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荒川修作さんコミュの荒川修作に聞く 1997年8月 グッゲンハイム・ソーホー美術館での「天命反転: 私たちは死なないことに決めた」のとき

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1 普遍的なものの考え方はあるのか(問題意識)
得丸:新聞の文化欄の記事(毎日新聞1995年11月1日夕刊)で養老天命反転地の存在を知り,毎日新聞社から出版された本『養老天命反転地』も取り寄せ,1996年3月の日本出張の時現地も訪問しました.新聞の記事から直感した運命的なものに憑かれたように訪問して,その後自分の訪問を反芻するたびに違った意味を発見しています.その意味をもっと知りたいと思います.
荒川:僕がどうしてこのようなことをやり始めたかということを話させてもらおうか.
『意味のメカニズム』は僕の処女作で,10年かかった.
一体日本語で感じる感情と外国語をひとつマスターして感じる感情と変わるものだろうか,外国語で怒られるのと日本語で怒られるのと日本人にとってどんなに違うものだろうか,という疑問があったんだ.それを徹底的にやってやろうとしてあれはできた.
小さな意味でも大きな意味でも,およそユニバーサル(普遍的)なものの考え方というものがあるのか,ユニバーサルに考える言語があるのかないのか,それについてぼくはほとんどの時間を費やした.ここ(建築作品)までくるのに大変な道のりがあったんだ.

2 芸術信仰の終わりと第二芸術のはらむ生活空間
欧米のハイ・アート,特にヘーゲルの美学にあるそれは,完全にペシミズム(敗北主義)が土台となって作りあげられてきた.どっちみち人間は死んでしまい,救われない。だからせめてフィクション(虚構)として,魂とはどんなものかとか,心とはどんなものかを垣間見るためにつくられたのが絵画であり音楽であり詩であったんだ.
その中で建築というのは,これまで第二芸術として位置づけられてきた.しかし唯一生活空間を内に秘めていたのが建築という形式なんだ.それで今建築といっている.俺だけではないぞ,世界が建築に興味を示している.つまり他の芸術形式は使い物にならないということだ.
考えてもみろ.あのレオナルドがどんなに素晴らしい絵を描いたって,指一本入れられないだろ.だからフィクションだな.そうすると信じるか信じないかという信仰の問題になる.
20世紀のおしまいには,ヴァーチャル(仮想)なものがいっぱいあるわけだろ.絵なんてばかばかしくなってしまう.詩の朗読なんて誰も行きやしないだろ.ジャズを聴きにいっても,音楽から醒めたら何にもないな.彫刻なんてのも,馬鹿の骨頂みないなもんだ.自然の木一本にも負け,どんなことやっても弱々しい.
ニューヨークをみてもわかるけど,画廊は潰れるし,もう美術館行く人もいない.20世紀の終わりとは,結局自然科学および科学一般が芸術を否定しちゃった時代でもある.科学にはみんな時間と労働とお金を費やすけれど,芸術なんかに費やしてもなんの保証もないからばかばかしい.

3 建築の背後にある意味の体系
そんな時代に僕のようなケースが出てきたんだ.『ちょっと待てよ,お前たち.まだやれることがある』
まったく新しい芸術,新しい科学のための芸術科学なんていうとおかしいけれど,その最たるものだ.おそらくこの地球上で初めてだ.だからアメリカの奴もヨーロッパの奴もどうしていいかわからない.
奈義の現代美術館で始まった建築革命は確実に力をもってきた.それでこのグッゲンハイムが総合の展覧会をやってみた.建築的なものがどこから生まれてきたかをあのキャンバスから見せたわけ.
今まで僕の作品を,ダイアグラム(図式)絵画を絵だと思っていた人も,唯の絵じゃなかったことが今35年たってやっとわかった.35年もかかったよ,そこまでわかるためには.そうすると欧米ではそれで頭にくる連中も出てきた.僕なりの体系をつくったからね.嫉妬だよ.東洋人に体系なんてできないよと思っていたのが,意外にファンクション(機能)しているわけだ.
死生観を変えられるってのが一番いやなんだ.あんたたちの持っている文化的なもので,自分たちの死生観は変わらないよって言いたいんだ.
僕の場合は,彼らの論理や思想とはまったく違ったことをやってきたけれど,「建築的身体(Architectural Body)」とか,「降り立つ場(Landing Site)」という考えや,それらがどういう風に出てきたかはわかるわけ.そうするとあんまりいい気持ちしないらしい.
ということはね,もっとはっきり言えば,まだ世界はユニバーサルになってないんだよ.俺らは人間から程遠く,いまだに進化の途中にあるということだ.我々がいかにまだ人になっていないか,まだ動物かそれからちょっと外れて尻尾が取れたくらいなんだ.

