをお届けします。



◆酔笑人神事の歴史◆


熱田神宮のご神体は、草薙の剣です。この宝剣が、668年、新羅の僧、道行によって盗まれてしまいました。

道行は祖国へ逃げ帰ろうとしたのですが、嵐にあって渡航できず、ついに逮捕することができました。

盗まれた神剣は宮中(天智天皇/大津宮)に預けられ、十八年の時を経て、686年、熱田神宮に変換されました。

ご神体が無事、返ってきたことを喜んだ神官たちは、酒に酔い、おおいに笑いました。

このことを記念して毎年5/4、熱田神宮で行われる神事が、「酔笑人(ゑようど)神事」です。



時は唐・新羅 vs 高句麗・百済・日本の戦乱の時代。

新羅の僧が、熱田神宮から神剣を盗むというのは、その時代背景を省みると、まるで韓流ドラマのようなダイナミックなものを感じます。

ちょっと年表を見てみましょう。



【年表】

660 新羅が百済を滅ぼす

663 百済の救援要請により、日本軍、半島出兵(白村江の戦い)

668 唐が高句麗を滅ぼす

671 天智天皇崩御

672 壬申の乱

686 天武天皇崩御・草薙の剣返還



この頃の朝鮮半島では、百済が滅び、高句麗が滅び、新羅が半島統一を成し遂げます。新羅にとって、外敵がなくなったわけです。さあ、次の敵は、百済と同盟を組んでいた日本だ、という剣呑な情勢になっているわけです。


ですから新羅の僧・道行がこのような犯行に及んだ理由としては、日本国三種の神器のひとつ、霊験あらかたな草薙の剣を盗みとることによって、日本の(霊的な)弱体化を狙い、新羅に強盛をもたらそうとしたのでしょう。


幸いなことにその後、新羅も唐も国内問題で手一杯となり、日本に侵攻してくることはありませんでした。


そうしたことをかんがみてみると、草薙の剣が返ってきた喜びというのは、「外国の侵略に犯されず、日本の地が神々によって(あるいは宝剣によって)安寧に護られている」という喜びにまで、想像をふくらませたほうがよいのだと思います。





◆当日のレポート◆

熱田神宮のホームページより、

「天智天皇の御代、故あって神剣は一時皇居に留まられましたが、天武天皇朱鳥元年(686)勅命により当神宮に還座(かんざ)されました。この時、皆がこぞって喜んだ様を今に伝えるものです。喜び笑う様から「オホホ祭り」とも呼ばれます。」


東のなかそらに登りゆく、美しい月に照らされて、人々が参集する神楽殿前へやってきました。ちいさいながら、すでに人垣ができています。後の新聞によると、当日の見物客は五百人ほどだったとか。


18:50頃から、神官たちが斎館から出てきて、前庭に並びはじめます。神官たちは、濃紫の袴(はかま)の人と、浅葱色の袴の人がいます。あとで数えてみると、神官の数は全部で十六人でした。


太鼓がゆっくりと打ち鳴らされ、神官たちが一列になって移動をはじめます。その後ろを、わっと群集がついてゆきます。熱田の森からのぞく空は、まだ明るく、ノートもかろうじてとれるほどです。


まずは一の鳥居の脇あたりで止まります。この辺は、龍影閣のあたりでしょうか。


しばらく群集のなかで立ち止まっていると、神官たちがいると思われる方角から、笛の音が聞こえ、ワッハッハッハと神官たちの大きな笑い声が聞こえてきました。

この笛の音と笑い声は、交互に三回繰り返されます。


ホームページの説明によると、
「この神事では祝詞・神饌がなく境内の灯りも全て消されます。古くより見てはならないと語り伝える神面を神職各自が装束の袖に隠し持ち、中啓という扇で神面を軽く叩いた後、全員が一斉に「オホホ」と笑う神秘的な神事です」


観衆には見えませんが、扇で面を叩いているのでしょう。上品に「オホホ」と笑うかと思いきや、ワッハッハッハと男らしい笑いでした(笑)



それからまたぞろぞろと移動して、西門から外に出て、車のお払い入り口から入った所で、また止まります。ここには【影向間社】(ようごうのま しゃ)というお社があります。

草薙の剣が帰ってきた時に、本宮が修築中であったため、神宮神職・田島家の床の間へ一時的に安置された場所へ社を建てたのが、この影向間社です。

どんどん闇がおりてきて、暗くなってゆきます。そしてまた笛の音と笑い声。


(ここでマナーモードのケイタイに着信が。見てみると、親戚の「笑子(えみこ)さん」から! 滅多にかかってこない人から、なんという偶然! 笑う神事の最中に、笑う子さんから電話とは…わーい(嬉しい顔)


この日は風がとても強く、熱田の森がゴウゴウとうなりをあげるほどでした。この森が鳴るような音に、観衆たちから自然と、おお、と畏れのどよめきが起こりました。こんなに樹が多い場所に暮らしていない僕のような名古屋市民にとっては、こわいような、なつかしいような、そんな心地がします。太古の自然の力強さを感じるようです。


さて、美しい月のもと、神官の行列はぼんぼりをさげて、夜の森を一列にわたっていきます。幻想的な光景です。観客たちも暗闇のなか、砂利道をじゃりじゃりと、足をぶつけあいながらついていきます。


ふたたび【神楽殿】前へ戻り、ここでも笑い。

それにつられて、赤ちゃんがかわいい笑い声をあげたので、観客たちのなかに、ほわっとあたたかな笑みが、波のように広がりました。


【八剣宮】へ移動。ここで笑い。

【清雪門】へ移動。ここで最後の笑い。

清雪門については、いわくがあります。新羅の僧・道行が宝剣を盗んだ際、この門を通って逃げたのです。それ以来、この門は、あかずの門となりました。

・宝剣が盗まれた不吉の門なので、あかずの門となった。
・宝剣が帰ってきた時、二度と盗まれないように、ということで、あかずの門となった。

両方の説があります。

最後にこのいわくある清雪門の前で笑い、斎館の前に戻り、神事はおひらきとなりました。ここまで一時間弱でした。



夜の神宮を歩かせてもらうことなどほとんどないので、ナイトウォーキングとしてはとてもおもしろかったです。

ただ、観客たちのカメラのフラッシュがしじゅうたかれているのが、おごそかな闇のなかの神事の、神秘的な雰囲気を、ぶち壊しにしているように思えました。神社や神域ではフラッシュをたかないというのは、だいたい暗黙のルールのようなものなのですが、神宮側も注意をしないようですし、まあ許されているんなら、いいのでしょう。



この酔笑人神事は、毎年五月四日の夜に行われます。

そして翌五月五日のお祭りには、神剣が還ってきたその場面を再現して、お神輿が出されます。(神輿渡御神事)



※中日新聞・記事
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20120505/CK2012050502000030.html

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