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災害支援 ラフター・ジャパンコミュのアリス保育園主任のインタビュー

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先日お伺いした、石巻・アリス保育園の主任保育士・佐竹薫先生のインタビュー内容です。

ご本人に了承を得るまで今までお時間がかかりました。
おそくなったことをおゆるしくださいね。


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アリス保育園は宮城県石巻市大街道東1丁目のビルの1階にあります。
すぐ隣に石巻では大きいスーパーがあり、そのスーパーの横には国道が走っています。
石巻港約1kmほど北にあり、すぐ南には大きな被害を受けた日本製紙の工場があります。

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ラフター・まずはその日の状況を教えてください。

子供が昼寝している時間に揺れが始まったので、揺れがなかなか収まらなかったので、まずは安全なところに子供たちを集めて、とても寒い日だったのですが、パジャマだったのでその上にジャンバーを着せました。
靴下も履いていない子もいましたが、靴は履ける子はそのまま靴を履かせました。
歩けない子や障害を持った子は避難車に乗せたところ、隣(お店)から津波が来ると情報が入ったので、とにかく上(高い場所)にあがろうということになったのですが、とにかく車は大渋滞(目の前が国道)だったし、まったく動かなかったので、歩きで日和山の方向に向かおうということにしました。
で、道路に出て、日和山方面(東へ直線で1.5kmほど)に向かって、石巻中・門脇中(直線で東へ600mほどのところ)が指定避難場所だったので、いったんは石巻中学に向かいました。
被災時は17名くらいの園児とスタッフ6名でした。
不幸中の幸いでゼロ歳児は体調を崩していてお休みしていたので、とても小さい子はいなかったんです。
避難した際も、一番小さくても歩けるくらいの子供だったし、食べ物も大人のものを食べても良いくらいの子だったので、まだ比較的よかったと思います。



ラフター・避難されたときから親御さんに子供さんを引き渡すまでのお話を聞かせてください。

まったくこんなに大きな津波になるとは思っていなかったので、避難場所を山(日和山)にしていなかったのです。
親御さんたちには想定外の避難場所だったので『日和山に避難します』と書いて、玄関に張り紙をして山に向かったんです。
震災後、すぐに迎えに来てもらえた親御さんもいれば、徐々に遠方に働きに出ている人もいらっしゃったので最後の子が親元に帰るまでに四日かかりました。
これも不幸中の幸いですが、うちの張り紙を見たから山に逃げて結果的に助かったという人が、たくさんいたんです。
もしあの時、お迎えが間に合って、南浜町、門脇地区などに帰ったり逃げたりされていたら、もしかして…という方もおられました。そんな方々もm子供を迎えにくるために日和山に向かってくれたので助かったんです。



ラフター・想定外の避難として日和山を選ばれましたが、通常ならばどうするはずだったのですか?

緊急避難場所は2階があるので本来は2階とか、近くの小学校だったんですけど、そのときはなんでか『山に行かなきゃ!』って思いというか勘というか(笑)。

最初は手前の石巻中学にいたんですけど、津波の水とかがすごかったんで、子供たちの環境が悪いなってことですぐ隣の門脇中学に移動したんです。
新しい体育館だったし。最初は予備電源で温かかったんですが、すぐに切れました。
でも、地べた(床)に座れる状態だったのと、保育園が来たということで、近隣の人が毛布を用意してくれたりとかしたので大丈夫だったんです。
そして、すぐに総合体育館に行くほうがいいと思い、行ってみたんですが、あそこは震災直後すぐに遺体安置所に変わっていました。
総合体育館みたいな大きなところだったので、すごい数の人が逃げてきていたのですが、みんなどうしよう?どうしよう?って立ち往生していましたが、指定避難所である中学校とかに皆さん移動していったんです。



ラフター・今回の震災でああしておけばよかったかな?と思うようなことはありましたか?

今考えれば、最小限のお水、飲み物を用意していければよかったなあと。
避難袋とか用意していたんですけど、とりあえず子供たちを一番にと思って何も持たずに出たので…




ラフター・災害前の避難訓練等はどのようにしていましたか?

一戸建ての保育園ではないので、月に一回、万一火の手があがったらココとかいう集合場所を決めて、集合したら次は二次避難と言うことで外に出るとかいうようにしていました。



ラフター・では大震災害後はどのように心がけて避難を意識していますか?

もし今度、津波が万一きたら、前回より早く来るといわれています。
なので、高いところまで、子供たちの足で歩いて何分くらいかかるとか、どこにいったらどれくらいかかるとか時間を計ったりしたり、どこまで逃げられるかを定期的に計っています。



ラフター・避難において、公共(市)とかの指導やどうやって避難したらいいかなどのプロの指導とかはないのでしょうか?

ないですね。避難訓練に関してはありません。




ラフター・同じような保育園が全国特に今後地震や津波が起きるだろうといわれる地区の方々にどうすればいいとおもいますか?

