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丸山眞男コミュの国家神道が一神教(的)とする論理

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この論理は丸山真男に無関係ではなく、隣接している。まず丸山の原型→古層→執拗低音に関係すると思う。次に超国家主義に関し丸山・橋川の見解相違に類似した発想が国家神道一神教説に見られることから丸山真男に関係する。最後に晩年、丸山が注力した正統と異端ならびに異教の問題に接続すると思う。また丸山に直接には関係しないが、守本順一郎の共同体(全体)と個の関係理論に関係する。
国家神道一神教説は戦後、梅原猛など日本の縄文時代や自然崇拝を賛美する見方から生まれたと考える。そして、イスラム原理主義のテロ活動との比較から一神教に比べ多神教が寛容だとの多神教賛美論が日本主義者や種々多様な反グローバル思想から生まれているように思う。 ここでは世界宗教ではないユダヤ教を外し、世界宗教かつ一神教のキリスト教及びイスラム教との対比から事実として国家神道が一神教(的)だったかを考察したい。
かつて森元首相は神道政治連盟の懇談会で「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞ・・・・」と発言した。この意味は「日本だけが神の国である」又は「日本は他の国より尊貴性が卓越した神を戴く国である」どちらかと解釈できる。    キリスト教徒が「◯◯国だけが神の国」と考えるとするとその者は異端というより異教であろう。一神教信者なら世界(宇宙)はあまねく唯一神が統治すると考えるのが一神教の核心で森発言は一神教徒の発言ではない。一神教徒(達)が(この場所・この時)神の御加護をと唱えるのは敵対勢力が悪又は自分達は今救われるべきとの思いから発せられ、我が国以外の一神教徒には神の加護が及ばないとの発想は経済格差・人種差別など他の要因で一神教の神髄が歪められた異端の発想である。
国家神道に部分的な批判を行った葦津珍彦は朝鮮神宮の祭神に朝鮮人発祥神話で語られる壇君も合祀すべきと語った。ただし、葦津は強固な神道人であり、壇君を天照より格下として合祀しようというのである。確かに国家神道は皇統に関係する天照を最上位に祭り上げ、祭神論争でのオオクニヌシ、大本教でのスサノオを天照と同等に近い地位まで引き揚げようとする動きに対して介入又は弾圧した。しかしスサノオ、オオクニヌシ、天御中主神、また記紀神話では傍系に落とされたタカミムスビ等を神の地位から引きずり落とし、廃絶しようとしたわけできない。

大和朝廷の姓制は律令制導入にも関わらず記紀・新撰姓氏録等により神話的系譜=血縁擬制序列として温存・併存され、神社格付け・儀礼の整備など祭天序列も進められた。国家神道は確かにウイジニなどアニミズムに直接繋がる神々、タカミムスビ・イザナギなど起源の古さを尊貴の基準とする伝統的支配原理に反し、表舞台から舞台裏に追いやった。これら行政側の国家神道再編成は血縁擬制序列構造の再編成、祭天序列の再構築としてつまりは、多神教論理の範囲での再編成・上書きとして捉えるのが妥当であり一神教的な編成替えではあり得ない。一神教的な編成替えなら壇君や溥儀の奉ずる祖先神も廃絶すべきであるがそうはしなかった。あくまでも多神教内部での階層・上下関係を上書き・整備したに過ぎない。
中東で都市国家が誕生するとポリスは守護神を擁し他ポリスを併呑したポリスの守護神が併呑した地域の主神に昇格し、王は主神の代理(メソ歩タミヤ)又は主神の子(エジプト)となる。共同体の内外で格差が拡大すると神々の地位にも格差・上下関係が生じる。国家神道での神々の地位変化は類型的には都市国家成立後の神々の序列化と同様であり、アニミズムの神々の地域神・祖先神への進化、多神教から一神教への革命の動きとは事実関係としても論理的にも異なるものであることをまず確認しておきたい。

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