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コメント(6)

<第4回ワイスレ杯参加作品>(テスト)

「ごめんな、じいちゃん」
 青年は車椅子を押しながら山道を登っていた。Y県のはずれ、地元の村民が武望岳(むぼうだけ)と呼ぶ険しい山だった。所々危険な崖があり、気軽なハイキングや素人登山には向かない。
「俺、頑張ったんだけどさ……もう、どうしようもないんだ」
「いいんじゃよマー坊、いいんじゃ」車椅子に座っている老人は、穏やかな声で言った。「マー坊が 一所懸命だったことは、わしがようく分かっちょる」
 青年は小学生の時、交通事故で両親を亡くした。青年を引き取ったのは母方の祖父母だった。祖父母は青年をかわいがった。科学者だった祖父は、青年に勉強を教えた。
 青年は東京の大学を卒業すると、すぐに東北の物流会社に就職した。五年後独立して会社を立ち上げた。元同僚の女性と結婚し、一軒家を建て、第一子が出来た……直後だった。
 東北地方を、彼の会社を、彼の家を、妻と子供を、大震災が襲った。

「じいちゃん、本当に、いいんだよな?」切り立った崖の手前で、青年は足を止めた。額の汗を拭う。頭上を鳶が旋回している。「怖くないかい」
「なんの。不肖片山徳三郎、空軍に居た頃は猪突猛進糞度胸の徳と呼ばれたもんじゃい」
 青年は額に風を感じた。
「いくよ」
 両手に力をこめて、車椅子を押した。車輪が崖の際を越えると、がくんと傾き、強く引っ張られた。
 青年は目を閉じた。老人を乗せた車椅子と青年は、急な崖を落ちて行った。
 バチバチバチ! 青白い火花が車椅子に取り付けられた細長い金属棒からほとばしり、バシュ! という破裂音とともに、車椅子と老人、そして青年は空中で消えた。

 青年が目をあけると、真っ青な空に鳶が旋回していた。
「じ、じいちゃん! 無事か?」
 車椅子からもうもと煙が立ち上がっている。老人は青年に向かってにんまり笑った。
「あたぼうよ。計算通り、時空の摩擦によって衝撃が抑えられたからな。わしらは、文化八年、二百年前の世界に来たんじゃ」
「さすが天才科学者! ようし、赤坂や銀座の土地を買いまくって人生やり直すど!」
「ところで、土地を買う金はどうするんじゃ、マー坊」
 こうして、徳とマー坊の面白タイムトラベル物語が始まった。
<温泉街にて>(準ワイスレ杯)

「ひょっとして私がやるんですか?」
「そうだよ。何度も説明しただろ。ほら、ちょうど良い感じに暗くなってきたぞ」
 若い女は顔をしかめて、机の上のモノを見た。茶髪の男は溜息をつくと玄関のガラス扉から空き屋の外へ出た。
「タバコ買ってくる。ちゃんとやっとけよ」

☆

「何が能力開発セミナーだよ。かったりいな」旅館の下駄を鳴らしながら、二十台前半の男が川沿いの道を歩いていた。
「泊まりがけで温泉に来たって何も面白くねえよ。このままバックレちまおうかなあ……」
 川に沿って十分も歩くと、温泉街の外れまで来た。辺りはすっかり暗くなっている。ふと前方に目を遣ると、人影が見えた。
 浴衣を着た男女だった。男は四十かそこら、赤い浴衣の女はまだ若いようだ。
 二人は建物の陰から出てきて、川の方へとゆっくり歩いていく。深刻そうに話し合っているようだが、声は聞こえない。
「あ!」
 突然のことだった。浴衣姿の男女は川岸で立ち止まり、抱き合ったかと思うと、手を取り合って川の中へ入り、消えた。
 男が慌てて駆け寄ろうとしたとき、建物の陰から再び同じような年格好の男女が出てきた。
 浴衣姿の男女は先刻の二人と同じように川へと歩いていき、抱き合った直後、手を取り合って川の中へ入って消えた。
 すると再び建物の陰から浴衣姿の男女が現れて……

