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タイ仏教コミュの第三十二項、梵行を修める

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農夫は畑や田んぼの雑草を除去し、燃やした後、雑草がまたもう一度生えてこないうちに、すぐ別の植物を植える。身を修め心を練る人も煩悩が減少した時、それがもう一度勢いをつける前に、速やかに梵行を修める方法でいろいろな美徳を心の中に植える。

梵行とは何か
梵天神と同じ修行、あるいは高尚な修行、更に厳粛に各種の美徳を修め、煩悩の今一度の勃興を防ぎ、煩悩に決着をつけます。梵行を修めることは心の境地に照らして段取りをつけて行います。

心の4段階の境地
(1)欲界:色欲界の心に置かれています、五欲の間を行ったり来たりする、一般人の心の境地です。
(2)色界:可見色界の心、色禅の感覚の心に満足しています。修行で色禅の人の心を得ています。生のあるときは色欲に興味を感じず、四無量心に満足しています。それは色欲に比べもっときめ細やかな心。ちょうどいくつかの梵天神のようで、往生の後、色界天の天神となります。

(3)無色界:無色界の心、無色禅の感覚の心に満足しています。修行で無色禅の心を得ています。この心は可見色の心に比べもっときめ細やかで、往生の後、無色界天の天神となります。
(4) 超世経:あらゆる尖ったものから離れた心、煩悩から脱却した聖者の心です。深く悟りを開き、きめ細やかで幸福な心です。
  
この4つのクラスの境地は2つに分ける事が出来ます。
−世間:
(1)欲界
(2)色界
(3)無色界

−出世界:
(4)出世界

世間界の心は苦痛や快楽が共にあります。その上、上下のクラスに上がったり下がったりすることができます。無色界の心はもし油断したり、真面目に修行をしないと欲界に落ちる可能性があります。欲界の心は、もし真面目に修行をすれば、色界や無色界に上がることもできます。すべてはみな、修行の結果と善果によって、上がり下がりします。

欲界の心は、たとえ楽しみがあっても世俗の楽しみに過ぎません。苦痛が入り混じり、苦脳のはかない間の快楽です。それはまだ家庭がない人のようで、家庭のある人は楽しいと思います。しかしいったん家庭を持つと、その中には少なくないわずらわしいことがあるのを知ります。それは夏の時期、雨期のすがすがしさを懐かしく思い、雨期になると冬の寒さを懐かしく思うようなもので、自分でも本当の楽しさはどこにあるか分かりません。

世間の楽しみは、日光の影のようなものです。夏の時期、遠くから見る路面は、空気中のきらめく陽光の影が見え、路面には一層の水があるように見えます。しかし近づいてもう一度見ると、何も見えません世間の楽しみは狡猾で、我々が早くつかもうとした時、それは走り去ってしまいます。それが走り去った後、もう一度追いかけようとすると、どうしても追い付けません。

世間には絶対的な楽しみはありません。少尉になった後、中尉になれば楽しみがあると感じます。中尉になった後、大尉になれば楽しみがあると感じます。大尉になった後、少佐になれば楽しみがあると感じます。少佐になった後、中佐になれば楽しみがあると感じます。中佐になった後、将軍になれば楽しみがあると感じます。将軍になってもまだ前に走っているのを感じます。何も得られないのが一番です。

一生走り続け、一生の楽しみを追い求め、一生の道に迷い得た楽しみはほんの少しです。苦痛と煩悩が絶え間なく次から次へと続きます。道に迷った人の心はむやみに走った人のようです。少なくともある日足を滑らせ、マンホールに滑り落ちるか谷底に転がり落ちます。まったく迷い乱れる心のように、偽りの楽しみを追い求める途中の人は、ある日足を滑らせ、生前に刑務所に入り、死後は地獄に落ちることも少なくありません。

世間の心をたたえると
―欲界の心:これは最底層の楽しみです。この心はなお欲界を転げ回り、得た楽しみは子供が泥遊びで得た楽しさと同じです。

−色界の心:欲界よりは高い層にあります。得た楽しみは自分が好きな仕事をした人が得た楽しみと同じです。

−無色界の心:色界より更に高い層にあります。得た楽しさは、父母、教師が自分が育てあるいは教育した子供が向上した人生を歩んでいるのを目にして得る楽しみと同じです。また自分の仕事が順調に完成した人が得る楽しみと同じです。
  
一般の宗教では、最高でも人は無色禅を学ぶことができると教えるのみです。
例えば、バラモン教では、人は梵天界の天人になると教えますが、これさえも世間界にいて、上がったり下がったりします。しかし、仏陀は人は世間界を抜け出すことができ、涅槃の境地にまで入ると教えています。

 
なぜ梵行を修める事が必要か
仏教では梵行を修める最高の目的は、人が世俗的習性を取り除くことです。
一切の煩悩を切り取り、超世間まで向かう。やらなければならない一番のことは八正道を学ぶことで、段取りよく欲界、色界、無色界のトラブルを切り取ることです。

