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アルコール依存治療への疑問コミュの14.アルコールケアセンターに通って

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3度目の退院の後、断酒が本当にできるのかどうか試してみる気になった。そこで、しばらくは仕事よりも回復を優先し、AAミーティングに参加することが自分の仕事であると考え、AAハンドブックの第6章「行動に移す」の冒頭に「この行程を労を惜しまず念入りにやっていると、半分も終わらないうちに、あなたはびっくりすることになる」とあるように徹底してやってみようと思い、昼間は川崎の高津区にあるアルコールケアセンターに通い、午前・午後と2度のミーティングに参加し、夜は横浜や都内のAAミーティングに通うという、いわゆる3ミーティングの生活を実践してみた。
そんな生活を半年も続けていたら断酒生活にも自信が持て、仕事に就いてからも何とかやっていけるのではないかと思っていたのだが、頭で思っているようには上手くいかず、その間、何度も再飲酒をしてしまい、いつの間にか毎日飲む生活になっていた。しかし、日中はアルコールケアセンターに通わなければいけないので深酒はしなかった。その意味では節酒出来ていたのかもしれない。
ところが私には根本的な「飲酒をやめたいという願望」がなかった。そういう願望を意識はしていたが、自分には無理だと次第に思われてきた。これまでの経験から頭ではアルコール依存症者にとってはアルコールをコントロールして飲むことは無理で、断酒しか回復の道はないと思ってはいたが、自分には無理だとも悟っていた。飲まない時は抗酒剤がなくてもインドでの生活のように飲まないでいられるのだが、飲みたくなったら抗酒剤を服用しても飲んでいた。
抗酒剤は、酒と併用した場合、通常よりも強い酩酊を生じ、顔面紅潮、発汗、心悸亢進、血圧低下、呼吸困難、悪心、嘔吐などを出現する薬剤で、私が服用していたのはシアナミド(シアナマイド)だ。この薬剤はアルコールの代謝過程を阻害することにより効果を現す。アルコールの代謝は三つの段階に分けられるが、第一段階として、アルコールがアルコール脱水素酵素(ADH)によりアルデヒドへと、第二段階はアセトアルデヒドがアルデヒド脱水素酵素(ALDH)により 酢酸となる。第三段階は酢酸が水と二酸化炭素に分解される過程である。実際、シアナマイドを服用して飲酒すると、最初は気付かないのだが、段々その苦しさでのたうちまわり、死にそうになる。
そんな状態だったので、通院していたクリニックの主治医に素直に話してみた。
「先生、アルコールケアセンターに通っているにも拘らず飲酒が止まりません。」
「そのことは。ミーティングでは話しているんですか?」
「いいえ、話せません。」
主治医は困ったような顔をして私を眺めるだけだった。特に指示はない。
「先生、タナトスってありますよね?私はそのタナトスが強いんだと思います。」
そう告げると、主治医は一瞬ハッとしたような顔をして、
「それではハルシオンを処方します。」
と言った。
タナトスとはギリシァ神話に登場する、死そのものを神格化した神で、ギリシァ神話でのニュクス(夜)の息子でヒュプノス(眠り)の兄弟。抽象的な存在で、古くはその容姿や性格は希薄であった。しかしホメーロスは、タナトスとヒュプノスの兄弟が英雄サルペードーンの亡骸をトローイアからリュキアへと運ぶ物語を述べ、初めてタナトスは人格神として描かれた。さらに後世の神話では、臨終を迎えんとする人の魂を奪い去って行く死神として描かれる様になる。英雄の魂はヘルメースが冥府に運び、凡人の魂はタナトスが冥界へ運ぶとされる。そんなタナトスの役割からジークムント・フロイトは攻撃や自己破壊に傾向する死の欲動をタナトスと名付けた。患者はしばしば「死にたい」という言葉を発するが、「死の本能」でなく「死の欲動」と訳すことにより、「死にたい気持ちに駆られる」と言わしめるのも、フロイトが「生の欲動」「死の欲動」の二元論で説明しようとしたものは臨床現場で頻繁に聞かれる「死にたい気持ち」と「生きたい気持ち」の間の葛藤としてうまく説明することができるのである。
ハルシオンを処方されたのはこれが初めてだった。ハルシオンは第3種向精神薬の超短期作用型ベンゾジアゼピン系睡眠導入剤であるトリアゾラム の商品名である。当初は米国アップジョン社が開発・販売を行ったが、その後、合併・買収を経て2003年よりファイザーから発売されている。商品名の「ハルシオン」はギリシァ神話に登場する風波を静めるという伝説の鳥、Halcyonに由来する。
最高血中濃度到達時間は約1時間、半減期は約2.9時間、作用時間は約2時間である、超短期作用型の睡眠薬である。ベンゾジアゼピン系薬物の一般的機序は、GABA受容体のサブタイプのω1受容体に作用することで、CIチャネルを開口させることでCIの透過性を亢進させ、過分極を発生させることで、活動電位の発生を抑制することにより、催眠作用を発現する。
娯楽目的で服用する者もいるが、麻薬や他の一部の向精神薬のような多幸感はなく、サイケデリックな夢を見るわけでもない。生じるのは酒に酔ったような酩酊感である。それに加え、健忘により思わぬ事故を引き起こす可能性があるため、睡眠目的以外の使用は禁忌である。治療目的以外で、使用する目的もなく所持すると、麻薬及び向精神薬取締法にて、逮捕・処罰される。そのため医師はハルシオンをあまり処方したがらない。
当時、私に処方されていた薬は、

