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風間さん集まれ!コミュの現在の”風間神社”は延喜式神名帳の風間神社と同じか?

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風間神社は延喜式神名帳に式内社として登場します。

延喜式神名帳
https://ja.wikipedia.org/wiki/延喜式神名帳

長野県神社庁 風間神社
http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/04nagano/17017.html
県神社庁の説明には、(以下引用)
=====
風間神社については、日本の正史と言われる「六国史」に推古天皇5年8月には「竜田風神信濃須坂・水内社を祀らしむ」とみえています。また清和天皇貞観2年2月には、「飄間神に叙位」の事が書かれているそうです。この「水内神」「飄間神」はいずれも風間神社であるといわれています。
風間神社は諏訪神社と深い関係があります。天元2年「お諏訪さま」の庶流、矢島忠直なる者を風間神社の壮司として派遣され、風間氏を名乗らせ、分住させました。
=====
とあり、現在の風間神社と式内社として登場する風間神社が同一であるかのように説明されています。

一方、以下のような説明をする人がいます。

127 風間神社 〜式内社に改名した風神〜
http://weekly-nagano.main.jp/2012/01/127.html
以下引用
=====
「持統天皇5年(685)、使者を送り、龍田(たつた)風神と信濃須羽水内(すわみのち)の神を祀らしめた」と日本書紀にある。須羽は諏訪神で風の神、水内も風雨神という。本居宣長は「水内神は風に由緒あり、延喜式に風間神社の名がある」と古事記伝に書いている。
(中略)
古事記伝記載の風間神社と現存の神社の脈絡は定かでない。松代藩の記録では、元禄10年
(1697)、もともと諏訪社であったのを、風間大明神に改名した、とある。郷土史家は「式内社に改名した、信濃では一番古い例」という。
=====

記事全体をぼーっと読んでいると見過ごしてしまうのですが、要するにこう言っています。

「1697年にただの諏訪社だったものを、式内社に名前がある”風間神社”に変えた。延喜式で存在が確認されてから770年の間にほんものの風間神社はなくなっていて、別の神社を”風間神社”にしているわけだから、その関係ははっきりしないよ。」

興味深いので掲載しました。

ーーーーーー
リンク wikiばっかですが。理解の助けに。

風間神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/風間神社
六国史
https://ja.wikipedia.org/wiki/六国史
推古天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/推古天皇
貞観
https://ja.wikipedia.org/wiki/貞観_(日本)
諏訪神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/諏訪神社
風間氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/風間氏
古事記伝
https://ja.wikipedia.org/wiki/古事記伝
旧風間村の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/風間_(長野市)
松代藩
https://ja.wikipedia.org/wiki/松代藩
日記繰出
https://www.google.co.jp/#safe=off&q=日記繰出

諏訪氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/諏訪氏
諏訪大社
https://ja.wikipedia.org/wiki/諏訪大社

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