一般人にとって最も容易なことは、煩悩を再び勢いづけることで、最も可能なことは心をしっかりとしばりつけ、それを前進させ、色欲に至らせないことです。もし色欲を取り除くことができれば、修行は速やかに向上するでしょう。吉祥経第32章の法則の目的は色欲を切り除くことです。下記は仏陀がこれまでに語ってきた色欲の害に関するものです。

色欲の害
(1)色欲は肉の付いていない骨のようです:おなかをすかせた犬が骨を咬みます。噛めば噛むほど疲れ、噛めば噛むほどおなかがすきます。おいしい味を少し味わうことはできましたが、おなかを満たすことはできません。力を入れた時は歯さえ噛み砕いてしまいます。人はみな、妻がいて家庭があることを楽しいことだと誤解しています。しかし持ってみると、少しもそうは感じません。互いに騒がしく、気にかけ、嫉妬も絶えません。このため愛情問題で首をつったり、川に身を投げることも少なくありません。楽しみは大変短く、骨を咬んだ犬のようです。おなかいっぱいにならないわずかのおいしさを味わっただけです。

(2)色欲は鷹やはげ鷹がくわえている肉のようです:口の中の肉は、他の鷹やはげ鷹が奪っていくこともあります。自分は口の中の肉の唯一の持ち主ではありません。新聞紙上でも、愛情問題や欲がらみで誰かを殺したり、自分の恋人さえ、殺したりすることが報じられています。ある人は結婚前は、相手のために剣の山にも登り、火の海にも飛び込みますが、結婚した後は妻さえ永遠に自分のものではありません。きれいだったり、ハンサムだったりすれば、更に誰かが奪っていきます。

(3)色欲は手に持った草で縛って作った松明を持って風に向かって走る人のようです:しばらくすると、必ず持っている松明を放り投げるか、さもなければ自分の手を焼くことになるでしょう。走りながら真正面から顔や目をいぶす煙を吸い込む。何と苦しみながら意味のない走りをしている人でしょう。色欲の界に落ち込んだ人も同じです。必ずその苦しみを受けます。苦労して稼いでたくさんのお金を使って妻子を養う。しかし、妻子も永遠に自分に忠誠を尽くす保証はありません。子供も人材になれる保証はありません。家庭を作っても永遠に一緒に居られません。しばらくすると、車にひかれて死んだり、がんになって死ぬ、あるいは年をとって死にます。ちょうど草で作った松明と同じです。しばらく燃え、手に持っていた後、すぐに捨てられます。

(4)色欲はぼうぼうと燃える生き地獄のようです:落ちたら死ぬか重傷を負うかは誰の目にも明らかです。それでも人は絶え間なく盲目的に飛びおります。お寺に入り僧侶の説法で「どこかに愛があれば、どこかに苦痛がある」と。しかし寺から出ると、この心理はとても遠い所に捨てられます。結婚する時、相手がハンサムかどうか、きれいかどうかしか見ることができません。少しも色欲により引き寄せられたなど、また家庭を築くことによる苦脳などには思いも及びません。

(5)色欲は一幕の夢のようです:夢の中では一切すべてが普通の美しさを超えています。しかし朝目が覚めるとすべてが無に帰し、むなしさが残るだけです。
色欲の中に落ちいった人も同じです。知り合った頃は、互いに甘くささやき合っていましたが、その後は悪口を言い合い、相手が殴ると自分が罵るに変わる。もともと最初の頃の夢の中のような美しさはありません。我々は現実の世界に立ち真面目に修行するか、それとも引き続き誤りに固執して悟らないでいますか。

(6)色欲は借りてきた財物のようです:他人に見せびらかして、何と得意でしょうか。
でもこれも自分が永遠の主人でないことは大変はっきりしています。なぜなら、それは本当に自分のものではないからです。ひとたび本当の持ち主が見つけたら、必ずこの人に返すことになるでしょう。知りあった頃、互いに美男美女で。行きかう人もみなうらやむほどでした。しかし今となっては、かつての妙齢な女性も太ったおばあさんになり、かつてのハンサムボーイもはげ鷹になり、ビール腹を突き出しています。過去の外見の美しさは歳月によって取り去られてしまいました。たとえこのようでも、我々はもともと自分でないものに固執している必要がありますか。

(7)色欲は林の中の実をたくさんつけた果物の木のようです:そこを通る人はどんな手段を使ってもその実をもぎ取ろうとします。ある人は木によじ登ったり、揺すったり、のこぎりで切ったり、たたき切ったり、ある人は足を滑らせて下に落ち足の骨を折ったり、間に合わずに切り倒された木の下敷きになって死んだりしました。どの果実の木の実も多ければ多いほど甘く、その実をもぎ取ろうとする人のけがはより重くなります。

(8)色欲はまな板のようです:色欲に迷った命は、まな板の上で色欲の包丁で真っ二つになります。色欲は諸悪の敷物のようです。また包丁で切られたり、たたき切られるまな板のようなものです。全身傷だらけになります。

