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タイ仏教コミュの第二十八項、他人の話を聞く人

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身体障害者は、たとえ、身の回りに無価なものがたくさん置かれていても手探りでこれをとることはできない。
頑固な人も同じである。たとえ名教師に囲まれていても、彼らからわずかな知識も得ることができず、その滋養を受け取ることができない。

他人の話を聞く人は、他人が自分を教える人だということに耐えられる人です。
知識のある人が正確な指導、教育、批評、誤りを正すことをしても、みな快く受け入れ、これを実践します。相手の善意の指導に対し、他人の話が聞ける人は謙虚で反抗せず、口応えせず、詭弁を弄することはありません。

ある種の人は何でも我慢します、太陽がこんなに熱く、天気がこんなに冷たく、仕事がこんなにつらく、病魔が付きまといこんなに苦痛があっても、恨みごとも言いません。しかし、他人が自分に対してする善意の批評や指摘には耐えられません。こうした時は必ず心の中に、恨みの感情が生まれ、すぐに反駁します。
ただ心の中に頑固さがあるだけで、この種の人は愚かな人または聡明な人かではなく、みな心に障害がある人です。なぜなら他人の良さとか教育を受け入れないからです

他人の話を聞く人の性質
他人の話を聞く人の11種類の性質

(1) 他人が批評・指導をするとき、誤りを覆い隠さず、詭弁を弄せず、言い逃れをせず、喜んで礼儀正しくその教えを拝聴します。
(2) 他人が批評・指導をした後、よい方向に改善することができ、その忠告に最後まで従います。
(3) 他人が批評した時、相手の善意の話の中のあらさがしをし、機を見て反駁しようとはしません
(4) 喜んで相手の指導を持ち帰り、それにのっとって行動します。善意の指導者に自分に対する確信、好意、慈悲心を抱かせます。
(5) 批評・指導をする人およびその善言を尊敬します。なぜなら批評・指導をする人は、我々に教育を施すときは危険を冒しています。つまり人を怒らせ、うんざりさせる危険を冒すからです。このため、批評・指導をする人は美徳のある人で、自己をあえて犠牲にできる人、我々に対し本当に慈悲の心がある人です。ですから、その人の善意や善言には尊敬を持って対するべきです。

(6) 恭しい態度があり、表現は強硬さや、猜疑、傲慢、勝手気ままで、自分が偉いと思いません。
(7)楽しい心で批評や指導を聞きます。楽しさのあまり、「いいね、いいね」と叫びます。他人に対する指摘や教えには、この上ない喜ばしさを覚えます。相手の代償を惜しまない、自らの欠点を指摘することに感動します。これは宝の蔵の中で宝のありかを指摘するようなものです。このため、しきりに喜んで感謝します。
(8)頑固でない。はっきり自分の間違いだと分かれば、ある程度まで、その間違いを認め、アドバイスに従います。しかしいまだ我を通すところがあります。
(9)すぐに無礼な言い訳はしません、または理屈の通らない口応えもしません。
(10)口答えすることなく、他人の指摘のすべてを聞く意志があり、自分の行動で改善の必要があると感じている他のことについても遠慮なく言って欲しいと思っています。
(11)たとえ教えてくれる人の言葉が気分の良いものでなくで、言葉や態度も少し厳しくても怒りません。なぜなら相手の善意を体得して我慢できるからです。
結論:他人の話を聞く人は三種類の性質を持っています。

―恭しく拝聴する。覆い隠さない。口答えをしない。反駁しない。弁解をしない。冷たい言葉で対さない。相手の言うことを阻止しない。相手の話の中のあらさがしをしません。
―恭しく力行する、他人の指摘に従い、抵抗しない。自分を改善するのに躊躇しません。
―恭しく相手の善意を受け取る。怒らない。たとえ罵られ、厳しい態度で臨まれても、我慢することができます。その人が先輩、同輩または後輩であっても。

三種類の他人の話を聞く人
(1) ある種の利益や報酬のために言うことを聞く:
例えば財産のことを考えて父母の話を聞く。奨励金を目当てに上司の話しを聞きます。このような人は本当に他人の話を聞く人ではなく、おべっか使いです。

(2) 自分に自信がなく言うことを聞きます。
この種の人は自分の考えがありません。父母が勉強しなさいと言えば勉強します。友達がお酒を飲もうといえば、飲みます。ギャンブルをしようといえばギャンブルをします。お寺に行こうといえばお寺に行きます。この種の人は本当に他人の話を聞く人ではありません。頭が無く、考えが無い「馬鹿な人」です。

