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アルコール依存治療への疑問コミュの11.2度目の入院

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クリニックで紹介された病院は東京の多摩市にある○○○記念病院だった。わざわざ奈良から両親が横浜まで来てくれて、車で病院へ向かった。2度目の入院というのはかなり精神的に落ち込むものである。車窓の風景は不思議とモノトーンの風景に見えた。
病院に到着すると、持ち物検査から病棟での規則、アルコール治療の方法などの細々とした説明を受けると、ナースステーションの隣にある個室へ通され、点滴が始まった。東京方面のアルコール依存症治療は神奈川県横須賀市にある国立病院機構久里浜アルコール症センターの治療法をモデルにしている。この病院も例外ではない。大雑把に取り入れて多少のアレンジを加えたものである。
個室で点滴を続けながら離脱状態からある程度回復させるとともに内科の検査を一通り行い、内臓疾患が併発していないかのチェックを行う。そしてある程度の自律行動ができるようになると、1号室という大部屋に移されるが、この時点ではまだアルコールリハビリテーションプログラムは実施されない。この1号室に入ると朝の会という朝礼みたいな会に出席させられ、患者の自治会長の「おはようございます」という挨拶とともに抗酒剤を服用させられる。これは強制であった。
そしていよいよ別の大部屋に移されアルコールリハビリテーションプログラム(ARP)が開始される。ここで担当の看護師が付けられ、私はその担当者からARPの詳細と、今後の入院生活のスケジュール、退院予定日が聞かされた。退院の予定はARP開始からちょうど90日。その前に酒歴というものを書かされて、入院患者全員の前で発表させられる。酒歴とは、病院側が理想としていたのは、過去の飲酒問題を自己洞察し、誠実に自分の心を語り、まとめたものである。これは退院が近付いた患者が書いて発表する。1週間のARPの中にも毎週、酒歴発表がプログラムとして予定されていたが毎週誰かが退院するわけではない。該当者がいなければアルコールに関したビデオ鑑賞になる。
ARPの目的は、健康的な生活を回復し、酒を飲まない生活リズムを身につけることを目標とし、日々の日課と治療プログラムに取り組んで退院後の自助グループへの参加を促すことである。具体的な内容は、ソーシャル・ワーカーによる酒害教室に始まって、野外ウォーク(普段は病院周辺の散歩だが、ARP一カ月を超えた者は月に一回高尾山に登らされる)、酒歴発表、院内ミーティング、レクリエーション(晴れた日はソフトボール、雨天の場合はゲートボールか卓球)、作業療法(ほとんどが室外作業だったが、金曜日の午後だけは室内作業だった)、そして金曜日の夜のAAメンバーによる病院メッセージである。
大阪の病院と違ってこれらARPは全て強制だった。プログラムをさぼって自転車で遊びに行くなんてありえない。守れないものは治療拒否ということで強制退院だ。ソフトボールの時間もあったが大阪のように楽しくない。対外試合なんてもってのほかだ。時々、退院してデイケアに通っていたメンバーと試合をするくらいである。
入院して2週間くらい経過した頃、その日のARPが終了し、病室で一人、大量に持ち込んでいたチベット関係の本を読みながら悶々としていると、担当の看護師が入ってきて、何か困ったことはないかと聞いてきた。困ったことはこの病院のARPが退屈でつまらないということであるがそれは言いだせない。
入院2回目でなんとなく考えていたことは、退院後の生活をどうするかということだった。漠然ともう会社を辞めてしまってしばらくインドにでも行ってくるかということは考えていたが、実現するには少々難問をクリアしなければならない。ちょうどインドのダラムサラでチベット人支援をやっていた日本のNGOがボランティアを募集していた。確か「パソコンのできる方、チベット人にCADを教えられる方募集しています。」といった内容だったと思う。ただし、病院に入院しているとインターネットが使えない。ARPが1カ月を超え、外部のAAに2回参加したら外泊許可が出て、その時に渋谷のネットカフェでメールは送れるのだが、それまで待つのがもどかしかった。精神病院は携帯電話でさえ持ち込み禁止だ。
どうやってコンタクトを取ろうかと考えてその担当の看護師に聞いてみた。
「○○さんはインターネットはやっていますか?」
すると都合のいいことに、
「はい、やっています」
「申し訳ありませんが、ルンタプロジェクトと言うNGOのホームページにボランティア募集のページがあるのですが、そのコピーをいただけますか?」
「それくらいなら出来ますよ」