☆

 自販機から釣り銭を取り出したとき、悲鳴が聞こえた。茶髪の男が駆けつけると、ちょうど男女が川の中に入り消えた所だった。
 茶髪の男は舌打ちして空き屋に戻った。若い女が机の上の機械をいじっている。
「バカかお前! 座標がずれてるじゃないか! しかもリピート間隔が短すぎるぞ」
 温泉街を舞台にした一九七三年公開の大ヒット映画『恋情兄妹宿』。
 そのワンシーンを立体ホログラム化して映写する装置の開発を請け負ったのが、ちょうど二年前。町おこしのプロジェクトだった。
 当初は、町長はじめ役場の連中や旅館組合の面々の鼻息が荒かったのだが、不況のあおりを受け予算を大幅に削減されてしまった。
 今日が記念すべき試作品の初テストだというのに……
「役場の人も組合の人も、誰も来ませんねー」若い女はあくび混じりに言った。
 茶髪の男は溜息をつくと、立体ホログラムの男女が入水自殺しないよう、機械を操作して映像の位置を調節した。
『カナカナカナの夏』

 耳鳴りを感じるほどのセミの合唱。遠くからも近くからも、鳴き止まないセミたちは夏の最後を謳歌しようと叫んでいる。
「ケン坊、遠くへ行ぐでねえよ」
 祖母が芋畑の中で腰を伸ばして声を上げた。
「うん」
 ケンジは祖母を振り返ることなく、右手に持った虫取り網を振って返事すると、野原の先の林に向かって歩き出した。
 都会から離れたこの集落は、低い山々に囲まれて田畑が広がり、民家が数軒ぽつぽつとあるだけ。
昨日ケンジは都会から田舎の祖母宅にやってきた。仕事で忙しい父と二人きりのケンジは、夏休みの間友達の家にゲームをしに毎日通っていたが、盆の時期になるとその友達らも家族で帰省や旅行に行ってしまった。父は盆の間も仕事で毎日帰りが遅く、遊び友達もいないケンジは宿題をしたりペットの猫を触ったりするばかりで、無機質なコンクリートの壁に挟まれずっと閉じこもっていた。
 盆が終わったころ、父がようやく一日の休みを取って、母方の祖母宅にケンジを連れてきた。「虫捕りをしたり、川で遊べるぞ」と父は言ったが、もしかしたら自分がいると父は落ち着いて仕事に打ち込めないんじゃないか。だから、僕に気を遣ったように見せかけて、きっと父さんは一人になりたいんだ、とケンジは心の隅で思った。父はケンジを祖母に預けると、一週間後に迎えに来ると言って帰っていった。
 こうしてケンジは祖母の家にやってきたが、顔に無数の皺を刻み腰の曲がった祖母は口数が少なく、ケンジの遊び相手にはなってくれそうもない。いつもNHKのニュースしかテレビがつかないこの家では何の娯楽もないので、ケンジにとっての楽しみといえば、虫捕りをするくらいだった。祖母の家の周りは畑と山と川、これ以上ないほどの自然天国だ。捕って観察する楽しみに加え、夏休みの自由研究にもちょうどよいと、ケンジは考えていた。到着した日はすでに夕方だったので、二日目の朝、網と虫かごを手に、セミの鳴き声がジワジワと迫る山の際へぶらぶら歩いて行った。
「あ、クワガタ!」
 ケンジは叫ぶと林の手前の小川で立ち止まった。水草の葉の上に、見たことのあるような光る虫の背がとまっている。網を構えてそうっと腕を伸ばした瞬間だった。
「それクワガタじゃないよ、タガメよ」
 突然背後に少女の声がして、ケンジはびくっとして振り返った。ケンジのすぐ後ろに一年生くらいの少女が立っていた。黒いおかっぱの髪に透き通るような肌、白いワンピースから伸びた腕で、すっと虫を指さしている。
「タガメは、水の中にいるんだよ」