避難袋には最低限のものをいれておいて、常に目の見えるところにおいておく。
あとは子供たちはパニックになっちゃうんですよ。
かわいそうなんですが日ごろから、急になにか起きても対処できるようにしておくとか、保育士たち連携しておくということでしょうか。
あと、日ごろからの一つ一つの人のつながりと言うのが大切だったと思います。
あの時はスタッフ全員が同じ方向にむいた子供たちを助けなきゃっていう気もちだったので、連携はとても強かったし、私が細かい指示をしなくても、最善で動いていたと思います。
あれを持っていかなきゃとか物がどうのといっていると逃げ遅れにつながっちゃいますので、何をおいても体が一番優先にして逃げられたのはよかったのだと思います。
命さえあれば、物はあとからついてきますから。




ラフター・その震災の当時子供たちはどんな様子でしたか。

大人の私たちでも揺れの最中はほんとに怖かったので、子供たちなんかもっと怖かったと思うんです。ただパニック障害というくらいのはなかったですね。
避難のときも、「どうしたの?大勢で今日は山に登っていくのね?」って感じで遠足チックで、その最中は泣かないんですよ。
もちろん、迎えに来たお母さんの顔を見て、ホッとして泣いちゃうってことはありましたが、あのときの感想を聞いたら、寒かったけど遠足みたいだったねって言ってました。(笑)
私たち大人は、夜、寒い中で寝るってかわいそうだなあって思っていたのですが、お泊り会みたいで楽しかったよね?なんていう子が多くて…。
ぎゅうぎゅう詰めになって、毛布かけてあげたりしたから、
避難所でのことを、保育園を再開してから子供たちに聞いたら「あの時は温かかったよね?」っていってくれたりしてました。
うちの子たちはおかげさまで全員が無事でしたし、実際に津波で水が流れてくる様子とか見ていないのが幸い下のかなって思います。
結局、心に傷を負ってしまう子は、実際に物や人が流れるところを見たりとか、水から逃げた子だと思いますね。
避難所には、最後5〜6人(の園児)が残っていましたねえ。
一度家に帰っても、居場所がないので、やっぱりみんなといたい!って戻ってきていたお母様もいらしたし…。




ラフター・この園が再開したのはいつだったのですか?

4月11日です。
うちは窓もすべて締め切っていたにもかかわらず、三段ボックスが隠れるくらいまで波が入っていたし、すごいことになっていたんですが、
いろんなところや物を漂白したり、洗浄して、壁紙は張り替えてもらったりしました。
全部買い換えるのは難しかったので使えるものは使おうということではじめましたし、支援してもらいました。
うちは公立ではないので、市からの援助は一切ないんです。
なので、ユニセフさんや外人のモデルさんの団体などからいろんなものを支援していただきました。
お母様の中には看護師さんとかいらして、すぐに復帰しないとだめみたいな人、あとは家を直したいつぶしたいから子供を置いて置けないから預かってほしいという人がいらしたので(すぐ園を再開する必要があった)。
あと、赤ちゃんがすごく来ます。いまは赤ちゃんを預ける場所が無いということですから。





ラフター・今後気をつけたいと思われることは?

私たちスタッフが、この子は私がおんぶして…とか、揺れがあったらすぐに動けるように帯だったりを準備しておいて、あと小さい子ようの避難車を整備しておいたりとか。
とにかく指定避難所以外は物資が遅いんですよ。
なので身を守れるものが必要なんだから常に指定避難所を目指すことは大事だとおもいますね。
あとは近隣の方なんかが子供の手をひっぱってくれたりとかして、助かりましたよ?
常日頃から子供たちと近隣の人たちとのつながりがありがたかったです。
普段から「ココに保育園ありますよ」って近所の人との関わりを持っていることが大事だと思います。
保育士だけで子供を助けようと思ったら無理があると思います。
避難所を決めて動くっていうのは大切ですが、でも臨機応変に対応できるっていう柔軟さを持つのが大事かなと思いました。






ラフター・今後、どうやって自然災害への子供たちの意識を持ってもらえるかを模索しているのですが、それにはどう思われますか?

災害を子供たちに想像させるのって大きすぎて難しいと思うんですよね。
一番入りやすいのは本だったり、紙芝居だったり、あとは釜石のほうではビデオを見せていたといわれていましたよ。
このくらいの水でも、こんなものが流されるよっていうビデオを子供たちは見ていたので、津波は怖いものだとわかっている子もいたそうですし。
何か見るものがいいのでは?
あと小さい子は大きい子をまねしますから、訓練とかで大きい子をたくましくしておいて小さい子の面倒を見るとかできるくらいまで意識を高められたらいいですよね。
うちの保育園はみんな兄弟みたいに育っていいるので、小さい子が困っていたら大きい子が面倒見てあげるみたいな子が多いんです。
震災のときなんかでも、大きい子が小さい子の手をひっぱってあげたりとかしてましたから。
あと、親御さんには急いで迎えに来ないでほしいと思っています。
とりあえずは自分の安全確保して、落ち着いたらゆっくりと迎えに来てほしい。それまでは私たちがしっかり預かっていますから。
今回は迎えに来る途中で…っていうお話もあちこちでたくさんいらしたし。お互いに自分の身の安全を確保を優先にしたいですね。
あとはその後の連絡手段がないので、どう取るかですかね。私たちは張り紙という手段をとりましたけど(笑)
子供たちは素直なので、こうやって!っていったら覚えてくれていて素直にするんですよ。
逃げてっていったら逃げるし、隠れてっていったら隠れるし。
でも親である大人の判断でその子供の素直さを妨げることもあるんですよね。
今回も、ある高台にある保育園は当たり前にいれば大丈夫だったのに、子供を迎えに来たり送ったりして…被害にあったという話も聞きました。
私たち保育士も、経営がどうのとか、だれだれがどうのとかいうようなレベルで頭をつかうだけではなく、子供の命を預かっているというプロ意識をしっかりと持って、子供を守ることだけを考えていく必要があるとおもいました。




先生の貴重な休憩時間を割いていただきご協力お願いできました。

このインタビューも元に今後の活動の資料とさせていただきます。


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