(3)本当に自分を変えよう、自分を向上させようと思い、他人の話を聞く:
このため他の人が注意を与え、批評し、指摘しても喜んで受け入れます。相手が先輩でも後輩でもかまいません。このような人が本当の言うことを聞く人です。

頑固、他人の話を聞かない16種の原因または性格の働き
(1)よくない要望と欲望:
お金持ちになりたいと思い、麻薬やアヘンを販売しギャンブルなどをします。誰が言っても言うことを聞きません。
(2)むやみに尊大に構える:
自分が人より偉いと思い傲慢になります。誰が言っても聞きません。
(3)怒るのが好き、怒りやすい:
誰が勧め、誰が何を言っても怒ります。すぐに誰も相手をしなくなります。
(4)憎しみ恨みが強い:
普通に怒るのではありません。誰に対しても怒ります。その人を何年も、時には一生恨みます。誰が忠告しても凶暴な形相でにらみ返します。
(5)怒りながら、不満を漏らし、憎々しげな態度をとるのが好き:
ある人が忠告した時、不満げにドアをバタンと閉め、すぐ満面に怒りを浮かべ、踵を返すとその場を離れます。または唾を憎々しげに地面に吐きます。

(6)口応えが好き:
ある人が善意で指摘するたびに、口応えが好きな人は口がうずうずしてきます。必ず相手に言葉を投げ返し、憎しみを晴らします。例えばきちんと洋服を着ないで、お寺に行った時、ある人が好意で指摘しました。
するとこのように言い返しました。「私はこのように着たいんだ。あんたはどうしたいんだ」この種の人は、聞くに堪えがたい言葉を発するのが好きです。他人の忠告などもともと耳に入りません。
(7) 言い訳、詭弁が好き:
ある人が忠告するたびにこの種の人は言い訳するのが好きです。例えば、このように洋服を着て先輩のところに行くのは良くないと言われると、すぐに言い訳して「私は服にはかまわない人間だ。このように自由に着るのが好きなんだ」と。
(8) 悪い言葉で反撃するのが好き:
ある人が忠告するたびに、この種の人はすぐに悪い言葉で口答えをします。「あんたは毎日することが無いのかい、このように人を批評するのを楽しんで。」
(9) 毒のある言葉で反撃するのが好き:
ある人が忠告した時、毒のある言葉で口答えをします。
(10)話題をそらすのが好き:
ある人が批判した時、自分のメンツがつぶれるないように、わざと話題を変えます。

(11)他人の好意を誤解する:
ある人が忠告する時、相手がある利益を考えて忠告、指摘しているといつも思う。相手は誠意からしていると思わない。このため、聞くのを嫌がります。
(12)秘密を隠す:
悪いことをして、それを明らかにしないで、胸の内にしまっています。ある人が何かについて取り上げるたびに、ドキドキし、人がその真相をつかみ、知ることを恐れています。
(13)相手をけなすのが好き:
尊敬心、恩を感じる心がなく。誰でも自分によくしてくれる人に対してこの人をけなします。この人に好意の貸しを作るのを恐れます。
(14)他人を嫉妬する:
ある人が忠告すると、これを受け入れることができません。なぜなら、他人が自分より高い所にいて勝っていると思うからです。
(15)嘘をつき、自慢をする:
自慢を長くして、それが習慣になり、自分でも本当だと思い、他人の話は自然と耳に入らなくなります。
(16)自尊心が強すぎる:
ある人が忠告する時、自尊心が反抗心を生みます。傲慢な 態度が頭をもたげ。すべての心をみな閉じ、聞くのを嫌がります。

どのようにすれば他人の話を聞く人になるか
人は頑固で執拗になります。みな上記の16種類の性格の働きによります。以下はまさに、これを取り除く4つの方法である。

(1) 頑固な性格がもたらす影響を意識する:
頑固な性格の人は必ず他人からの良い注入を得ることができません。身体障害者と同じで、身の回りにはみな、良いものがあっても探し取って利用することができません。もしずっと頑固だったら、最後は誰も指摘、批評はしてくれないことは明らかです。そうなったら、死ぬまで愚かなままです。