 くるくるした黒い瞳で少女はケンジを見つめて言い、ケンジはクワガタと間違えた恥ずかしさで目を逸らした。
「知ってら、そんなこと。タガメだろ」
 すぐに網を翻して少女のそばをやり過ごすと、セミがわんわん鳴く林の中にずんずん歩いていった。すると少女も後からついてきた。
「ねえ、お兄ちゃん何て名前」
「え? ケンジ」
 なんでついてくるんだよ、と小さくひとり言を言いながら、ちょっとだけ一人ぼっちの退屈さをしのげる気がしてケンジは答えた。
「じゃあ、ケンちゃんて呼ばれてるでしょ」
「知らねーよ」
 五年生にもなって、「ケンちゃん」とクラスの女子からからかわれ気味に呼ばれるのが嫌いなケンジは、ぶすっと返事をした。
「私、ミサエ」
 少女はそう名乗ると、ケンジの前まで走って回り込んできた。
「クワガタいるとこ知ってるよ」
「本当かよ」
 立ち止まったケンジに、ミサエという少女はにこっと笑い、「こっち」と言って藪を掻き分けて歩きだした。町育ちのケンジは「え、そんなとこ通るのかよ」と顔を引きつらせたものの、年上の自分が怖がっているのを悟られないよう、顔をしかめて仕方なくついていった。
 しばらく行くと、どんぐりがたくさん落ちているクヌギの林に出た。
「あ、クワガタ! カブトもいる!」
 ケンジは思わず叫んだ。クワガタやカブトムシが、あちこちの幹で樹液を吸っている。「お前、これ持ってろ」と、ケンジは虫かごをミサエに渡すと、網を振って虫捕りを始めた。町のホームセンターで小さな虫かごに入ったものしか見たことのないあの虫たちが、林の中で自由に生きている。ケンジは夢中になって虫たちを生け捕ると、黙って突っ立っているミサエが手にした狭い虫かごの中に入れた。
「あれ、セミが入った」
 振り下ろした網の中でアブラセミがじたばたと羽を広げている。ケンジがぎゅっと掴むと「ジー!」と叫んだ。
「放してあげて」
 かごを持たされているミサエがとっさに言った。「セミはもうすぐ死んじゃうから、放してあげて」
 ケンジは少し驚いた表情でミサエを見た。ミサエは真剣な顔をしている。
「死ぬ?」
「そうだよ、七年の間土の中で大きくなって、こうして木の上に出たら、一週間で死ぬんだよ」
<続き>
 ミサエの言葉は少女とは思えないほど真摯で、なぜか優しく温かかった。ケンジは黙ったままそれを木立に向かって投げ、セミは薄い羽の残像をケンジの前に残して飛び去った。
「クワガタ、どうするの」と、ミサエは黙って歩き出したケンジを追いながら話しかけた。
「持って帰る」
「でも、狭いからかわいそう。逃がしたら」
「ええ?」とケンジは不服げに短い返事をしたが、「狭いからかわいそう」という言葉に、マンションのコンクリートの壁に閉じこもっていた夏の間の我が身を思い出していた。
「ケンちゃん、誰か迎えにくる?」
「父さんが来る。母さんは死んだからいない」
 ケンジの言葉にミサエは「そう」とか細い声で答えて少しの間黙っていたが、ふいに「私はね、記憶がないの」と言った。
「何年も寝てたみたい、全然記憶がないんだ」
「え? 嘘だろ」
 ケンジは振り向くと、馬鹿にされまいとばかりに小学生男児特有のかみつき方をした。「じゃあ証拠見せろよ」
 するとミサエは困惑の表情で、それでも真顔のまま「でも本当だもん」と言った。
 ケンジはぷいと前を向くと、しばらくミサエを無視するようにどんどん先へ歩いて行った。
「それにしても、セミうるさいな」