4 美学の終焉
ちぐはぐなのは人間が作りあげた言語でね,自分たちは動物の中の特殊な動物だと位置づけられただろ,それを頭の中で信じた奴が出てきたからこんなになってしまった.
欧米の人がもっとひどいのは,特にヨーロッパは,自分が世界の中心(センター)だと思い始めたから,20世紀のおしまいにしっぺ返しされたわけだ.
この事実が見えてくると,全ての文化や芸術が木っ端微塵にこわれちゃった.19世紀には詩人なんていうと優遇された.今詩人なんて何でもない,何やってるのって感じだろ.美術の形式がこれほど無価値になってしまった時代はない.
僕の仕事は建築的なものから出てきたわけではない.美しいとか美しくないとか体系づける西洋の美学は,ヘーゲルが決定的な体系をつくっちゃった.東大やらいろんな大学の先生はそれを盲信して走ってきた.
この美学はね,『この世には何もない,ただ美しいものとか,崇高なものとか,拝みたくなるものとかがあって,それが一番すばらしい』というんだ.それに真っ向から反対するものとして今世紀のはじめに未来派が出てきて,次いでダダイズムが出て,シュールレアリスムが出てきた.

5 あなた自身が美術館にならなくてはいけない
グッゲンハイムの展覧会は,『美術館のおしまい』という展覧会でもある.あれは美術館でやっちゃあいけない展覧会なんだ.
美術館はいらない.なぜなら都市が美術館にならなくちゃいけない.家が美術館にならなくてはいけない.あなた自身が芸術作品にならなくてはいけない.そうなるとどういう世界をつくらなくてはいけないかということだから,僕のやっているのは建築とは関係ない.
だから丹下健三や磯崎新や鈴木博之さんに聞いてみろ.彼らが南氷洋にいるとすれば,僕は北極海にいる.彼らの言っていることと,僕の言っていることはおよそ通じない.彼らはモダニストの建築思想家だ.モダニストの建築思想では,大地に触ってはいけない.大地は平衡になっていなくちゃいけないんだ.この誰といえども触っちゃいけないものを,僕がやすやすと壊しちゃった.そうするとモダニストたちは一切僕の方へ入ってこない.彼らはそれを肯定すると立場がなくなるからね.
この展覧会は「天命の反転,私たちは死なないことに決めた」という題だが,それが一体建築と何の関係があるのかと考えると,それでまず建築家はついてこない.建築はそんなもんじゃありませんって,モダニストたちはまず言うだろう.彼らにとって建築は生命を守るものであって,生命になるものじゃない.僕にとって建築は,生命なんて守ってくれなくてもいい.生命そのものを作る,意識そのものを構築することだ.
人間のこの生命というものがどうやって発生したか,建築でできると言ってる.生命を,意識ってものを建築的に作りあげることができると言ってるんだ.