その答えを聞いて私は一筋の光が見えたと思った。私はそれを聞くと早くも文面を作りはじめ、彼が期待のものを持って来るのを待つばかりだった。
それから、私のインド行きを決定付けたものに入院患者仲間のSさんの存在がある。
入院生活はリハビリのためのプログラムはあるものの、後は膨大な暇な時間との戦いである。今回の入院も長期戦になると予想していた私は入院に際してチベット関係の書籍を大量に病室に持ち込んでおり、それらを片端から読み漁っていた。退院するまでに読んだ本は軽く50冊は越えていただろう。また、読書と同時に数年前からはじめていたチベット語の勉強も改めて本格的に取り組もうと思い、「実践チベット仏教入門」(クンチョク・シタル、ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著)という本を持って病棟の図書室に立てこもり、「観自在菩薩成就法」などのチベット語テキストをノートに書き写し、暗記していた。
そんな私の姿に興味を持ったのか、同じ病棟に入院していたSさんが話し掛けてきて、むかし奥さんと2年ほどインドを放浪した時の様子をしみじみと語り始めた。
Sさんは会社でバケツ一杯吐血して毛布に包まれて瀕死の状態で病院に担ぎ込まれたが、病院側は死ぬ可能性のある患者を引き取るのを拒んだ。その時の彼のγ―GTPは4090である。生きているのが不思議な状態だ。仕方がなく、別の救急病院で24時間点滴を3ヶ月続け、ようやくγ―GTPが1000台に落ちてきたところで私が入院していた精神病院に転院してきたらしい。生死の境をさ迷って帰ってきた人の言葉は重かった。
担当の看護師は期待のものを持っては来たのだが、これ以上の協力は婦長から止められているという。患者と看護師の個人的付き合いは厳禁なのだろう。
それでは仕方がないのでインドへ行くための退職願を室内作業時間にワープロで退職願を書いて投函した。後にこのことがソーシャル・ワーカーに発覚して叱責されるのだが、出したものは仕方がない。幸い、入院期間中に退職することはなかった。
そしていよいよARPが1ヶ月以上になり、外部のAAに参加することになった。当時は火曜日に調布グループ、木曜日に府中グループのミーティングがあったように思う。まだその当時は病院からミーティングのある教会まで単独で行動することができたので、途中、書店により、最適なCADの選択を考えていた。そこで決めたのがベクターワークスという3次元CADとそのレンダリングアプリケーションのレンダーワークスである。これなら個人でも購入できるCADソフトだった。そして病院から仕事上付き合いのあった○○商会という大手のOA機器販売メーカーに電話して、必要なシステムの発注を依頼した。
AAに2回参加して土日の外泊を許されると、会社に潜り込んでメールの返事を書いたり、残務処理をしたりして後の2ヶ月の入院期間をどう過ごすか考えた。
こっそりと会社に忍び込んでみると何人かの同僚が仕事していた。
「もう退院したの?」
との声に
「ちょっと用事がありまして・・・外泊許可もらって出てきました」
と言いつつ、へっ、へっ、ヘっ、・・・と頭をかきながら自分の席についてPCを立ち上げた。
幸いなことに毎週土日が外泊できたので、ボランティア先の「ルンタプロジェクト」とのメールのやり取りは順調で、是非きてもらいたいという返事も受け取った。後は退院するばかりである。
東京での入院期間中は大阪の病院ほど楽しくはなかったが、それでも愉快な入院患者との交流はあった。特にガンちゃんは忘れられない。
入院1ヶ月を超え、AAにも休みなく参加していると、いよいよ高尾山の山登りの日がやってきた。午前8時、いつものように抗酒剤を服用する朝の会が終わると、引率の看護師に先導されて駅へ向かう。高尾山までは電車で1本だ。この日は朝から雨模様で、いくつかある登山道のうち、全線舗装されている1号路がえらばれた。私とガンちゃんは一番乗りをかけてデットヒートを繰り返していたのだが、年齢的にも体力的にもガンちゃんは次第に遅れだし、頂上についたときにはかなりの差が開いていた。
頂上について一服していると、ガンちゃんの様子がおかしい。問いただしてみるとビールと濁り酒を飲んだらしい。シアナマイドを服用しているので顔は真っ赤になり、動くだけで必死である。昼食時に様子を見ていた看護師はそれに気づいて帰りはロープウェイで送り届けた。ガンちゃんが再飲酒して閉鎖病棟の保護室にぶち込まれたのは言うまでもない。
その日の婦長の総括の時の機嫌は最悪であった。延々小言を言われて反省させたれた。
そんな出来事も、3ヶ月は早いもので、とうとう退院の日がやってきた。その前に発表した酒歴はアルコールからどうやって逃げるかということでまとめたと思う。

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