 頭上でワンワン大合唱をしているセミの声は少し煩わしい。セミから遠ざかるように、二人は林を抜けて小川のほとりまで歩いた。すると、うるさいセミの声に混じって、カナカナカナ……という鳴き声が聞こえてきた。
「ヒグラシだ」ミサエが遠くの山の峰を見て呟いた。ヒグラシの声なら、都会でも聞くことがある。でも、こんなにもの悲しい声だっただろうか。ケンジはふっと寂しさが胸に迫るのを感じた。
「もう帰んなきゃ、ばあちゃんが心配する」小川をぴょんと跨いでケンジがそう言うと、ミサエは小川の向こう側に立ち止まった。「じゃあね」
「お前明日も来る?」ケンジは思わずそう聞いた。
「うん、ここにいるよ」と、ミサエは手を振って自分の背丈よりも高い葦の茂みに去っていった。
 ケンジは祖母に「今日さ、村の子と遊んだ。ミサエって言ってた」と報告した。すると、祖母は鍋をかき回す手を止めて、「そうか」と一言答えた。
翌日もケンジはミサエと小川のほとりで出会った。ザリガニや小魚を捕ろうということになり、結局ひとつしかない虫かごを水槽にするために、ケンジは「また捕ればいいや」と言ってクワガタとカブトムシを林に放した。
 次の日もその翌日も二人は山や小川で遊んだ。ミサエはあちこちを案内し、セミが網にかかるとケンジはもう当たり前のようにセミを放してやった。ミサエが何年も寝ていて記憶がないという話をケンジはもう忘れていたし、ミサエもしなかった。
 そして一週間が経ち、ケンジの父が迎えに来る日がやってきた。ケンジは最後の日もミサエと山の中を歩いていたが、小川のほとりまで来ると、ミサエは立ち止まった。
「私、もう行く」
「え? いいじゃん、父さん来るまで」
「ううん、もう行かないといけない」
 カナカナカナ……悲しく響くヒグラシの声が西日の光の中でこだましている。わけが分からないという表情のケンジの前で、ミサエはにこっと儚い微笑を浮かべた。
「楽しかったよ、ケンちゃん」
「また今度遊べる?」
 何故だか急に不安に襲われ、ケンジはそう聞いた。するとミサエはそれには答えず、「お父さん、来たよ」と車道がある野原の向こうを指さした。ケンジが振り返ると、確かに父の乗った銀色のワンボックスカーが祖母宅の前に停まっている。
「ほんとだ、じゃあ行くわ」
 ケンジが再度振り向いたとき、目の前にいたミサエの姿はもうなかった。狐につままれたようにケンジは小川の向こうの葦の茂みに目を凝らしたが、「ちぇ」と舌打ちすると、祖母の家に急いで歩いていった。
「ケンジ、楽しかったか」父はやつれた顔で笑うと、ケンジの頭を撫でた。
「うん、まあ」
 ケンジは照れ笑いを浮かべ、空っぽの虫かごに目を落とした。
「なんだ、何も捕まえなかったのか」
「たくさん捕ったよ、クワガタもカブトも。でも全部放したんだ」
 少し見ぬうちに大人びた表情の息子に父は「そうか」と言うと、祖母に頭を下げ「お義母さん、今年は遅くなりました」と言った。
 祖母は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「ケン坊にはいい盆だったろ。もうすぐ七回忌だし、きっと美佐枝も喜んだで」
 ケンジは祖母の言葉にきょとんとした。「ミサエ?」
「なんだケンジ、忘れたのか、母さんの名前」
 父は苦笑いをして、「さあ帰ろう」と息子の背を押した。
 山の彼方から、カナカナカナ……と夏の終わりを告げる声が、ケンジの耳に優しく届いた。

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