(9)色欲は鉾や槍のようです:必ず人を傷だらけにし、血肉は見る影もなく、痛くて生きていられないほどです。

(10)色欲は毒蛇の頭のようです:いつでも頭の向きを変え我々を咬み、中毒死させます。色欲界も毒蛇が満ちたところです。歩くと危険で歩くと命を落とします。人の肝を冷やします。

以上は仏陀が色欲について作った比喩です。以上例として挙げたものはわずかですが、その実はもっとたくさんあります。たとえ我々がすでに色欲がこのように人を傷つけることが浅くないことを見ていても、まだ相手がいない、あるいはまだ結婚していない人は、更に瞑想修行に勤しむべきです。瞑想した後心は、静かで明るく、同時に内在する瞑想の幸福を感じることができます。

色欲から獲得できる短い快楽からほど遠い、高尚で真実も多いです。このため結婚したいという考えはもうなくなります。一途に内在する幸福だけを求めます。すでに結婚している人はこのため離婚する必要はありません。自分の生涯の伴侶に忠実でいるだけです。外で女性を誘惑しないでください。時々、八斎戒を守ってください。


梵行を修める方法
―初級の梵行:家庭のある人は、自分の主人や妻に忠実でなければなりません。
 淫らな行いをせず、五戒を守ってください。

―中級の梵行:家庭のある人は、五戒の他、時には八斎戒を守り、四無量心を学んでください。

―上級の梵行:結婚していない人、もし在家者であれば八斎戒を守り、性生活をしないでください:もし出家した僧侶なら、できる限り瞑想修行をしてください。もし上級の梵行なら、瞑想も少ないことはありません。

初級の梵行を修める人は国王のようです。中級の梵行を修める人は天人のようです。
高級の梵行を修める人こそは完全な人です。

出家に関する注意事項
タイ国の仏教徒は、20歳の時出家することができます。これは梵行の一種で、注意しなければいけないことがあります。

(1) 出家時の年齢:男性は12歳から20歳の間、機会を探してまず少年僧にならなければなりません。なぜならその時はまだ年が若く、心配事もないからです。修行も人間業とは思えないほど速く、専心できます。そうでもなければ20歳から25歳の期間に出家して僧になります、もし不便だったら、別の時でもかまいません。しかしあまり待ってはいけません。なぜなら年をとってから出家すると、体の問題があり、立ったり、行ったり、瞑想したりするのがみな不便です。年をとった人は時として自尊心が大変強く、頑固で教師の教えを受け入れ難く、すぐには調整することが難しいからです。

(2)出家の時間:夏安居の終わった時に3カ月出家します。あるいは、1~2カ月出家します。それとも一生出家してもかまいません。どんな事情があっても、少なくとも1カ月以上、比較手的十分な時間仏法を学びます。

(3)出家の場所:この条件は大変重要です。出家が有効か否かはこれと大変大きな関係があります。修行が厳格で仏教の規律が厳格な寺を選ぶべきです。よい寺は教戒師自ら新しく出家した僧侶を教えます。瞑想に勤めさせ、つまらないことを意味もなく考える時間はありません。出家の後、誰も気にかけなければ、仏教の規律が厳格でない寺だったら、出家から還俗まで、新しい僧侶の思うがままで、1日中何もすることがなく、教戒師と仏法の議論する機会もありません。このような出家は意味がありません。出家は自分を教戒師の教えに引き渡すためで、もし教戒師がかまわなければ、出家者が手にする功徳もまた十分ではありません。

(4)仏教の規律を順守する:必要な時はいつも自分に警告を与えてください。
出家し、僧になることができるのはみな、仏律によるのです。たとえ、剃髪していても、身に袈裟をまとっていても出家者ではありません。これは「仏教の強盗」とみなすことができます。このため真面目に学習し厳格に仏律を守ります。さもないと、還俗した後、最初の出家は実際は無駄に袈裟を着たと後悔します。

(5)修行:身を入れて仏律を学びましょう。更に真面目に修行します。意味のないおしゃべりはしないことです。

(6)出家3カ月の僧侶にとって、最も重要な事は瞑想修行です。しかし時間を見つけ出して僧団の仕事の手伝いをしなければなりません。しかし瞑想に影響が出ないようやりすぎないでください。在家者の助けがあるときには、静かに心を修めるべきです。托鉢のときは秩序正しくしてください。道を歩くときの振る舞いは、人に尊敬と敬虔の念を生じさせ、他人の模範になるよう、上品にしてください。


梵行を修めることの利益
(1) はっきりとした意識が生まれ、憂い、心配、疑心をなくす。
(2) 自由を有し、空の鳥のようである。
(3) 更に多くの時間、善行を行う。
(4) 智者の賞賛を受ける。
(5) 戒、静定、智慧が向上し、後退しない。
(6) 容易に涅槃を悟る。
(7) などなど

色欲の害は甚だしく多い、苦脳は勢いを増し、楽しみは少ない。もめごと、崩壊。悪事などみな、色欲が背後で糸を引いている。

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