(2) 尊敬心を学ぶ:
たくさんの角度から他人を見ることを学習します。他人がどんな指摘をするかは言うに及びません。みな感激と尊敬を生むものです。なぜならこれは相手が我々に好意があることを証明しています。相手の批評または指摘が事実に合っているかは問わず、まず耳を傾け、それを受け入れます。すぐに反論あるいは言葉を発して相手に口答えをしてはなりません。知らなければならないことは、我々のために欠点を指摘する人は、我々のために宝の蔵の中の宝のある場所を指摘してくれる人だということです。

(3) 他人の忠告や批評の美徳を喜んで受け入れることを身につける:
相手に自分が相手の指摘を喜んで受け入れる用意があることを知らせることです。相手が先輩、同輩または後輩であってもそれは同じです。例えば仏教の僧侶には規律があります。夏安居の終わるその日、すべての僧侶が一堂に会して、互いに相手の指摘、批評の言葉を喜んで受け入れます。
真心を込め他の僧侶が自分に教えることを許す、これを「自恣」と呼びます。この日を「夏安居の自恣日」と呼びます。仏教のこの規律は各部門、機構または家庭に用いることができます。他人が自分に対して指摘を行う習慣を身につける、これは自らが他人の話を聞く人になる良い方法での一つです。

(4) 禅定を修める:
心が安定し透き通り、自分に対する他人の批評の言葉で、正確にはっきりと反省をします。自己の欠点を探し出し、改めた後はより完全な人となります。

頑固な人の種類と話

(1) 自分が愚かまたは怠け者の習性があり、頑固になる;この種類の人は人に命令されるのが好きです。何を言いつけても受け入れますが、他人の指摘は受け入れません。おそらく智慧が不足して聞き取れません。または聞くのが面倒くさいのかもしれません。

(2) 高慢で、自分がすべてのことが分かると誤解し頑固になる:この種の人は、小利口です。しかし本当の利口ではありません。このため自分がすべてのことを理解していると誤解しています。もともとまだ何も分かっていません。これらの人を使う時、命令をしてはいけません。なぜなら彼らは受け入れることができないからです。ゆっくりと教え、ゆっくりと説明する。
今行っているこの仕事のよいところを理解させます。もし高慢すぎる人でないなら、少しずつ理解し、喜んで行います。もし高慢すぎる人ならば、どのように説明しても聞きません。そうなればほっておくしかありません。

(3) 怒りやすくて頑固:
この種の人は相手が何を言っても怒ります。これらの人々は使うことができません。グループの団結精神を破壊するだけです。それとも心理学の先生のところにやって、この症状に合った薬を処方してもらうのがいいでしょう。
頑固な下級官吏:
もし最初の告示、批評を経て、まだ言うことを聞こうとしなかったら、次の手段はどうしましょうか。次のステップは懲罰です。おそらく減給、しばらくの停職です。どのような刑罰が適当かを見ます。もしこの程度では効果が無いなら仏教の梵罰か複鉢を採用するべきです。以下はこの話です。
 
仏陀は白馬カンタカにまたがり出家する時、チャンナは後から、仏陀に従って出家しました。しかし、自らがかつて仏陀の付きの侍従であったことをかさにきて、彼の振る舞いは大変傲慢で頑固でした。すべての僧侶は、仏陀が涅槃の後チャンナに対し「梵罰」を課しました。つまりすべての僧侶はみなチャンナのことをかまわなくなり、彼をこの世にいないかのようにみなしました。
チャンナが何をしようとしても、好きにさせていました。誰も彼と話はしません。誰も彼をかまいません。このようにチャンナは僧団中の変わり者となりました。その人がいてもその人がいないと同じ。人々は彼をかかわりのない人とみなしました。チャンナはついに眼が覚め、僧団の前で懺悔しました。自分はこれから再び頑固でいることをやめマイペースでなくなりました。


頑固な人をかまわないで、彼が差し伸べた助けを求める手も拒絶します。彼をこの世にいないかのように扱う。これを梵罰とか複鉢とか呼びます。どの会社、機構、学校、学校でも、このようなことが起こったら、梵罰で処理するべきです。父母は頑固な子供に梵罰を課すことができます。必ず効果が出ます。しかし状況を見て決めるべきです。もし子供が父母に梵罰を課したら、天下は必ず大乱になります。

コメント(1)

何とも・・・言いようのない想いが・・・しとります。部屋に張って折有るごとに見たいと思います。 蔵

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