6 価値基準を強制する美学
得丸:未来派やダダイストの延長というだけでは,反転地にたどり着かないのではないですか.
荒川:結局な,あれにも美学が入っていたんだ.その美学を断ち切ったところからこういうものがでてきた.
美学というのは,美しいといわれるものを人間の身体の外側に作りあげるんだ.魂とか心とかいう名前を付けて.だから『モナリザ』を描いたレオナルドは,ほとんど自分の魂を描いたとか,レンブラントは心を描いたと言われてるだろ.最近のマチスなんか僕は大嫌いだけど,意識そのものがそこにあるとか,セザンヌは移りゆく自然を描いてそこに心の真実があるとかなんとか言っているだろ.そんなのみんなフィクションだ.それは美学が,美学という言葉なり学問があったから成り立ったんだ.
あの人すごいキレイ,だけど私大嫌い,って人いるだろ.あれは何を言おうとしているか.そんなに美しかったら好きになればいいだろ.だけど好きになれない.そういうことは前からあったんだ.だけど前はそれを否定していたんだ.
美学をつくられたということは,制度を,ものさしを作られたということだ.それによってどのくらいこれは素晴らしいかということが決められる.そのために心とか魂って最高峰の言葉がどうしても必要だった.
レオナルド・ダヴィンチがどうして素晴らしい絵描きかというと,「人間の心をそのまま写しだした絵を描いた.モナリザを見てみろ,自分の夢の中にいるようだ」とかなんとか言うだろ.そういう制度になっている.催眠術にかけるんだ.それでみんな「あーなるほど,それでいいんだな,それでこんなに高いんだな」と思うわけだ.
その時代時代に応じて制度が変わってきても,価値(value)はどんどん上がる一方になったわけ.それはファシスト的だ,ファシズムの世界だ.
今になって考えたら,モナリザを描いて500年たって,目の前の雲のような美学をッパッとどかしてもらったら,「なんだあんなもの,ただの女のひとが笑っているだけの絵じゃないか」なんて絵がいっぱいあるわけ.本物,生身の人間の女を見てたほうがいいって風になる.美学をどかしたら,今までの価値はほとんどなくなってしまう.
得丸:美学の約束ごとをとった場合に,何をもって美しいと感じるかということになるのでしょうか.
荒川:それはおかしい.美しくなくたっていいんだ.
美しいってことは、美ってことは何かのためにというんじゃなくて,我々は救われないという思想から作りあげたテーゼなんだ.じゃあ,どうして美しくないものは価値のないものになるんだ.
たとえば火山が爆発するのをみてあれを美しいって言ってる人いるか.「ギャー」なんて言うだろ.美しい美しくないなんて言う前に,恐怖でおののいてしまう.するとそれは何だろう.
美しい美しくないなんてものを価値の基準に,すばらしさの基準にしたこと自体がいかに古い時代であったか,ひどい貧しい時代に生きてたかってことだ.これまでそんなものを信用していたんだ.
今君がここにきて,『じゃあ荒川さん,何がありますか』って言うだろ.人間が救われるためには,そして人間に自由や希望が持てるためには.結局,永遠というものがこの世界にできるのかできないのか,俺の挑戦はそれなんだ.

7 私という現象を選択的に構築する
ここからものすごく飛躍する部分だ.
じゃあいっぺん俺らが死なないようになったら,これから初めて自由の獲得ができるんだ.死にたい時に死ねばいいんだから.『俺2万年生きたから窓から飛び降りて死ぬよ』というと,みんな乾杯してくれるんだ.『そうか荒川,明日窓から飛び降りるのか』『もう2万年生きてきて退屈でしようがないから』
それが自由の獲得だ.自由を獲得するというのは選ぶ権利があるんだ.選ぶことのできる世界.今の俺らは選べないんだ.人生60年なら60年,70年なら70年で宿命は向こうからやってくる.それに挑戦しようというのが僕らのやってること.
得丸:『死なない』というのは,禅の思想とつながりが強いのかと思っていました.
荒川:君のその考えは違う.
超越するもののために座禅を組んだり,悟りを開いたり,ここでも未来でも過去でもないところに自分を置くとかな,そういんじゃなくて,僕がやろうとしていることはもっと科学的なんだ.
君は宮沢賢治の『春の修羅』を読んだことがあるかい.『私はひとつの現象である』ってやつ.
『私はひとつの現象であ』ったら,(手を動かす)こうやって動いていたらぜんぜん違う現象が生まれるだろ.
私が生きているというのは,ひとつの只の現象である,と彼は言う.
寝てる時違うだろ,怒っている時違うだろ,年をとってくると違うだろ,そしたらなそういう現象をいろんな風にして作って,それを構築したらいったいどういうものができるかということを俺はやっている.必ずとてつもないものができる.人間の意識というものがどうやって発生しているかを建築できたら,私に似たものをたくさん作りあげることができるわけだ.
だからものすごく論理的にやっているんだよ,僕はそういう意味で.

8 生物学の環境に意識が宿る
荒川:2万年生きるということは,現象として生きるということだ.
君がここにいるだろ.それがひとつの現象だ.君がひょっと立って便所にいくとまた違った現象になる.そうだろ.怒った時とか,悲しい時とか,ものすごく沢山の君がいる.
この建築的と言うのは、環境に合体していろんなことが起きるだろ,とてつもないものが私の体に.片目をつぶったり,さわったり,いろんなことが.
ちょうど赤ちゃんがどうやって育つか見てみろ.おかあさんのところに行ったり,転んで倒れちゃったり,わっと泣いたかと思ったら瞬間げらげら笑ったり,現象がぼんぼん変わってきているわけだな.
僕たちにもあるんだ,あれが.あるけど目に見えない,見ることができない.言葉もない,名前もないし,命名もできない.
たくさんの無名の現象がぐるぐるあってそれが環境を作っている.いろいろな現象をどれくらい積み上げたら,どれくらい構築したら,一体人間は死ななくなるのか,ということをやろうとしているんだ.

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