・ベゲタミンA:
1錠中に塩酸クロルプロマジン25mg、塩酸プロメタジン 12.5mg、フェノバルビタール40mgが配合されていて、塩酸クロルプロマジンとフェノバルビタールの相乗作用により、鎮静催眠作用が強まる睡眠薬。脳の中枢に直接作用し、催眠鎮静作用を表す。塩酸クロルプロマジンは、鎮静作用を表し、次に、塩酸プロメタジンは塩酸クロルプロマジンの副作用を軽減する(抗パーキンソン作用や抗吐作用)。また、フェノバルビタールは催眠作用を表し、塩酸クロルプロマジンとフェノバルビタールは相互に作用を増強する、これにより強力な催眠鎮静作用を表す。

・プロバリン:
ブロムワレリル尿素の商品名。ブロムワレリル尿素。は、催眠鎮静効果のある化合物のひとつ。欧米では「ブロミソバル」などの名で用いられる。現在市販され、ブロムワレリル尿素を含有する鎮静剤には、「ウット」(WUTT、伊丹製薬、アリルイソプロピアルアセチル尿素などとの配合剤)がある。また、鎮静作用から市販の鎮痛剤にも配合される。かつてはバルビツール酸系より中毒になり難い事などから良く用いられたが、ベンゾジアゼピンの登場により廃れ、現在では医療用としては殆ど用いられない。

・ベンザリン:
ベンゾジアゼピン系中間型の睡眠導入剤(睡眠薬)であるニトラゼパムの商品名。日本では1967年に塩野義製薬が開発・発売した。睡眠剤としては中期〜長期作用型に分類される。このため、翌日に眠気、だるさなどが残ることがある。睡眠作用だけでなく、抗不安、抗けいれんなどにも処方される。

・レンドルミン:
ベーリンガーインゲルハイムがレンドルミン(一般名:ブロチゾラム)を1985年にドイツで発売して以来、現在まで日本を含む世界約20カ国で販売されている。また、英国、米国、カナダの3国については、ベーリンガーインゲルハイムから過去を含めてレンドルミンが発売されたことはなく、3国での発売をしない理由に、安全性面の懸念があったとの情報は無い。日本ベーリンガーインゲルハイムは日本でレンドルミン錠を1988年に発売を開始し、レンドルミンD錠については、2002年より販売している。

・セルシン:
日本国外では代表的な睡眠薬でもあり、(骨格)筋弛緩作用もある。アルコール・ベンゾジアゼピン離脱症候群の管理にも用いられるベンゾジアゼピン系抗不安薬、抗けいれん薬、鎮静薬であるジアゼパムの商品名である。化学的には1,4-ベンゾジアゼピン誘導体で、1950年代にレオ・スターンバックによって合成された。ジアゼパムは、広く用いられる標準的なベンゾジアゼピンのひとつで、世界保健機関 (WHO) もその「エッセンシャルドラッグ」リストにジアゼパムを掲載している。

・レスリン:
脳内の神経伝達物質であるセロトニンの量を増やすことにより、うつ病、うつ状態の改善に効果があり、眠気の副作用と抗うつ作用から睡眠導入剤の代替品として用いられることもある。その他、強迫性障害にも効果が高いトラゾドンの商品名である。

・ドグマチール:
定型抗精神病薬の一つで、日本国内では統合失調症・うつ病及び胃潰瘍・十二指腸潰瘍治療薬として承認されており、ヨーロッパでは使われているが、アメリカ及びカナダでは承認されていないスルピリドの商品名である。スルピリドは、ベンザミド系に分類される。スルピリドはドパミンD2受容体にほぼ選択的に拮抗作用を有している。ヒスタミン、ムスカリン性アセチルコリン、αアドレナリン受容体拮抗作用はほとんどない。そのため、他の抗精神病薬にあるような眠気や沈静などの副作用が比較的に少ない。

そしてハルシオンとシアナマイドである。ほとんど薬漬けの毎日だった。それは今も変わらない。シアナマイドだけは身体が受け付けなくなったが・・・
1年くらいそんな生活を続けてきただろうか。アルコールを飲んでいても飲んでいないふりをしてアルコールケアセンターやAAミーティングに行かなければいけないという後ろめたさと疎外感が強くなり、強迫観念になり、自分の発言も虚しいものになり、自分一人が孤立した思いに囚われ、ある種のノイローゼ状態になってきた。
特に孤独感は幼少の時から抱いていた感情の一つで、孤独感から解放されるために現実逃避に走ってきた。その手段がアルコールだったのである。それ故、アルコールを断とうと思えば根本的な孤独感や疎外感をなくさなければ対処療法でしかない。ところが、3回目の入院を終えて、経済的な問題もあり横浜市の長津田という町に移住してからは、この孤独感と疎外感が一層強くなったのである。
AAではよくメンバーシップやスポンサーシップを強調して、アルコホリズムからの回復は一人ではなく、多くの仲間の存在を強調するが、それはあくまでもAAのミーティング会場だけの仲間である。それを一歩超えると、いわゆる13ステップと呼ばれるようになり、アルコホーリク同士の共倒れになってしまうことが大半であるから避けられている。病院でも同じで、患者同士の個人的な付き合いは厳禁だ。
ところが、メンバーシップやスポンサーシップをAAのミーティング会場で感じられたとしても自宅に帰ったら一人である。たまに断酒会などではアルコホーリクの患者本人とその家族が参加している場合があったりする。またアラノンはアルコール依存の問題を持つ人の家や友人が、お互いの共通の問題を解決していく自助グループだ。そんな助け合いのネットワークが張られていたら回復の一助ともなろう。しかし私は独身の一人暮らしである。アルコホリズムを本当に理解してくれる友人や家族が周りにいない。私は天涯孤独である。逆に自分から孤独のブラックホールに頭から突っ込んできた。
そうした精神状態である日、連続飲酒に陥ってしまい、意識が朦朧としている中で大量のベゲタミンAを30錠ビールで流し込んだ。その後、テレビが消えなくてイライラし、天井を這っている電気コードを包丁で切断した覚えがある。なぜかその時はテレビに強迫されている様に感じたのだ。しかしながら後日、病院から外泊許可をもらって自宅に帰った時にはそれらしき形跡がなかったので、やはり幻覚だったのだろう。その後、ブラックアウトの状態で近所のコンビニエンスストアの近くのごみ置き場に、私を強迫し続けていたテレビを廃棄した。そして恐怖から解放され、私は闇の中へと入って行った。
気がついたのは1週間後だった。私は病院のベッドで下半身を裸にされ、胃洗浄を受けていた。それが終了するといつの間にか駆けつけていた両親が心配そうに私を眺めており、私は自分自身の情けなさと自殺が未遂に終わった悔しさで涙を流しながら内科の病院から3度目の○○○記念病院に病院の車で運ばれた。
なぜ助かったのかは、たまたまアパートの玄関先に自宅のカギが落ちていて、不審に思ったオーナーが玄関を開けて私が倒れているのを発見し、救急車を呼んだと後から聞かされた。もし、発見されないまま倒れていたら死んでいただろう。

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